お寄せいただいたすべてのメッセージ
公開日:2025年7月13日
2025年6月28日に開催したNHKハートフォーラム「オープンダイアローグを土台に 日本のこころのケアの近未来を考える」にお寄せいただいたすべてのメッセージを、届いた順にご紹介します。
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- 事前にお寄せいただいたメッセージ(1~200)
- 事前にお寄せいただいたメッセージ(201~400)
- 事前にお寄せいただいたメッセージ(401~600)
- 事前にお寄せいただいたメッセージ(601~668)
- 当日お寄せいただいたメッセージ(669~900)
- 当日お寄せいただいたメッセージ(901~1095)
※ご本名を入力いただいた可能性がある方は、安全をお守りするためお名前の一部を割愛させていただきました。また、システム上、ご入力時の文言と一部変更になっている箇所がございます。
事前にお寄せいただいたメッセージ(1~200)
申し込み時、「日本のこころのケアがこうあってほしいといった願い」や「その他、ご質問やご要望」についてお書きいただきました。トップに戻る
ダイアローグ(対話)はまちがいです。私は元ひきこもりです。父親が妻子に説教をする「モラルハラスメント」という暴言虐待をする人で、それが原因でうつ病になりました。治療者がひきこもり親子に対話しろと扇動すると、暴言父が喜び勇んで、寝込んでいる娘の枕元に行き、自分のストレスを言葉にして娘にぶつけてすっきりし、言われた方は殺人・自傷の睡眠学習みたいなことになります。私は父から、「秋葉原通り魔殺人事件みたいなことをするな」と説教されて、通り魔殺人事件を起こさないといけないと思っていました。対話と扇動してまわるのをやめてください。以前通り、傾聴・共感でよいです。リフレクティングもやめてほしいです。自分の言いたいことをそのまま言いたいです。リフレクティングのような屈折したコミュニケーションを治療法だと流布して回らないでください。
私はファミリーホームで暮らしています。両親が離婚し、母ときょうだいで暮らしていましたが、母が私を厳しく支配するようになり、不登校になったり、食べられなくなったり、自分の体を傷つけたりするようになりました。支えてくれる人たちとの出会いの中で、自分の意思でファミリーホームに移りました。私の体験から大人に伝えたいことは、子どもにつらいことだけを聞くのではなく、好きなことや人間性、存在を理解してほしいということです。私は困りごとがあるだけの人間ではなく、好きなことや夢もあります。対話をしていると、私自身が理解してもらえたという安心感があります。
私は、小学生のときから、学校に行けなかったり、保健室登校をしたりする時期を過ごしてきました。人と会ったり、自分の考えを誰かに伝えたりすることがとても不安でした。一番きつかったのは小学生のときにきょうだいが自死したことでした。母はうつが悪化し、私は夜眠れなくなりました。スクールソーシャルワーカーの人を通して、安心できる仲間や居場所を得たことで、自分の気持ちを表現できるようになりました。私は、心配する母に「私はきょうだいとは違う」と伝えました。今は自分で選んだ高校に通っていて楽しいです。伝えたいことは、しんどさを伝えるきっかけを作るのが難しいので、自然に過ごす中で、さりげなく気にかけてもらえたら伝えやすいです。
相談しても解決や支援につながらずにいる環境を変えたいと思います。できないと否定されたことも、できるように試し続けています。 やればできる、実行するには、専門職や支援側にも責任やリスクとして課題が生じているように感じています。 本人の脆弱性や疾患名を理由に見て見ぬふりされている現場もあるように感じます。 本人の声を本人から聴き、訴える声がなくても発信されている情報から一緒に考える支援体制のガイドが必要と思います。 そのためには、オープンダイアローグを基本とした対話の効果を広め、行政の予算を獲得する必要を感じています。 支援現場には、面談と記録が必ず存在するため、記録の中にある本人の発言を可視化したF-SOAIPプラスで課題解決の可視化を目指しています。 厚生労働省の医療計画のロジックモデル化に伴い、精神医療分野の面談対話の時間と記録の効果も含めた予算獲得へ提言しています。 オープンダイアローグにより導き出された対話の効果は、対話に至る過程とともに同じ悩みを持つ様々な領域にて課題解決につがります。 オープンダイアローグにより、当事者の声が課題解決につながることを実践し科学的な根拠として可視化を目指して参ります。今後もご指導くださいませ。
オープンダイアローグを経験して、迷いや戸惑いを持つ心が軽くなりました。森川すいめいさんの作る場の空気から、聴く力変わる力を体験し心から感謝しています。
40代の統合失調症の娘がいます。波があって、暴言を言ったり暴れたりします。テレビでこのフォーラムのお知らせを見て、何かヒントがあるのではないかと思い、電話して申し込みをしました。
オープンダイアローグには、哲学と実践の両方に強い期待を持って10年近く見守らせていただいています。 私の不登校やいじめ被害の経験などを思い、対話実践の考え方や文化は、あらゆる人の心を扱う分野に必要なことだと思います。 最近思うのは学校という場の硬直性と、不登校・いじめ対応などにも「いわゆる集団への指導文化」の問題があると感じました。 対話文化が無かったから、たとえば実際はいじめ被害の後にひきこもり状態になり、何十年も動けなくなった人が存在していたのに「無かったことにされて打ち捨てられていた」のでは。(過去の私自身もそうでした) 打ち捨てられて、いないことにされた人の声が届くこと。ビデオのワークショップのミーティングのように、対話が続くことで変わるものが必ずある気がします。 組織が対話的になることも含めて、対話的な形で、昔とは違う社会を残したい、そして自分や私の家族のような苦しみを、受けなくていいし、受けたとしても、すぐに遠慮なく、偏見もなく対話できる社会になって欲しいと思います。
私はそれまで、精神医療との関わりがある立場ではありませんでしたが、ODの場は私の声を対等に聴いていただけました。それが実は凄いと思っているので、それを多くの人に感じていただける場であってほしいです。
心に傷を負った人は、日本では精神病院に隔離され、行動制限を受ける現状にある。社会的にも面倒臭い人、手に負えない人とされてしまっているような気がします。心に傷を負った人が、環境や人から癒される社会になって欲しいと思っています。
診察時間の延長
障害のある人の声、特に知的障害や精神障害のある人の声は、支援する人の大きな声に削られ続けていると感じています。誰の支援をするのかという視点無く進んでしまう支援は誰のための支援なのだろうか。 改めて、対話をしていきながら、希望する暮らしに近付けられるような形を作っていきたい。
・人の話を聞いて ・指示、命令、強制、は控えて ・暴力、人格の否定はやめて。
アサーション的に対話できる文化を、幼少期から学んで育てていきたい。 学校や職場も人権侵害が無いことが一番大切との意識が大切。
私の願い:兄が統合失調症で、 30年近く長期入院しております。薬物療法のみの治療に限界を感じて、海外の処方を探していた時に、オープンダイアローグに出会いました。ずっと会えていなかった兄のところにお見舞いに行き、オープンダイアローグについての自己理解を踏まえて、先入観持たずに否定せずに聴く、本人のいないところで決定しないなど、対話を重ね、兄の気持ちに寄り添ってきました。現在は、外泊もでき、少しずつですが、兄に変化が起きていることを感じます。 兄との体験を踏まえて、オープンダイアローグが、統合失調症を抱える方々の寛解や病気自体の予防につながると信じてやみません。役割が分断していている社会ではありますが、人と人とが向き合うときは、「人としてフラットに向き合う」、「必要に応じて、専門性を活かす(あくまで個性の一環として)」といった基本姿勢で臨んでいくことで、世の中が変わっていくのかなと思います。あらゆる局面で、オープンダイアローグを活用することが、人のwellbeingに 直結すると信じてます。
こころの苦しみを感じている本人・家族・支える人の声を受け止める社会になる為に、私達は自分自身を安心して身をおける場所も必要かと思っています。個人個人の安心できる居場所と思える場所、人、社会が繋がり広がる様に、オープンダイアローグの双方向性の対話、寄り添いをこれからも日本で広げて行く為に、微力ながら自分の身の回りから対話の輪を広げて行きたいと思っています。私は精神科病院に勤務しています。オープンダイアローグを知っている人も少ない為、ビデオ、フォーラム、映画等沢山オープンダイアローグの言葉をまずは認知して貰えるように紹介して行きたいと思います。
医者が患者さんに対等に接しない医療関係の方々の有り様にずっと違和感を感じていました。 知識がある経験があったとしても、人として対等であってほしいと思っています。また、看護士さんや検査技師、薬剤師さんに対しての対等なスタッフとして接しほしいと感じています。そのなかでも密室感が強い精神医学には嫌悪感がありました。 それが、オープンダイアログを始め色々な経験でほぐれていっているのを頼もしく感じています。 しかしながら、ちょっと東京近県に行くとそれ以前の医者不足とノウハウの不足が深刻に感じます。 参加の皆様はどうお感じでしょうか。具体的にうまく機能している病院など教えていただけると励まされます
「こころのケア」が身近で当たり前になり、誰でも気軽に相談できて必要な時に必要なケアにアクセスできるような社会になって欲しいです。
アドバイスしたり、求めていない経験談を一方的に話したりすることなく、ただ気持ちをきく人でありたい。 言葉にならない時間も、何も話さなくても、ただ一緒にいられる支援者でありたい。 つらい状況にある方の支援に際し、早急な成果が求められない世の中であってほしい。
ドイツのように長い休みを取る方がマジョリティな社会になって欲しい。”「生計を立てるためだけの職」と「人生」が癒着している社畜”の少ない社会になって欲しい。
精神科に行っても5分くらいで診察は終わってしまいます。もっと時間があればと思います。
きちんと話を聴いてもらえて、安心安全が担保される場でのサポートを受けたい。 差別や偏見をなくす社会、構造の問題にも目を向けてほしい。オープンダイアローグについて深く知りたい。
人を大切にした薬を減らした医療。
関係性の中に生きる私たち。オープンな対話的な関わりあいをあきらめないこと、自分と他者を受け入れ、相互の一歩の踏み出しにつながる未来、苦しみを乗り越えるステップや希望が見出せる未来につながるものと信じています。
本当に死にたくなったり苦しいとき、声に出せない言葉を拾ってくれる人がいる場所が沢山あるといいとおもいます。クライシスセンターのような場所を作るには、1番何が必要ですか?やはり専門家がいないと難しいのでしょうか?
当事者の希望や困りごとをしっかり聴き、それを叶えるため、一緒に考えて行動できる家族や支える人が増えると良いな。
当事者と家族や支援者が1対1だと煮詰まってしまう。 訪問診療、訪問看護や、障害福祉の相談員等、複数で当事者を囲んで対話できる形に診療報酬がつくシステムになれば、もっと広がるんじゃないかと思う。「薬」にお金が流れる動きが、「対話する人」に流れるように変わればなあと思う。
私ももっと声を聞きたい 誰もが人ごとであり人ごとではない 人として生きる者同士 一緒に迷ったり考えたり もっともっとそんな場を増やしていきたい その先に 自分の人生は自分で選択する 誰もがそれができるようになっていたらいいな それでも苦悩は無くならないけど そもそも苦悩はなくすものじゃない 苦悩の末にある未来 それを共に見たい そんな思いです。様々なリアルな声をたくさん聞きたいです
生活者一人一人が傾聴できること
スクールカウンセラーとして小中高校で子ども達、先生方、保護者さんおよび勤務校それぞれの地域コミュニティの中にある学校文化を感じています。当事者=生きる主体者である子どもも交えたオープンダイアローグ的コンサルテーションや対話のあり方を模索しています。
福祉事務所が相談者「主体」の対人業務であることを自覚してほしい。
心を痛めた方に対する温かい周りの目線が必要です。対話が人を癒し、人を成長させます。 対話の大切さに日本人が気づく必要があります。
子どもたちの語れる、 話をきいてもらえる機会が 家庭でも学校でも少ないことは課題だと思う。ただそばにいること きくこと 簡単そうだけど、とても難しいです。 どうやってできる人になっていくのでしょうか?
相談先はいろいろありますが、そこに行くまでがなかなか困難。家族としての関わり方が難しい。
必要な方に必要な支援が行き届くよう、辛い立場の方々の声にもっと耳を傾け、制度などを見直していく必要があると感じています。
幼稚園や小学校入学時から「話を聞くこと、話すこと」について、学べる場が欲しいです。 こころのケアは、 自分のために自分自身でできるケアと自分が誰かを頼ることで可能な、自分のためのケアと、自分が、周囲の誰かに対してできるケアがあると思います。(自殺率が急増している)中高生になってから「命を大切に」「自分を大切に」と言われても、苦しみの中にいる人は、どう自分を大切にしたら良いのか、わからないと思うのです。 「聞くこと話すこと」の学習は、自分や人のこころのケアに役立つと感じています。それは、本当の「聞くこと話すこと」ができれば、自分や人に「安心」を与えることができると思うからです。 「聞くこと話すこと」の学習は、幼稚園で親子教育としてできることもあると思いますし、小学校、中高生と成長する上で、自分や周囲の人を大切にすることを学んでいけるのではないでしょうか。 私自身は病気になった家族の話を聞けていなかったし、関係性を紡ぐための「聞くこと話すこと」について知識もありませんでした。 私自身が自分の親に話を聞いてもらえていなかったので、そういうものなんだと大人(親)になってしまっていました。NHKさんが取扱ってくださることは日本社会への影響力が大きく、オープンダイアローグやダイアローグが日本に広がることで日本社会の安心を取り戻せればと思います。貴重な学習の場に感謝申し上げます。
孤立、孤独、端に追いやられない社会と普通(どんな状況でも人としてお互いにむきあえる環境的コミュニケーションネットワーク)が普通にある社会、だれもが尊重される関係。
もっと寛容な社会であってほしい。利己的、個人主義的な現代社会の歪が、最も繊細な当事者の心身のありように映し出されてしまっていると思う。オープンダイアローグによって、どのような社会変化の可能性が開けますか?日本でオープンダイアローグを広げていく上での障害はどこにあり、それについて、現状、どのような取り組みが行われているのでしょう?
精神科や精神内科にかかる以前に、身近に対話の場が見つかるような社会になれば。と思っています。
こころのケアに関して、気軽に相談できる仕組みづくりに興味があります。楽しみにしています。ありがとうございます。
まんがになったオープンダイアログの本をたまたま読んでとても興味を持ちました。楽しみにしております。
困っていることを安心して伝えられること、逆に、伝えたくないこともそのままにしてくれる安心感、安全に感じられる環境も大切だと思う。
フラットで無理のない社会になったらいいと思うのですが、それは今この年になったから言えることかもしれません。 生きていくうえで、欲はエネルギーになります。欲をエネルギーにして無理をしてでも、ほしいものを掴むのが人間です。そしてそれが出来る人が、頑張っている人で、称賛されます。でも、それが出来ない人もいます。それもまた良しと出来る社会になってほしいのです。 人生それぞれに持っているパイは同じだと思っています。ただそのパイの量も人それぞれですし、それを使える時期も人それぞれです。皆が持っているパイを使って、自分のために、そして誰かのために生きていくのは同じです。 戦時中、高度経済成長期等々、ひと一人がどうあがいても、時代の中で求められるものは違います。誰もが一人の人として尊重され、安心安全に暮らすことが出来る社会を作るためには、一人一人の心もちが大切なのだと思っています。 「ああ、色んな人がいるよね、自分も頑張れる時とダメダメな時があるから。人生長いしね、ゆっくりね。」そんな風に思うことが許される社会になってほしいと思っています。先日オープンダイアローグを訪問先で行いました。ぎこちない雰囲気の中で始まりましたが、空気が和らぎ、最後は笑い声で終わりました。家族が本来の姿を見せてくれて、とても感動しました。
誰もが安心して精神科医療を受けられて、偏見のない社会であるといいな、と感じています。当事者が調子が悪くなった時に、少し休む形で数日開かれた医療で入院できるといいなと思います。家族まるごと支援が必要です。家族の声に、医療従事者や専門家はもっと耳を傾けてほしいです。一緒に精神医療、心のケアのシステムを良くしていきたいと思います。
身体の不調は病院へ行くのに、心の不調や苦しみに対処する手段が広く知られていないばかりか、人に話すことさえ難しいことが多い。もっと気軽に心の話が出来る社会になって欲しい。子どものセクシュアリティを受け入れられずに苦しんでいる親御さんが、一歩前に踏み出せるようになる魔法の言葉を見つけたいです。
こころの苦しみを感じている本人の声を大切にきく、その姿勢を支援者は当たり前にもっている日本になると良いと思います。 話を聞いて欲しい人が、誰も聞いてくれないと孤独を感じることがない、そんな日本にしたいです。
医療と福祉、病院と地域、支える人と支えられる人、そういうこれまで分け隔てて考えられた来たことが、同じ地平線に立って同じ目線でともに考えられる、時には考えてもらえる、そんなケアの場でありたいと思います。
都会とは違い、サービスの選択肢も少なく相談する場所も方法も少ないですが、隣の家までも遠く、友人にも中々会えなかったりします。オープンダイアローグに出会うことができたことを大事にしながら、高齢者にかぎらず、誰もが安心して居ても良い場所を準備したいと考えています。
他者のペースでなく、自分自身の歩み方、ペースが守られる社会であってほしい。いつかオープンダイアローグを開きたいと考えていますが、「この段階では、まだしてはいけない」という目安を教えていただければと思います。
助けてくれる人と対話がしたいです。 してほしいことやしてほしくないこと、できることやできないことなどを、ちゃんと話したり聞いたりして、ではどうするのが双方にとって良いことなのか、その都度考えたいです。 それぞれが我慢することが少しでも減りますように。
病気を家族にも告白できない、医療機関にかかると記録が残ってしまうから、ネットで薬を入手しているという友人がいます。彼女を苦しめているのは社会的な価値観、特に他人の偏見です。オープンダイアローグは病に対する偏見を変えていく力となるでしょうか。
現在社会人の息子が不登校だった時期、心理支援の施設を紹介してもらいました。施設の利用料や一人暮らしの家賃や生活費など合わせて月々35万を超えるお金が必要でした。当時ゴールが見えず不安でした。職員の心理士の方々には一生懸命やっていただきましたが、私は「この場所に解決の道はない」と思いました。「解決の道は私の中にしかない」そう思いました。当時の私たちに家族には「外の人に(支援に)入ってもらうことによる風通し」が必要だったのです。家族だけでは煮詰まっていたに違いありません。施設に繋がったからこそ「解決の道は自分の中」と思えたのかもしれません。そういう意味で支援に繋がれたことは良かったです。今、オープンダイアローグを学んでいて「息子がお世話になった施設にオープンダイアローグがあったら…途中で去っていったあのお友達も去らずに済んだかも」と思うことがあります。その施設は共同生活をしている人もいれば息子のように施設の近くで一人暮らしをしている人もいました。ただ夕食は必ずみんなで一緒に食べることになっていました。オープンダイアローグをまだ知らなかった私は「せめて自助グループのようなシェアリングのようなものがあってもいいのに」と思ったことがあります。当時の息子は、病気未満の状態でした。自分で「○○恐怖症に違いない」「身体のこの部分が気になる」と何かに挑戦しようとするときに限ってそのような不安を口にしていました。多くの人はここで精神科を受診するのだろうと思いました。実際に私が医療従事者として働いていた病院にも「学校にいけない」という理由だけで精神科を受診している子供がたくさんいました。離れて暮らしていた私に息子は週に2,3回電話をしてきました。いつも1時間以上話しました。社会のニュースで無差別な犯罪が報道されると「僕には加害者の気持ちがわかるよ」「僕だっていつ無差別に人を殺すかわからないよ」と言いました。私は「話してくれてありがとう」という気持ちで聴いていました。知人は「息子さんは『母親には何でも話せる』と言っていたよ」と教えてくれましたが、施設は「家族の元に戻さないように」と言われていることを知り、家族は「蚊帳の外」だと感じました。「毒親」だと思われているのかと思いました。戻りたくないあの頃に一度だけ戻れるなら息子と夫とオープンダイアローグのリレフティングを受けてみたいです。
何が正しいことかは簡単には決められません。支援者として、常にまず本人を尊重し、自分も間違っているかもしれないという留保を持ちながら支援ができればと思います。社会のさまざまな場で対話が生まれ、他者への寛容な空気が生まれることを願います。
引きこもり支援がもっと増えてるほしい 親なきあとの生きていくスキルを学ぶ場など。
日本には、正解と言われるような生き方や考え方が根強くあり、多様性の時代と言われてはいますが、枠からはみ出る事が難しい国だと感じています。同調圧力も強いですし。それぞれが、自分らしく生きていけるような、風通しの良い社会になるために、何かできたらと思っています。
支援者にレッテルを貼られたり、決めつけられることで、「問題」が作られて身動きが取れなくなる 自分自身のことも貼られたレッテルで認識してしまうため、そこまで「問題」ではないかもしれないことを「問題視」してしまう (本当は環境や人の捉え方で「問題」とされたことも「問題」ではなくなるのに) トラウマへの理解が乏しく治療費が高い 支援のテンプレ?のようなものがあるのか、決まった理解?と対応に乗せられ、仕事や人生の選択肢や可能性がない 支援において、目の前の人間よりも「制度」や「教科書」が優先されるように感じる
オープンダイアローグはとてもパワフルに心を支えてくれます。 人と人の中で自分が生きていることや 人と人の中に自分がいてもいいということを感じさせてくれます。 今の医療制度の中でオープンダイアローグを実施することが難しく、 オープンダイアローグではなかったとしても、できるかぎりオープンダイアローグで得られる感覚を届けたいと思い患者さんやご利用者に接しています。 複数で対応する、回復を目的としないなど、医療費を考えると取り入れにくさを感じてしまう部分はあるのですが、そのようなところに目を向けられる医療制度であってほしいなと思います。
公務員と議会の在り方が、攻防ではなく、対話的であってほしい。 ミスを糾弾するのではなく、柔軟な世界になってほしい。
心が弱っている方でも子どもでも、一人一人の尊厳が尊重される医療や学校、社会であって欲しい。 そして一番望んでいることは、対話が広がり、戦争がなくなることです。
わからないまんまでもいい わかりやすいことをもとめすぎない 問いはあるけど答えはないかもね 言いたいこと言ったら、聴こうとする気持ちももてるといいね 同じってことだけじゃなくて、ちがうってこともいいね こんなことを感じられる空間があるといいと思います。
医療や福祉・心理の領域など、特別な専門家の枠組みの中だけで「こころのケア」を担う、という分別したくくりではなく、どこにいても誰といても、常に安心・安全を意識した「人間関係」や「環境」、「心の在り様」に身を置くことができたらいいのにな、と思います。話し手の話を最後まで遮らずにじっくり丁寧に耳を傾けられる人というのは少ないので身近にもっとオープンダイアログの実践が出来る人が増えたらいいなと思います(自分もそうなりたい)。また、話し手の話を聴いていないうちから決めつけるような言い方を矢継ぎ早にされることは当事者(こどもから大人まで、障害者や高齢者、女性、傷ついた人などすべての人を当事者と私は考えます)にとっては、とても苦痛で不快になりますし、乱暴な聞き方は、話し手にとって二次被害になります。当事者の居ない場所で当事者抜きにして大事なことを勝手に決められてしまうことも大きく傷つきますし、人を信用できない気持ちになります。当事者にとっては、言葉による見かけ上の優しさよりも、ただただ真摯に関心を持って話に耳を傾けて不確かな状況に耐えつつも理解しようと努力してくださる人の存在はあたたかく、希望に満ちた回復に近づくように思います。
NHK厚生文化事業団の動画も視聴しました。とても素晴らしい動画でした。特にロールプレイは動画を視聴していた立場の私も涙があふれました。精神科病院で働いていた時に出会った患者様たちの声を思い出したからです。
こころのケアというものが、特別なことではなくなるといいなと思います。ケアをどのように定義するかにもよるかもしれませんが、前提として、その人をその人として尊重する、大切にするということだとすれば、生活の、社会の、あらゆる場面で自然なこととなる、そんな可能性もあると思います。教育、福祉、医療だけでなく、特別な領域と見られがちな司法においても、そして特定の領域に限らず、広く社会全体にもそのような在り方が根付くような、そういうシステムを意識的にデザインすることが大切だと思います。
誰でもひとりで暮らしで一生を安心して過ごせる社会であってほしかったとつくづく思います。 (親子関係や家族・夫婦関係に左右されることなく)オープンダイアローグの実践(ロールプレイング)、特にリフレクティングの様子を見せていただけると助かります。
家族が誰かをサポートしようとするとき、その人自身が社会をどう捉えているかという視点は、苦しんでいる本人にどう手を差し伸べるかということと深く関わっているように思います。 自分の目に見える範囲だけで社会を理解し、その中での自分の位置づけにばかり関心を向けていると、いざ誰かを支えたり協力したりする場面で、関わり方がどうしても自分本位になってしまう恐れがあります。 どんなに近しい関係であっても、社会の見え方や捉え方は人によって異なるということに気づけなければ、関係性は少しずつズレていってしまいます。そのズレに気づかないまま、善意からくる熱心なサポートがかえって相手を追い詰め、孤立を深めてしまうような社会は、とても悲しいものです。 私たちが内面化している規範は、今の社会を生きるなかで自然に身につけてきたものですが、その規範の綻びが日々可視化されている今、小さな集まりのなかでお互いの理解をもとに、新たな規範を丁寧に創り上げていくことが必要だと感じます。 そして、そうした小さな場で培われた振る舞いや関わり方を少しずつ外へと広げていくことで、手応えを持ってこの社会を歩んでいける個人に近づいていけるのではないかと、私は思います。
社会が企業への障害者の採用に寛容であってほしいです。 2018年のときに就労移行支援事業所へ通所していました。その事業所が提供する職業訓練の中でオープン就労とクローズ就労の違いについて学びました。すでに精神障害者保健福祉手帳の2級を取得していましたが、最初はクローズ就労で考えていました。書類選考後に面接を2回して内定という選考フローの企業を受けていく中で、就労支援員とこのままクローズで就労するかを何回も相談しました。一次面接の通過後に私のありのままを企業へ伝えて障害を理解していただくことが重要だと考えて、就労支援員との話し合いの結果、電話で手帳を取得している障害者であることを伝えて障害の特性が書かれた自分説明書を持参することと、就労支援員の同伴の許可をいただいた上で代表取締役との最終面接を行うことになりました。面接中に「精神障害者は突然お休みされて困るので、採用することはできません。」といわれて、その言葉を就労支援員は聞くだけで自分説明書を見せることなく面接が終わり、その後不採用通知が届きました。就労支援員には返答として「採用後は就労定着支援を行いますので、何かあれば私たちへご連絡いただければ対応しますので安心してください。」といってほしかったですし、初めて障害者への差別と偏見を受けたことで自分は何もできない人間なのだと、こころのケアが必要なぐらい落ち込みました。その後に内定をいただいた他の企業で働いていたときは、手帳の所持を隠してクローズで就労しました。 私は障害者福祉に関して実体験を持つため、最も活躍できる仕事は障害者採用を専門とする人事が適切だと思うことがあります。ただ、当時の障害者への差別と偏見がフラッシュバックする可能性があることと、障害者福祉に詳しいことを知られるとその理由を聞かれてそこから精神疾患を患ったことがばれることが怖くてその職種は就かない予定でいます。 私はすべての差別と偏見は無知から生まれるものだと考えています。日本は他国と比較して障害者福祉のサービスが手厚いため、理解する努力をすれば健常者と障害者へ分け隔てなく接することができるはずです。社会には障害者の法定雇用率の達成を目指すために障害者を採用するのではなく、選考フローで個人の特性を知って活躍できる配慮をした上で採用していったら結果的に法定雇用率を達成したという流れになってほしいです。こちらの機会に私の実体験が書けて良かったです。
見えない心の傷があることに思いをはせてもらいたいです。見える言動で、○○したがらない、やる気がないと判断してもらいたくないと思います。 治療法を始め、心のケアの方法がたくさんあって、手軽にアクセスできたり、学べたりできたらいいと思います。
他の国に住んだことがないのでわかりませんが、日本は集団で画一的な教育や行動を求められることが多く、個性的な考えや行動は周囲から制限されることが多いと感じています。社会の規範や倫理の前に目の前にいる人の想いを聞ける所がある、ありのままな気持ちを伝える人が一人でもいると、その人の心の拠り所になり得るのではと思います。
幸せを感じる心、感情を体感できるようなサポート
心のケアし合う関係や対話が日常にあって当たり前になったら良いなぁと思います。若者や子ども達に対話体験をしてもらい、人とのつながる安らぎや信頼感を土台に持っていて欲しいです。
もっと他者への関心とリスペクトが社会の中で大事にされることが、支援においても評価されて欲しい。対話の場をコーディネートするためのスタッフは公務員として、市町村が派遣できるサポートがあると良いと思う。理由や背景はいろいろとあると思うが、現場の柔軟性や機動力を奪うような医療や福祉の報酬体系から、ソーシャルワークなどの実践にもっと予算がつくと素敵なサポートが実践できるように思う。
苦しみに寄り添う医療者が増えて欲しい、傷つけないで欲しい
オープンダイアローグについて、少年院と協力しながら、大学で研究を進めている大学生です。いつも斎藤環先生や森川すいめい先生のご著書を愛読させていただいております。 また、自分も身体障害(脳性麻痺)・精神障害(学校での身体的特徴に関してのいじめによるうつ病) の当事者でもあります。 カウンセリングが気軽に受けられる環境になっているかというと難しいですが、オープンダイアローグがカウンセリングのように、もっと気軽に、どこでも、だれでも、行える世の中になって欲しいです。 「聞く」ことは、自分のことばを作ること、「話す」ことは、抑圧していた無意識下の自分や自我を見つけること、と思っています。 当事者や専門職者を無論尊重した上で、オープンダイアローグの研究も更に進むと良いと思っています。
他者に寛大である、違いに寛容である、気持ちや感情や意見も批判を受けずに表現できる社会であってほしいなと思います。 自分は今は海外に住んでいるのですが、日本にいた間+日本を離れて10年くらいは、親・先生・年長者の言うことは聞かなければいけない、ルールを守る、国・政府の言うことは正しい、会社・上司に従うと言うことが絶対的に正しいと信じていました。30代になるまでこのことに疑問も持たず、そして自分の考えも意見も持たずに、正しくあることを重視し過ぎて、自分の感情も言語化することが分かりませんでした。 日本の「迷惑をかけてはいけない」と言う考え方はすごく特殊だなと感じています。自己責任、と言う考えが極端になり過ぎているように個人的に感じます。 それゆえにもちろん良い面もあると思うのですが(個人で努力する、清潔だったり安全だったり)、他方で表現できない言語化できない人が出来上がってしまいやすい社会なのかなとも感じます。オープンダイアローグ的取り組みが、学校教育であればいいなと思うのですが、、、どうなのでしょうか
公正、公平な世の中が当たり前になる社会 パワーバランスのない対等に対話ができる 社会 話したい人の話を聴き切れる人になりたい。
日本は良い国です。親切で優しい人が多く、礼儀正しく、真面目な人が多い。 けれど、子育てしにくい国です。子どもが出先で感情のコントロールができなくなったり、親の手に余る行動を取ったりしたとき、親に痛烈な孤独感を感じさせます。 子どもは、自分一人で生きて行けるようになるための、練習生なのです。 できるようになる、成長を信じて、根気強く励まし、背中を押す必要があります。 そんな途中段階の子どもたち、支援する親たちを、寛容な眼差しで見つめることができたら。悲しい事件が一つでも減ってゆくのではないかと思うのです。
それぞれ弱さを持って生きていること、それぞれの違いを尊重し、対話を大事にする世の中になればと願っています。また、支える人自身も支えられる場、対話ができる場の大事さを思っています。
昨年医療保護で入院し三ヶ月で退院しました。幻聴や幻覚が見える聴こえる事からくる妄想などの内容を陽性症状として薬で抑えこんだり内容を聞いても症状だからで片付けてしまわず、その内容をじっくりと本人や第三者も含めて聴いてその内容が抱える問題の解決方法を一緒に考えて欲しかったです。幻聴や幻覚の内容がみんな妄想やろ?で片付けられてしまう。本人にとっては現実の事なのです。幻で今回も全て片付けられてしまった事がとても悲しいです。幻聴や幻覚の内容をじっくり話し合う場所はないものでしょうか?ヒアリングヴォイシズ以外にもあるのでしょうか?
