パラリンピアンなど障害者スポーツの選手たちに小学校を訪ねてもらい、障害者スポーツへの関心を高め、共に生きる社会への理解を深めてもらおうと行っている「交流教室 パラリンピアンがやってきた!」。
今回は東京都の足立区立千寿桜小学校で、2022年3月8日にブラインドサッカーの交流教室を開催しました。

今回のパラリンピアンは、「日本の視覚障害者スポーツ界のレジェンド」と呼ばれている、葭原 滋男(よしはら しげお)選手。
この日は体育館で4年生の子どもたち78人が、葭原 滋男選手、チームメイトの北郷 宗志(ほんごう むねゆき)選手、田中 茂樹(たなか しげき)選手と対面しました。

葭原選手が子どもたちに語り掛けます。
「目が見えないってかわいそうだって思う? 俺は、自分の目が見えなくなった時、俺ってなんてかわいそうなんだって思ったよ」
葭原選手は学生のとき病気で目が見えなくなりましたが、大好きなスポーツを続けるため試行錯誤した結果、パラリンピックに4度出場。『走り高跳び』で銅メダル1つ、『自転車』で金メダル1つ、銀メダル2つの、計4つのメダルを獲得しました。ブラインドサーフィンの世界選手権にも日本人で初めて出場しており、さらにブラインドサッカーでも日本代表となった経験を持っています。
どんな状況でもあきらめず、いろんな方法を工夫してきた経験を、映像を用いて語りました。
「どうかな。皆、俺ってかわいそうだった?」
「全然かわいそうじゃない!」「かっこよかった!」と子どもたちは口々に、きらきらした目で葭原選手に答えてくれました。

次に、選手たちがアイマスクをつけ、とても正確なボールさばきを見せてくれました。
そしていよいよ、子どもたちの体験がスタート。子どもたちは感染症対策のマスクをした上から、さらにアイマスクをつけての挑戦です。
まずは7メートル先にいる友達の「こっちだよ!」と呼ぶ声を頼りに、歩いてみます。「見えないのが怖くて歩けない」という不安な気持ちと、友達が声で呼んでくれる安心を実感します。

次は、友達の声を頼りに2つのコーンの間に向かってシュート!
ガイド役を務める子は、目が見えない人の立場も経験した上で、どう言えば、どうすれば相手に伝わりやすいのか、を考えます。向かい合った状態だと、自分の右は相手にとって左?!
子どもたちは体験を楽しみながら、自分の力で考えます。

目が見えない人も見える人も、協力し合ってプレイするブラインドサッカー。私たちが考えるべき共生社会へとつながる、大切な1日となりました。

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