心理的に安全な対話の場を、もっと社会の中に作れたらと思います。学校、職場、地域の中に、オープンダイアローグの考え方が共有された場を作ることで、一方的なコミュニケーションでなく、権力を持たない人々が、権力を持つ人々に同調しなくてよい、1人1人を尊重した関係性の変化が起こればと思います。 現状として、支援者の間でも、権威による圧力があり、提供する治療やケアも、それに影響を受けるため、医療や福祉の構造や組織風土自体を変えていかないと、なかなか広まらないと感じます。それでも身近なところから、希望を持って実践していきたいと思います。このようなフォーラムが今後も、様々な場所で開催されていくことを望みます。開催、ありがとうございます。
私は統合失調症を抱える息子の父親です。息子は中学2年にこの病に罹って15年の月日が経ちますが、未だ社会への参画が出来ていない(引きこもり)状態です。話しをするのは家族のみで、非常に幼い感じを残し、どんどん社会性が失われていく危惧があります。投薬治療を続けておりますが、依然として症状が抑えられている状態ではありません。医療にも不満があります。医療も投薬治療だけに固執し、多面的な治療を目指そうとする方針がありません。対話的治療やデイケア・ボランティア活動などを通じ、家族以外の人々と関わり、社会性を身に付けることも治療の一環と捉えないのでしょうか。患者は一人の人間。個性も性格もある一人の人です。症状も十人十色であるならば、治療も十人十色であるべきと思う。オーダーメイドの治療を望む。
どこかで誰かが助けを呼ぶ声を聞き取れるように、いつでも誰かに助けを求めることができるように、そして、こころのケアは人薬(ひとぐすり)が最優先とされるように。にほんのオープンダイアローグを世界に発信できるように、みんなで学びを深めていきたいです。
精神の治療のために薬だけではなく、話しを「聴く」にもっと時間を割きたいですし、それが当たり前の世の中になって欲しい
未受診未治療の方のところにも、医療従事者の方々を含めたオープンダイアローグのチームが訪問できたらいいのにと思います まずは受診ありきだったりするし、お金がからんでしまうので、難しいなと感じています
素性や肩書を明かさずに対話ができるような場が地域にたくさんあればきっとここまで殺伐とした世の中ではないのかなと感じています。オープンダイアログと共にトラウマインフォームドケアの普及を願います。
当事者が中心のケアであってほしいと思います。当事者が自分自身のこれからを決定していけるように、情報を伝えてほしいし、本人の希望が尊重されるケアであってほしいです。また、社会全体が様々な困難を生きる人たちに寛容であってほしいし、私自身も相手も尊重し合い対話のできる関係を築いていきたいと思います。
先ず日本の医療制度の変革を望む。5分診療ではなく、余裕を持って患者に向き合ってほしい。カウンセリングが高額過ぎる。 偏見や差別がなくなるような社会を望む。今はまだこのために孤立化している家族が多いと思う。 孤立化しないように国全体で取り組んでほしい。 発達障害への理解を深めてほしい。知的な遅れがない場合には見落とされがちなグレーゾーンの人たちへの支援が足りない。心の苦しみの深さへの理解を望む。大人の発達障害者への支援を広げてほしい。オープンダイアローグへの期待が大きい。今の医療制度の中で、当事者と家族、医師などの医療関係者や第三者とどのように繋いでいくかは課題だと思う。皆様のご意見をお聞きしたい。
出産前からダイアローグに出会える機会があればと思う。子育てが孤独にならないために。社会全体で子供を育むことが当たり前になったらいいなぁと思います。地域連携のコツについて、教えていただけますと幸いです。
意思決定支援があまりにも無機質な言葉になって意味をなさなくなっている。 揺れ動く世の中で確定した意思を持つこと自体困難なのに「あなたのやりたいことを尊重します」の紋切り型の親切が人を苦しめていると思う。 もっと丁寧な対話を支援者が自分自身に、そして癒されて、当事者に対してなされてほしい。そんなつながりの作り方を知りたい。
当事者と呼ばれる方々も、対等に楽しめる世の中になってほしい。
本人の声を聞く場が大事かと思います。決めつけや思い込みが、日本社会では多過ぎると感じていて、海外では質問される様なことでも『こうだよね』と決めつけられる事が多く驚いています。こころの苦しみ、という表現に 精神疾患は心の病気?脳の病気?と戸惑ってしまう気持ちが湧いてくる。卵が先か、鶏が先かというレベルで、脳疲労が起こり周りからいじめられる人、またその逆もある事を考えて欲しい
疲れている人や、立場の弱い人に対して攻撃的になりがちな風潮がなんとかならないでしょうか。 それらがなくならない限り国力衰退の一途だと思います。
「こころのケア」は心理士か精神科医療しか“担当“できないもののように思われているように感じておりますが、人を大事に考えてその人の話を聞こうと身近な人たちで向き合えると、こころのケアの実現になるように思います。そんな地域社会であってほしいと思います。
とにかく生きづらい社会だと思います。 生活を送っていくことだけで精一杯。 親はお金を稼ぐことに必死で余裕がない。親に余裕がなければ家庭で対話なんて生まれない。 学校は窮屈。みんなと同じから振り落とされないようにキャラを演じるしかない。本当と自分って何だろう。先生も忙しい。勉強を教える以外にもたくさんの役割がある。家庭と同じで対話している余裕なんてない。 リアルな世界でつながれないならばネットの世界へ。それさえも危ないと止められる。どうしたらいいかわからない。 みんな傷ついている。お互いにケアが必要。だめなことも許される社会ならば少しはお話してみようかと思う。でも、弱みを見せたら負け。やはり生きづらい。
妄想や幻聴は、身体にウイルスが侵入して熱がでるように、心が熱をだしているようなもの。薬も大事だけれど、やはり心の手当てになるような対話的ケアが必要。日々の出来事の中で、心はさまざまに揺れ動く。そうした心をケアし合う文化が必要だと思います
最近感じている事は、薬と人権が繋がっているという事です。内科で処方される薬なら途中で服薬を止めても何も言われないのに、なぜ精神科の薬だけ、『服薬しないと再発する。再発したら、服薬しなかったからだ』と、責められるのか?重篤な副作用がある薬を誰が毎日服薬したいのか?ある意味、副作用は症状以上に苦しい場合もある。副作用止めも一緒に飲んだら解決ではない。簡単に言わないでほしい。そこを改善せずに、毎日服薬しなさいは、私は人権侵害だと思っています。症状のキツイ時ならともかく、落ち着いて予防の為に服薬する場合は、患者に判断する権利があって当然だ。 なぜ、医者は服薬を義務付けるのか? それは世間が求めてるから。患者が何か新しい事を始めようとした時、必ず医者にそれをやって良いか判断を迫るから。何か問題が起きないかどうかの判断を世間から求められているから、医者は怖くて薬を減らせない。 新しい事をやりたいのは患者なのに、なぜ医者に判断を求めるのか?統合失調症の患者は、自分のやりたい事すら、誰かに判断してもらわないと、決められないのか? それこそが人権侵害だ。 精神疾患患者を見くびっている。 日常的に、どれだけ苦しい症状に耐え、葛藤に苦しんでいると思っているのか? 健常者よりも、よっぽど強い。強くないと生きられない。何も知らない世間が偏見や差別をするなんて、論外だと私は思っています。●被害妄想を対話で聴く中で、認知行動療法を取り入れたら効果が上がるのか? それとも、ただ聴くだけに徹するのか? ●そもそも認知行動療法は被害妄想に効果があるのか?知りたいです。
相手の話を聞く、ことを手段にしないでほしいという願いがあります。 結局は自分の話をするために相手の話を聞くというのは論外ですが、相手の話を聞くということは、相手が伝わったという感触を、相手が実感するまで続くものです。 そして、相手が実感したら自然と変容が起きてくるのだと思います。 願いの理由は、相手の話を聞くことそれ自体が、目的であり、ゴールであることを理解できていない人が多すぎると思うからです。
適度な距離感などと、付かず離れずの関係を良しとし、孤独に各々の辛さを我慢することが当たり前な社会は、寂しい世の中だと思う
海外では失恋したら メンタルクリニックに通うほど身近で親しみのある診療科と聞いています 息子はコロナの時期を高校生で過ごし 大学受験期から不安定になり 統合失調症を診断されました。詳しく主治医が問診したところ おそらく17歳頃から症状があったはずで 小さな変化が少しづつ積み重なって急性憎悪緊急入院に至りました 幸い入院主治医と関係性ができ 現在も通院を継続できています ただ今まさにそう言う辛さを抱えながら 医療につながってない当事者の方も多くいらっしゃると思います ものすごく辛くて苦しい思いをしなければ繋がれないのではなく そうならないために手を打てないだろうかと考えます 精神科に対する日本の世の中の空気を変えることだと思いますし今参加している家族会を通じて 私の経験したこと息子の経験していることを多くの方に知ってもらい 手を打てる様に空気を変えていくことが必要だと感じています。この様な会を開いていただき大変ありがたい限りです
ありのままのその人を受け止めたいと思いながらも、そうできない自分がいます。どのように接したら良いのか、どのように声掛けをしたら良いのかと悩み、苦しみます
話せる、話さなくていい、居られる場がそこここにある。 医療者でなくても、医療的な場に関われる仕組みがあること。必ずしも「専門家」でなくてもいいという認識が広がること。
傾聴というか、 専門家や医者に繋がらなくても、誰かが親身になって聴いてくれるだけで、当事者も家族もちょっと心が軽くなります。子どもの頃から、一人でも寄り添う大人が、もちろん、批判も否定も提案も指示もなく、本人の思いの内が言葉になるよう促してくれるような人が身近に増えて欲しい。 当事者も家族も 安心して話せる場ができますように。
カウンセリングに保険が適用されていくと嬉しい。
近代社会は、「何かができる」と主張することがベースになって成り立っていると思うが、こころが苦しくなって何かができなくなった時にそれを表現できる雰囲気がある社会になってほしい。個人の悪いところを治療するのではなく、社会のありようが変わっていったらよいと思う。登壇なさる方々にとって、どのようなことがそれぞれの歩みを進める力になっているのでしょうか?立場が異なる人たちの対話も、専門家が専門家としての地位を手放すことも、生半可なことではできないと思います。
みんなが輪になって、その人のことをいっしょに考えられたらいい。とても楽しみにしています!
支える人支えられる人、支援をする人される人、ではなく、対等な立場でやり取りできる関係性があたりまえのように構築できる社会でありたい。当事者性を持つ支援者(自分のなかにも生きづらさや課題を抱えつつも誰かのサポート役にもなり得るひと)が活躍できる社会になってほしいです。弱さを安心して公開できる世の中に。
人員増員
困っているときに、 雨の日傘をさしかけるような支援があるといい。 寛容ない世の中になって欲しい。
誰もが住み安い社会、間違えを受け止まられる社会。
周囲の人の偏見がないこと 本人の希望を聞いてほしい
精神的な危機があった場合に、身体疾患を見逃さないようにしつつも、必ずしも薬物を用いないケアがあると良いと思います。さらに、精神的な危機が起きず済むような仕組みがあると良いと思います。精神的な危機に対して薬物を長期間使用し、結果として薬物をやめることに困難がある場合に、薬物をやめるための専門的な相談を継続して受ける事ができる仕組みがあると良いと思います。精神的な危機がその人を取り巻く環境から起きていると考えられる場合、その環境を調整する仕組みがあると良いと思います。以上全てが全国すべての地域で、精神科や心療内科の仕事ではなく、公的機関や地域の取り組みとして、無償若しくは安価に提供されると良いと思います。オープンダイアログが土台になった社会になるといいなぁと思います。
人に迷惑をかけたくないではなくお互い様と思える社会にしたい。
私は双極性障害を患っています。「きっかけ」があると一気に躁転して乱費を重ねています。そのたびに鬱へ転換する気持ちの入れ替えに苦しんでいます。気軽にポチができてしまうので現在は自治体(横浜市)の「あんしんセンター」の利用を考えています。 また、人工透析をしながら精神障害とどう向き合っていくかこれからの課題です。家族で話し合えばと言われますが、家族だからこそギスギスすることも多いです。オープンダイアログを活用して話ができればと思います。
支援する人、される人の中に上下関係がなく、人間として対等に話していきたいと思っています。アドバイスや助言という言葉は上下関係だなと思っているので使いたくないです。気軽にオープンダイアローグを受けることができたらいいなと思います。
「私のことは私が決める」を大切にしたいと考えています。
心の病を抱える家族は、孤独になりやすい 命の電話も実際は何度かけても繋がらない いつでも気軽に相談や話せる場所が欲しい 居場所が無い
認知症のある人や家族に傾聴をしていますが、「こうありたい」と思っていても「こうあってほしい」という圧が強すぎる 共感をして、伴走者になってほしい 誰かの圧を感じて生きていると、どこかで爆発してしまう
特別なことではなく、当たり前であって欲しい。当たり前さえない、日常的なものであって欲しい
出所したあと、出院したあと、社会で生活を維持していくこと、ここでの対話がかなう前に気持ちがダウンしてしまうことになるなど、施設内から対話が続くことが叶わないかなと。
心ケアが『ふつう』のことになってほしい。病気になったから、障害があるから、 普通にできていたことができなくなったから、取り入れるのではなく。業務の一部、授業の一部、生活の一部として、特別にやるのではなく当たり前に、あるいはそれもやるべきこととして、どんな人でもどんな環境でも心のケアが後回しにされない社会と私達になれるとよい。理由)心のケアを取り入れることが徐々に増えたとはいえ、それをやるのは、業務時間外、休み時間、隙間時間ということも少なくない。付け焼き刃的ケアは本分を満たせない。特別なケアだけではなく、そこへと続く『ふつう』でのケアをグラデーションの中で実践する必要性を感じるから。
昭和の事態に育ったので、私がやらなくちゃ、頑張らなくちゃ、私なんか、ちゃんとしなくちゃ、が骨身に染み付いていて、もうそんなに頑張る事もないのに気がつくと其処からこうどうしていることがある。家族もほとんどなくなり、自由になって良いのに。対話の中でほぐしていきたいです。訓練が無いと対話はできませんか?安全な場はどうやって作れますか?近所の人と気軽に話をしたい、どうやってはじめたら?
一人一人が人の話を聞く姿勢を身につける。否定せずに、受容と共感ができる世の中に。 対話を通じて心が通いあえる社会に。 大人は忙しすぎて会話を忘れていると思います。先生方は、オープンダイアローグをどのように活用されていますか。
こころの傷を負わされた人が、責められる社会にはなってほしくないと思っています。本人は、そうなりたくてなったわけではないのに、社会に適応できないことを本人のせいにされるのは、つらい社会だと感じます。残念ながら、対人支援の仕事をしている人たちの中にも、こういった人たちがいたりします。
本人の気持ちが常に真ん中にいるような支援をしたい。斉藤環先生の書籍を読んで、支援に役立てています。生の声を楽しみにしてます。
例えば、当時者が不穏な状態で時間構わず家で叫んでいたり暴力的な時やご近所のかたの言動に妄想を膨らませて過ごしている時に、家族が当事者と共に、あるいは当事者に怯えとてつもない孤独や疎外感を感じます。当事者が一人暮らしをできるようになっても不穏になればたちまちアパートの部屋やものを壊したり、周囲の音や人への妄想を消したり抗う為の反撃行為で、家主から注意を受けることもあり、このままでは居られないぞと心理的に追いやられてしまう。 どんなに精神疾患に理解がある世の中に向かっても、統合失調症は結局は厄介者、おかしな者であり、それ管理できない家族への責めも含めて追い詰められる。それが今の日本だと感じます。 そんな私が希望するサポートは、不穏な時には家の玄関先等にフラグを立て、ご近所の人に「今はそういう時」とお知らせしておくことです。また、インターホンを鳴らして訪ねて来てくれると、本人も正気に戻る機会にもなります。多くの多様な人に気にかけてもらえることは、当人にとり、自分をの中の感覚を取り戻したり、恐怖なり不満やしんどさを表す機会になると思います。 多様性が何より助けになると思うので、そのことを多く世間に知ってもらいお互いに関わり合いたい。それが私の理想とするサポートです。服薬拒否へのアプローチ。症状が強い時にはオープンダイアローグは無効なのでしょうか。当人の服薬したくない想いやこだわりを多くの人と共有し大事に扱ってあげたいと思うのですが、状態が悪いと対話は無効でしょう
こころのケアが重要と言われて久しいですが、臨床心理士、公認心理師の待遇が改善されず、不安定な状況で働く人が大半です。そのことはクライエント、患者さんたちにも影響していると思います。医師主導のこころのケアではなく、多職種、当事者が同等の立場で話せる場が多く必要だと思っています。
自殺を考える人がSOSを出せる、出してもいいと思える人になりたい。その人にしっかり寄り添い、生きていきたいと思える世の中にしたい。教育現場でオープンダイアローグをどのように活用できるか。SCやSSWにできることは?
こういうサポートがあるんだよって社会、行政、地域が発信を増やし言葉を簡単にそして、申請が無くても結の気持ちで(勿論自己決定は必要ですがそれを言えない方々も多いので)情報発信を頻回にして欲しいし、行政積極的に動いてくれたらどんなにか楽か「言わないから教えない」じゃなくて、言わないと。徹底的にその人のためを思ってこういうサポートや法があるから利用して下さいと言って欲しい。 自分が鬱の時は友達が病院に連れていってくれたから何とか今があるが、分からない、情報弱者は孤独孤立抱えるから。積極的な行政の介入、アウトリーチは重要だと思います。生保は特にアウトリーチ必要。
当事者が地域の中で職場の中で自分を活かせる様な世の中になって欲しい。
スクールカウンセラーをしています。親子関係に悩む子どもの相談があるたびに「オープンダイアローグをして欲しい…」と思ってしまいます。親も頑張って働いているのは分かります。イライラを子どもにぶつけたり、家事を手伝ってもらいたい気持ちも。ただ、ほんの少しでいいから、子どもの声を「ただただ聴いて欲しい」のです。子どもも親の大変さは理解して、怒られなくても助け合う気持ちを持っているのを知って欲しいです。家庭だけに限らず、もっと『子どもの声を聴く』『子どもが意見を言える』社会になって欲しいと願っています。
早く医療につながりたい。 繋がったら、医療、福祉、教育がチームで支えてほしい。
支援者、被支援者を超えた対等な関係性の上に相互尊重できるような関わりがより認められる社会になってほしい。 「許す」「謝る」が人間にとってより自然に、かつ人間ができる特別な判断として尊重されるようなコミュニケーション
弱さを吐き出す場がもっと身近にあるとイイと思う 心のケアが精神疾患の治療というだけにとどまらず、人と人とが支え合う温かなプロセスがあったらイイと思う
日常的で、さりげなく、でも、確実。難しいですが、実現したいと思っています。有意義な取り組みにいつも感謝しています。
医療職支援職、そうでない人たち関係なく、お互いが必要な時にケア的な応答ができるようになるといいと思っています。
私は催眠から心理療法の世界に入り、コミュニケーションの方法として催眠は有効なものと思っているので、とりあえず催眠に対する悪いイメージ(操られるなど)がなくなればいいなと思っています。統合失調症のケアには科学的データがあるそうですが、他の例えば、再犯防止のため、受刑者の心を変えるために使われようとするのが変に思っています。対等で受刑者を普通の人にするなら普通の人が犯罪者になるのでは
途中で手を離さないケア、ルールに違反したからと居場所を追い出されたりしないケアを望みます。 そのために、支援者みんなも孤立せず、支えられていると感じられるケアの仕組みがあってほしいです。特に重度の知的障害のある方などのケアに対して、ことばだけではないノンバーバルなもの、身体性やアート表現を大切にした?オープンダイアローグ?が実践できないものか、と、思っています。
1.相手の気持ちを大切にして話を聞くことができること、そして先入観にとらわれないで、その人に接する(アドバイス)をすること、2.オープンダイアローグが一般にも広まりこのような接し方があるということを理解する人が増えること、を期待します。 理由は、現状ではでは相手の「声」を時間をかけて聞かないで、上からの立場(上から目線)で対応しているということが限りなく多く発生していると見聞きしているから(医療現場だけでなく、職場、学校、家庭、スポーツクラブ、など)素晴らしい企画をありがとうございます。 お話を聞きたかった講師の方が勢揃いですので、とても楽しみにしています。
心のケアには、専門家への相談のハードルが低いことが望ましい。特に子どもたちに対しては、学校の先生たちにサポートしてもらうことはもちろんだが、心理職のスクールカウンセラーの存在も大切だと思う。いつでも気軽に相談できるよう、各学校・園にスクールカウンセラーが常駐する体制が必要ではないか。 また、子どもの精神的な問題を診断し、治療していく児童精神科医が少ない。診てもらおうにも、予約をしても診察は3カ月先はざらにある。3カ月は、子どもにとって大きい。児童精神科医の増加を望む。
ご家族様からの相談から支援につながることや医師が退院するなら訪問看護をと渋々うけると了解されるパターンが多く。 そのためか継続しての関わりが難しいと感じます。 オープンダイアローグも取り入れている訪問看護の場面は日本では少ないと思うのが実感です。精神科看護していてもオープンダイアローグ自体についても 言葉自体知らない看護師もいます。もう少し看護の研修の充実が必要と感じます。
本人の不安の強さがあるために、学校で傷付きやすいく、登校が難しくなる。家族の期待もあり、身体症状に出ている。保護者も理解し医療へつなぐようにしたが、保護者の期待が大きく本人のつらさは強い。そんな中オープンダイアローグの方法で本人にとって楽になることや保護者の理解が得られるようになったらと考えている。
強制入院ゼロが目標です。すいめい先生の変わらぬ活動に感謝いたします。
心理職です。 専門家による支援が気軽に受けられるようになったら、と思っています。 「カウンセリング」の手前で「こころの保健室」として機能できないか模索中です。
相手の話を聴く、そんな私でありたいし 支援者にはそれだけは守ってほしい
自身も含めて、全ての人が対話の技術を身につけて欲しい。今、企業でもオープンダイアローグが取り入れられ始めていると聞きます。義務教育でも取り入れられていくと良いと思っています。文科省の職員も是非学んでいって欲しい。
インクルーシブな世界。お互いを認め合い、助け合える社会。支援者として、教育相談など外ではできても、家族にはできないことがある自分も変えたい。統合失調症の急性期ではなく、慢性期になってからでも効果は期待できるのか?と思うこともありますが、ダメ元で…と思ってオープンダイアローグ(もどき)開始。でも慢性期は別の方法があるなら知りたいです。
上手く生きられない人達をもっと知って共に生きていけてる社会を作って行く事は、今困っていない人にとっても、とても大事な事だと気付いて欲しい。 何故なら人は皆最期は弱者になって死んでいくというのが現実だから…いくら財産を蓄えてあっても弱者が心安らかでなければ、人は全員不安を抱えて行きていかねばならないと思うからです。
組織の労務相談に関わっています。もう少し対話があればこんな問題にならないのにと思わされることが多いです。組織内や自分の周りに、聞いてくれる人が居て、その人が言葉になるまで待ってくれる関係性で居てくれなければ、言葉にできないままの状態になってしまいます。そんな対話の場が、そんな対話ができる人が増えていったらいいなと願っています。支援臭や介入癖のあるような、なんとなく怖い人達との接し方がわからなくて、話せなくて、身を引いてしまいます。優しい人達もいるはずなのに、心理的安全性という言葉を聞くだけで怖ろしいです。
誰もが安心して暮らせるだけの社会保障があれば、もっとゆったりと幸せに暮らせるのあにと思います。
全ての人の身近に些細なことから気軽に相談できるところがあるとうれしいです。 家族にこころの不調を抱える人間がいても、何が問題なのか、どこに相談すれば良いのか分からなかった経験があります。
世間一般の基準に合わせることが難しい人に対する理解が進めばいいと思います。
自分の話を口外されたり否定されたりせずに安心して語れる場が身近にほしい。(カウンセリングは受けたいけど、高いです…)
今、社会で自分は認めてもらえていない、1人で寂しい、経済的に困窮している。などの理由で、社会や、身近な人に認めてもらいたいとの気持ちから、見ず知らずの人を傷つけてしまう、殺してしまう人が増えていると思います。 そのように自分の傷つきを他人の攻撃をすることで気持ちを晴らそうとしてしまう人を無くしていきたいです。
医療機関や福祉機関のような専門的な場だけでなく、オープンダイアローグの哲学である対等で答えや落としどころを求めない対話の場が日常の延長に当たり前にある社会になってほしい。そんなコミュニティー作りに関わっていきたい。
加害者に対する支援が巡って被害者の救済に繋がると信じて矯正の現場にて従事しています。
自分で自分の存在を認められるようになりたいのですが、なかなか難しいです。そのためか、幻聴が出てくるとひたすら死へと追い詰められます。そういう心の奥の本音も正直に話し合い、安心して対話を重ねられる場所が、各地にあるといいなと思います。正直に心の内を語り合える場があるだけで、安心感や励みにつながっていくと思います。自分の心の内を言葉にして人と話すことで、少し客観視できたり、気持ちを整理できたり、言葉にして伝えることで、その部分は受け止められたりすると思うのです。それを多数の人に聴いてもらえる安心感や癒しの力は、先生方がお話しされている通りだと思います。このようなフォーラムを開催してくださり感謝します。楽しみにしています。
相談窓口がわかりやすいこと
息子が発達障害です。なかなか専門病院の診察までたどり着けない状況だったので、もっと病院を増やしてもらえると助かります。 ひきこもりでなかなか外出もままならず、病院にも行けない状態でも、病院とつながることができる支援(強制的ではなく本人も納得してできるようなもの)があると助かります。
私は当事者であり、当事者家族でもあります。 地域の自助会ではどちらかひとつの立場で話題もその立場寄りのものになっているものが多いように感じています。複数の立場をもつ人が、本人や家族、各々の立場の悩みを表出でき、気持ちを下ろし、気づきを持ち帰えることのできる場がほしいなと思っています。 例えば、オンラインで定期的に参加でき、役所の福祉課や社協、子育て支援など専門知識のある熱心な人がファシリしてくださるなど、官民共働の交流会があったらなぁと思います。 心のしんどさはその人を死に至らしめることもあり、日常生活で、ニュースで身近に目にしたり、耳にしたりします。同時に自己責任論や弱さを揶揄する声もあり、誰かに相談したり助けを求めることに二の足を踏み、孤独を感じたり、本人も家族も、孤立してしまう風潮もあると思います。 誰もが生きやすい社会とは何でしょうか。 安心して自分の立場を話せる場が、アクセスしやすいかたちで、当たり前に社会の中にあってくれたら、孤独や孤立に追い込まれることも減るのではないでしょうか。オープンダイアローグ、市民講座とかで広く周知され、様々な地域の集まりに活かされるといいなと思います。
組織で働く人の心のケア、メンタルダウンしないような日常のやりとりにオープンダイアローグ的なものが有用ではないかと思っています。
社会では、精神科に通っていることを知ると驚く人がいる。普通のことになってほしい。相談を受ける敷居が、低くなってほしい。 医師や臨床心理士に相談することは、まだまだ敷居が高い。
統合失調症患者だけでなく、不登校支援やその他の相談に対し、オープンダイアログを用いた臨床が受けやすくなると、社会がもっと信頼し合え、支え合えるようになると思います。 私自身は吃音の支援に関わる者ですが、フォーラムで勉強させていただきたいと思います。
家族や職場でハラスメントと感じる疎外感があり、温かく見守って欲しい。
不登校、ひきこもり、犯罪少年の支援に関わっていて、 彼らにとって社会は とても息苦しく、生きづらい場所として映っている。 自分もそうだが、言葉では「みんなが生きやすい社会」をと話すが、、、 現状は、今の息苦しい社会の中へ放り出される子ども達がいる。 子ども達や,困難を抱える人がおかしいのではなく、彼らから見えている景色をともに感じられる大人を増やしていきたい。 それは、支援者だけでなく、親、地域、誰でもいい。 どこかに正解があるのではなく、その人の中にある正解をきかせてもらう。 そこに否定はない。 わたしの世界も、安心して分かち合うことができる。 そんなつながりを感じられる場が増えることで、心がケアをされていくのではないかと思う。 家庭に、地域に、ただそこに安心していられる、安全だと感じられる場所を増やしたいし、それを伝える人になりたい。
困難を抱えている方が、自分を一人の人として尊重され、話を聴いてもらえる場を通じて、対 自分を尊重し、相手を尊重することができるような支援が広がっていくことを願っています。理由は、私自身が、孤立した子育ての中で、鬱になった経験があるからです。子育ての辛さを話して、聴いてもらえる場があり、周りから支えてもらえていたら子どもに当たることもなかったと思います。今、児童相談所の一時保護所で、保護児童と生活していて、虐待がなくなる社会のために、オープンダイアローグが広がることを期待し、何か私もこのために何か関わりたいと思い、申し込みました。
日本に古くからある自然(神様)を始め周囲の人々を幸せにすることによって自分も幸せになるという素晴らしい知恵を一人一人が再認識する社会になること。なぜならこの生き方が荒廃した日本を地球を救える考え方だと感じるからです。
一人で抱え込まず、いろいろな人の話を聴いてほしいし、自分の想いを聴かせてほしい。 感じ方、考え方も人それぞれ、いろいろあることに気づいてほしい。
ASDで引きこもりの息子がいる母です。引きこもりの当事者はもちろん、それを支える家族の支援が欲しいです。息子は分離不安があるため、母の私も外に出られず、ストレスが溜まってしまいます。できれば私は外で働きたいです。引きこもりの息は外に出られないため、家以外の居場所づくりが難しいです。本人は家でゲームや動画を楽しめれば幸せなようで「満足している」とのこと。本人が望まない限り、このままの生活を続けるべきでしょうか?
当事者ぬきで支援を考えないでほしい
精神疾患に対する偏見がなくなって欲しいです。精神疾患があるからと言って、一般病院の受診が困難であったり、配慮が無いため検診を受ける事が出来ない現状は、改善される事を望みます。 本人の話しや語りを聞いてくれる場や人が、病院や役所に少し居ていただくと、環境が変わる可能性が有るかと考えます。オープンダイアローグは、医療系のみならず、教育の場で提供される状況はどの程度実家されているのか教えて下さい。
病気が寛かいして、家に閉じこもる生活を止め、元気に健康的に働けるようになりたい。お酒も飲んでみたい、車の運転を控えているが、ドライブしてみたい、やりたい事がいっぱいある。
精神科の診療時間が5分程度なので、もう少し長く症状のこと以外でも話せたらいいなと思います。オープンダイアローグの手法を取り入れたミーティングができたらやってみたいです。
オープンダイアローグのビデオライブラリーを無料で見る事ができ、今回のこの企画もとても嬉しいです。
特別なことにせず、ちょっと風邪を引いた時のように、身近で気軽にサポートやケアを受けられる環境を作っていきたい
親がこういう福祉につながって欲しいと感じても、思うようにはいかないものです。口出しができない中で、どのような支援ができるのかいつも考えています。
元号「令和」を英訳するとビューティフルハーモニー 今、我々の生活は元号ほどに調和のとれた美しさはどこに? 自助、公助、共助、官助がバランスよく調和のとれた生き方を多くの方と模索する手段になれば良いです。
気軽に、精神科に通っていて、こう言うことに困っている、と、話せる社会になってほしい。 支援者や家族、医療現場以外の方にも気軽に話せる世の中になれればいいなぁ、と思います。
制度や形にこだわらずに、必要な支援を工夫できるようになったらいいな。
働けない人に対してもっとあたたかい目で見て欲しい。自分は不安が強く働けてないが、すごく後ろめたさを感じている。自分で自分を苦しめてる部分もあると思うが、社会が働けない人を受け入れてくれれば、もう少し安心して生きていけると思う。 病院では薬を出して終わりではなく、もっと話を聞いて欲しい。自分は長く通院しているが、良くなる実感がないので。
支援をしていて感じるのは、家族がいる方は、家族が病気を本人の問題としてしか捉えてない場合が多いことです。むしろ、本人よりも家族や環境が変わっていったら、重いケースでも、変化があるからこそ支援を続けられています。しかし中には、医者ではないからとあまり頼っていただけないと感じることや、プロセスを理解してもらえず、すぐ諦めてしまわれる方や、退院時の急激な減薬による症状を再発と捉えまた別の病院や医者を探す人が多いことです。あと、公的資格がないため生活を支えるほどの収入にはつながりませんが、ボランティアで行っているケースは、最近公的機関や地域のクリニックとの連携で、いい状況にあります。できれば、何らかの状況から孤立したり人間不信になってしまったかたの危機的状況を支えながら、その方たちが安心して生活を立て直せるような回復の場を作りたいと構想しています。とにかくいま目の前にある状況を放置しないことが大切です。
「精神的な病」の定義は、医学的にあると思うけれど、条件や環境が整ったなら、誰もが「当事者」になる可能性はあると思う。そう思うと、まさか自分が、まさか家族が…。そんな時代ではなくなっているように感じる。現代社会には、それくらい身近に、その「条件や環境」が転がっているように思う。だからこそ、「対話の文化」が根づく必要があるし、社会の中で「開かれた対話」を意識して取り入れていくことは大事だと感じる。 だけど一方で、「対話」の文化がなかったわけでもないとも思う。縁側でのおしゃべりや、井戸端会議の風景もあったはずだし、「お醤油を切らしちゃったから・・・」と近所に借りに行く風景だってあったはず。それは、ただ単に「近所づきあい」というものではなく、「ママ友」や共通の趣味でつながる「付き合い」とも違って、地域の「風景」としてのつながり合いだったのだと感じる。そして、そこには、どこか、心地よさがあったのだと思う。 「対話」とは何か? その定義にもよるけれど、それ以前に、そもそも日本人は、そうした「風景」としてのつながり合いを心のどこかで知っていて、誰もがそれを、心のどこかで求めているのだと思う。 だから、当たり前にあった「風景としてのつながり合い」を、当たり前のように取り戻せたら、当事者になる「条件や環境」は、自然に消えてなくなっていくのだと思う。 こころのケアとしての「対話」も広がっていくことは、もちろん必要だし、ありがたいことだけれど、それだけでは不十分だと思う。身近な風景として、身近なところから、「風景としてのつながり合い」も取り戻していけたらと思う。
一方的ない。答えを出さなくてよい場所であってほしい。 すぐに結果が出ないといけないと思っている人が支援者でも多いため。
大学3年生の息子はADHDの特性があり、幼少期から医療とつながっていたものの、半年前から大学に通えなくなりました。自己理解が足りず、支援が求められず、過剰適応から疲弊して社会不安症との診断です。 医療・福祉業界には、もっと学校と連携して、特性の理解や支援体制を広げて欲しいです。また学校側には、本人や保護者に対して、積極的に情報提供をして欲しいです。 夫は仕事で忙しく、母が親の会などの仲間と共に対応を模索してきましたが、加齢もあり限界を感じています。 自己反省を含めて、幼少期から、周りの大人が子どもと関わる上で「こころを大切に扱うこと」を伝えていく必要を感じます。 まず大人が子どもの気持ちを尊重して、言語化することを手伝う。そして、お互いの気持ちを伝え合う。それが、オープンダイアローグで、人それぞれの違いを大切にする姿勢につながっていくと感じます。オープンダイアローグは『丁寧な雑談』と理解していますが。メンタルヘルスの問題を抱えた当事者に、現実的な課題について話す場合は、使えないと理解して良いでしょうか?
精神科の医療現場では、『本人のいない所で本人の話をする』ことがほとんどです。少しでも、精神科医療においてもオープンダイアローグが広がるよう願っています。
困っている人がその気持ちを発信出来、それを受け止められる社会であって欲しい。受け止める為には、周りの人に目を配れる余裕のある人達が増えて行くと良いと思う。「どうしたの?」などと声がけが出来る環境があれば、救われるのではないか。
義務教育中、発達障害の疑いを感じる生徒に対して、何人かの専門家が授業風景をアセスメントして、結果を本人の家族に伝えてくれる制度がアメリカでは、随分前からあると聞きます。 明確化されたエビデンスのあることに対して、誠実な対応だと思います。その時辛い告知だけれど、本人、家族にとって、拗れることのない、信頼出来る対応になると思います。 暗黙的な理解の雰囲気が、責任転化のように感じ、今となっては…不満になっています。 曖昧な見立て、支援から、ずっと難しさが本人、家族が責められ、理不尽な関わりの積み重ねの環境から、精神が不安と緊張になり、限界を感じて崩れてからの病院は、本人にとってとても残酷で、その頃には、家族との心に大きなズレが出来ています。 子供の頃から、まず特性理解、本人に合った環境を選び、そういった特性をしっかり見極められて、支援に繋がる医療、福祉、教育の連携を期待したいです。 知識として学びながら、偏見のない教育を制度化してほしいです。 無理解な発言、態度、環境からトラウマ化されていたり、偏見に繋がっている社会をなくすためにも、子どもの頃から一人一人を尊重出来る精神に育ててほしい願いです。大人が責任を持って見守る社会だと、幸せが循環されると思います。オープンに話せない対話の尊厳を大切に守りながら、対話を通して、心を開花させる不思議なオープンダイアローグの魅力がどのように展開されるのか?日本文化に浸透出来る夢を共に感じられたら嬉しいです。
子育てをきっかけに、迷うことわからないことに直面し、自分で考える練習、自分を知る事をしています。トライアンドエラーをしながら解決できない事を実感したり、新たに課題が増えていく日々ですが、考えることで、悲しさ辛さだけではなく、面白さを感じるようになりました。 社会の中や自分の中にある、こうでなければならないと縛っているものを面白がりながら紐解き、世界を広げる余裕、あそびが社会にも私にもあったらいいな、と願っています。
支える、支えられるは糾える縄の如し。だと思います。お互いさまの世の中になって欲しいです。そんなふんわり優しい世の中にしたいです。 私は、私ができる範囲で無理なく時にはいろんな人のお知恵を借りて困っている人をほっとかない人でありたいです。高口さんに質問です。 教育と福祉はそりが合わないと言われますが、そこを乗り越える方策はありますか?
身近に相談サポートがあると良いと思います。フィンランドのように公園に子育て中のママが相談できたり。
話は聞いてそれなりに聞いてもらえても、薬が処方され、様子をみてくださいばかりでした。 学生の時に、ソーシャルスキルトレーニング、自己理解など本人の悩みに応えていくようなことは 手帳が無いとできず 悪化するのを待つような年月が流れていました。ピアサポート、対話をする会などが学生のうちからこなせていたら良かったのになと思います。
失敗が許される社会であってほしい。
日本の社会は大きく二極化してきている気がします。一つは、ひと昔前に比べて、明らかに形だけのコンプライアンスの遵守が強く謳われすぎて、それに当てはまらない人々がどんどん疎外され、もう一極の「落ちこぼれ」として孤立したり犯罪に巻き込まれたりしていること。社会全体がもう少しおおらかになり、様々な人々を許し、受け入れ、ともに幸せになっていくような社会になって欲しいと思います。 また、今の社会はデジタル化の流れに遅れまいと、多くの人が無理をしてその流れに乗っていく、その流れに乗れない人がデジタル難民として取り残されていくことは大きな問題だと思います。社会全体でAIやIT化を賛美する流れを止め、一人一人の心に寄り添ってほしいと思います。既に高齢者はデジタル世界から取り残されています。マイナンバーもオンライン決済も高齢者は使えません。この10月から「みんなの図書室」を開催します。大人も子供もひきこもっている人々が自由に場所を使え、少しでも社会参加の足しになれるように居場所を提供します。その運営のヒントをもらえればと思っています。
同調圧力がもう少し薄まると嬉しい。多少はあったほうが良いのは分かりますが、度を超えないバランスが大切だと感じます。世代間格差は本来あってはならないと思うからです。わたしは氷河期世代のため、今年の新卒の優遇に驚きつつも本人たちに嫉妬したところで全く意味はない。世代間でいがみ合う前にお互いの理解に努め、バランスをとって日本経済を維持していける方法を探ったほうが有意義だと感じました。そんな社会を目指せたら嬉しいです。メディアへのお願いとして、世代間ギャップはあるものの、単に競わせるのではなく互いに新たな発見や成長、他者や自己理解になるような番組を今後も期待しております。
評価、ジャッジをする事、される事、いずれもこころがすり減り疲弊するのだなぁと、感じています。皆いろんな自分を持って生きていると思うので、ギャップも含めて関係性を楽しめるよう、発見できるよう、やわらかい心でありたいなーと常々思っています。
自分が出会うヒト、モノ、コトは、きっと自分の人生にとって、必要不可欠な出会いなんだと…そう思えた瞬間、目の前の全ての出来事にありがとうって気持ちになる。 一方通行の支援じゃなく、互いに人として成長できる支縁関係のネットワークが広がって優しい社会になればいいなぁと思います。
私は、精神疾患で働いておらず、自分に自信が持てません。今はいろいろな居場所や施設などや相談機関も以前よりは増えてきていますが、なかなかそういった支援につながれません。精神疾患に偏見や差別の感情を持つ人にも出会います。当事者の仲間にもなかなかつながれません。社会にも自分にもスティグマがあるので、生きずらいです。おとなしい人のかすかな言葉も聴いてほしいです。社会全体がオープンダイアローグを知り、ソーシャルファーム、農福連携などがどこにでも当たり前にある、誰もが利用して理解もあり出入り自由な、場所であり空間になってほしいです。孤立する一人ぼっちがいなくなり、仲間になれる社会になってほしいです。知恵が足りず、積極性も足りないわたしでも、オープンダイアローグで孤立から脱出できるために、私も何かしたいです。そうすれば少し生きる希望が持てるかも。
「あたりまえ」「普通」といった思い込みによる定形に当てはまるかどうかでジャッジしないで、一人ひとりの状況を想像して思いやり合える社会になってほしい。
うまく社会に適応できず、仕事を変えたり、資格を取ったりしながら落ち着かない生き方をしてきました。オープンダイアローグを知り、オンライン上で対話実践の会に何度か参加したところ、『話を聞いてもらえた』感覚に驚きと安心と言葉にできないような気持ちを抱きました。これまでの社会経験では、こんな感覚を感じたことはあったかな?今は福祉の現場で支援をする立場にあり、できるだけ、誰かの話をきちんと聞こうと心がけています(できているかは、あやしいけれど)。社会全体で、もっと話を聞いてもらえる感覚を共有できたらいいなと思います。
時間を気にすることなく、話したり、聴いたりできる仕組みがあったらいいな、と思います。苦しい時ほど、まとまった話はできません。しっかり聴いてくれる人とのやりとりの中で、はじめて言葉が形になると思うので。60代に入ってオープンダイアローグに出会い、目の前が開けた気がしました。1対1の緊張がなく、「言いっぱなし」の寂しさもない対話が、もっと広がっていくことを願っています。
苦しんでいる人たちが自己開示しやすい人、もの、事などがもっと整っていけばよいなぁと思います。また、苦しんでいる人にSOSを出すように発信する前に、受け取る側の受け取り方のスキルのアップをしていきたい。このような機会を提供いただいて感謝いたします。
これまで、身近な人が、生活と共にこころを支えていくことで、人は生きていけていたと感じます。家族関係や身近な人間関係が薄くなる中で、生活支援の部分はサービス化し、こころを支える部分が抜け落ちてしまっているように感じています。その対話して欲しい、認めて欲しい、自分のことを見てほしいと言った方々と接することがよくあります。どうしても福祉サービスだけでは、解決できない部分をどうしていくのか… いくつかの帰属意識のある集団への参加や関わりが必要だと感じています。例えば、職場、家族、サークル、自治会、ふれあいいきいきサロン等、なんでもいいし、常に会う必要もないけれど、そんな居場所が必要なのでないかと感じています。
必要なときに必要な声が届く社会であってほしい
いろんな場面で「話し合うこと」に希望を抱いていましたが、私にとって話し合うことは結果的に自分の主張を他人に押し付けているような気がしてきたり、反対に相手の主張を受け入れなくてはいけない場面もあり、それこそが折り合いをつけて、他者と生きていくことなのかなと思いますが、分かり合えない苦しさや疲労が勝ってしまって、最近は話し合うことを避けてしまいます 避けるというより自分の意見を言わなくなりました オープンダイアローグの視点から、日常的な「話し合うこと」へのアドバイスがあれば教えていただきたいです
支援者の知識のブラッシュアップやアップデートをする機会が増えて欲しい。未だ昭和のノリで根性論と自己責任論で攻める支援者・教育者が多い事が残念である。
こころのケアに関する活動を、素人ができる範囲で身の回りから始めたいです。近所では、コロナ禍のあと、挨拶さえなくなり、関係が薄くなった人もちらほら。周り人の様子もわからなくなってきたし、自分自身も退職後に孤立しそうで不安。ゆるくオープンダイアローグの手法を取り入れた集まりができたら良いと思っています。質問です。オープンダイアローグで、当事者の前で支援者間の対話がされることに、やりにくさはありませんか。例えば、思春期の子など、自分に関する発言に敏感な時期の人が当事者の場合は配慮がいりますか。
事前にお寄せいただいたメッセージ(201~400)
申し込み時、「日本のこころのケアがこうあってほしいといった願い」や「その他、ご質問やご要望」についてお書きいただきました。トップに戻る
私の周りでは、私を傷付ける人が多かったです。たまたまとは言え、私が犠牲になってばかりでした。ですが、私の心を最後までケアしていただける人は、居ませんでした。自主的に相談する姿勢を示さなければ、日本ではフォローやサポートなどをしてもらえないのだと感じました。相談してもダメな場合が、ほとんどでもあります。
ケア会議やカンファレンスといったものが、本人不在の中で実施されることが当たり前だった時代から、緩やかに転換し始めていると思います。「本人には本当にどうしたら良いかは分からないから。」といった支援者側の認知バイアスの転換がより一層進んでいくよう願っています。(私自身は既に取り組んでいます)オープンダイアローグは、何か問題が起こってから、支援の一環として開始されるのではなく、一般教養を身につける過程(学校など)で、予防的観点から心理教育として体験されていると必要な時に導入しやすいと感じています。
障害福祉の分野で働く者です。 精神障害者の地域移行が進まない原因のひとつとして、「危機に陥った際の手立ての無さ」があると感じています。 結局は、薬物で黙らせるか、入院させるかしかない。 カウンセリングも高額で、経済的に余裕がないと手が出ない。 だれもがアクセスしやすく、薬物漬けや強制入院の恐怖のない、安心できる精神医療の実現を期待しています。オープンダイアローグを学びたい人、実践したい人がたくさんいると思います。 そういう方々への学びの場を提供する機会が増えるといいと感じています。
こころのケアが必要な方々に、スピーディーにオープンダイアローグを実施することができるよう、登録をした支援者に通知が届き、可能な者同士チームを作り、素早いアウトリーチができる環境を作りたいと思いです。
摂食障害(過食嘔吐)の当事者です。 発症して30年以上経ちますが、 30年前はまだこの病気に対する 理解や支援が行き届いていたとは 言えない状況でした。 支援者側の考える治療と 当事者側で欲しいサポートが すれ違っていたように思います。 その結果、私は自分の事が理解されず 反対に傷つき苦しみ、周りへの 信頼を失っていったように感じて おります。 摂食障害 こういう病気 こういう人間 という決めつけでなく、 私という個人を理解して支援してくれる 眼差しが欲しかったです。 オープンダイアローグの様に 支援者側が水平的アプローチで 寄り添ってくれる支援が医療/支援 に広まる事、 また オープンダイアローグが一般的に 広まる事によって精神症状に対する 理解と支援のネットワークが社会 地域に生まれていく事を期待します。 オープンダイアローグのような 対話が必要なのは、精神症状や 支援必要な方々のみならず、 どのような方でもこのような 対話の場所を必要とされてるのでは ないかとも思ってます。
社会全体の課題として 基本的に、社会構造上、まだまだ健常な人々、マジョリティを中心に回っている現状があると思う。 様々な視点でのマイノリティの存在を、誰もが常に視野に入れながら考えたり行動したりということが、より進んでほしい。自分もふくめ社会構成をしている一人一人の人権意識を深めることが大切と思う。自分の立場は、苦しみを抱える本人であり、支える人でもあります。 番組を楽しみにしております。
本人の人権が守られること。
支援するために可哀想な人を作り上げないで欲しい。支援者が支援を決めつけて先回りする傾向があるため
人間は弱さをかかえているものであるという前提が社会のベースになるといいなと思っています。みんな明るくいつも元気で精神的に強いことが求められているので、しんどいのかなと思います。
いつでも誰でも必要な時に使えるものがあって欲しい。地域によって差があるのが現状。 福祉分野での働きは本来時間で区切れないものだと思う。教育分野での働き方改革同様、誤解や混乱もありそう。
もやもやするなぁと言う時期に、だれでも適切なケアを受けることができる。 家庭でのケアが十分に受けられない子ども達がいると思うため。 PTSDなど専門の支援が必要な場合に、どこにいても支援につながることができる社会 まだ、社会での理解も不足しており、専門の機関も少なく、費用負担もあります。また、支援側にも支援を継続していくための仕組みづくり。
オープンダイアローグをもっと身近に体験できる場所や機会があればと願っています。オープンダイアローグを受けられる専門機関が近くにありません。普段の生活の中でオープンダイアローグ的対話を心掛けるだけで随分と楽になりました。日常使いでの活用方法やアドバイスがありましたら教えてください。
高齢者は誰も「死」について不安に思うことがある。その考え方の道筋を教えてもらえる所の案内。
自分としては、もっと伸びやかに生きたいです。サポートは、プライバシーが守られるシェアハウスが増えると良いと願います。社会は、福祉に使う税金が増えると良いと願います。
ぜひ勉強させて頂きたく、楽しみにしております。
「こころのケアを特別なものにしない。医療の現場のみならず、まちのいたるところで対話が当たり前の社会に」 私は鍼灸マッサージ師です。メンタルの不調の方を治療しています。 メンタル不調の原因や増悪因子は「人間関係」だと思っています。 不調があらわれる前も、ひどくなった後も、家庭や会社、学校の人間関係がうまくいっていないことが最大の要因です。 ですので、人間関係に光を当てるオープンダイアローグにとても期待しています。 また、日常の中で対話が当たり前に行われる社会になれば、良好な人間関係が築け、不調や問題の捉え方も変わっていくのだと想っています。 私自身としては、「ことばの焚き火場」のような対話の場を広げていきたいと考えています。
本申込フォームの「あなたのお立場を教えてください。」について。 この発想から見直すべきです。 だれしも心に苦しみがあり、家族であり、支える人です。 ご一考ください。
地域のコミュニケーションに、「オープンダイアローグ」の仕方を浸透する方法を教えて下さい。
ケア、サポートについての願いは、スティグマを小さくしていきたい。 自分自身を含めて。 特性や病気はこういうものとの思い込みから、 一人ひとりの違いや良いところ見落としてしまっているように思います。当事者の困り事や特性に注目してしまい、本人の長所、優れている点を見落としがちです。オープンダイアローグがそんな見方を変えてくれるのではと期待しております。個人が心がけるためのアドバイスお願いします。
繋がり通してエンパワーされる経験を家庭や学校で実現したいです。その為に対話はとても大切な要素と思います。良い対話に溢れる場作りが出来る存在になれるよう、オープンダイアローグを学んでいます。意義深い企画を有難うございます。
社会がもう少し寛容になってほしい。ご自身が自分からを受け入れられるようになってほしい。小中学生でも使えるオーブンダイヤログのアイデアを教えてほしい。
オープンダイアローグの穏やかな精神が医療の分野にとどまらず社会全体に広まればと思います。 会社などでオープンダイアローグに触発された取り組みを継続して実践していきたいと考えており、アイデアの交換などができる交流の場が欲しいと考えています。企業の組織運営などでオープンダイアローグに触発された取り組みをされている方がいらっしゃいましたらお話を伺ってみたいです。
生徒数20数名の小さな民間の教室ですが、いわゆる発達障害、学習困難を抱える子どもが6名います。支援を受けながら学校に登校している子が4名、後の2人は登校できていません。私のところもその内4名が休会、退会となっています。本人が少しでも楽になるヒントが得られたらと思い、参加させていただきます。
安心して悩みや苦しみを語れる場があれば、楽になれるのにという人は、世の中にたくさんいると思います。精神疾患のある人やひきこもりの人などに限らず、もっと一般に、悩みや苦しみを語れる場ができればいいのではと考えています。対話を広めていくために、オープンダイアローグの要点をフォーラムで紹介するのはどうでしょうか。たとえば、森川すいめいさんが著書などで言っている、「相手に対してジャッジしない」など。
悩みがありグルグルしている人ほど、そういう時ほど、人様には相談はできにくいものです。そこを突破するためにはどうしたらよいのか。ひきこもりの多くの本人家族は孤立孤独しています
行政や立場を超えて、その人の本質の素晴らしさを信じて見つめ続けるケアであって欲しいです。現在の医療現場では決めつけや思い込みで指導することが多いように感じています。言いたいことを言える雰囲気から大切にして欲しいです。 有名な医師であってもこころの声が届かないことで悲しい思いをたくさんしました。 ただうけいれる、というのは医療としてはとても大変な作業ですが、それも大きな治療の入口だと感じます。1人でもいいので勇気をもってやっていって欲しいです。 私も家族として、心がけていきます。
誰しもが形は違えど、自身の中に悩みの種や生きづらさ、葛藤を抱えて生きているのかもしれないな、と思うことがあります。 ただその内面と向き合い、見つめる習慣がないことにより、他者に対して過剰に攻撃的になる人が多いように思います。 どうしても専門家による直接的なカウンセリングは高額で気楽に受けられるものではないので。。。葛藤の形を言語化するというか、ただ語り、ただ耳を傾ける。そういった気づきの場が身近に増えてほしいと思います。 ただ、「自身の心の動きに興味がある」という人が集まると、どうしてもスピリチュアルや宗教といったジャンルのもの(一概に否定する意図はありませんが)と繋がりやすい側面もあり、モヤモヤすることがあります。考えに行き詰まっている時ほどそういった極端なものに縋りたくなる気持ちもわかります。ただ、マイノリティであり苦しみを抱えてきた人たちがそういった方向に進んでしまうのはどうにもやりきれないというか….。特定の思想に同一化されるのではなく、ただフラットに語り合える場が増えてほしいな、という感覚がずっと自分の中にあります。
「障がいを自己開示しても変わらない人間関係を構築できる社会」今の日本社会は偏見や差別があって、就職や居住等々、働きづらい、生きづらいと思っている。障がいじゃなくても生きづらさの自己開示をすることで少しずつ社会を変えて行けるのではないかと思っている。
ひきこもりというのは自分を守る手段だと思いますがそこから1歩を踏み出す機会はどうしたらいいのか…なかなか見守るだけではいけないなと悩んでいます。第三者の支援機関にどうつながればいいいか?
支援する側と支援される側の上下関係が改善されない。特に生活保護分野は酷いのでは。
誰かの心をちょっと軽くできる。そんな人になりたくて、オーブンダイヤローグの可能性を感じてコミュニティで勉強会を行なっています。そのようなコミュニティが増えて、身近な場所で、オーブンダイヤローグが日常の対話として、安心安全な居場所となる。そんな未来をイメージしています。
ケアされることが当たり前であって欲しい。困ったときに困ったと言い、それが受けとめられ、当事者が安心して過ごせる社会であるとよいなと思います。
他人と自分を比べて、優越をつける社会の雰囲気を 変えて、それぞれが かけがえのない自由な1人とする社会に なっていったらと思います
身体の不調は病気で心の不調も同じ病気なので、だれでもこころの不調になることを前提の社会であってほしい。質問 こころの不調は自分では気づかない場合もありますが、まわりの人が気付いたときに当時者にどのように伝えたらいいのでしょうか?
自分の終末期ケアに対する不安やゆらぎある。私の想いを聴いて、ともに考えてくれる方をどのように探したらよいか?
失敗してもやり直せる社会であって欲しい
??希望 不登校児の保護者も支える継続支援の確立 不登校児が孤独にならないように支援 スクールカウンセラーの常勤化 いじめられてSOSを出しても助けてもらえず絶望を繰り返し、諦め不登校になった子供の心に寄り添う環境と教師の育成 SOSを受け取る側の教育
医療系学校の教員をしています。医療はこれまで問題解決思考で国家試験に向けて正解を求める教育が王道だったように思います。もちろん医療技術の習得は大切ですが、同時に患者さんと共に時に大いに困りながら考え続けることもまた同じように大切な心構えであり、教員自体が性急に正解を求めず一緒に対話していきたいです。
高齢や障がいをもった方々の相談援助を行っている者です。どういった支援に繋げるかを考える立場ですが、セルフネグレクト気味であったり、コミュニティへの苦手意識などで、支援に繋がれない方も大勢いらっしゃいます。そもそも「繋げる」という自分の認識を改める必要があるとも感じています。「繋げる」のではなく「繋がる」といったように。 オープンダイアローグの考え方とも通底するものがあると思い、オープンダイアローグを応用したり、派生型がつくれないかと思ったりしています。
自由に安心安全を感じる社会になってくれると嬉しいです。マインドセットを変えて行くにはどの様なアプローチが良いのかご教授ください。
あらゆる業界やあらゆるシーンなどであまりにも個々人の気持ちや精神的な思いなどが軽く捉えられすぎに感じています。もっと心のありよう捉えられ方が丁寧に扱われてもいいように思います。社会に心が感じられる局面が溢れることを願ってやみません。私自身もそんなムーブメントの一員となりたいです。さまざまな人々と大いに語り合いたいと思います。よろしくお願いします。オープンダイアローグは病んでる人々だけの為ではないような気がします。人が成長する局面、小学校に入学してから社会人として働き始めるまでの間に友人や同僚と密に語り合っていく習慣はどうやったらつけて行ける?
地域の医療機関・クリニック等も精神科の知識を豊富に持っていて欲しい。そして、精神医療との連携を密にして、当事者への支援を早期発見早期治療に結び付けていただきたい。 地域社会が、当事者に対して理解ある対応ができるように、学校教育の充実を図るために15歳までにしっかりとしたメンタルヘルスの教育を実施するためにも指導要領の改訂を願いたい。そうして、社会教育にも結び付くようにして、地域で当事者を支援できるような地域社会を目指していただきたい。当事者への支援のために訪問医療・看護を充実してほしい。 また、家族への教育、当事者への接し方や、オープンダイアローグを生かした対応の仕方等を身に着けさせる方策はないのでしょうか。
どの人も人として大切にされる社会でありたい。
困った人に出会った時、困っている人と誰もが認識して支え合える社会であってほしいし、 自分自身も困った人を置いてけぼりにしたくない。 誰もが優しくいられる社会であってほしい。オープンダイアログの対話法を一般化するにはどうしたらいいのか、日頃から考えています。 講師の方々のお考えや構想などありましたら教えてください。
心療内科やクリニックが増えてきた現在では、精神科を受診することのハードルは少し下がってきたようには感じていますが、それでもひとりで悩み、苦しんでいる人は多くいるはずです。SNSなどで見知らぬ人と繋がり、どうにか生きている人も少なくないのではないかとも感じています。そういった弱い立場の人に声をかけ、自殺扶助や集団自殺をするという悲しい事件もしばしば目にします。SNSを批判するつもりはなく、SNSは上手に使えば便利な手段です。しかし、SNSを使いこなしているがゆえ、リアルに人を交わることに苦手さを感じている人も多くいるようにも思います。私は今、児童思春期の生きづらさを抱えた子どもたちとも関わっています。そういった子どもたちとの関わり方は試行錯誤の連続です。ただ、根気よく向き合い、様々な思いを傾聴し、理解、共感しながら、私は何ができるだろうと考えています。悩み考えながらも信頼してもらえる大人のひとりでありたい、そうなりたいと思い日々の業務に就いています。
サポートステーションで様々な生きづらさを抱えている若者は、親や社会で「自分の言葉」を受け取ってこられなかった方が多い印象があり、ずっと周囲や親の期待に自分を合わせてきて、自分が本当はどうしたいのか、何者なのか分からない方が多いです。 オープンダイアローグの様な対話文化を日本の中の教育現場から普及していくことが今後とても大事になってくると思います。
サポートがもっと身近なところにあって、地域で支え合える仕組みがあるといいなと思います。
学校にカウンセラーが常駐してほしい
オープンダイアローグを地域にと仲間と動き出しています。対話を通じてその場だけでなく地域全体に場の安全ができ、障害や病気など関係なくここに居たいと思える地域作りができたら最高だと思っています。オープンダイアローグってなんですか?と聞かれた時にその良さを一言で言い表せないもどかしさを感じます。どんな風に伝えたら分かりますか?オープンダイアローグと言えば、という先生方の登壇でとても楽しみです。
支える側として旧態依然の管理的な考えが今だ続いていると感じます。その意識が変わり全ての人が責任感を持ちつつ主体的に生活できる、そんな社会になってくれればと思います。
医療者間で対象者の話をする際の、プシコだから、発達だから、メンヘラ、というような人をラベリングすることにずっと違和感を持っています。医療者がスティグマフリーとなるような、少なくとも自分たちがそのような考えをもってしまっているのだ、ということに気付いてもらえるようになったらよいといつも思っています。楽しみにしています!
本人希望で最初にかかった病院に入院しましたが家族としてこう接すると良いなどのアドバイスは一切なく、退院後の受診も機械的で、数年間は親子共に社会から見放されていくように感じていました。 オープンダイアローグのことは息子の発症後すぐの頃に偶然知りましたが、家族間では難しいという説が強く、訪問看護ステーションに伝えても変化なく途中でやめてしまい、2年半後の転院先できちんと目を見てじっくりお話を聞いてくださる主治医の先生に出会えてから、息子はようやく少しずつ現状を受け入れる方向に変化し、年金免除や障害者手帳を申請したり、通信制大学を探したり、前に進む道を探すようになりつつあるように感じています。私が月一でボランティアスタッフをしていて、息子も小学生の頃から出入りしていた「話すことを大切にするまちの居場所」のスタッフの方々も息子の時々の来場を静かに見守って様子を伝えてくださり、とても心強く感じています。複数の福祉施設などのフリースペースやデイケアは行ってみても続かないので、たぶん「まちの居場所」のような、時に小学生に「大学生じゃないの?」「働いてないの?」とズバリと聞かれたりすることがあるとしても、事情を察しているいないに関わらず、互いの出会いを楽しみ、好きなことや興味が重なった時はいろんなことを話し合えたり、感じていることをありのまま話せる人の存在が身近にあるのは誰にとっても日々の力になるということが、もっともっと世の中に知られて、その意識を大切にするのが当たり前の社会になれば世界平和に繋がるくらい、未来の希望を感じています。このDVDは家族会でも視聴の輪が少しずつ広がっています。ありがとうございます。いずれ息子が家を出て一人暮らし後、引きこもって連絡もつかず話せなくなるような状況を今から想像してしまいます。誰とも話をしたくない、する気力がない人を安心できる対話の場に繋げる道はあるのでしょうか。
もやっとを表現出来る、違ったらきづける、チャレンジ出来る、リカバリー出来る、誰もが/ そういう練習に、誰もが気軽にアプローチ出来たらいいかもと思う
話を聞いてくれて、具体的なアドバイスがほしい。
発達障害を持つ5歳の息子を持つ母です。いま、発達支援の現場は以前に比べて充実していて、息子が1歳台の頃よりも相談できる窓口やサポートの内容は増え、駅近の療育や利用者のニーズに合った小児発達外来も少しずつ開設されていると感じます。ですが、発達障害の兄妹児への支援というのは、なかなか進んでいません。息子には、小学生の兄が2人います。親は、息子へのサポートで手一杯で、兄2人に手をかける余裕がなく、共働きでもあるので、兄の望む習い事もさせてあげられず、日常的に我慢を強いています。だんだんと弟の様子が同年代のこどもと違う事にも気づき始め、たまに『2年後、弟と一緒に学校に通う事になるのは恥ずかしい』などと申し訳なさそうに私に話す姿を見ると、居た堪れなくなります。誰が悪いわけでもないので、余計に辛いです。 兄妹児へ特化したメンタルケアや外出の機会を公的な機関が支援してくれると、障害児を持つ親、祖父母は救われます。
話を聴いて欲しい。
こころのケアに限りませんが、こころのケアを受けることが特別ではなく、誰もが希望するケアを受けられるような状態になること。 そのために、いろいろな情報がいきわたり、本人や家族が自分自身の治療について選択できる権利を持てるようになり、支援者とも対等に話ができるようになるといいなあと思いながら日々仕事をしています。何年か前にオープンダイアローグを知った時には考えらえないぐらい今広がりを感じています。 もっともっと広がって実施しやすくなるよう、今回のような機会を増やしていただえるとうれしいです。
本人に選択肢があること。 自分で決めたことが尊重される。
国籍や文化、宗教、価値観、年齢、ジェンダー、性的指向、障害や疾患の有無等の壁を越えて、日本に暮らす多様な人々がそれぞれにその存在を尊重され、それぞれの表現(言葉、姿勢、ボディランゲージ)が受容され、お互い対等に対話し、支え合い、社会でつまづくことがあっても何度でもやり直しをすることができる優しい日本社会になってほしいと思います。権威・パワーを持って周囲を従えるような組織や個人に対して、ダイアローグやオープンダイアローグの文化を広げ、その実践を試みる際に、どのような工夫やアプローチが考えられるか?
長く医療現場で仕事をして多くの死に出会いました。ケアする側の心の問題も多く、それを話す場所も時間もあまりありません。もっと自由に「自分はこう生きたい」と言える場所が出来ればいいと思います。
個人の責任にするのではなく、社会から手を差し伸べる世の中であってほしい。ひきこもりや不登校は、いまの日本おかしいぞ、と身体を張って訴えてるのかもしれない。 日本の良いところは継がれ、変えるべきことはどんどん変えていかないといけない。特に教育!オープンダイアローグがもっともっとひろまってほしいです。対話、人とのつながり、人は一人で生きられないのだから周りに甘えられる、お互い助け合える、いろんな生き方があって当たり前の世の中に!
私は東日本大震災で「こころのケア」に携わり、現在、カウンセリングの仕事をしています。これまでの経験から、「こころのケア」は広い概念であり、多層的で奥が深いことがわかってきました。 「こころの傷つき」があった時、家族や友人などの身近な人をはじめ、学校・行政・組織、グループでの支援、専門的な心理療法や医療といった、「こころのケア」のリソースが豊かであれば、当事者が適切なケアにつながれることでしょう。 まずは、リソースを豊かにする一つとして、「こころの傷つき」と「こころのケア」について、対人援助職が理解を深める機会を増やすことから始めてはどうでしょうか。対人援助職の知識の厚みを増すことによって、医療や介護の現場のみならず地域の風土に「こころのケア」の概念が広がることが期待できます。 また、ケアを受ける当事者と対人援助職が集まって、安全に対話できる場を地域に作ることもよいと思います。このような学びと対話の場づくりには、支援が必要となります。 さらに、エビデンスが示されている心理療法を安価で身近に利用できるしくみを整えれば、「こころの傷つき」から回復できる人が増え、「こころの傷つき」が遠因と思われる心身の疾患や社会のさまざまな問題を減らすことが期待できると考えます。
困り事を孤独に抱えている人が多いと思う。社会の中で孤立して、そういう人が思い込んで苦しんで犯罪を犯すというニュースを見るたびに、救われる場がなかったことを悲しく思います。
出来るだけケアの仕組みが整ってほしいと思いますが、(様々な社会資源や制度等)そこに今は乗れないんだ、そっとしてほしいんだ、という状態の人もいるということを忘れないでいる社会であってほしいと思います。そこにいない人、来れない人のことも排除しないで、想像していくことが大切だと思います。
優しさ
私は在日コリアンですが、在日特有の社会背景に起因する、親の心の病やまたそれが世代をまたがって伝わる子どもへの様々な影響、このようなマイノリティ特有の心の病をケアするには、セクシャルマイノリティもそうですが、そういった学びがケアする側には必要不可欠と思いますが、そのようなあり方が、ピアサポートのみになっている気がして、支える側のそういった基礎知識や人権意識か重要になってくると思います。
気兼ねなく在宅ワークできる社会
今、当事者の目の前に生じている不眠、抑うつ、幻聴、自傷行為などの現象。その現象が周囲に悪影響を及ぼすと、精神病院に隔離し、拘束や薬物等でその現象を抑えようとしています。日本は明治時代に家族への監護義務の法を作り、戦後、強制入院の仕組みは続き、人のこころの苦しみに触れる機会を隔離しているように見えます。そして、苦しみに触れる人がいないので、薬物などで抑えられた現象は再燃します。 1978年、イタリアで精神病院を廃止する180号法を採決させた故フランコ・バザーリアは、隔離や拘束された人のこころの苦しみに触れることから始まりました(むかしMattoの町があったという映画から)。地域精神保健センターが当事者の急性期症状の対応、関係作りと対話、生活支援などを行っているそうです。 日本はこころが病まない状態が美徳とされ、こころが病むとそれを必死で隠す風潮があるように思います。当事者会(自助グループ)のように、こころの苦しみの語り合いができる機会、場所、時間が、障がいの有無や支援する人とされる人を問わずに増えていってほしいと思います。
一度母から愛されて無いと感じた子どもはその思いから抜け出せないみたいで、私と一対一を避ける、まともに話しがしたいです。死ぬ前に
辛い思いを抱えている人の年齢・性別・障害の有無・問題の内容等にかかわらず、安心して相談できる場所や方法があればと思います。
辛い時に、辛いと言える相手がいること。辛いと言われたら、辛いねといってもらえること。社交辞令や、上辺の言葉ではなく、本音で繋がれる人が複数いること。専門家が偉そうにアドバイスするのではなく、こちらの言葉を聞いて、それをわかろうとしてくれること。関わってこられることに、緊張したり、会いたくないな、と思ったりせず、会えることを嬉しく思えるような関係性を持てているようなケアであってほしい。
帰京後、最低賃金ではないだけの障害者雇用で働きつつ、上述した経験専門家養成講座を受け始めピアスタッフに転職したものの、優しさだけではダメだと思ったり低賃金で狭い実家暮らしに嫌気がさし挫折。特例子会社に勤務して実家を出たものの支援職復帰を迷いつつまた退職。社福士の資格を取り、グループホーム、AB多機能、相談支援事業所と流転しつつ、生活費を稼ぐことと理想的な仕事の間で悩み、支え合う人になろうとピアサポーターの自覚と資格も取り、疾患のある婚約者と家族になろうと同居を始めます。やりたくて周りからもいいと言われた仕事なので続けたかったが、仕事の内容や会社の方針に納得できないことも多く(利用者重視は大事だがそのためスタッフが疲弊し過ぎる課題はどうすべきか)、自分自身や他の職員へのサポートをしきれずに症状悪化により退職、現在失業給付を当てにしつつボランティアや家事に追われ、自分なりの社会貢献の仕方を模索中です。対話については、今でも地元の精神科医を中心とした活動に関わっていて、ただ話を聞くだけでなくときに自分の考えも伝えることが、相手を尊重することなのではないかという考えが、当事者だからか湧いてきて、表面的に話を聞いて勝手に解釈する支援者などに物申したり、一方で自分もそうなりうると感じたり、逡巡の日々です。こころのケアに必要と感じているのは、言葉もそうですが、それだけに頼らず絵や音楽などのお遊びを色々な人と一緒にすることです。その活動の中で、疾患を持っている人だけでなく、様々な人をつなぐ役割を担いたいと思っています。精神の疾患を持っている人の多くが、生活保護受給者だったり、教育が不足していたり、能力に自信がなかったり、様々な面で格差の下層にいる人も多くいます。お金をかけず、下手と言われても楽しみ、ときに飛躍した何かが生まれることを夢想したり。また、そういう人は周りから支援か支持されるでしょうが、誰からも支援、支持されないで苦しんでいる普通の層にも協調していくのがこの先したい方向で、こころのケアの予防につながるのではと思っています。最後に、金銭的な豊かさは望まないし、年齢的に子どもも望めないため、若い夫婦を支えて地域の子どもたちとも関わったり、社会に無理なく開いたささやかな家庭も築きたいと、婚約者と夢を語っています。「どうすればよかったか?」では最初は動揺し二回目は母親への支援が必要と思い、先日妹が知的障害を持つ兄を題材にした作品を見て全く違う印象を受け、現在精神障害の社会問題化の終焉を祈っている。
薬による副作用に苦しまない治療
何が出来るとか出来ないとかじゃなくて、存在しているいのちそのものが尊いよね。ということを、ひとりひとりが腹落ちするような教育をしてほしい。みんな違うから助け合えるようになってるはずなのに、違いを攻撃したり生きづらさにつながってしまうことが悲しいです。
日本の社会では「こころの苦しみを感じている人は家族が支えるべき」という意識がいまだに非常に強く、現実問題として家族の負担が非常に重くなっていると感じています。そのため、さまざまな事情から支える(ケアにかかわる)ことが難しい家族は自責の念を抱きがちです。ひとりひとりが他人事だと片づけずケアに取り組めるような社会であってほしいと思います。「心の苦しみを感じている人」は、性別や年代、置かれている環境など千差万別だとは思いますが、できるだけ広い範囲でカバーしていただけるとありがたいです。
支援者たちも 日頃抱えているモヤモヤや違和感などを自由に声を出せたり、それを聞いてくれる場がある、安心できる職場であってほしい
人はとても感情豊かで、いろいろな心の状態になります。その感情を自分で抱えきれないときに、たとえば攻撃のような誰かへのアクションにつながりうるのだと思います。そういう心の状態を自分で支えきれない時に、そのことを相手を傷つけることではない方法でお知らせできることや、周囲がその状態にあることを理解するのは難しくても、受け止めることができる、そのような人と人のやり取りや受容環境が社会にもっと浸透したら、対立や攻撃ではない関わり方ができる、ということが当たり前にとらえられ、虐待やいじめ、そういう攻撃の苦しみは少なくなっていかないだろうか、そんなことを願っています。
どんな時にも笑いとユーモアを持って会話ができる家族、社会になっていくといいと思います。
正論を押し付けるではなく、その人の問題に一緒になって考えられるようになりたい。そして、勇気づけられるような関係になりたい。 社会は、余裕がないと、自分や自分の周り以外を否定し、耳を傾けようとしない。そうではなくて、違う存在、違う立場の人を思いやれるような、耳を傾けようとする社会に変化していってほしい。そのためには、むやみに否定しない、伝えるときには相手に配慮するような心がけが必要かもしれない。正解は一つではないということを理解できれば、変わっていくのかもしれない。
ケアを受ける立場の方の声が最大限尊重され、人としての尊厳が損なわれないこと。対話をベースにした援助が、診療報酬においてしっかりと評価された持続可能な制度のもとで提供されること。
メンタルに不調を抱えてると伝えただけで、 弱い、繊細などの言葉をかけられることが多く、私本人を見ての発言ではない気がして、モヤモヤしました。必死に闘っているときに、弱いと言われるのは悲しかったです。 色眼鏡を外して会話してほしいという気持ちです。
人混みで、ぶつかってもお互い何事も無かったように過ごすことが辛く、寂しいです。それは、人として接していないからです。もっと、声を掛け合って気持ち良く過ごせる世の中になればと思います。人と人が対話できる世の中になることを、願っています。
お値打ちに質のよい支援が受けられる
認知症の方本人及び、そのご家族に寄り添えるサポートが出来ればという思いがあります。
見通しや責任感覚なくお金を使ってしまう両親と、そこで育つ私の孫たち。不登校だったり、不登校気味であったり。小学校に3,4日しか行ったことがないまま4年生という孫たち。 その家族を支えたいと関わってきたことで疲弊しきっている私の息子(孫のおじさん)。 親族の中に緊張感と疲労感が充満しています。 優しさが憎しみに変わってしまう苦悩の日々ではないかと感じています。傍らに居る80歳を迎える私は、この家族関係の中に、オープンダイアローグ、のような対話を持ち込めたら、本来持っている優しさや思いやりのやり取りができるのではないかと憧れつつ、自分の無力さを感じています。 金融教育を急ぐよりも、。 デコボコの際立っている発達障害をもっている人が、社会人として自立して生活する時に、家計管理の責任や、やり方を身に着けられるように学ぶ機会が欲しいです。 苦手な部分を自分が知ることができて、サポートを受けることが当たり前にできる世の中になったら、誰でもがもう少し楽に生きられると思います。 発達障害デコボコの早期発見、早期サポート、いろんな人がいることを含む、命に優しい社会のシステムが欲しいです。急がば回れ。ただの、高齢主婦であっても参加させていただけたら嬉しいです。
従事者として業務に携わる中で、自分自身が極限まで追い詰められ、初めて「心を病む」という経験の当事者となりました。その時の情けなさ、悔しさ、そして築き上げてきたキャリアの全てが失われるような喪失感と絶望感は、筆舌に尽くしがたいものでした。 通院しながら、自分自身の深部を掘り起こすような作業(それが正解なのかはわかりませんが。。。)を地道に続け、数ヶ月で寛解することができました。この経験は、私の人生、特に仕事への向き合い方を大きく変える転機となりました。負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、もしこの経験がなければ、私はおそらく「わかっている」と思い込み、「わかったようなこと」を「もっともらしい理屈」で語っていたに違いありません。 寛解後の翌年、精神疾患への理解を一層深めたいとの思いから精神保健福祉士の資格を取得しました。さらに、キャリアや他者の評価に縛られる生き方ではなく、本当に自分が望む生き方を追求したいと考え、3年後に離職しました。(この「3」という数字には、今も特別な意味を感じます。) 今でも、あの時の記憶が鮮明に蘇ることがあります。かつて私は「精神疾患になる人には、本人になんらかの問題がある」と考えていましたが、それは大きな誤解でした。たまたま自分が心を病むことがなかった、あるいはそれを認めずに乗り越えてきただけで、人はもっと弱くてもいい、そして無理に強がる必要はないのだと、この経験を通じて深く学びました。今後は、この学びを活かし、そうしたメッセージを伝えられる仕事をしていきたいと強く願っています。
精神科医療のパターナリズムからの脱却を願っています。 私自身も家族も、パターナリズムに満ちた精神科医療の中では回復しませんでした。 対話を重視した主治医と出会ったことで回復を果たすことができた経験から、日本の精神科医療すべてが新たなフェーズに進むことを願っています。NHKが「オープンダイアローグが新しい精神科医療への道を切り拓く」という視点で大きく取り上げて下さることに敬意を表します。
まだまだ、障害者に対しての偏見などがあり、地域に住みにくい環境にあります。障害を知りもっと住みやすい生きやすくなって欲しいです。オープンダイヤロークにより、個人の尊重され精神疾患になる前に予防し、生きやすい世の中になればと思います。早く、オープンダイアローグで、誰もが相談できる体制を整えてほしいと思います
医療関係者、行政職員、支援者から、貶められてもよい人(支援者が問題を起こしても、謝りさえせず、被支援者側の問題としてすり替える等)という扱いをされない社会。 複数の甚大な被害を受けても、医療や行政には社会が介入する仕組みがなく、誰からのサポートともなく孤立している。
私は双極性障害の当事者です。 この病気は、うつ病や統合失調症と比べて認知度が低く、「性格の問題」と誤解されがちです。しかし実際には、双極性障害は脳の器質的な疾患であり、決して本人の性格や努力不足によるものではありません。 自殺率は三つの疾患の中で最も高いにもかかわらず、社会の理解が十分とは言えません。患者数も決して少なくなく、100人に1人と言われていますが、それでも認知度の低さや誤解が根強く残っていると感じます。 また、双極性障害をきちんと診断・治療できる医師がまだ少ない現状も、大きな課題です。 私が望むのは、「双極性障害は性格の問題ではなく、脳の疾患である」という認識が社会にもっと広がることです。そして、当事者や家族が安心して相談できる環境や、適切な医療につながれる社会になることを心から願っています。このようなイベントを開催してくださりありがとうございます!
保健所で精神保健福祉の相談に30年来関わる者です。非自発的な入院を含む日本の精神科医療のあり方には、本当は支援者も心を痛めていると思います。それを解決する1つの解になればと思い、私はオープンダイアローグを学び始めました。 了解できない幻覚妄想があったとしても、発症や急性期の段階から、丁寧に本人や家族の話をお聴きし、症状が出る場面で何が起こっていたのかをお聴きできる現場でありたいです。
偏見の無い社会の実現を!!
家族の中で誰か一人でもこころの状態が悪くなると、家族全体に波及すると感じている。何とか支援が欲しい
4週間に1度の診察時間が5分程度で終わらされます。主に今までと体調が変わらなければ同じ薬を処方されておしまいです。(患者が多いので仕方ないのかもしれませんが・・・)出来たら家族も含めて日ごろの何気ない話しなどをして、その中から考えられる治療法や日常生活の注意点なども医師に教えて欲しいです。(話している間に疑問や注意点などが浮かぶと思います。)そんな治療をしてくれる日を願っています。「オープンダイアローグ」という言葉を初めて知りました。もっと世間に知らせるにはSNSや、メディアの力が効果があると思います。「オープンダイアローグ」を主題にドラマの作成を希望します!
職場で総務として通常業務の他に様々な相談や支援を行っています。最近増えてきているのが家庭では 親または親戚のだれかの介護をしながら、会社では精神疾患や障害のある方の支援も行うという ダブルケアのパターンです。とにかく半分以上の方がそんな状況で、人手不足でマンパワーも心の 余裕も足りないため、支え手を支えることが難しいです。 こころのケアが支え手にもいきわたってほしいと感じております。
こころの苦しみを感じている人が安心してその苦しさを周囲に話せ、また、そのことを特別視せず受け入れられる社会になってほしい。今の社会は『寛容さ』が失われ、『自己責任』が追及され、こころの苦しさも個人の問題とされ、当事者はより孤立しやすくなっている。誰もがこころの苦しさを抱える可能性がある。だからこそ、その苦しさを理解はできなくても、受け入れ寄り添える社会になってほしい。
私に対しても一人一人の色んな小さな声も聞ける場があればいいなと思います。変わりゆくものも眺められる時間が共に分かち合えればいいなと思います。活動を続けていってほしいと願っています。
支える側にもサポートを届けたい。当事者は本当に大変だとは理解しているが、支える側にも、大きな負担があることを知ってほしい。
心を病んだ人が、ゆっくりしながら癒やされる場がもっとあればいい。 本来、こころのケアをしながら月のステップを踏めるようにする場とされた、デイケアや作業所、就労支援事業所が 「何時までに、ここまで出来なければ、…」「この時間、参加できなければ、利用対象にならない」といった決まりがあり、その人の心の状態に合わせたケアを求めることが難しい社会だと思います。 ここは、もっと各個人に合わせた支援が許される精度であってほしいと思います。
困っている人、困っている子どもが、本人の望む場所でサポートすることが当たり前の社会になってほしい。困った時はお互い様。 今の日本では、治療のためと言って、生活の場から長期間切り離されるのは当たり前。特に、児童養護施設にいる子どもは、大人が面倒見きれない、集団の中に合わないなどの理由から、簡単に施設から施設へ移動させられています。また、その現状を知っている人はとても少ないように思います。 違いの大きいことを個別支援という名の元、強制入院、措置のような、隔離で解決するのでなく、昔の長屋のように助け合うことで、地域みんなで子どもを育てて行くのが当たり前の社会になると、自然とこころの苦しみがあっても生きやすい社会になると思うからです。
精神的に非常に不安定になった時に、入院の前の段階で利用できる場所があるとよいと思う。例)緊急対応型ショートステイ(空き部屋の確保万全、また当事者用・家族用の両方対応、ついでに医師在勤等)。日本でのオープンダイアログが行いやすくなる施策があったら教えて頂きたいと思います。例えば、診療報酬や事業者への報酬単価等、金銭面が考えられていて、人員確保が行いやすくなるなど。
専門家も支援される人も、フラットな関係で自由に話せる環境が必要です。学校では、教師側が高い立場からの発言が多く、生徒や保護者は否定されることを恐れて、自由に物を申すことができないから。茨城県の学びの多様化学校で、オープンダイアローグの考えを柱に、生徒や保護者、支援者で共に成長することを目指しています。今後ともよろしくお願い致します。
専門知識は必要だと思いますが、その人の困り事だけでなくその人全体を知ろうとする姿勢が大切なのだと思います。 そこで起こった困り事には全て理由があるのだから。と思います。オープンダイアローグを形式だと考えると敷居が高い物になってしまいます。 大事な所だけをしっかり押さえる事で気軽に誰でも、いつでも、何処ででも。 その様な方法を教えていただきたいです。
自分だけ,自分さえよければいいではなく,お互いに思いやりをもって,お互いさまの関係性を築くことができればよい。誰もがつらい時,泣きたい時,がんばらなくてはいけない時・・・はあると思うが,少しでも笑って過ごす時間があればいいと思う。
自分の世界の中で理解できない人を、異端者と見たり、見下したり、偏見をもったりして受け入れることができない人もいます。 その方に、知識や共に暮らす体験があったら違う関わりが生まれるかもしれないと思います。 誰かが上段に立って指導したり批判したりせずとも、染み込むように様々な人の生き方や考え方が伝わり認め合える世の中になればいいのにといつも思います。誰かと繋がり支えたら助けたりしあえたらと思いますが、助けてもらうこと、弱音を吐くことは良くないこととという思いから、自分の世界を閉じていく方に、メッセージが届けばいいと思います。
互いに手助けできるよう、みんなが「こころのメカニズム」を知っていたらいいなと思います。
できる限り薬に頼らない医療のあり方が地域で広がっていくことを願っております。
当事者と支援者が対等な関係を築ける社会を目指したい。そのために協働、お互いを理解する姿勢が大切だと思うが、お互いにそこが課題になっているのを感じる。当事者の本当に望むことが分かりません。寄り添う、という言葉をより具体的に示す当事者の声、綺麗事でない本音を聞きたいです。
問題が起きた時に他者に責任追及ばかりするのではなく、どうしたら良いのか共に考えることが出来る社会になれたらいいなと思う。このような企画をありがとうございます。楽しみです♪
最近オープンダイアローグについて知り、仕事での自身の行動や言動を振り返って反省することもあった。オープンダイアローグについてもっと知りたい場合、手法を身に付けたい場合はどうしたらよいか。
同じ目線で、横に並んで一緒に歩くようなサポートであって欲しい。 話を聞いて欲しい。時には、一緒に気分転換をしたり、指導的でなく人として、接して欲しい。 規則や決まりだから、支援が出来ないではなく、出来る方法を一緒に考えて欲しい。色々な立ち位置でサポート出来る人がいれば心強い。
誰にも予期せぬ困難は起こる。そんなときの苦しみを安全に話せる場所や人がいない。 心療内科は予約いっぱいで何ヶ月も待たなくてはならない。悩む時間が長いほど悪化してしまうと思うので、オープンダイアローグがもっと身近で受けられると良いと思うが、 これからの展望を知りたい。学んだからといって、誰もがオープンダイアローグをできるのだろうか。
トラウマインフオームドケアをご存知だろうか。 現場に立てなくなった自分の説明は場面緘黙である。 何が起きているのかを説明に不調の波が寄せてくる。 夢であった奉仕も叶わずに傷を深めては痛手を負う自分に再起はあるのか。 再起を図る事例に出会いたい。トラウマインフオームドケアの第一人者の野坂祐子氏の対談を希望したい。
一人一人の話を安心できて静かに聞ける環境
3分間診療の精神科医では治らない。もっと時間をとった対話重点の診療サポートを望む。オープンダイアローグをしたい!と思っても電車を使っての遠い場所だと本人が行きたくても行けない。オンラインもしくは、対面の診察をその時の本人の状況で選べたらと強く願います。是非、検討して頂きたい
家族と20年以上意志疎通が上手く取れなくなった弟 私達を敵とみて受け入れてくれない 電話があれば文句暴言ばかり、両親へはいたずら、暴力も…今考えると本人に合った傾聴ができていなかったのかも ふつうはこうだろうと比較すると弟は違っていたのだろう 本人との対話を深められていたらと、今は恐くて私も対話できないことが辛い 現在、弟は距離をとり一人暮らし 妹がキーパーソン 静かに見守るのが私のこころの安定。意志疎通が難しくなった弟との関係改善は難しい 本人がこころを許すまで待つのか 声かけは必要か 声かけし反応に戸惑う、こころが折れる 医療、行政がもっと本人に寄り添えるシステムを希望
「日本のこころのケアがこうあってほしい」といった願いは、 もっと身近に、ケアの場があって欲しいと思います。 相談所というよりは、話せる場が増えるといいと思います。
相談支援を業とする者のスキルが低すぎる。特に公的な立場・所属の「相談員」。相談に来られる方に対しての姿勢が指示的、一方的。傾聴すら出来ていないし、共感的理解なんて言葉も知らない。ましてや対話とか「何それ美味しいの」状態。不勉強過ぎる。オープンダイアローグ、気に入ってはいるけど万能ではないとも感じる。可能性と限界、他の精神療法や心理教育との組合せの実践も知りたい
誰もが手を繋いで仲良くできなくとも、自分が誰かを傷つけている(傷つける)可能性があることを、想像する力がもっと必要だと思う。
精神的なものだと、お金をかけたくないとか、またべらぼうに値段が高いとか、そういう偏見が取り払われて、こういうケアがもっと身近に存在し、ケアしあえる方法が、美味しいお料理のような方法やレシピになると嬉しい。もちろん、結果美味しいか美味しくないか、効果的かそうでないかは分かれるとは思うし、本人の状況や家族、周囲にもよるが、、、。これが障害がある人にもない人にも、職場や家庭で軽くみんなができる社会になったらいいなあ
現状の日本では病気になると家族か病院に「押しつける」ような形になりやすいと感じています。制度自体にオープンダイアローグの世界観や考え方を反映させられたら変わっていくのではないかと思います。外の世界に出るとみんなの迷惑になるから我慢して入院しているなんて言葉を当事者に言わせてはいけないと思います。
「人に迷惑をかけないように」という考え方が社会に浸透しているせいか、生きづらさや困難さをかかえていても、なかなか「助けて」とは言えない状況があるように思えます。子どもたちには、生きていれば誰でもなんらかの迷惑をかけてしまうことがあることを伝え、上手な迷惑のかけ方、困ったときの助けの求め方を小さい頃から学べる環境があれば良いなと思います。
専門の相談機関ではない所で、繋がってしまい事件に巻き込まれるケースが後を絶たないのがもどかしい。声をあげたい、話したい人が、安全な場所にきちんと繋がる仕組み作り仕掛けが急務。
法的には、あるいは表面的には、平等な社会を実現しているように見えますが、実際は何らかのパワー(性別、年齢、職業的立場、地域の地盤など)も持つ人間が持たざる人間を支配したり、利用したりがまだまだまかり通っているのが日本だと思います。しかも、支配や利用されている側がそれを当たり前のものとして受け入れてしまっていたり、弱者同士で連帯せずに蹴落としあったりしがちです。まずは、自分は怒っているとか、不快だったとか、傷付いたとかそういうことを声に出せる場所、みんなで一緒に考えて建設的な行動に繋げていけるような仲間、コミュニティが身近に必要です。今そこにSNSが一役買ってくれていますが、まだまだ足りないと思っています。オープンダイアローグが普及することによって、成熟した日本社会に少しでも近づいていくように、私も学びます。
「健さんと話しができて良かったぁ!」って、笑顔で言ってもらえる存在になりたいです。そして、その繋がりが広がっていったら嬉しいです。
本人、家族、支える人みんなの声が聞かれる場があれば、増えていけば、、という思いがあります。 心の声が置き去りにされていることが、理不尽な状況を作り出したり、安心に繋がらなかったりしているな、と感じる場面がたくさんあって、、だけど、それをどこに、誰に話したらよいのかも分からないまま、諦めたり、メンタルの不調となったりしてしまうのは、ほんとに悲しいことだと感じます。
周囲の「こうあってほしい」が重視され、本人の「こうありたい」がなおざりにされているような気がしています。そんなところから、心のケアを必要とする方が、オープンダイアローグの当事者になる事が難しいのではないかと気になっています。人には、どんなに頑張ってもできないことがあって当たり前だと思います。そこを補う人、物が、それを解決してくれると信じています。「出来ない、助けて」と声を認める社会はいつ来るのでしょうか。
人として大切にされ、尊厳が守られ、赦しあえる関係性でありたい。立場を超えて相手を理解したいと想い、対話の場が常に開かれている、そんな関係性でありたい。
どこかの立場に所属することなく1人の人としてケアできる自分でありたいです。 支援者かつ当事者家族です。数年前に家族が精神疾患にかかりました。発症当時に「プロだからなんとかして」と対応を求められましたが、私自身は家族であるという関係と支援者としての対応で葛藤してしまい身動きが取れなくなってしまいました。当時、オープンダイアローグを実践できていたらと今でも思います。関係がこじれて拒絶され、支援者でも家族でもなく、部外者になっていた時期もあります。距離を置いてほっとする自分もいましたが、身動きが取れない感覚はそのまま残りました。今は、気が休まらないという日もありますが、気持ちよく対話を終えることもあり、そういう時は私自身が満たされた気持ちになります。地方だと当事者がオープンダイアローグに出会う機会が少ないです。まず何から始めたらいいでしょうか。
今の自分自身、あるがままの自分を受け入れて、否定しないこと。それが自然にできて、自分の物語を紡いでいくことができるような社会になりますように。
小学生の頃から、対話について学校で教えてほしいです。いまの学校教育は、正しいか間違っているかということが基準で評価されることばかりで、きっと先生たちにも子どもたちの思考プロセスを見る余裕がありません。異なった意見や考え、さまざまな生い立ちの同級生と出会った時に、「自分と違うから排除する、関心を向けない。」のではなく、ただ話を聞いてみる見つめてみるという姿勢を対話プログラムを通して涵養してほしいと思います。
当事者同士が気軽に集える場所があればいいなと思います。そこでは、畑作業や料理、手芸、読書会など当事者が興味のあることや得意なことができたり、病気についての勉強会ができたり、そこに行くと会いたい人に会える、元気が出る、気持ちをわかりあえるという場であるといいなと思います。また、そこのスタッフさんが当事者のロールモデルになれたり、興味や得意の延長に仕事ができたりできると、病気と向き合いながら社会の中で生きていきやすくなり、当事者の心の大きな支えになると思います。広い地域に1つではなく保育園や幼稚園のようにもっと数があり、自分に合った場所を選べるようになるといいなと思います。
誰でも住みやすい社会が、全国どこでも一緒の考えが持てるようになってほしい。 障害を持たれた方、外国の方への理解や偏見があるのが現状で、住み慣れた自宅での生活が継続できない方がいる。住み慣れた地域、自宅で生活を続けていくためには、地域の理解やサポートが不可欠だと思います。理解やサポートをすすめていくためには、当事者や支援者のみで考えていくのではなく、行政の人、地域の人も含めて考えていく必要がある。その為には、官民一体となった検討会議必要だと思う。
以下の3つを強く感じています。 ひとつは、「困り感を家族だけで抱えなくてすむ社会」であってほしいということです。今の日本では、本人や家族が孤立したまま支援にたどり着けず、疲弊してしまうケースが多いと感じています。もっと日常的に相談できる場や、つながれる仕組みが必要だと思います。 ふたつめは、「“普通”という枠から人々が解放される」こと。みんなと同じようにできない=問題とされる社会では、多様な在り方が尊重されません。多様性を受け入れるまなざしが、こころのケアの現場から社会全体に広がっていってほしいと願っています。 そして、「社会全体が少数派にやさしい文化」を育んでほしいという思いがあります。“支援が必要な人”というラベルを貼るのではなく、誰もが一人の人として対等に対話できる場が広がっていけば、こころのケアもより本質的なものになるのではないかと感じています。専門職でなくてもできそうな「オープンダイアローグ」を活用できたらよさそう…と期待しています。 楽しみにしています!
体のケアと同じように、心もメンテナンスすることが当然であってほしい。カウンセリングに行くと言うと友達に心配される経験が何度もあったため。
自分のことを自分で決めて実行できるようにサポートできる体制を整えて欲しい。
カウンセリングがもっと気楽に受けられる社会であってほしいのと同時に、カウンセリングへの多大な期待を少し減らせたらと思う。オープンダイアローグという言葉が流行っているが、日本はフィンランドのようには実践は難しく、結果として、対話の技法をクローズアップすることになっているが、それは、オープンダイアローグと言えるのか疑問
オープンダイアローグがもっと身近に受けられるとうれしいです。
いろいろな人がいて当たり前、そのままのあなたでいて良いと理解が進む社会になるとよいです。楽しみにしています。
評価をせずに外から見える今の私の状態を教えてください。助言やアドバイスはどの程度効果がありますか
たくさんの対話に開かれた場所が存在する社会になってほしいと思っています。 依然として社会のあらゆる場所が、原因や理由を追求することを目的としたモノローグを主としたコミュニケーションを前提として成り立っているように見えますし、すでに成立させるのが難しくなっているのにもかかわらず、モノローグのコミュニケーションをよりオープンでポリフォニックな対話に変化させることができていないように見えます。 そのような状況では、こころのケアが進まないどころか、こころのケアを必要とする方を増やしてしまいかねません。 タイトルの通り、オープンダイアローグが一つの土台となって、日本が自分らしく他者を尊重した生き方を広く認められるような社会となり、より良いこころのケアの未来が実現することを願って、またそれに貢献できればと思っています。
オープンダイアローグ的対話の実践は難しいと思っていますが、私自身が“オープンダイアローグに触発された人間です”という振る舞いが出来るように学び続けたいと思います
障害があっても色んな人がのびのびしている空間にいると、私も生きていようと思えます。死にたいと思いながら毎日を過ごしているのですが、そういう場に行ったときは、元気をもらっています。例えば障害のある方の願いでエレベーターができ、いわゆる健常者もたくさんの恩恵を受けているように、精神面においても、障害がある人が生きやすい社会は誰もが生きやすい社会になるのでは、と感じています。
できるだけ薬に頼らない方法
両親がたて続けに亡くなり母は15年に及ぶ闘病でした。 父には1年前に亡くなったことは知らせず施設にいました。 2人共認知症があり記憶が曖昧になりました。母に会いたい、家に帰りたいという父に会うのがとても辛くてたまりませんでした。最後は家に返してあげたかったのですが私の力ではどうにもなりませんでした。空き家になった実家に帰るたび悲しみが込み上げてきます。親を亡くすという始めての経験で悲しみをどうすればよいかわかりません。グリーフケアというものがあれば受けてみたいと思います。
精神障がい者にたいする、 傾聴をどのようにしたら良いのか 知りたい。 話し合いにならない事に悩んで います。障がい者になってもうすぐ30年、 この先どのようになるのか、 今は親から離れて、グループホーム で生活していますが、健康で過ごし て欲しいと思っています。
周囲(サポート側)の焦りや不安を軽減するために正しさを押し付けたり、話を導いたりしてしまうのではなく、出口が見えなくても患者さんの想いに寄り添える医療現場が増えて欲しいです。 医療現場では、患者さんの想いが置いてきぼりになっていたり、本音を伝えづらい環境にあるのではと感じることがよくあります。対話を重ねていくことでリカバリーされた方の実践をお伺いしたいです。 1対1の対話と複数での対話とでは効果が違ってくるのでしょうか?
いわゆる団塊ジュニア世代です。ずっと競争仲間がたくさんいて、いろんなことが自己責任。子育て中、共働きで、正社員なので、この世代としては恵まれていると思いますが、正社員として残業、出張も厭わず働くか、いろんなことをあきらめてパートとして働くか、二択でしかなく、辛いです。女性は産まなくても産んでも批判されて、あちこちで謝ってばかりな気がします。定年も延長され、この歳で仕事を辞めても、年金はじめ将来の不安しかありません。社会の余裕のなさが、苦しい人をさらに追い詰めている気がします。多様な働き方で、自分や家族のケアもしながら、経済的に安定して働き続けられる社会であったらいいのに、と思います。
日本の精神科医療方法の薬漬けだけでは無くオープンダイアローグにより30年以上前、中3だった次女に発症した統合失調症が寛解出来るならば受診させたい。
家族の耳をつん裂く様なボリームで叫び続ける空笑、妄想中はどの様に静まらせる事方出来るのか。寛解とはどの様な状態なのか、実例集を教えて頂きたい。
両親がいなくなった後の心配.私も知らない人でしたが、娘が病気になってくれて、少し知りましたが、本当の辛さは本人しか、わからないのが寂しく苦しい悲しいところです。精神の病は、沢山あります。苦しんでいる人が何を苦しんでいるのかを発信できるばがあれば、少しは知ってもらえるのではないでしょうか?
ひとりひとりが自信が持てる社会になってほしい。 学歴やコミュニケーション力が大事にされて、自分から発信するのが苦手な子を置いていかないでほしい。
カウンセリングが気軽に受けられる環境
不登校,行き渋りほか多様な子どもと向き合う保護者の会の代表、とりまとめをしております。心身ともに病みしんどさを抱え、他者との対話や情報を得ることもしんどいとこもられる保護者さんもいらっしゃいます。そのような方にはいつでもお待ちしていますとメッセージを送り、いつか連絡が来ることを願い待っています。そんなことしかできないことが歯がゆいです。 ひきこもりの親の会にも勉強のため参加させていただいていますが、親御さんと子どもさんが対話をしない、あきらめているようなケースがほとんどです。私は指導者でもないので指摘はできませんがどうしたら気づかれるのだろうかと思ってしまいます。やはり第3者の支援介入が必要だとは思うものの、担ってくれる先が思い浮かびません。外出が難しい家庭に対し訪問にて、家庭内の対話を育む支援がもっと拡がれば…とも思います。対話をしたくないといった場合は待つ、いつでも待っているよと伝えるぐらいの対応しかないのでしょうか?少し回復してきて対話ができる状態になった方々への配慮,心がけたほうがよいことも教えてください。
オープンダイアローグが日常に浸透して お互いをフラットに認め合える懐の広い 社会になってほしい
義兄が統合失調症です。幻聴、妄想は彼にとっては事実だということをいつも忘れないようにしています。 事実であることを皆さまに分かって頂ければありがたいです。 否定されては対話など出来るはずがありません。
かつて、精神医療ユーザーとして過酷な体験をし、その後、一般社会の中で「普通の市民」として生きてきました。縁あって今の精神障害者支援のNPOで働くようになり、様々な思いを抱えて今日に至ります。もしまた、自分が医療を必要とした時に、病院が安心して安らげる所であってほしいと切に願います。そして、なお言えば、クライシスに陥った時にそのご本人に必要であるのは、必ずしも堅牢な施設、病院でなくても良いのではないでしょうか。守られているという安心安全が保たれる所であれば、そう、地域のちょっとした場所で過ごすことが出来れば、しんどい数日を乗り切ることが出来れば、病院は必要ありません。私はそう思います。過去の2回の入院体験は、とてもとても辛く苦しいものでした。医療を必要とする時に(守って欲しい時に)傷つけられる医療は要りません!!「再発見される言葉たち」という取り組みをイタリアの当事者・家族が始めています。本人たちが声を上げて、「自分たちもこの社会の市民だ。真っ当な場所を与えてほしい。」と。日本でも必要な取り組みと思います。
本物のカウンセリングを定期的に専門機関が開催してほしい。老後の年金で生きている親に扶養されている精神疾患を患った人の生活について、どのように立ち直るのか事例を含めて広くテーマにしてほしい
違いに関心を寄せ、寛容であってほしい
親支援があるといいなと思います 長年一緒に暮らす家族は研究者でも無いのに難しさを持つ大人の子供と日々過ごし心身ともに疲れ果てています 時には1人で旅にでも出て休息が欲しいと思っても中々難しく、そういう時に何か気軽に泊まれたり勉強会でもいいので少し離れた場所でゆっくりしたいです そういう支援があったら嬉しいです 又、最近は小さな子供の支援が普通になってきましたが、自分達の頃には無かったので金銭面でも同じ様にして欲しいです 18才以上の子供でも望む人には手を差し伸べて貰えたら有り難い 全ての子供が順調に自立出来る訳では無い。家族ができる対話術はありますか?次男もいて3人家族です やめたほうがいいでしょうか?
皆が対等な関係でいられる社会
高校生の支援者です。心を支えるのと高校を進級することのバランスが難しく、単位が不足し中退する生徒たちが多くいます。 もうちょっと彼らの心に寄り添うことが、教育の現場にあれば、といつも思います。
元うつ病当事者、元社会的ひきこもり家族(本人は引きこもりのまま65歳で他界)、支援者(心理士)です。関係者の中でこころのケアが為されたり、知識が広まったり、特にオープンダイアローグが広がっていくことは勿論願っていることです。ただそれに留まらず、その輪の外にオープンダイアローグの風が吹いていくためには、どうすればいいのだろうかとよく考えます。引きこもりだった家族(義兄)は常に感じていた困難、私自身も先ず家から一歩出て近所の方と顔を合わせる勇気が必要な時期がありましたが、そのハードルは雲まで届いているように思えました。地域の回覧物の中には「誰一人とりこぼさない取り組みをしていく」「安心できる居場所をつくるための話し合いを重ねている」など書かれた地区社協の広報紙が入っていることがありますが、当事者不在の様子で、どこに向かっているのかと気になります。関係者の輪が閉じないためには、風が行き渡っていくためには、といった内容も当日お聞き出来たら幸いです。
精神障がい者の2重の苦しみ――症状の辛さに伴う自尊心の喪失と社会の偏見、差別ーーを無くしたい。そのためには、まず身近な家族が本人の病気や苦しみを理解することが大切と考えます。オープンダイアローグが医療者の間で当たり前にケアの方法として使われる事、福祉的支援者もオープンダイアローグ的に対応してくれるような状況が生まれ育っていく事を心より願っています。
気持ちや考えは、本来その人自身にしか分からないものなのに、本人に直接尋ねることが、どこかタブーのように扱われている風潮があるように感じています。踏み込むには勇気がいるのかもしれません。でも、本当は、もっと自然にできるものだと信じています。 本人も、関わる人も、お互いに無理なく、心地よく関わり合える社会があったらいいなと思っています。わたし自身も、そんな、対話の心地よさを、もっとたくさんの人と体験していきたいと思っています。
引きこもりの方の訪問看護でリフティングを時折、行なっています。 引きこもりが長引くほど、それに伴い貧困の問題も重なり、更にご本人、家族を苦しめているケースを目の当たりにします。 ステップを踏み作業所などに通えればと思うのですが、なかなかそのステップが少なく、障害をお持ちの方が家でできる内職の制度などがあれば、ご自身の自信や閉塞感の軽減になるのではと思うのですが、逆に引きこもりを増長させてしまうのかとも思ってしまったりしています。 オープンダイアローグからズレていますね。すみません。当事者だけでなく、親御さん、ご兄弟も障害をお待ちではと思うことがあります。 どのように一度受診をおすすめしたらいいでしょうか?
児童福祉に携わっております。家族の中で対話が難しい場合、どうにも変化の兆しが見えなくて困ることがあります。困難の中にいる家族同士で対話をするためには、第三者が入ると対話が進むと思いますが、実際には、第三者が入る場面は少なく、困り事はなかなか解決していきません。
もっと気軽に精神科(心療内科)、カウンセリングを利用できる社会になってほしい。そうすれば、もっと生きやすい世の中になると思う。 なぜ日本は、偏見が根強いのでしょうか?多職種連携が、学校、病院、福祉などあらゆる職場で簡単ではない。フラットな関係で話し合いが出来ない。 なぜ困っている人のために、連携が出来ないのでしょうか。
自分自身が,周りの目を意識し,勝手に考えすぎて言動が萎縮してしまうことがあります。自分を素直に出せる人は夫だけです。もし夫と離ればなれになったら一人きりになってしまうという不安があります。日々の生活を幸せと思うこともある一方で,これまでにやりたくても出来なかったことをいつまでも後悔したり,自分が出来なかったことが出来ている人に嫉妬を感じてしまう自分が情けないです。
こころのケアのためには、もう少しお金と楽しい場が増えるといいと思います。就労支援も健常者に近づけるためにという思想が残っていて、完璧な障がい者を求めているような気がします。真面目で言うことの聞く不満を言わない人。むずかしいのですが、せっかく障がい者になったのですから、自由に生きられる心持ちになってほしい。世間の常識にとらわれ「こうでなくては」と思う方も多いです。「働けないのはダメな人間」「社会保険に入れないのは大人でない」と。また、SNSの影響か、キラキラした生活を望む人もいて、地道に生活を楽しむ自由さをどう実現したらいいのか。力がないので、何もできません。
決めつけたりせず、本人の気持ちを引き出すような関わりであって欲しい。オープンダイアローグについてもっと知りたいです
投薬や入院などの精神科医療への依存度を低くし、福祉職や心理職と相談(対話)しながら生活していくという支援が増えていくとよいと思っています。 福祉や心理の相談の価値がもう少し認められる必要があるでしょう。 いろいろな人が関わりながら、誰もが地域で暮らせるような日本になってほしいです。
一昔前、現在も多くの人が優秀な学校に行き、一部上場の企業に就職して、役職と高額な収入を得るという価値観を知らず知らず受け入れさせられる風潮がありました。それには、漠然とした反感をもっていましたが、具体的にはと考えると、一つ一つの要素が出てきませんでした。抽象的には、切り開く力 人を思いやる心 向上心と3つが出てきますが、具体策、突破口となると体系的の策無しでした。オープンダイアローグを知って、これは技法、学説にこだわるのではない、実践的な心の成長に係る本質だということがわかってきました。これからは、単一的な社会との関わり方ではなく、多様性を認めつつ、具体的な保護が出来る方向に進んでいくことを望み、努力していきたいと思っています。
自分自身が当事者意識があるわけではありませんが、こころのケアというとどうしてもクリニックのイメージがあり遠巻きに見ている自分がいます。もう少し気楽にお茶をしながら立ち寄れる場所があるとよいなと思います。
20代息子は、就職活動に違和感を覚え中退。当初の希望は旅に出たいでしたが今は好きな映画・本に触れる生活を送っています。私は日常の小さな幸せ探しを始めました。充電期間は分かりませんが日々生き続けます。
学校において、教職員・生徒、及びその家族(保護者、同居人)のケア・よろず相談窓口を明確に掲示してサポート体制を整え、そこで必要なら医療関係が関与したオープンダイアローグを取り入れた体制(有料)を実践していたらいいなと考えます。
他の人(家族を含めて)をあるがまま受け入れられ、認められるような人に一歩でも近づきたいです。 対面での会話が減りつつある現代で対話の持つ力、大切さをあらためて勉強したいと思います
ケアを必要としている人の存在や様々な実態などがもっと知られて、知らないでいるための偏見や加害がなくなるように願っています。自分の痛みや弱みをもっとオープンにできる社会になってほしい。
話すことができる、そのままで居ることができると深く呼吸することができるように感じられる。 このオープンダイアローグ/対話の機運を一過性のブームに終わらせるのではなく、どうすれば実践可能な選択肢として暮らしの中に残していくことができるのか、模索しています。
もともとASDがありながら、知的な高さやカモフラージュによって、本人も身近な人もASDに気づかないまま、精神疾患も併発する方がかなり多く居ます。(2次障害)精神疾患で通院しても、ASDが見落とされ、見当違いに薬ばかりが増えていく例も多く聞きます。(3次障害) 2次障害・3次障害になる前に、ASD理解が拡がって、当事者の自己理解も深まっていくような社会になってほしいです。今回、日本では第一人者の先生方のお話がリアルタイムで聴けること、すごく楽しみです。 当日限りだと家族の不調などで聴き逃す方も多いと思うので、後日配信も検討していただけると有り難いです。
地域で気の置けない友人でいたいが、なかなか近所づきあいできない。
全国の精神科の医師や支援者に、オープンダイアローグを含めた対話実践を学んでほしいです。 熊本の刑務所での取り組みも素晴らしいと思いました。 オープンダイアローグ本場のフィンランドのようには行かないと思いますが、、精神疾患患者や支援が必要な人こそ、薬や入院の前にオープンダイアローグのような取り組みが有効で必要だと思います。 日本では患者の殆どがオープンダイアローグ実践を受けられるわけではないので、患者にとっては医師との5分間、また支援者の皆さんとの少しの時間が大きな支えとなるかどうか、、医療者側の対話実践の学びがあるかないかで大きく違ってくるように思うので、医療者支援者の方々、また患者や一般の方々にも広く学ばれる機会があれば良いと思います。
多様な価値観、多様性等と言われるようになりましたが、社会的通説に苦しむ方、また世代的に受け入れが難しく、その間に挟まれ苦しむ方がいるように感じます。年月がたてば変化するのか?また、違う社会的通説に悩む人が増えるのか? そもそも他者と違うことを気にする国民性なのか?いろいろと考えます。
こころのケアの必要が躊躇なく言えて、支援が受けられる社会であってほしいと願います。
少しでも寄り添える人になりたいと思います。これは自分自身の経験から寄り添ってくれる人がいたら自分の様にこんなに苦しまずにいられたかなと思うからです。対話を少しずつ学んでいますがとても難しいです。対話は共感と傾聴とはまた少し違う様な気もしますがどうなのでしょうか?
支える人も自分らしくいられる社会。病気の人が死のうが何しようが放っておくという選択肢が許される社会。、
心が傷ついている子どもが救われるような社会になってほしい。児童虐待、性的虐待、性被害など過酷な状況で育ってきている子ども達を見ていて、わたしたちに何ができるのかと模索中です。「子どもは守られるべき存在(なのに)」ということばが頭から離れません。
当事者に寄り添うことは大切なのはわかっていますが、病的な被害妄想で他責・他害に走りがちなタイプの対処法に未だ迷いがあります。どう導けばいいのか、ヒントがいただければと思います。
オープンダイアローグを実践している場所がすくない。ない時の代わりになる場所を教えてください。親に資産がない時の有効な手だてはあるのでしょうか?親自信の生活すらままならない事態に困っている状況です。
私の恩師は介護福祉士や社会福祉士の国家試験出題副委員長につからた社会福祉学の専門家としても、スターウォーズファンからはヨーダの家族的存在として著名な福山和女ルーテル学院大学名誉教授。その教えは「人の尊厳、一人ひとり価値があること」それが「日本のこころのケアがこうあってほしい」私の願いでもあります
今の日本の教育は、大人の価値観(~あるべき)を一方的に子どもに押し付けているように思える。こどもが自分の気持ちを大人に発信することを諦め絶望した結果、不登校や自死の増加につながっているのではないか。もっと社会が子どもの話を聴くことの大切さに気付いてほしい。
やむを得ない場合を除いて薬物治療は止めてほしい。特に子供の頃から向精神薬を投与され、10代20代で薬剤性ジストニア・ジスキネジアになった方はその後の人生が悲惨である。心を回復させるための外出もままならなくなるし、後に身体的苦痛からより辛い状況に追い詰められる。向精神薬の減断薬について研究して、その方法を知らせてほしい。 現在、国や医師側はそれを示せていない。作用や副作用、離脱症状の出方に個人差が大きいが、考え方や留意事項だけでも示してほしい。
小中と学校に行かれなかった子どもがいる母親です。子どもは昨年ようやく通信制高校に入学し、動き出しました。最初は順調にスクーリングに出席できていたのですが、半年ほど前から仲良しグループから冷たい対応をされるようになり、クラスに居づらくなりました。朝、学校に行こうとするとお腹や頭が痛くなり、欠席が続いています。 学校には相談をし、授業は他の曜日のクラスへ振替で出席できることになりましたが、所属クラスの変更はできないそうです。クラス活動は本来のクラスでないと単位が認められないため、このままだと卒業できないかもしれません。 本人の精神的ストレスから合理的配慮を求めた保護者に対し、学校側は「所属クラスの変更はできない」というのが現状です。振替のクラスには問題なく通えている子どもを見ていると、何とかクラス変更をお願いできないかという気持ちがどうしても出てきてしまいます。 基本、学校と家庭のやりとりの間に第三者に入ってもらうことはできないと入学時に言われています。そのため、支援者を通じて交渉してもらうことはできません。家族がどのように学校に働きかけるかで悩んでいます。プレッシャーもかかってきます。学校にもスクールソーシャルワーカーが配置されていたらと切に望みます。 また、義務教育でない高校でのことに、親が関与することも良いのか判断がつきかねます。なるべく子ども自身から困ったことは相談する形にしていますが、家族として信じて見守ることが辛いこともあります。学校の内部に相談先が欲しいです。
もっと己の内側の声に耳を傾けてそれをそのまま身の回りの社会に対して発信しても大丈夫な社会になってほしい。 「~な社会になってほしい」と言っている時点で自分に対しても身の回りの世間に対しても信頼がないんだと思う。信頼がないのはなぜかというと、内側の声を発したら反発を受けるのが怖くて発せられていないから、つまり、対話が足りていない体と思う。開かれた心の実践を重ねて自分自身もそして、その周りも変えていければいいのになと考えている。色々期待して、とても楽しみにしています。よろしくお願いします。
10年間後見人として精神病院の家族会に参加し相談室のPSWと相談しながら、当事者が亡くなるまで病院に通いました。その途中で特に優しい心のPSWに出会い、当事者が劇的に変化した時期を体験しました。彼女は当事者に心を寄せ私の意見をよく聞いて、当人の希望をかなえてくれました。院内行事に元気な人と一緒にヘッドレスト付きの車いす(病棟に1台しかない)で参加させてもらったのです。行事があるたびに私は一緒に参加しました。そのうち症状が安定し、普通に話せるようになり、ベッドで暴れなくなり拘束もとれました。誤嚥、敗血症から胃ろうの手術をしていましたが、それを外して口から食べる練習も始まりました。私は地元の施設に入居できるか調べ始めました。精神科の医師の診察がある施設は少なくなかなか引き受けてくれるところはありません。手間どっているうちに、そのPSWが家族の介護のために急に退職してしました。それから以前に戻るのに時間はかかりませんでした。誤嚥の危険があるため胃ろうに戻り、管を抜かないために拘束が始まり、またベッドで暴れるようになり、一日中拘束なっていまいました。畑の草取りができる田舎に帰りたい、沢庵が食べたいといっていましたが、次第に何も言わなくました。コロナになり面会できなくなりました。看取りの時には、幸い何度か面会させてもらいました。 一人でも病院の中に心をかけてくださる人があるだけで、病状が安定し、その人がいなくなることによってまた逆戻りする体験をしました。それでも今もその病院の医師も働く人々も精神病院としては良心的と持っています。 薬漬けと拘束は、人としての尊厳を認めないものです。まず、人の尊厳を認め、その人の気持ちを聞くことから始めるオープンダイアローグは日本の精神病院を変革してくれると思います。日本の社会に合ったコミュニケーションの基本マナーとして、だれにでも通じる分かりやすい日本語でオープンダイアローグが表現されるようになれば、社会の偏見に苦しむ当事者や家族が減ると思われます。
本当にオープンに話し、聞くことは難しい社会だと思っています。誰もが自分自身の傷つきをなかったように振る舞うことを強いられている社会だと捉えているからです。がんばって学校や会社さまざまな組織から評価を強いられ、答えられないとスポイルされてしまう恐怖と戦わざる負えません。機嫌がよいことを強いられる社会です。本当は、しっかり傷ついている自分がいる。だから、相手の傷つきにも鈍感になってしまいがちです(たとえ支援者であっても)。声に出せても「〇〇ハラ」でくくられてしまったり、「〇〇ハラ」未満のことはセーフであるような捉え方を迫られていると思います。それで体調を崩せば「病院にいけば」で、寛解になったらまた厳しい上記のような社会でがんばらねばならない悪循環と思っています。弱い個人が弱いままで受け止められ、弱い個人がありのままを聞け、お互いのオープンさを認め認められる対話を担保しながら、いろいろなものに強いられている社会を眺められて、おかしいぞ、この強いられ方!など、自他にオープンな会話ができる社会を目指せていけたらと思います。
19歳の息子はとても優しく理知的でいい子ですが、不登校から社会不安でこだわりも強いので外に出られません。 息子のはかない精神にずっと寄り添っていますが、人に話すと悪気はなくても 『私には無理』『しんどくない?』 容赦なく善意のナイフ的な言葉が突き刺さり、マジョリティの物差しから弾かれてしまったと心がすくみます。 でもよく考えると、言った人に悪意はない。 もはや私の敵は『昔ながらの世間一般の普通という概念』です。 NHKさんではここ数年で特性ある人の事を伝える質の高い番組が増えたと感じます。きっとスタッフの方も伝え手として日々学んでおられるのだと感じます。 そのような学びを、学校教育でも取り入れていけないでしょうか。 学校教育を根本から変えてほしいのです。
精神疾患に対する偏見がまだまだ社会にあると思います。病気のことを家族以外には言えません。 うつ病で障害年金を申請できることを最近知りました。知らないまま何年も過ごしてきたので、当事者や家族の立場になる前のうちから学校の授業で、障害年金などの制度について習っておきたかったです。 こちらから情報を収集していくことは、しんどい状況になってからではかなりハードルがあがりますので。
ご本人の尊厳を尊重する
オープンダイアローグがいろんな場所でできるようになってほしい。 こころの病気に対する差別や偏見が少なくなってほしい。 トラウマ治療が発展してほしい。
何かあればいつでも相談できる居場所が欲しい。
もっとゆとりとユーモアを持って対話できる場に
事前にお寄せいただいたメッセージ(401~600)
申し込み時、「日本のこころのケアがこうあってほしいといった願い」や「その他、ご質問やご要望」についてお書きいただきました。トップに戻る
ご本人の話が聞かれる環境を作っていきたい。
「私は必要されていい人間なんだ」、「誰かの力になっている」という自己効力感は生きる活力になると感じます。誰もが、支え、支えられている、という感覚が感じられるような世の中を作っていけたらと思っています。そのために、困っている方がいたら寄り添い、自分が困ったときは、困ったと言えるような環境や地域づくり、居場所づくりに携わっていきたいと思っています。
高齢多死社会となり、コロナ禍を体験して病院や医療業界は厳しい状況に直面しています。限られた資源の中で質の維持、向上を目指して奮闘しているけれど、ふと果たしてこれでいいのかと感じることも多く、スタッフも疲弊していると感じることも多い。ACPや人生会議が進められているけれど、限られた時間の中で厳しい状況に直面して難しい判断が迫られ決定していかなければならないことも多い。そんな中にオープンダイアローグが取り入れられるといいなぁと感じた。どこか、医療者の価値観が選考している感じもして、安全にその人らしさを支えられる対話ができていくといいなと感じた。寄り添えるとか大切にすることは、わかっていてそうしたいと思っていても、それはどうすればいいのかわからないところもあるような気もする。 対患者さんだけではなく、チーム医療が進んでいるのでケア者のケアの視点でも、安全に対話ができるようになるといいなと感じる。対話に診療報酬がつくようなシステムになってほしい。薬や技術はどんどん進歩して恵まれているのかもしれないけど、限界やできないこと、しないこととの向き合い方を考える、しないことの選択も支えられることが大切にできるようになるといいな。
・ケアマネさんのような方が訪問してくれたり、送迎付きのデイケア等のサポート ・金銭管理が難しい病名の診断がついた患者に対し、クレジット会社や消費者金融との契約を制限したり契約不可にしたりする制度 が欲しい。20代前半の子どもが半年ほど前から引きこもり、精神科で薬の処方を勧められますが、拒否。日常会話で心を開くのを待っていましたが、夜中歌を歌ったりひとり言を言います。辛抱する家族も精神的に参っています。
凝り固まった考えの人が、自分の中にある定説を疑ってみる、気付きのきっかけが訪れるにはどうすれば良いのか。
福祉現場で利用者が不適切な行動(浪費などご自身の欲望を止められない)を変えられない時の対応に限界を感じます。 信頼関係を築きご本人も納得できることをやってみるのですが持続することはありません。 ご本人もその行為がもたらす負の側面を理解しているのですが どうしても変われないです。 このような場合、オープンダイアローグで変化の可能性があるのでしょうか。 今回のフォーラムで何かきっかけになるようなアイデアを見つけてみたいです。
ケアをする人がケアされるのが当たり前の社会になって欲しいです
学校現場にもう少し余裕が欲しい。学校でODを推進するコツ、実践例を知りたい
ひとりぼっちにはならないし、飢え死にもしないと思える社会
暴力や嫌なことをされたとしても、我慢しなくていい社会になってほしいです。「そんなことされていいわけがない」と胸を張って言い切れる社会です。 そのような社会を夢見て、私はオープンダイアローグを家庭、学校、地域に根付かせたいと考えています。あちこちで居場所づくりが盛んですが、居場所は本当に無いのだろうかと思うことがあります。家庭が心地よい居場所になれば、子どもにとって何よりの安心につながるのではないだろうかと。 そのために役立つのがオープンダイアローグだと考えています。普段使いの心のケア(オープンダイアローグ)で、一人一人の安心感が増えることは、学校や地域づくりにもなり得ます。 なぜ「我慢しなくていい社会」としたかは、もちろん被害を受けるような目に遭わないことが一番なのですが、原始的な暴力性をカバーできる知性が発達・進化するのにどれだけかかるのか、そもそもそのような発達・進化ができるのか疑問を持っているからです。 私は、オープンダイアローグと出会って「これだ!」と思った人の一人です。オープンダイアローグができるようになりたいですし、地域で始めるにはどうしたらいいのか学びたいです。イルカと否定神学(斎藤環さん著)を拝読し、心震えました。
支える人であり、権利の擁護者であり、できれば希望の光を灯す人でありたいと思います。
働くこと以外に社会に参加している実感を持てない社会を何とかしたい
精神医療に携わる方は当事者や家族の話しを尊重する気持ちを持って傾聴して欲しい。そして治療内容やその過程について本人と家族に都度説明し本人の人生を支えるものであって欲しい。日本の精神科病院が閉鎖的で、薬物治療が主流で特殊なやり方がまだまだ当たり前とし横行されている気がします。こどもの薬物治療が大変気になっています。
小学6年生女子不登校の子どもの母です。学生の頃から社会人までの約10年不登校の女の子のサポートをしたことがありましたが、私の市町村では、その頃から学校・教育委員会等のケアは全く進歩がありません。教育者・教育機関が経験(特に自分が失敗したことを同僚や管理者に知られることを恐れずに)を共有して次に繋いでくれることを願っています。大学病院の子どものこころセンターにお世話になってから、学校からの執拗な登校刺激がなくなりましたが、一方で腫れ物に触るような扱いをされることがあります。「精神病の扱いの難しい人」というレッテルを貼らず、医療機関とも連携して必要な情報を提供しあって、もっとあたたかく見守ってくれるような社会にしていかなければならないと感じています。
小学6年女子です。不登校になってから特に人と話をすることが苦手です。深い話をすることを避けたがります。そのような場合でもオープンダイアログにトライしてもよいでしょうか。まだ早いでしょうか。
気軽に深い話をできる環境が整ってくれたら嬉しい。ちょっと重たい話が、そんなに重たくない話という認識の変化があるとみんな生きやすいんじゃないかなと思います。
「対話」とはどういうものかを体験できる場が地域の中にたくさんあるといい。
当事者の怒りを受け止めた家族の逃げ場についてのケアも考えてほしい。リアルの逃げ場や、居場所も含めて。相談先だけでなく、伴走型の支援を、リーズナブルで継続的に受け続ける事が出来る方法を考えてほしい。一回の相談で、次が無いでは、行き場がなくなってしまう。
少年鑑別所の法務教官という職業として、少年審判の場に立ち会っていますが(発言権はなし。逃走等の発生時の対応のため。)、裁判官、家庭裁判所調査官、付添人(弁護士が多い。)がオープンダイアローグの考え方をもって対応されるとよい少年審判になるのだろうなと思ってみています。広まるとよいなと心から思っています。 矯正施設から日本の精神医療精に広がるようなことが起きるとうれしいなと思ったりします。
子どもが大人の顔色をうかがって、言いたいことが言えなくならない家庭、社会であってほしい。
孤独は万病のもと と思います。お互い様の助け合いとも思います。
欧米のように、なんでもなくてもカウンセリングを受けることが当たり前のようになったら良い 誰かと直に会って、もしくはオンラインでもいいので顔を見てお話しすることが、いつでもできるとよい カウンセリングを受けるハードルが下がると良い 批判的な風潮ではなく
人に対しても、自分に対しても優しさをもって接して欲しいです。心が悲鳴をあげたのは、四面楚歌になったためだし、健康だった私が、心を壊すほど八方塞がりにおちいったのは、人がおいやった仕打ちからだからです。
一年前にフラットさんが企画してくださったオープンダイアローグの実践や斎藤環さん森川すいめいさんのお話を聞くようになりました。精神の病気で25年ぐらい前に精神科病院に10回以上入院したり、デイケアまたクリニックの通院などで、「何か先生方やスタッフの方々の当事者に対するかかわり方がおかしいなあ」と思っていました。オープンダイアローグを知って「なるほどこうゆうやり方や考え方を自分は求めていたのだ」と思いました。10回以上の入院は本当に必要だったのは初めの1回だと思います。主治医が「うつ状態で家にいるのが辛いなら、入院しましょう」の繰り返しでした。夫や子供たちまた医師、看護師、、心理士などと一緒に対話して皆さんと、家にいても良い状態でいられるようなアイデアを出したあえたら良かったかなと思います。。また今までの医師は症状の悪いところばかり見て良いところ、人間性を見てもらえなかったです。病気の前に人ですから、病気を治すという観点でなくてケアするという観点をもっていただきたいと思います。ゲートキーパー養成講座に出てきたが、傾聴して専門家へでは自殺しようとしている人を救えないのでは。揺さぶる方法はないか?
オープンダイアローグのミーティングを受けたいのですが地域で実践していないかまたは、情報がありません。オンラインで実施していますが枠が少なく申込みが難しいです。 気軽に参加出来る場所があればいいなと思います。ボランティアでオープンダイアローグのミーティングをしたいのですが、研修費などの補助を受けることは可能でしょうか?
選ばれて差し支えの無い選択肢の提示ではなく、選択肢自体を共に考える支援があったらな。
社会が偏見なくだれもが心の風邪をひくものだとおおらかにいてほしい。自分のこころをまもりながらサポートできるようになるには?
私は非行や犯罪をした方の支援をしているので、特にそうした方に対してですが、そうでない方についても、こころのケアが必要な方に対して、日本の社会の目はとても厳しいと感じることがあります。 差別や偏見がなくなることで、こうした方がとても生きやすくなるのではないかと思っており、この会もそうした点で良い影響があるとよいなと思います。非行や犯罪のある方に対する対話実践の取組について、ぜひ御紹介いただきたいです。
精神科医自身のスキルアップ。 思い切って受診しても、精神科医に傷つけられている人が、かなりいる。
サポートに関わりたいが窓口がわからない
障害のある人と暮らすときのこころの持ち方。イライラの逃し方のヒントを教えて頂きたい。
自分の心、感情との向き合い方を幼い頃からやっておくと良いと思います。 小学生のうちから授業に「マインドフルネス瞑想」を取り入れ、当たり前のように日課になる事を望みます。 アメリカのニューヨーク市の学校では、1日2分以上の瞑想を義務にしています。 それぐらい、感情のコントロールがこれからの時代、更に必要になっていくという事だと思います。
生きづらさを抱える若者に対する国内の支援体制は、障がい者か否か、精神疾患か否かといった線引きが強いと感じます。 実際の若者の生きづらさは、グラデーションのように多様であり、支援のチャンネルや方法もより柔軟で多様であってほしいと思います。 特に、就労させることをゴールに据えようとする姿勢が、家庭や支援施設で強くみられますが、就労の有無が生きやすさのスタート地点では全くないと感じます。 若者自身が、親の期待・呪縛や他者比較を手放し、自らの居場所や存在価値、そして最終的にはごく小さな他者貢献ができることを目指していくことが、実は最も遠回りのない道のりではないかと考えます。
支える人(仕事で相談業務に就いている人について)が、もっと誠実に一緒に考える気持ちのある人が増えて欲しいです。 とかく結果を数字で求める風土が広まっているように思えます。オープンダイアローグに直接触れる、学ぶ機会を待ち望んでいました。もっと広まると良いと思っています。私もその役割を担えるようになりたいと思います。
国際交流企画やハンディキャプの問題、働き方の問題全て一つの問題だと思います。別に海外の方の相互理解とかより、人として、その方が主体的に自分の人生を生きたいか、また、世界で起こることにどれだけ関わりたいか、どの山に登っていきたいかだと思うので、ハンディがあるないにかかわらずみんな地球人。後はどの次元で自分が行きたいかだと思う。そのために教育もあるし。教育は、無限の可能性に気づかせてあげられるようにその子供や大人の可能性を思いっきり広げて上げられたらと思う。障がいの有無に関わらず子供も大人もまわりの影響を受けて育つ。だからこそ教育に関わる学校現場だけでなく、すべてのメディアや、全ての大人が夢を持てなければいけないし、無限の可能性があると信じられない都と思う。この間、前向きな意味でいたかった股関節に人工コツを入れて痛みを和らげる手術をして、これから様々にいろんなダンスバトルやら、いろんなステージに挑戦しようと思っていますが、車いすの生活を経験しました。座っている状態、ある意味、条件が与えられている状態を経験し、その中でいかにトレーニングできるかと考えたら、その条件下での無限の可能性を感じ、ユーチューブでボクササイズやら、仕事現場で熱く会社という城を守っている方々向けの上半身のエクササイズが沢山あり、その状況でこそ気づけた貴い気づきがありましたが、今全てが満ち足りている方というのは少ない。経済的に厳しかったり。。様々にしんどいと思っている方も多い。ある意味、みんな障害を持った状態。ハンディを負った状態だと思う。でも、その足場の悪い中で、パラリンピックの選手など、実績を残し、また人に夢を与えている。今、全ての人、障がいある内にかかわらずすべての人に求められることは、足場の悪い状況の中でいかに可能性を信じて粘り強く頑張り続けられることかなお思う。人に対しても、自分に対しても、環境に対しても最後まで善評し続けその相手を自分を環境を宝物だと信じ続けられるか。みんな善だし、みんな尊い。でもその価値に気づいていなかったり。だから落ち込んだり、自分を大切になかったり人を簡単に傷つけてしまったり。すべてのものの尊さに気づかなきゃなと思っています。私自身大切なものの価値に気づいていなかった張本人。真心こめて生きている尊い人生の先輩の背中から気かせていただき今模索中。全ての人がみんな笑顔を作りたいって思っているし、また地位や職業を超えてすべての人がみんな人を笑顔にしたいと思っている。すべての人の善を信じて自分もっともっと大きく成長していきたい!!!
いつでもいける場所が欲しい。電話やオンラインだけでなく直接、予約ではなく今すぐに行ける場所が欲しい。話をしなくてもいられる場所が欲しい。つくりたいです。 本人、身近で支える家族、双方一緒に支えて欲しい。
精神疾患を抱えた人が、健常者と同等に生きていける社会の実現。この手の催しが、もっと身近に頻繁に実施されることを望みます。
いじめやDVがどんなに人の心を傷つけ、生きにくくするのか、理解がひろがっていってほしい。
子供が高校を中退してから早7年経ちました。7年前の「どん底」感は私の中の一生消えない想いでもあります。これから先の心配など数えきれないほどありますが、子供の前ではそんなふうに思ってるようには見えないように接してきました。君が選んだ道だから、どういう道をたどっても笑えていればそれだけでいいと心の底から思っています。不登校やひきこもりの子どもの親の悩みは、やはり同じ経験を持つ親でしか分かり合えない事もあります。私の「どん底」感が誰かの役に立つこともあるかもしれないと思い、心理学を学ぶために今年大学に編入しました。
弱さ、繊細さ、病気、障がい、が、良くないもの、悪いもの、治さなくてはいけないもの、正さなくてはいけないもの、とされる社会の在り方が変わっていって欲しい。自分もその為に出来ることを頑張っていきたいです。
質問1で自身の立場を「支える人」と選択した途端に、「支える人」と「支えられる人」という意識が自分自身の中にもあり、パターナリズムが働いて「対等でありたい」「対等になろう」とする自分に矛盾を感じます。 私は当事者であり、当事者家族であり、支える人でもあります。 私の家族は、ボランティアで関わろうとしたときに自分に当事者性があることが、良い共感を生むだろうと考えていましたが、ボランティア団体のスタッフから「あなたはボランティアされる側の人でしょう?」という言葉とともに、門前払いされた経験を持ちます。 これは少し極端な例ですが、支える側の「支えてあげよう」という美意識が当事者を苦しめることもあることを社会が共通認識として持ち、そもそも他者を助けたり支えたり、助けられたり支えられたりすることに、「立場などない」というふうになったらいいな、自分自身もなれたらいいな、と常々思っています。
『こころのケア』という言葉に少なからず違和感を感じます。『こころ』という耳障りのよい言葉、都合よく使われる言葉のようで中身は無いようにさえ感じます。こころをどのように定義しているのでしょうか? 世の中の価値観が能力や成果などの尺度ばかりが正しいものと思い込まされていることがどうにかならないものかと思います。人間関係の中で誰もが傷つきたくないとの思いからか他人との関係性が築くことが難しくなっているようにも感じます。その中で様々な場所で対話を重ねることは、価値観の問い直しや新しい価値観を醸成することにつながるのではと思います。これからの人口減少を念頭に入れたシステムの見直しの必要とその中に『対話』を必須として取り入れることができたら生きづらさ感が薄まるのではと感じます。私自身は小さな対話実践の中で『対話によるケア』を実感していています。
安心できる心の居場所が数か所欲しい。地方都市に暮らしているので、グループカウンセリング当事者の会の情報が無い。その探し方も分からない。大人も参加できる子ども食堂が無い、障害者同士の交流の場所、(精神障害者であることへの引け目から)趣味サークルにも加入していない。51歳である自分は政府の新社会政策「就職氷河期世代孤独孤立対策」期待するが情報が少ないので情報が欲しい。安心して第三者に話を聴いてもらえる場所の情報が欲しい。何でもいいから、会話・雑談をしたいです。「助けて」が発せる場所、「心の居場所・安全基地」が欲しいです。
統合失調症の当事者の兄弟姉妹が他人に話せない思いを一杯抱えています。両親の思いや悩みとも違います。一緒に年齢を重ねる支援する側の「兄弟姉妹の考え方を変えることで、少しでも楽に自分の人生を生きられないか」というテーマで同じ立場の兄弟姉妹を支援していきたい。巻き込まれる、心配や悩みが頭から離れない、人に話しても分かってもらえない、逆に不振に思われる、自分も同じような症状(遺伝)になるのではないかと不安になる、暴力を振るわれておびえてしまう、親から兄弟姉妹を頼むと言われ回答に苦慮する、結婚ができないのではないかと考えてしまう。交際相手に兄弟姉妹のことを話すかどうか悩む、当事者はかわいそうで何とかしてやりたいが話が通じない、放っておくわけにはいかない、自分の人生はどうなるのだろう、疎遠になり連絡が取れなくなる兄弟姉妹がいたり自殺に追い込まれてしまった人もいる。などなどです。支援する側が病んでは支援ができません。 私は48年間統合失調症の兄に対応してきましたが、この立場の人の気持ちがわかるのでこれからの人生できる限り支援したい。 当事者はほとんどの場合対人関係が苦手、兄弟姉妹は他人に話すことを躊躇します。 このような当事者や兄弟姉妹は福祉制度についての知識が足りていません。市区町村でも制度に違いがあります。当事者が転居しても従前の市区町村が担当する制度もあります。障害者福祉と介護制度との関係含めて分かり易い解説、窓口、制度づくりが望まれます。 私は定年退職してからやっと兄のこと、自分の名を隠すことがなくなりました。最近の事件・事故の報道から自分だけよければいい風潮が見受けられます。少子高齢化、人手不足、年金制度の破綻など激変社会を迎えていますが、基本は人は協力しながら生きている理解が広まることを期待します。
精神医療もそうですが、「ふつうの人」とは違うこと、と位置づけられてしまうことが日本社会にはあまりにも多い。障害がある、外国人だ、シスジェンダーでない、といった人も、排除されない社会をどうしたら作っていけるか、ということが今、問われているように思います。
統合失調症の家族(兄弟姉妹)がいますが、遠方に住んでいて、日常的に関わることが出来ません。遠方にいる家族(兄弟姉妹)として、どのようなフォローが、できますでしょうか。
オープンダイアローグに大きな可能性を感じます。病院のみならず、色んな場所で行われたらいいと思います。実際のオープンダイアローグが行われているところを見たい。
本人がどうしてもできないことがあることを回りの人が気づいてほしい。また、本人が要求しなくてもそれに基づく配慮を施してほしい。
日本の現在の精神科医療は本当の治療になっていない。本人の心の叫びを受け止めていない。聞こうともしない。薬という手段でごまかしているだけ。長年の薬付けでかえって治らなくなってしまった犠牲者はいっぱいいる。オープンダイアローグに期待している。精神科医を養成する大学では、今こそ当事者を人間として扱う教育をすべきである。人権教育が全くなされていないとかつて聞いた事がある。
特別な場所へ行くこと自体がエネルギーが必要です。身近な場所にケアへの入り口があってほしいと思っています。
困難を感じている人と同じ目線で共に問題解決に向かって歩んでいきたい
1対1ではなく、広く関わりがある人々(浅いのも深いのも)が少しずつ繋がり支い合える社会、地域でありたいと感じます。多様で多数の声から何かしらの光や希望があると信じています。 私は高齢者向けのノルディックウォーキングを主催しています。歩きながら対話ができ、健常者も障害者も気負いがなく初められる居場所でありたいと思っています。 オープンダイアログの手法を学び、日頃実施している対話に少しでも役立てたいと思っています。 社会課題が多い中、誰ひとり置き去りにしない社会、地域でありたいと思います。
「駆け込み寺」のように、必要な時にいつでも身を寄せられるような場を提供したい。
障害者とその家族に優しい社会、差別のないインクルーシブな社会になって欲しい
「滝山病院」のような施設に、もし自分が入れられたらと想像しただけで気が遠くなります。しかし一方で、精神障害を抱えている人々にたいする偏見があることも自覚もしています。子供の頃、らい病や水俣病などの患者さんを、隔離すべき恐ろしい人々というような目で見ていましたが、精神疾患を患っている人に対しても同じでした。いずれも理解のなさ愛のなさからの悲しく恥ずかしい記憶です。できればLGBTQのアライのように、学んで理解して地域社会で共に生きていければと願っています。地域社会で障害を抱えている人たちと、どのように接していけばいいのでしょうか。友人の一人に精神障害の認定をうけている人がいます。混乱したときなどに電話がかかってきますが、今は話をただ聞いているだけです。
・トラウマインフォームドケアが社会全体に認識され、普及していくとよい。 ・どこに住んでいても金銭的負担を感じずトラウマケアが受けられるようになるとよい。
ゆっくり話を聴いてくださる所があるといい。
不登校の子どもを抱える親として社会に臨むとき、私たちはただ支援を求める立場にとどまらず、社会に対して新たな視点や問いを投げかける存在でもあると感じます。不登校は、単に個人の問題や家庭の問題として片づけられがちですが、その背後には学校や職場における画一的な価値観、競争重視の社会構造、他者との違いを受け入れにくい風土など、広い意味での「社会のかたち」が影響していることが少なくありません。 親として、まず私ができるのは、子どもの状態をありのままに受けとめ、無理に変えようとするのではなく、共に生きることを選ぶことです。そして、その姿勢こそが、今の社会に対する問いかけになります。「働けないなら価値がない」「学校に行けないのは甘えだ」といった固定観念に対して、私は「それでも生きていることに意味がある」「人は一人ひとり違ってよい」と言い続けることとしています。 また、私はそれが出来ていないのですが、親自身も孤立せず、経験や悩みを他の親たちと分かち合い、地域や支援機関とつながっていくことが大切であると思います。語ることによって、自分の経験が単に「困っている家族の話」ではなく、「社会の課題を見つめなおすきっかけ」に変わっていく可能性があります。ひきこもりを抱える家族が声をあげることで、社会が少しずつでも「生きづらさ」に敏感になり、多様な生き方を受け入れる方向に変わっていくことを信じたいのです。 私は、誰かの「理想の子ども像」ではなく、目の前にいる子ども自身と共に生きることを選びたいと考えます。その姿勢を通して、社会に対して「人の価値とは何か」「支え合うとはどういうことか」を問い続けていくつもりです。親として、そして市民として、沈黙ではなく対話を求める姿勢をもって、社会に向き合っていきたいと思います。「今は価値観が多様化している。」という人がいますが、それほど多様化していないような気がします。自分ではなくて、他者がどう思うかが価値観の基準になっているように思います。
障害者の就労/職場定着の支援に携わってるので多くの企業に出向く機会があります。障害者が継続的に働くにあたり、企業内の課題とは別に家族関係に起因する課題が内在していることが多くみられます。 企業では何ともし難い家庭に関わる課題についてもサポートできる支援者でありたいと思っています。
ドクターショッピングをしてようやく本人が納得のいく精神科医に出逢ったという体験談を聞いたことがあります。そのような患者の負担を減らす工夫はないでしょうか?
誰もが平等に保健、医療、福祉の支援を受けられる社会になってほしいです。 疾患や障害をもつ人だけでなく、支援者自身も当事者と考える視点が広がってほしいです。
精神医療が当事者を上から見て、病名を与えているのではないか?安易な拘束や言動が人権侵害になっていないか?医療関係者も考えてみてほしい。どんな立場でも対等に対話できる考え方、場所が広がる事を願います。
まず相手を受け入れる心を持つ
当事者も支援者も医療モデルの思考になりがちだと思います。 治す、治されるというイメージでなく、一緒に悩みながら生活していくようなイメージで、気づいたら「前より少し楽かも」と思えるようになったらいいなと思います。
つらい人が相談できる環境を作りたい。オープンダイアローグを日本で実践するにはどうすればいいか教えてほしいです。
いくつかの支援先に私だけ出向いて相談しましたが、支援先のスタッフの指示のようなものが息子の思うところとは一致せず板挟みになり私自身がしんどくなって相談することを辞めました。 息子はつらい思いをしながらも生きています。家族はそれを必死に支えています。まずは息子と家族のその努力を認めてくれるところから始まる支援であってほしいです。不登校やひきこもり、また精神疾患を怠けものとみなす言葉をよく見かけます そのことがより回復を遅らせます もっと多くの人に理解してもらいたいです
SOSを出しやすい、安心してSOSを出せる社会になってほしいと思っています。 日本はまだまだ偏見があって、相談しにくい、どこに相談していいかわからない、こんなことで相談するのはどうなんだろうか等、相談機関や医療に繋がりにくいと感じているので、早めに本人が必要な機関に繋がれる、人々のメンタルヘルスの理解が深まり、少しでも生きやすい世の中になってほしいと願っています。
SNSの普及で、以前に比べて悩みを相談するツールは増えたように思いますが、やはり人と人が会って、直接対話をすることが大切だと思います。オープンダイヤローグは、以前から興味があったので、学ぶ機会を得て楽しみにしています。
ひきこもり、不登校、虐待、いじめ、自殺が増加し続けていることてもわかるように日本では今孤立する人が増えている現状ではないでしょうか。 私の場合小、中、高と尊敬出来る教師に出会ったことはありません。教育現場で人として大事にされたとい記憶は全くありません。学校という一つの方向にまとまらなければ弾き出される組織は、とにかく居心地の悪い我慢の場所だったと思います。 心のケアなんてことばもなく、やる気があるのかないのか、気持ちの問題、見えない心は置き去りで見える成績、能力、が評価されました。そのような環境で育った親の子供が今30代~40代です。 日本の歴史を振り返っても人を大事にする尊厳を尊重しようという文化が日本では培われていなかったのかと思います。 ライン相談を受け持った時、ある若い女性からの「こんな命くれてやる、早く死にたい」というメールが届きました。命の重みと自分に対する自尊感情が全く感じられずやるせない想いをどうする事も出来ませんでした。自分の命を石ころのように投げ捨てることが出来る人は他者の命も石ころのように扱えるということです。 その彼女も石ころのように扱われてきたのかと考えるとどんなことばも虚しく思えてことばを失いました。 話しをじっと聴いて相手を知ろうとする事、誰に対してもどのような人にもただ「聴いて知ろうとする」という対応をしてもらえば誰だって自尊感情が芽生えてくるのではないかと考えます。私たちの年代の親の多くは自尊感情が育っていないと思うのです。その子供たちに自己肯定感が育たないのは当たり前で本当に申し訳なく思います。 ひきこもり、不登校、いじめ、虐待、パワハラ、自殺が増加する事を今私たちは痛いほど実感しているところです。人間としての末期症状ではないでしょうか。人としての権利、自由、尊厳を守るためにどうしたらいいのかを真剣に考える時です。 今年新たに厚労省から出されたひきこもりハンドブックの第3章、価値と倫理の部分にはひきこもる本人を「人として尊厳ある存在」「主体的能動的存在」「無限の可能性や潜在能力を有する存在」と認識すると明記されています。 まず私たち親が価値観の転換ができたらと思います。 一年前からオープンダイアローグを家族会で取り入れて対話を続けています。
医療にかかりつけ医がいるように、心の不調について気軽に相談できる場所があり、それが普通のこととして受け入れられるような社会になるといいと思います。
メンタルヘルスの教育が早い段階から受けられる ストレス対処、精神疾患について、感情について学ぶ機会
自分自身がいまだにそうであるのかもしれませんが、診断名や安易な見立てにとらわれ、苦しみの中にいる人から見た世界やあり様を無視するかのような言葉や態度、傲慢さのようなものから離れたいと感じています。一方で、これまで学習してきたこと、続けてきたこととどう折り合いをつけていけば良いかに悩んでいます。
社会がもっと他者に寛容であってほしいと願います。相手を思いやる、というよりも、相手の人権を尊重する、親切にすることが当たり前の社会であってほしい。とは言いつつ、私自身がそうできているかと言えばまだまだで、時々親切ではあるかもしれませんが、正直、人権とはなんぞや?というレベルにいると思います。オープンダイアローグと人権について、登壇者の方々のご意見をお聞かせ願えれば幸いです。
社会の中でいろいろな苦しみを抱えている人がいることは頭で分かっているつもりですが、直感的な行動を起こすことが多く、なかなか難しいと感じています。福祉を学んで実践している中で、日々の行動を見直すために相手をよく知ることを教えてください。そしてできることを自分のものにしたいと思っています。
ケアされる人の立場や意見を尊重したケアであること。支える人が良かれと思ったとしてもケアされる人が望んでいないかもしれない。人としてはお互いが対等であることを自覚することが大切だと思っている。
トラウマを抱えた人が、多いと思いますので、トラウマ治療を容易に受けれるような環境になれば良いと思います。 そのためには、トラウマ治療ができるセラピストの数を増やすことも大事と思います。また、トラウマ治療とオープンダイアローグを組み合わせて使えると、良いように思うのですが、実際にそれを行うのは難しいんでしょうかね。オープンダイアローグを、犯罪防止や非行などに、どのように活かしているか、矢原先生に聞きたいです。先生は、犯罪や非行を犯した人の施設に携わっていると、聞いておりますので、是非とも聞いてみたいです。
人はだれもが沢山の方に支えてもらわなければ生きていけないと思う。心も体も元気な時はそう思わないかもしれないが。今生きている自分も多くの方に支えていただいている。自然に素直に支えてもらったり、支える事が出来る自分になりたいです。感謝の気持ちも忘れずにいたいと思います。
安心して本音が言える場を少しでも増やしたい
こころの特性のために社会に出られない、出ようとしない人たちが、何故でられない、出ようとしないのか…、それは社会に出て傷つきたくないから、だと思う。こころの繊細な人たちが傷つかない社会、優しい社会 を念頭に置いた教育が必要だと思う。。それでも出られない(出たくない)ひとのため、出なくても自立して生きていける社会のシステムがあれば…と今は考えている
精神病院の精神科特例を廃止して欲しい。 理由は職員の患者への虐待の原因(職場のゆとりの無さ)になっていると思われるのと、不要な身体拘束に繋がるため。
お互いに互いのことを大切に思い、支え合っていける社会になれば良いと思います。なんだか今の日本は、多様化などと言いつつ、他者を認めると言うよりは、孤立化が進んでいるように感じます。オープンダイアログのポリフォニーの理念が広がっていけば良いと思います。
私はBPDと診断されています。重度の自傷行為と60回の入院歴により10件以上転院を断られています。私は自分のことをBPDだとは思っておらず、ACEsによる影響だと考えています。それなのにその人の過去や背景を無視して「個人の人格の問題」として押しつける。病名や病歴による差別と偏見がまかりとおる。これはあっていいことなのでしょうか。重症な人ほど医療と繋がれなければ命の危険があるのに、重症な人ほど受診を断られてしまうのは何故でしょう。私は最低限の医療に繋がりたいだけなのに、それさえ許されない状況にいます。病名や病歴でその人のことを決めつけず、もっとその人の背景にきちんと目を向ける精神医療であってほしいです。また、医療にすら繋がれないために福祉などが利用できない、制度の狭間にいる人への支援も確立されてほしいです。
患者の気持ちをじっくり聴いて、前向きに進むことが出来るように導いてくれるような専門のお医者さんや看護士、心理士などのスタッフさんがいる病院や訪問看護などがこころのケアには大切だと思うのでそういう病院がもっと増えたらいいと思います。
解決できなくても、聞いてもらえることで楽になる、ほっとする、その時を凌げる、ことがあると思っています。その方が、話したい時に、話をお聴きできる自分でありたいと思っています。
病気を持っていても本人が前向きに独り立ちして生活できるような暖かい社会となってほしい。親の方が早くいなくなるのでその後も自力で安定してくらせるような社会であってほしい。
身近な所でフランクに相談できる場があるといいなと思います。私は行政機関に長年勤務しています。区役所というと、敷居が高いかもしれませんが、利害関係なく、安心して駆け込む場になるといいなとおもっています。また、行政機関は様々な情報が入る場、その情報を活用し自ら声の出せない人へ、アウトリーチすることができます。 対等な関係での関わりを目指しています。
当たり前に高校、大学、就職ができるわけではないのに、今でも高校、大学の進学、就職がさも当たり前のように語られ、ドロップアウトした本人の努力が不足している様なや親の育て方が悪いような風潮が普通である様なそんな世の中ではあって欲しくない。繊細で周りの人の事を考えて行動している人が、何も考えずにただ自分自身の事しか考えない人の犠牲になっている様な世の中が普通であって欲しくはない。でも現実は自分が自分がという人間が、声が大きい人たちが幅を利かせているばかり。繊細で他人のことを考えてあげられる人がしっかり評価され、生きやすい世の中やサポートがあればよいなあと切に思います。
当事者(本人)の気持ちを聴いて、それをしっかり受けと目て欲しいと思います。当事者が子どもでも、人格を尊重して話や気持ちを受け止めて欲しいと思います。これまで特に子どもは権利の主体者として尊重されてこなかったので、心もケアを行うときに大事にしてほしいと思うからです。当事者(本人)の(気質等の)問題として、個人責任、申請主義の立場からだと、心のケアの意味がないと思います。権利の主体者として尊重し、本人も含めた関係者の対話や努力によって社会構造に働きかて解決していく
障害の違いや障害の有無など自分だけが辛く苦しいわけではなく、皆がそれぞれ誰かの心に寄り添える社会であってほしい。 →(理由)私は精神疾患と身体障害をどちらもあります。倒れる前は、社会に馴染めない生きづらさも経験しています。障害を持ってる人が「自分は障害者だから【健常者の人は支えてほしい】」と思う方が多いなとボランティアを通じて感じました。誰しもが抱える【生きづらさ】は、誰にでもあることを社会全体で気付き支え合ってほしいと願います。オープンダイアローグと当事者会などのコミュニティの集まりの違いは何でしょうか?
統合失調型障害を患う27歳の娘を持つ母親です。3度の入院を経て、現在は病状は落ち着いており、週に1度デイケアに通っています。デイケアに行く日をとても楽しみにしていますが、もっと頻繁に行くことができれば、または、常時開設されていていつでも出かけて行かれるような場所であったら、外出の機会が増えてありがたいと感じます。
医療機関の受診が必要と思われる状況の時に、例えば強制的な入院などご本人もご家族も辛い経験をする状況が日本では今もあります。ご本人もご家族も辛い思いをせず、必要な時に安心して医療にアクセスでき、薬物療法は一つの選択肢としてありながら、対話や環境調整なども組み合わせ、誰もが自分らしい生き方を歩んでいける社会であってほしいです。
こころの病や癖等をもった人が困った時に、どのような支援を求めているか、具体的にどのように関わりどのような言葉がけをしたらよいか等を学び、地域の人や友人等専門職以外の人が知りサポートできるようになれたら又薬を服用している人も自己管理ができるようになれたらと考え受講を希望いたしました。オープンダイアローグの実践に向けて学ぶ場の情報が知りたいです。
近くにいる人の心の苦しみに、その苦しみが小さなうちに気づけるようになる。誰もがそんな存在に近づけたらよいなと思います。学会発表でオープンダイアローグのことを知り興味を持ちました。
現場のことをもっと知ってほしい。 当事者だけでなく支援者側が実践と制度(組織の一員として上位下達を守らなければならない)の間で板挟みになっている場面も多々あります。 また人手が足りず支援に当たっての最低限の心構えすらできてない人が支援にあたることもままあります。 このような状況をちゃんと社会全体に周知されてほしい。
誰しもが困りや思いを抱えながらも生活している大切な存在として、そのことを互いに認め合える社会になってほしい。 自由にその時の思いや感じたことを安全に話せる場が増えてほしい。 無理に飾ったり、攻撃したり、自他を傷つけないでいられる社会について、考えていける社会をつくっていけたらいい。
日本社会がもう少しゆとりをもち、他者の心をイメージしながら話しを聞くことができる関係性を意識した関わりがもてるといいなと思っています。混沌とした家族、学校、会社の取り巻くコミニティーのシステムが解放に向かうには、オープンダイアログ(開かれた対話)の中にあるように思います。 こどもの心を開くには、結果を急がない対話の時間ではないのかなと感じています。学会発表でオープンダイアローグのことを知り興味を持ちました。
助けてほしいと言えるような人になりたいし、言ってもらえるような人になりたい
福祉、医療、行政、地域、それぞれに支援制度はあるが、縦割りで、やはり、横のつながり、伴走支援が必要だと思っている。ある程度のアウトリーチも必要。
オープンダイアローグの精神を家族や支える人々と一緒に深く学びたいです。本人の望む人生が閉ざされず続けられるよう、家族まるごとケアを連携チームで考えていきます。社会の課題がいろいろあり、孤立する場合がとても多いと感じます。長年「強迫症」の当事者家族会をやっていて、本人や家族が地域社会でありのまま活動する場、やれる事、を更に増やしていきたいです。
主に発達障害の臨床現場にいます。福祉のサービスが欠かせないとものと思うと同時に、精神、発達、などの障害名があると、現場でも当事者さんに格差を感じさせているだろうなと言うことをしばしば感じます。矛盾するようですが、当事者さんから「福祉には警戒して関わっている」と言う言葉を吐露されることもあります。サービスを受けて楽になる一方で、自身の対等さを支援員、家族、社会の態度で、簡単に奪われることがあるのだろうと想像しています。「ある程度は、仕方がない」と支援員や当事者さえも諦めがちなところです。綺麗事でなく、支える、支えられる、と言う関係性において、フラットであることが可能なのかどうか、の一助になるためのヒントをいただけそうな気がして参加しました。
親族が苦しく辛いので精神科を受診しました。担当医師はうつ病は服薬を試していくしか治る道はない。会話では良くならない。と言い切ります。何十人の人が待っているのでひとりに時間は取れないと。辛さを受容してくれる医療体制や医師、サポートがある社会であってほしいと願います。 心をひらけてこそ前向きに治療に取り組む力になると思うからです。精神疾患の患者さんの家族、親族への支援が大切だと思います。 相談機関などの情報が知りたいです。 通院先の医師と相性が合わない。納得いかない。と感じたとき、クリニックを変える事は本人の為になるのか
中学、高校のスクールカウンセラーでさまざまな困難を抱える生徒と学校現場で関わっています。心身上の困り感を相談されることももちろんありますが、問題行動を起こす生徒へもオープンダイアローグが活用できるのではないかと思い参加させていただきました。
社会にゆとりや余裕が欲しいです それがあれば人も少しほっとできるんじゃないかと 特に労働で求められるものが多すぎる、大変すぎると感じます
現在は会社員で、産業カウンセラーの資格取得を目指して受験中です。あと3年で還暦なので、60歳以降は大学院に進んで臨床心理士を目指したいと考えています。オープンダイアローグの本を読んで、「心理士になったらこれをやってみたい!」と考えています。グループセラピーやエンカウンターグループのファシリテーターも目指してみたいです。
職場でも、社会でも、家庭でも、人と人が、常に対等の立場で会話が出来たら、誤解のない住みやすい場が生じるのではないでしょうか。
森川すいめいさんの「感じるオープンダイアローグ」には感動しました。家族間でも挑戦したいと思いました。「ビッグイシュー」に掲載されていた斎藤環さんの「つくばダイアローグハウス」に見学に行きたいです。
大変さを受け止められる社会の実現が課題と思っている
何か心の不調やモヤモヤ、困りごとがあった時に、気楽に話すことができて、聞き合うことのできる場がもっと増えればと思います。深刻な問題になる前に日ごろから「困りごとがあったら話すことができる」ということがもっとありふれた風景になればいいなと感じています。
・日本の社会は、一度レールから外れると元のレールに戻ることが出来ないし、受け入れてもらえない。 ・皆とある程度同じでないと駄目で、はみ出た者はたたく傾向がある。 ・誰もが自分らしく生きられると良いと思います。
地域で暮らす事に関して まだまだ精神に障害が有る方々には、まだまだ理解が無い事が多い為、怖がって遠巻きに見て近寄らないようしているか、逆に軽く見て、バカにされる事が有ります。 私の子供は、バカにされたり無視されたりする事が有ると、目つきが変わり興奮します。 結構当事者は、敏感な事が多く周りの人に対して自分が、特別な目で見られていることをしっかり分かってますし、大変な、孤独感を感じております。 少しずつでも、民生委員の方や中学高校で「オープンダイアローグ」の事を伝えて頂きたいと思っています。
当事者が成人していると、個人情報を理由に親が診療に携わることを病院から拒否されてしまいます。一緒に治したい家族の気持ちが阻害され、家族からの情報を病院に伝える事も出来ません。保健所での相談も、大学のカウンセリングルームも皆そうです。家族の協力無しに状態を回復させることは出来ないと思いますので、家族が置き去りにされる事に葛藤を感じます。オープンダイアローグはどんな精神疾患にも効くのですか?
職場において心理的な過剰な負荷をなくす働き方について考えることが必要だと思います。仕事のストレスが家族や友人知人に波及することが心の健康を害する一因ではないかと考えています。心理的なケアに対して様々な試みがあると思います。それら試みの長所と短所を理解することも大切だと考えています。
本人も家族も関係者、支援者それぞれがいろんな思いを持っている。それがお互いに認められるような思いやりが持てる社会でできるだけあることが、こころのケアには必要だと思う。
よい人間関係を作ることを大切にする人が増える社会になってほしい。
今は、心を支える人ですが、「ささえびと」としても「こころの苦しみを感じている本人(当事者)」であった経験を持っていますし、「家族」であったこともあります。目に見えないこころのあり様は、本人しかわからないかもしれませんが、本人の世界観を否定したり、アドバイスしようとしたり、まだその時期じゃないのに急かして立ち上がらせようとしたりすることは、心の苦しみの度合いが高まる様に思います。支える人(私は「ささえびと」と呼びたいです)の想いもじゅうぶん聴かれる場があったらいいな、とここに言葉を置きたくなりました。そうすると、「ささえびと」のこころの中に余白が生まれて、そこに話し手さんたちの言葉がありのまま入ってこれるような気がします。 インターネットの盛んな現代は、速さ、スピードを常に求められる世界に変化してきていて、待てない世界に変わってきています。 無理やり、気持ちや想いを言葉に乗せて表現しようとしなくてもいい、その時をじっと隣で見守り待ってくれる人の存在と場があったらな、とふと思いました。Noと言っていい、という文化の薄い日本においてオープン ダイアログではNoという哲学をどうとらえていますか。乳幼児期の子どもはNoと言いますが、保育などの場ではyesばかり教え込まれていて心配です。
福岡市に住む精神科の勤務医です。10年以上前からオープンダイアローグを勉強していますが、未だに実践で、オープンダイアローグを活かせる場を持つ事が出来ないでいます。色んな場に参加して、実際にオープンダイアローグを活用していらっしゃる人の支援方法を知りたいと思い参加申し込みをしました!よろしくお願いします!
同じ職場で働く人を排除しようとする福祉業界の人々がなぜ障害者の支援をしているのかわからない。オンラインで見ることのできる動画を増やしてほしい。
当事者の安全を守る責務と社会の安全を守る責務がある仕事は両立が難しく、社会の安全を守ることが優先されることが多い。 当事者の安全を守るための取り組みが社会の安全につながることを証明できるようになりたい。
色々な専門家がバラバラに支援するのではなく、苦しんでいる人を協働で支える仕組みづくりがしたい。オープニングダイアローグをやる支援者の繋がり方や実際のやり方が知りたいです。
もっと気軽に、話したいことを話せる場が持てるようになってほしい。 支援者も、チームで支援できる風土があって欲しい。
予防的に、気軽に聞き合う場が当たり前になってほしい。カウンセリングなども敷居が高く、どうにもならなくなってから支援につながるケースが多く感じるから。民間、地域でうまくいっている好事例集がほしい。これなら出来るかも!がその中にあるかもしれず、勇気付けられた人々がそれぞれの地域で小さな実践を増やしていけば、少しずつ何かが変わっていくかもしれないから。
オープンダイアローグを取り入れるクリニックが増えてほしい
認知症介護の仕事をしていますが、担い手である自分自身を含めたチームの高齢化等による質の低下を感じています。 精神薬に頼らざるを得ない状況の方もいて、そのことによる利用者の生活の質の低下はもとより、命への影響も感じています。 理解や記憶が難しくなっている中度以上の認知症の高齢者を支えるためのケアの方法として、軽度の時から地域で支えるための方法として、オープンダイアローグが未来の認知症ケアに役に立つと感じています。 自分の住まう地域で、同じようなことを考えている人と繋がりたいと思っています。先ずはオープンダイアローグの勉強を始めようと思いました。 今は支える側として話していますが、未来の当事者としてその不安はとても強く、何から始めればいいのか分からない、自分にできるかどうか勇気もないのが現状です。 災害対策を例に取れば、オープンダイアローグの自助共助公助の場のようなものが、社会に浸透して欲しいと思います。福祉ビデオのODのDVDを観たとき、家族の問題にむきあえていない自分が問われてしまい、息苦しくなりました。支える人になるための勉強には程遠いと感じてしまいます。どう考えれば良いでしょうか。
疾患名や症状、その人の置かれている状況などからクライアントと出会うことが多く、評価や判断、手立ての発案、予後予測をするためのまなざしや言葉かけばかりが多くなってしまいました。それでもよい方はよいのですが、届かない方もおりました。オープンダイアローグを学び実践をしはじめて、ようやく人間同士として出会うことからはじめられるようになりました。やっていることは変わらくても、関係性が変わったように感じています。この出会い方を広めるために、個人的な実践以外でできることがあれば教えてください。日本のオープンダイアローグの先駆けの皆様がいてくださったおかげで、現在、学びを深めていくことができており、大変に感謝しています。日本ならではの方法で、根付かせている皆様の取り組みを知りたいです。
最初の入院先に通院するようになってから担当の先生が息子の顔も見ずにお話をされ、ただ処方をされ、アカシジアを訴えても対応を変えてくださらなかったり、通院のたびに親子ともにエネルギーを失っていくような時期がしばらく続きました。若年対応枠の心理士さんも最終的には息子の話を冷やかにヒアリングするようになっていき、2年近く経って変わった通院先でようやく話を聞いてくれる主治医の先生に出会い、息子も少しずつ元気になってきました。 オープンダイアローグのことは息子の入院中に参加した世田谷区の家族会で初めて知りましたが、家族間では難しいことも分かり、利用していた訪問看護師さんに相談しても導入は難しそうでした。誘導したり追い詰めたりするような担当の方に変わってから本人が訪問看護も拒否するようになり、現在は社会参加はほぼ通院だけとなっています。デイケアには行ってみても続かず、ただ誰かと話したり過ごしたりできる地域の居場所にだけは、時おり顔を出す本人を見ていると、「他者との関わり」の中に何かがある気がして諦めきれず、すいめいさんのfacebookをフォローさせていただいたりしながら、オープンダイアローグを学んだり繋がったりする機会を探し続けていました。すいめいさんのお話は何年か前に慶應大学で、昨年は品川の家族会で伺いました。また子どもに関わる仕事柄、教育にも関心を持っているのですが、オランダのイエナプラン教育について「探究学習」などが良いとされているけれど、軸になっている「サークル対話」にもっと注目されてほしい、まちの中、社会、学校の大人に「話す、聞く」ことを大切にする時間や慣習が取り戻されてほしいと思っています。地域の家族会にもオープンダイアローグに関心を持つ人が増えており、希望を感じております。どうぞよろしくお願いいたします。オープンダイアローグ、リフレクション、ナラティブセラピー、最近色々なものを知り過ぎて少し混乱してきたので整理できたら。また、誤ったやり方のオープンダイアローグとはどういうものなのか一例を知りたいです。
外国に住んだこともないし、日本人以外の方とあまり話したことはないので比較するつもりはありませんが、対等な関係で対話し安心して参加できる場が心のケアには欠かせないものだとの思いが強くなってきています。またそれが医療とか福祉とかの特殊な場だけではなく、より日常的に作れないか、それこそ井戸端会議や茶飲み話(今の時代には古い言い回しですが)をたくさんやれないかと思っています。オープンダイアローグで大切にされていることは、普段の生活に活かせるものが多く(例えば「不確実性に耐える」など)、重宝しています。
小学校から不登校~通信制高3年の息子がいます。日常会話は可能ですが自室に篭る時間も多く、卒業後は所属もなくなりひきこもりとなりますが、家族で『対話』はどんな風にできるのでしょうか?
ストレスが多い社会の中で、誰もが心を病みがちです。自己中心的になり、自分さえよければ、という思いを少しでも心広くして、ひとのことにも思いをいたせるようになったら、お互いに住み良くなるとおもわれます。それがなかなか難しいわけで、オープンダイアログで、他の人に関心を持ったり持たれたりすることが良い糸口になるのではないかと興味深く学習したいです。
産後、子供が幼稚園へ行くまで、私自身、社会とつながりが薄く心療内科へ行ったことがありましたが薬を飲みたくない、話を聞いてほしいと言ったら断られてしまいましたが、その時に医療外の世界へつなぐ発想を医者が普通に持っていたらいいだろうなと思いました。 今こどもが1型糖尿病ですが病院には命を助けていただき本当に感謝ですが、精神・心面はノータッチでどこかへ繋いではくれません。昨今、病院経営も働く医療関係者の一人一人もギリギリなのは、それはそうだろうなと思いますが、、。こどもが孤独に自分だけで病気とつき合っているのが、もどかしいです(親には言われたくない思春期です)。オープンにできれば少し人生が楽になるのではと。
わたしは心の苦しみを感じている本人でもあるし、実家も機能不全家族であり、行政職員を選択しました。 もし、地域が、福祉が、学校が…対話的であったら 危機的な状況になるまで抱えなかったかも知れない。 そう思うと、聴くひとになりたい、その時自身にできることをやりたいと改めて思いました。
必要な時に必要なサポートを受けながら自律して生きられる社会になってほしい。現況は、提供されるサービスが少なく待つのが当たり前だったり、サービス提供者が利用者を選択したりするのが当たり前になっているように思います。 精神の病も他の診療科と同様に患者への説明を実施して欲しい。精神科医(主治医)が絶対的な存在になっていて、治療方針どころか検査内容も伝えて貰えない状態です。なぜ精神科の病棟は、医師や看護師の設置基準が少ないのでしょうか。心の病ほどしっかり話を聞く時間が必要だと思うのですが。
行政で相談員をしていますが相談時間は基本30分と決められていてじっくり話を聞いて相手の気持ちを引き出すことに時間が足りません。また女性のみが対象なので、カップル間のパートナーの気持ちを聞いてみたいと思っても男性は、対象外。 双方から話を聞いて、コミュニケーションがうまくいくようなパイプになれる相談ができればといつも思います。 また相談員ひとりで対応なのでサポートが欲しい。
薬だけでなく 対話が治療になる、大事だと思えるような世の中に。
中学生の子どもが不登校になって1年半経過。不登校なりたての、親子で一番辛かった時期は通過した今、思うこと。当時、辛さに大きく影響していたのは、学校は行くのが当たり前、行けない子はダメ、行かせられない親はダメという、自分達の中、そして社会にあった固定概念。仲が良かったはずの親子、夫婦の会話が、お互いを責め合う内容となり、互いの声が聞きたくない関係となり、同じ屋根の下で、それぞれが孤立していました。 子どものサポートだけではなく、親のサポートだけではなく、互いが安心して存在できる、互いの声が安心して聞ける場があれば、どれだけ救われたでしょうか。 教育センターやスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーさんが、ダイアローグを標準的に学び、訪問でも運用できるシステムがあれば、どれだけの親子が救われるでしょうか。 不登校の道のりは長く、まだまだ続きそう、ダイアローグをしてくれる場を探しましたが、リアルでは巡り会えておらず、有料のオンラインサービスを検討中です。 ダイアローグの視点、ひとりひとりは違う存在であることの保証は、子どもの教育においてもとても大切な視点だと思います。学校の先生の教育課程にもぜひ組み込んでほしいです。「ひとりひとりを大切に」とは謳っていても、実際の学校現場は、同調圧力の強いシステムなっている現状があると思います。ダイアローグを実際に運用することにより、システム自体を変革する力になるのでは?と思います。そのことは、本当にたくさんの人を助けると思います。
今受診しているクリニックにつながるまでは,発達障害専門だと小学生まで,心の病気(うつ等)は大学生以降,と5-6カ所に断られ続け,中高生を診てくれる精神科はないのかと途方にくれました。(今のクリニックは友人の紹介)。精神科がもっと身近な存在になってほしい,,,患者が大人の場合,オープンダイアローグは1対1の診察よりも対等性が感じられる気がしますが,患者が子どもの場合,ダイアローグで大人に囲まれるのはむしろ恐怖感をあおりそうな。子どもにも適用可能なものですか
「本人らしさ」を本人が安心してだせるような社会であればと。 無意識に正解や正しさを要求されてるような、空気や、社会の風潮が、まちがっても、失敗でも、「なんくるないさぁ」と言えるような、おおらかさがほしいです。 ひとりひとりが違うのは当たり前だけど、実際はそう思えなかったり、社会の中のマイノリティ、とくにわかりにくい、表現しにくい、発達障害の生きづらさも、ズレが受容される社会であれば、生きづらさにならないのにと感じます。
私は81歳、診断が下ってから10年目のパーキンソン病(以降、PD)患者です。 PDは中脳の黒質にあるドパミン神経細胞が減少し、身体の運動の調節などに関係するドパミン物質が不足することで発症する慢性かつ進行性の神経変性疾患です。病気の進行に伴い運動症状と非運動症状の多様な症状が現れます。治療は対症療法であり薬物療法が中心ですが、加えて毎日、運動療法(リハビリなど)を施し、極力身体を動かすことが進行を遅らせる効果に繋がります。私の場合、運動症状ではピサ症候群、筋強剛、首下がりなどが、非運動症状ではON/OFF症状、ジスキネジア、頑固な便秘、軽い幻覚、睡眠障害などが出現し、日夜それらの対症に苦労しています。私の10年来のPD体験から是非、解決して欲しい患者共通課題に次の3つがあります。 【課題1】患者一人ひとりに多彩な異なる症状をもたらすPDに適切に対処するための複数の診療科や職種の専門家からなるチーム医療体制の早期実現。 <課題1の補足>PDに限らず、医療全般にチーム医療の必要性が叫ばれていますが実現が遅れています。背景に医師不足があります。現在、日本にはPD診療に関わる仕事に就いているすべての人を対象とし、MDSJ(日本パーキンソン病・運動障害疾患学会)が資格認定する「パーキンソン病療養指導士」(海外では「PDナース」と呼ぶ)が存在します。この「パーキンソン病療養指導士」はPD患者の診療において多彩な専門的役割を果たす人材で、今後の「多職種連携チ―ム医療」の拡がりに欠かせない存在です。 【課題2】PDに起因する患者と家族の様々な悩みやストレスを軽減し、ポジティブ思考に仕向ける「心のケア療法」の確立。 【課題3】PD患者は時間管理を始め、自らの行動を自からマネジメントする所謂「自己管理能力」を身に付けることが特に肝要でありその能力開発のための支援体制の確立。 ―私の考えるPD診療分野へのOD活用効果― このメッセージを書きながら「パーキンソン病療養指導士」(=PDナース)を活動の中心に据えた「多職種連携チ―ム医療」体制という受け皿に「オープンダイアローグ」(以降、OD)という道具立てを組み込むことで相乗効果が表われ、上記3課題の解決は勿論、将来的にはPD患者が強く望むQOLの大幅な改善に結び付けることができるのではないかというOD素人の妄想が湧いてきました。ODご専門の先生方に上記質問1の私のメッセージに対するフィードバックを賜りたく、よろしくお願い申し上げます。
(自分の立場は「当事者」であり、「家族」であり、「支える人」であり、状況によってすべての立場になりうると思って絞れないので「その他」を選択させていただきました。) 自分自身はオープンダイアローグと出会って、生きづらさやトラウマの軽減を実感しました。昨今、社会的処方という言葉もある中、医療機関以外でのこころのケアの必要性を感じます。社会の中に対話できる場所がもっと増えればいいなと思っています。 今の時代は求められることが多く、余裕がない生活になっています。生活に余白がないとこころの健康を保つことが難しいし、他者を思いやることもなかなかできません。また、”ケアする人のケア”も大きな課題であると感じており、心のケアの循環みたいなものが対話でできればいいなと思っています。オープンダイアローグを土台したこころのケアについて、どのようなお話が伺えるのか楽しみにしています。
医療のオープンダイアローグ講座を、ひきこもりの家族にも、治療目的としての、トレーニング教育の実現
ドクターは、治療者であって、教育者ではないのですが、ドクターが中心となって、ひきこもりの家族に対して、オープンダイアローグのトレーニングを、指導して欲しいです。
気軽に気のおけるサポートのプロと話せる時代になるといい。 少数派を淘汰する民族性をどうにかして欲しい。
いろいろなことに寛容な社会、地域、国、人
自分を幸せにできるのは自分しかいません
話すこと聴くことを大切にできること たくさん選択肢があることを知ることができる世の中でしょうか。 選択肢があると安心できるような気がしています。
薬の処方しかしない精神科を減らして、対話で患者と向き合う治療ができる精神科が増えてほしいです。
「こころのケア」というと、自助グループや精神科、カウンセリングが浮かびます。私は親が依存症でした(もう亡くなりました)。しかし自助にしろ精神科にしろ、カウンセリングにしろ、危うい人たちもいて、安全性の担保がなされてない経験をしたことがあります。なので本当のプロによるケアやフォローを求めたいです。もちろん自助グループで経験を話すことは意義のあることですが、そこに集っている人たちは、何かしら困っている人たちなので、考え方がおかしいこともありトラブルもあります。 そして私が一番厄介だと思っているのは当事者がケアの世界に飛び込んで、ケアする側にまわることです。もともと回復なぞしてないのに「仲間を助けたい」という間違った使命感で動かれると、こちらとしては迷惑極まりないどころか、もっと状況が悪くなることもあります。なので「本当のプロ」が増えることを求めます。そして「一般社会に求めること」は、ありません。理解はされないと思うからです。しかし公的機関(役所など)の無料支援が増えてほしいです。カウンセリングを無料で受けられるなど。 また、ただの素人が数万円払っただけで取得できる資格も淘汰されてほしいです(ケアワーカー的な資格など)。 こうした資格商法は沢山あると思います。受ける人は真面目に活動したい人もいるでしょうが、所詮は素人。少し講座を受けただけでプロと同じ顔をされると困ります。だから私は、そういった資格は受けてません。今後も受ける気はありません。オープンダイアローグも、今後、いろんな資格がでてくることが予想されます。それを想像すると、今から気持ちが沈みます。
オープンダイアローグを「商売」として、信念もテクニックもなく行われることを予想してます。皆様は今後、このODがどのように悪用されるか予想されてますか?懸念されていることなどあればお聞きしたいです。
福祉関係の仕事をしている関係で当事者の方やご家族と関わらせていただくことがあります。仕事ですから真剣に対応ということをしていきます。ですが、やはり仕事として考えることがベースにありますから、切実さはあまりありません。ですが、大変お世話になった知人の息子さんが統合失調症で入院加療されて1年ほどで退院されたのですが、1年と半年ほどで病状が悪化し再入院となりました。このことで私にとってとても切実な問題となりました。 ご家族は長らくご本人がどこか変であること、何かしら精神病的な症状を呈しておられることに気づかれていたと思います。ですがそれをだましだまし隠されてこられました。精神病などではないと思いたかったのかもしれません。もちろん自分もそう立場になったら同じような対応をしてしまわないとは言い切れません。何か世間に知られたくない恥ずかしいことという価値観を変えていくにはどうすればいいのか。 今オープンダイアローグのような取り組みを知り学びたいと思っています。が、そういったアプローチをして頂ける医療機関がほとんどないことがとても残念に思います。精神を病むという場合に自分の中で違和感があるのが発病という言葉です。 発病ということは適切な表現なのでしょうか。
まず何でも格差を埋めてほしいですし、マイノリティに対して優しい社会であってほしいです。 ニュースで定期的に福祉職、医療職から被害に遭うものを見ますが、厳罰化してほしいですし、加害者はケアを受け他の場所で勤務してほしいです。 必ずマイノリティファーストの社会、障害者雇用でも未だに差別はありますし、なので退職率が多いこと、会社の福利厚生の充実やジョブコーチの常勤を義務化、いつでも頼れる人がいれば心強いですし、デンマークみたいに生活保護ではなく障害年金の額も社会人並みにあれば生活保護者の酷な被害もなく、堂々と生きられる。 とにかく心の貧困者が多く、ストレスのはけ口にされては困る!
困ったときとかに上手く言葉に出来ず、相手に手が出てしまって通っているデイケアいったんおやすみなって振り返りしてからでないと通えないよがよく多くて自分でどうしたらいいか困っています。
福祉サービスに限らない自然な形で支え合える社会が実現できればと思う。
中学の時に息子は不登校になりました。スクールカウンセラーの方とは親子で毎週放課後に話しをしていました。話しをよく聞く事に徹していただいたのかもしれませんが対人恐怖症等の具体的な治療や対応を伺う事は出来ませんでした。民間の不登校対策のカウンセラーの指導で外に出られる様にはなりましたが高校、専門学校を卒業後ニートになっています。今になって息子は対人恐怖症なのでは考えていますが医療機関等に本人を連れて相談に行く事が出来ません。息子が中学生の時にその様な視点からのアドバイスを頂けていればと考えてしまいます。
日本の福祉事務所制度についての願い。生活保護の不正受給(大事な問題ではあるが)等、注目される問題点が偏っていて「こころのケア」には着目されていない。生活困窮すれば、メンタルヘルスも悪化する。医療扶助のように「ここのケア扶助」が現物支給されてほしい。日本発のこころのケアの知見を再発見することも重要かと思います。森田療法とか宗像恒次筑波大学名誉教授が開発されたSAT法とかの発展も重要と考えます
自分の心に正直に、誰にでも話せるといいです。上下関係をあまり気にせずに話ができるといいです。他の人からの話を、批判すること無く、勝手なアドバイスをすること無く聞くことができると良いです。 自分を含め、高齢者はもっと若い人たちへの理解をしていきたいです。オープンダイアローグが素晴らしい方法だとは思いますが、2、3回行っただけではダメでしょう。数多くするには人材とお金がかかりますのです、上手なやり方を教えて下さい。
一度障害になってもまた一般社会に戻りやすい社会、行きつ戻りつできる壁のなさ
相談の場は幾つかありますが、本人が全く外に出られない場合の対応方法をもう少し具体的にアドバイスしてくれるルートがあると助かります。
精神科では制度上ゆっくり話をきいてもらえない事が多いので付属の保険がきくカウンセリングルームがふえるといいと思う。困っている方は経済的困窮も多いので。このイベント、NHKの番宣でもやってほしいです。
非自発的入院をなくして欲しい。
色眼鏡なく見てくれているか、話を聞いてくれているか。目の前の人が苦しみを語り始めたら、言葉を遮らず静かに耳を傾けて下さる方、寄り添って下さる方なら話すことが出来ると思います。
水平の立場で対話をしたいです。あらゆる人の気持ちにどう対話をしたらいいのか今勉強をしようと思い立ったばかりです。
以前、Eテレの、すいめいさんの番組を拝見してからずっと気になっています。
色んな考えの人がいても相手を否定しない(無理に肯定もしてもらわなくてもいい)そんな色々あってもいいよねって安心出来る日常になったらいいな
色んな考えの人がいても相手を否定しない(無理に肯定もしてもらわなくてもいい)そんな色々あってもいいよねって安心出来る日常になったらいいな
支える人、支えられる人というような境界線を感じない関係性を持てるような場がほしいと思います。
今、ここにある困難な状況はそこに至るまでにも様々なことがあったはずです。 そうしたプロセスも含めて言葉や心を交わしながら一緒にすごせるかかわりをしたいと思います。現実は、時間で区切られてしまいますが…
精神科でお薬をもらうだけではなく、お話しをしたりコミュニケーションで苦悩されている方が楽になれる方法を模索しています。戦争が起きたり物価が上がったりと社会がギスギスした中で、こころのケアをどう考えるかを話し合いしたいと考えています。
本当に辛くて苦しんでいる人は、自分から辛い状況を発信できないから、それに手を差し伸べる何かサポートを作って欲しい。サポートする側も、何とかして病気が良くなって欲しいと願いながら、なぜこんな事になったのか?子育ての何が悪かったのか?答えの出ない回答を求めて、気持ちが晴れる日がありません。
自分が思うこと。相手の気持ちの中にズケズケ入っていかない。相手に対して、優しく親切であること。オープンダイアローグが素晴らしい方法だと思いますが、そこに関わる人材と時間とお金が入り用なのが問題です。
統合失調症当事者が安心していつでも話に行ける場所があったら良いなと思う 統合失調症に対する偏見が正しく理解される世の中になってほしい。幻聴が聞こえると言われた時の好ましい対応が是非知りたい
私は医療職であり、また支援が必要な家族の居るものです。 オープンダイアログを知る中で、日々の会話が「予定調和」的な場面や意識が多く、「対話」というものがいかに少ないか考えさせられると共に、医療や福祉、教育の場、更に家庭など、様々な場での対話のもたらすこころのケアの可能性を感じています。オープンダイアログを受けている途中です。家族間だけでは聞けなかっただろう、それぞれの家族の思いを聞くことが出来る場は、とても貴重で新鮮で、考えさせられたり気付かされたりしています。
気持ちを聴いてほしい
今の社会では病気の本人が、薬や入院に代表される医療を拒んだとき、孤立させてしまいがち。気持ちをわかろうとする態勢を整えることが出来ていない。
受診できない当事者や関わる家族への支援や工夫を話し合える、オンラインサービス(例えばオープンダイアローグアプローチ研究会FLATT)が民間で自主的になされていますが、これ等への経済的な支援が望まれます。
だめでも失敗しても大丈夫とみんながお互いに思い合える社会であったらいいなと思います。そういう社会になれば周りからの評価を気にせず安心して色んなことにチャレンジしていけるようになるのではないかと思います。
苦しい時こころの内をそっと見せたり、吐き出せる関係が、日常生活の中にあたりまえのようにあるような社会であるといいなぁと思っています。身近な関係の中で、語りにくい想いにも心を寄せていけるような、あたたかな関係をつくれる人になっていきたいと考えてます。 いろいろな人と会話、対話していくことは、自分の人生を大切に生きることに繋がっているように思います。
より障害や特性のある方々が自信を持てるようなケアが必要
薬物中心ではなく、地域の中で人と人との繋がりを緩やかに構築したり取り戻すような、ケアであってほしい。また、何かあった時、何もなくても居れるくらいの、敷居が低くて、頼ったり、ただ居ていいような場所があったらうれしい。治療やケアの段階でなくても普段の生活幸せに続くように。このような企画とてもありがたいです。感謝いたします。
当たり前のことなのかもしれませんが、科学的な根拠と、ひとの心で感じていることは、まったく別の次元であると思います。現状はエビデンスや介入効果が求められるような支援が中心となっているが、今後は合理性や効果ではなく、人の心を大切にすることの支援へ変わっていく必要があるのではないかと考えております。対話は、このような支援のための具体的なあり方を示してくれるもので、多くの方に知って、実際に体験してみてもらいたいと、実践する1人としてお伝えしたいと思います。日本人らしく、お互いを敬う心を大切にできる社会を、対話を通して再建したい。
自己責任論をやめて欲しい
当事者の苦しさ、つらさ、生きにくさに耳を傾けてくれるサポートが身近なところにほしいです。私の担当医は、次から次へと流れるように患者を診る方で、とてもじっくり話を聞いていただける感じではありません。
当事者の意見です。 患者が支援を受ける為にはある程度の気力や体力がなければ、病院や役所に行けない現状に変わって欲しい。 具体的には、車やバイクを持ってなくても通える立地や、頭がぼーっとしていても行えるような易しい手続きになって欲しい。 公的機関のウェブサイトの情報もたまに分かりにくいページがあるのを直して欲しい。 あとは、医師が説教してくるのをやめて欲しい。患者を頭が悪い怠け者(それが例え医師から見た事実だとしても)として扱う医師に当たると非常に疲れる。 精神科に限らずイライラしている医師が多い。激務だからかも知れないが、威圧的な態度や話し方だとますます話しにくくなる。参加者が理解しやすいように、わかりやすい言葉と大きな声で話してほしいです 内容を文章に起こした記録が欲しいです
もう少し時間をかけて話しを聞いてほしいと願っています。理由は、薬だけでは病気はよくならないからです。今回の参加で、いろいろな方々と出会えることを嬉しく思います。
本人不在の精神医療への不信感 差別と偏見のさもしい視線に日々晒されている病者としては自殺した仲間のひとりでもその末期の声を伝えたい。森川すいめい先生 がんばれ
なかなか精神障害への社会の理解がまだ日本は遅れているように感じます。 偏見、思い込みが強く、アパートも障害を明らかにするとほとんどが借りられないのが現実です。地域に繋がりたいけど、隠さねばならないことは悲しいことです。 また、不安定な体調で、定職につくことも難しく、障害年金も精神障害、発達障害は受給率が低いです。私も精神障害2級ですが、初診日が確定できず、諦めました。もっと、障害年金が支給されやすく、フルタイムで働けなくても年金と両輪でやっていければ、なんとか暮らせる人はたくさんいると思います。が、それができなくて、生活保護になり、そのことでも世間から、精神障害で生活保護… と見られることがなんとも申し訳なく、過ごしている人も私含め少なくないでしょう。 病気になりたくてなった人はいないでしょう。が、精神を患って通院している人は600万とも言われています。 頑張って通院しながら働いていている人も多いと思いますが、私のような高齢でピアサポーターも少しの活動しかできない人間が、どうしたら、もっと自分で収入を得られるか、なんの資格もなく、死恐怖症もあり、終活もできず、社会のお荷物と自分を責めてしまいます。何かこんな私でも出来ることがあると嬉しいです。居場所だけではなく社会的に活躍できる場所を行政などが考えてくれると嬉しいです。
排外主義がまかり通るような社会になっていることに、大きな不安を覚える。どんな人であっても、生きていることに希望を持てる社会であってほしいが、何が今おかしくなっているのか。
偏見のない理解と支え合い
深く丁寧に世界を見てしまうと、話せる相手がだんだん少なくなっていくように感じます。語ることそのものが、孤独を強めてしまうこともあって、「わかってほしい」というより、「この見え方のまま、そばにいてほしい」と願う気持ちのほうが、ずっと近いのかもしれません。 語っても語っても、どこにも定着しないような、思考が宙ぶらりんのまま消えていくような感覚があります。それでもなお、言葉を探してしまう。そのときにそばにいる誰かが、「わかろう」としすぎず、ただ一緒に揺れてくれたら、どれだけ救われるだろうと思うことがあります。 わたしは、「ケアされる側」として関係に入るとき、どこかで自分が“される人”として見なされている構造に、とても敏感になります。たしかにケアは必要なのに、その非対称な関係性が、自分をうまく呼吸させてくれないような気がするのです。 それに、「支援する側」に立つ人のなかには、語られない沈黙や、うまくつかめない“わからなさ”に耐えづらくなってしまう人もいるように感じます。何か意味を与えようとしたり、言語化しようとしたり、整理したくなったり。その気持ちもわかるけれど、そうして急がれることで、わたしの語れなさが、まるごと否定されてしまうように感じることがあります。 だから、「ケアする/される」という枠組みを前提としなくて済む場があったらいいのに、とよく思います。互いの中にある“ゆらぎ”や“未決定なままのもの”を、ただ置いておけるような関係。そのなかで、わたし自身も、変わっていける余地があると感じられたら、それだけで安心できる気がするのです。 わたしにとっての理想は、「理解されること」よりも、「そのままでいてもいいと思える空気」です。そういう関係が、もっと静かに広がっていったらいいなと、心から願っています。
オープンダイアローグが健康保険で受けられますように。 治療より管理優先の日本の精神医療が変わりますように。
誰もが安全に愉しく暮らせる社会を希望します!存じ上げている先生が複数参加されるので楽しみです。
治療の場にも話を聞く姿勢が足りないと思うが、世の中全般に話が聞かれる場が無さすぎると思う もっと「自分の話を聞いてもらう」「他人の話を聞く」場が、たくさんあればいいのにと思う。実際にオープンダイアログをされるとき、リフレフティングで気をつけておられるのはどういうところでしょうか?
私は精神科病院に勤めていますが、「患者様本人が自己決定できるようになるまで根気良く対話を続ける」という時間も労力も足りていません。たとえば退院先を検討する際、本人を除く支援者のみで方針が固められ、本人の理解が追いつかないまま話を進めていくような状況などがあります。カンファレンスに本人を参加させない理由として、「刺激があると精神状態が悪くなる」「どうせ理解できない」「限られた時間で話を進められない」ということをよく聞くため、支援者側の都合や限界を強く感じます。 家族を含め、支援者が思っていることを本人に伝えない(言ってはいけない)と思いすぎる傾向があるようにも感じていますが、対等に対話をすることが当たり前になってほしいです。 また、オープンダイアローグを取り入れて、企業やいろんな場所で複数での対話が深まるようになれば、ストレスによって精神疾患になる人も減るのではないかと思います。 「話をじっくり聞いて欲しい」「自分を客観的に見つめ直して心を整えたい」 という人は多いのではないかと感じていますが、心の不調があるとまず病院、となってしまい、結局薬でしか対応できないという環境が非常にもどかしいです。薬は根本的な解決にはならないと感じています。良いカウンセラーの探し方もわからず、よくわからない資格のカウンセラーも多い中で、どうすれば対話できる環境を手に入れられるのか?ということも課題のように感じています。 義務教育の一環として心について学んだり、対話のしかたを学んだりすることができたら、日本人の精神状態はもう少し良くなるのではないかなぁ、とも思います。
職場、学校、クラブ活動など、ステレオタイプで人を判断する場面をしばしば遭遇します。 一人一人に対してゆっくりと耳を傾ける余裕がほしい。 (その余裕がない現状を変えないといけないと思います)思いやりにあふれた経験豊富な方々によるお話しとても楽しみにしています。 参加者とともに明るい未来につながることを願っています。
サポートへ繋げる前段階に時間がかかり止まる印象。その前段階から出来るサポート~その後へ繋がるサポートが切れないような流れが出来ると良いなと感じます。
我慢に我慢を重ねて深刻な状況になってから病院に行く、のではなく、「困りごとはあって当たり前」「ちょっとした悩みはまずは誰かに話してみる」が当たり前な社会になる様に、もっと気楽に対話ができる場が増えていくことを願っています。 私自身がそうですが、特に家族に関する悩み事はなかなか身近な人には話せないので。
学校や園に通わなければならない 大人になったら働いて税金を納める人にならなければならないという考えに満ちているように思います 行こうと思ってもいけない やろうと思ってもやれない状態にある人に そのようなプレッシャーがかかると ますます 状況が悪くなってしまうことが多いと思います 教育関係者でも ねばならないと強く感じて子供たちに厳しく接している人は多いと感じています カウンセラー や発達や心理 などの専門のドクター また 心理士などは子供の状況に合わせた対応を進めてくれると思いますが 多くの学校の教師やまたは一般的な大人に対して 心にダメージを負った状態の人に対する接し方が広く行き渡るためにはどのような方策が必要と考えていますか
正論や正解が先走っていて、専門家の人が言うから正しいとか、このメソッドでやれば解決とか、そういうシーンをよく見かけます。 でも、常識や正しさでもなく、専門家でもインフルエンサーでもない、しがない一市民の体験やお話しは、馬鹿にならないなーと感じています。 この人はすごい人だから、実績があるから話しを聞こうとか、そんな風なタグ付けをやめていったら、みんなの心や社会が守れるような気がしています。
日常的に、水平な関係で話をする、聞く、という対話の場が今の日本の社会ではないと感じています。 当事者が安心して話を聞いてもらえると感じるためには、支援職や教員だけでなく、すべての人が「対話」により、自分も相手も尊重しながら関係づくりができることを知る機会が必要だと感じます。 今の大人たちがそれを知る機会を作るというのは、そもそも関心がない人が多かったり、忙しさから、難しい面はあると思いますが、子どもたちが小さい時から「対話」の心地よさ、大切さ、必要なこと、と思える環境が、教育現場の中でも作っていければいいと思っています。 私自身にできることは小さなことですが、まずは自分の内側の声を聞くことを日常的にして自分を整え、周りの人の声を対話的に尊重して聞けるようにしたいと思います。
過去30年以上ヨーロッパに在住していましたが、両親が年老いた事もあり、ちょっと前に2年滞在する予定で岡山県に戻ってきました。帰ってきて驚いたのが、日本がいかに貧困化したのかという事です。元々、出る杭は打たれるといったようなあまり寛容な社会では無いと感じて日本を離れたのですが、戻ってきてみたら、さらに酷い状況になっていて悲しくなりました。縁あって地元の引きこもりの家族会の支援を行うようになりましたが、家族会の人たちはみんなすごく優しくて、本当に居心地が良く、その会は私にとっての居場所ともなりました。しかし、引きこもりや不登校の問題も毎年当事者の数が増えるばかりで、一向に本格的な対策がとられている感じもありません。今年出された厚労省の引きこもりハンドブックは、当事者や家族の思いを中心に置いており、かなり前進した感じはしましたが、その精神を実際の現場の反映させるには、まだまだ時間がかかりそうです。 そして短い間ですが色々とお手伝いさせて頂いて一番感じるのは、みんながお互いの尊厳を大切にして、テンプレートに沿った生き方ではなく、それぞれの人に合った生き方が認められるようになれば、みんなもっと幸せになれるのに、という事です。でも実際には、この30年間の困窮化により、みんな更に余裕が無くなっているのを感じます。他の人よりもまず自分、隣の人が公共の福祉を受けたら自分がこんなに苦労してるのになんであいつだけ、と感じている人が増えている気がします。学校教育で人間の尊厳とは?とか幸せな生き方とは?といったことについて、みんなでとことん話し合うような時間があればいいのに、と思いますが、日本では子供達が声を上げることに総じて後ろ向きな感じがします。そんな中、知ったオープンダイアローグ。ぜひ学校の授業でも取り入れて、子供達が恐れず声を上げられる場が設定できたら、と思います。なお、現在私がお手伝いしている家族会で、最近オープンダイアローグの勉強会を始めました。最初にシナリオを使った練習をしたら、すごくやり易くて勉強にもなり好評でした。ただ一点、困っているのが、男性の参加者が少ない点です。みんなの立場がフラットな場で何を話せば良いのか分からないそうです。また人の意見もあまり聞きたく無いとか…ある意味日本の男性の生きづらさが感じられる気もするのですが、どうやった男性に怖がらず参加してもらえるのでしょう。
優しさのくくりは 様々あるとは思いますが… それぞれが話して良い場が 作れたら…圧力で人が抑えられない平和を願っています。 そして 未来の子どもが話すことによって考えられる力がつくように…教える教育が減ることを 願い子どもが生かされる 社会を老婆心ながら 何か私に出来たら…と。 何が私に出来るんだろうか? と日々模索しています。
「こころ」は単体で動いているのではないので、環境に対する方策が必要であると考える。一人称(単数、複数)での解決を目指さないケアへの考慮が最終的には欠落していくのではないかと感じている。 一人称単数での苦しみへの向き合いであれば仏陀の諦観以上のものはないと考えている。「こころのケア」とは何を指しているか、それにおける「対話」とはどのようなものを指しているか。リフレクティングのような手法のことか。また、「対話」の内容をうけての行動・実践についてもお聞きしたい。
何もせずに、何にも関わらずに過ごせる場所が欲しいです。 人と積極的に関わることが目的ではなく、そこに人がいる、というのを感じれる場があったらいいなと思います。
・母子家庭の場合に、本人が発狂した時の対応策、おさめ方 ・本人の兄弟関係がうまくいくための方法 ・当事者が結婚するときに周りが気を付けてあげられること
旦那と相談して妥協点を生み出すコミュニケーションがとれない。 実家が介護のごたごたしている。 世界との関わり方を学んでこなかった。 これが私の家族の実力、と思って割り切りたいが、そうもできない。
聴覚障害の手帳を持つ身ですが、聴こえにくい、聴こえづらいところのこころの苦しみを、やりとりのできるところに終始せず、オープンダイアローグのかなえてみたいと想っています。
事前にお寄せいただいたメッセージ(601~668)
申し込み時、「日本のこころのケアがこうあってほしいといった願い」や「その他、ご質問やご要望」についてお書きいただきました。トップに戻る
研究者の卵です。研究を行う際に当事者の研究協力は欠かせません。ただその研究の効果が実証されるのに数年かかります。「本当にあなたのためになる研究なのか」と日々自問自答しながら、研究の同意を得ています。
障害相談支援員を支えるダイアローグを富山で広めたい。 国重浩一さんの「大衆食堂」を開催しています。
厳しい状況のなかで自分の尊厳を守るために死にたいと話す友人の声に耳を傾けることしかできない。色んな専門家に助けを求めても理解して貰えないと諦めている。
支える立場は、どこかで苦しみにとも振れすることがあるが、同時に俯瞰するところも大切だろうけれど、兼ね合いを図ることが困難でしんとくもある。
もがいても苦しさ悲しさにつきまとわれます。目の前にある問題から逃げず、考え、学び、必死に対処してきましたが、自分が何と戦っているのか分からず、自分と戦っているのかしれないと思い始めています。
毒親という言葉がありますが、亡くなった今も母の暴言に苦しくなります。育児にも自信持てないし辛いけど変わりたいです。
オープンダイアローグを書籍等では拝見しますが、率直な対話のリアルを知りたくて参加させて頂きます。よろしくお願いします。
こんにちは。私は精神疾患のある娘の母親です。情緒不安定性パーソナリティ障害と解離性障害と診断されています。正直に言ってお手上げです。家族に精神疾患者がいることをタブー視している世の中が憎いです。
希死念慮が消えない子どもとのコミュニケーションに悩みます。 オープンダイアログのように 第三者をはさみながら みんなで話す場が、新しい風を入れるためにも欲しいです。
精神病の事を知らない人に話すと甘えだとか気の持ちようだとか理解してもらえない。 内科の病気と同じくらいオープンになったら偏見が減るかもしれない。
オープンダイアログに参加して、自分が当事者ではなかったのですが、自分の心の琴線に触れることができて、深い安心感を得られました。今後たくさん実績されていくといいと思います。
どうしたら「家族と対話」出来るか、家族の思いを聴けるか、他者性を大切に出来るか知りたいと思います。よろしくお願いいたします。
人と話すことって、人を癒す力があるのだなと実感する日々です。 苦しんでいる人も、支える人も、同じ輪の中で話ができる。 オープンダイアログには色んな可能性があると感じています。
高校教員です。学校に来られなくなり悩む本人、その保護者、担当教員の力になれればと思っています。カウンセリングに難色を示す場合もあり、学校でのオープン・ダイアローグの導入ないしケアの在り方を思案中です。
今の日本人は「平和ボケ」が長く続き、あまりにも厳しいことや辛い事への精神的な対応ができなくなっている人が多いと感じています。叱ることができない大人。ただ感情的に怒る人はどちらかと言うと増加傾向です。
主治医は、医療従事者側の負担が大きいからオープンダイヤログに賛成しないと言っています。私は患者なので辛くてもトライしたい。一般的に治療者側には難しい業務なのでしょうか?トロッコ問題のように感じました
こころの苦しみを感じている本人であり支える人でもあります。わかってもらえない人の方が多く時に傷つく。でもわかってくれる人が一人でもいると救われる。
視聴を楽しみにしています。
知的また発達障がいがある人の本当のことばを受けとるために、オープンダイアローグをもっと知りたいです。
もっと日本の精神医療で、オープンダイアローグが受けれる様にしてほしいです。なぜ良いものなのに医療の中で実施するところが少ないのですか?
どうしたら良い場を形成できるのか、そのヒントがいただけたら嬉しいです。
障害者の相談支援の仕事をしています。是非、オープンダイナローグを学びたくて、申し込みをしました。よろしくお願いします。
障害のある方々の支援者です。オーープンダイアローグに出会って、毎回、様々ケースを体感し、鈴虫の羽が震えるように心が感動します。 たくさんの人がこの感覚を体感し。重い錨をそっと降ろして歩ける人が増えたら
登壇される方々は皆さん権威のある人のように感じます。とはいえ、フォーラムがどのように水平な場になるのか、なろうとするのか楽しみです。
以前、大病をいたしました。 その後、両親も亡くし、不安です。 1人で生きていくのが本当に苦しい社会です。
オープンダイアローグの考え方、方法がもっともっと広がれば、人として、人間として、同じ仲間として対話することが当然の世の中になり、みんなが安心して暮らせる世の中になると思います!
対等な関係で話し合えるオープンダイアローグに魅力を感じます
ひきこもり家族教室にかかわっております。ご家族は医師や専門家から助言や提案を受けて、粘り強く努力を重ねておられますが、状況にほとんど変化がなく辛さをする共有しかできません。
中学生子供が2人います。それぞれASDの知的障害、不安障害をもっており、先生や生徒にいじめられたことなど辛かったことのフラッシュバックに親子で苦しんでいます。
弱者に決定権がありません。 どんな立場の人であろうとも対等に人間としての尊厳は守られなければなりません。 それが蔑ろにされているような事件や事象があらゆるところで見受けられます。 とても悲しいです。
自分でだけでなく、周りから傷付けられることを当り前のように感じていませんか?そんなことを言葉にして教えて欲しいと考えています。それには『教えて頂ける』存在にならないといけませんね。
人の支援をしたいと社会福祉士になりましたが自律神経失調症で仕事を続けられなくなり、うつを発症しました。これまでの暮らしぶりと己の心を見つめ直しながら暮らしています。
日々対話を意識しているけれど、対話をする準備が整っていないと感じることも度々あります。対話をするための対話をしたい、まずは知ることから始めていきたいと考えています。
日本でオープンダイアローグが一般に浸透している世界を望みます。特に精神医療分野では、治療の第一選択であることを望みます。
誹謗中傷する人、差別偏見ある人に、1ミリでも気づき起きるかもしれない言葉あると良いのにな、と思ってます。 街に看板とか、ポスターとか、気づきが起きる名言集貼って、誹謗中傷に苦しむ人ち安心させたいです。
去年救急で運ばれ、医療保護入院に。任意入院の減少、スーパー救急の増加など、入院体制の変化を知った。 診療報酬で何が評価されると、入院中の対話量が増えるのか。精神医療界全体で訴えていける方向を知りたい。
オープンダイアローグで、自分の気持ちを「言えない」当事者がいた場合 どのようにアプローチしていきますか。 私は生育歴の関係で我慢して自分の気持ちがなかなか言葉にできません。
何もせずに、何にも関わらずに過ごせる場所が欲しいです。 人と積極的に関わることが目的ではなく、そこに人がいる、というのを感じれる場があったらいいなと思います。
夫は15年くらい前から、社会不安障害の診断で服薬治療をしています。私も最近、適応障害疑いで、精神科を受診するようになりました。夫を支え続けていくのがだんだん辛くなってきました。
難病で、どんどん進んでいく病状に不安が膨れ上がっていく友人に、どう寄り添えばいいのか、少しでも気持ちを楽に保てる方法はあるのだろうか。と悩んでいます。
鍼灸師(2年目)です。日々の臨床で技術の研鑽とともに在り方を模索する日々です。 ご登壇の皆様そして参加者の皆様のお話を聞き学ばせていただきたく応募致します。 どうぞ宜しくお願い致します。
オープンダイヤローグにとても関心があります。ある種の枠組みの中にいながら、その枠を解く事が出来るという所の魅力と、沢山の人の持つ世界観が、お互いに、よりフラットなものとして感じ合えるような気がします。
子供が統合失調症と言われ、調子が悪く、 なんとか元気にしたい。
対話であるオープンダイアローグ以前に言語化とか自分が発信するのに苦手さを感じています。溜め込みすぎてしんどい。人とそれなりに話せるようになるといいなと思います。
オープンダイアログはなぜ効果的なのか?なぜオープンダイアログはもっと広がらないのか?もっと広めるためにどうしたら良いのか?
かつて、うつ状態の診断が下った時、「詐病だ!」と言われたことがあります。身体に障害を持つ友人からでした。自殺をする事で証明しようと思いましたが、やめました。辛いです。
支える側として旧態依然の管理的な考えが今だ続いていると感じます。その意識が変わり全ての人が責任感を持ちつつ主体的に生活できる、そんな社会になってくれればと思います。
刑務所でODが広がっていると聞きました。その現状と課題をお聞きしたいです。
海老名精神保健福祉促進会 「2πr」(ニーパイアール)の者です.家族会でオープンダイアローグの勉強会を行っており,家族の勉強会だけで当事者の症状が改善する複数の実例が出て来ました.本当?
当事者本人が 生育歴により 自分の気持ちをなかなか言葉に出来ない「言えない」場合、どのようなアプローチがありますか。 我慢して生きてきた習性。
いじめがもとで高校から学校に行けなくなりそのままひきこもりの息子がいます。息子はまだトラウマで苦しんでいるようです。きちんと向き合って将来について話すことができないでいます。
古稀の妻が自宅で自殺未遂で助かり、リハビリ入院中。自宅に連れ帰りたくないが、どうすればBest?
薬の副作用で苦しんでいる人が沢山います。薬に頼らずとも日常を楽に生きられる社会になって欲しい。 精神の病で苦しむ人たちを沢山の人に知ってほしい。精神の病気の人たちは、繊細で優しい人が多い!
楽しみにしています。よろしくお願いします。
家庭内でも職場でも年長になるほどに、日々の対等な関係を見直し持続していくこと対話を続ける機会も減らしがち。対等な関係や対等な言葉は、本当に自覚的意識的にならないと見失い見誤り、肩身も狭くなっていくなぁ
どのようにすれば、本当に、本人へ伝える、話す言葉が響くことでしょうか。病気の質から見ても、とても難しい思いでおります。どのような向き合い方であれば言葉が通じるのてしょうか。
実際にオープンダイアローグを体験してみたい。カウンセリングはずっと受けているが、どのように違うか、どのように自分を見ることができるのか、体験して感じてみたい。
様々な対話の場に参加し感じることは、自分は支援者であり家族であり、時に苦しみを抱えた当事者です。普段は支援者の顔であっても、わが子のことで悩み、「当事者の会」に参加したときは「家族」になります。
保育者です。最近オープンダイアローグを知り興味津々です。対話の場をつくる姿勢・聞き方・伝え方・間・視線などの難しさを感じつつ、日々人と直接関わる仕事としてまず自分の学びを深めたいと思い参加しました。
いじめられた体験が未だに忘れられず人に対して不信感が拭えないまま大人になってしまいました。怒りや悲しい気持ちを手放したいのに思い返してしまいます。もう少し気楽に生きるには?
薬だけに頼っている精神医療を長年受けている私の家族は、それ以外の場へ自ら参加しようとしません。オープンダイアローグとうまく繋がれる方法を教えて頂きたいです。
共働きで夕方、宿題、夕食作り、洗濯と戦闘モードだった家で、くこともできなかった幼少時代から、我が子は気持ちを表す事を諦めていたかも。安心して思いを吐露できる対話の場を、今からでも作りたいです。
息子がギャンブル依存症です 私も週二回自助会に参加しています 人間が人間を治療していくという奥深い世界に感動して、探求しています 録画見れるのを楽しみにしています
うつ病で、落ち込んた時、開かれた対話が遠くに見える、希望の灯のように温かく感じられます。なにより自己のネットワークの発見につながるのだと思います。
生き辛さを抱えた方がたも、共に支え合いながら幸せに生きていける社会が訪れることを、切に願っております。
職場に対話的な関係にならない二人の同僚がいる。自分も周囲も巻き込まれ、仕事にもメンタルにも支障が出ていて、先行きは真っ暗。皆さんは、対話が成立しない関係もあるんだと割り切っているところもありますか?
老いること、体に起こる痛みからか、うつっぽいだるさに加えて、日本国籍を持たない存在であることから、ネットで蔓延するヘイトに虚無感にさいなまれる時間が夕暮れにあります。生きることに、もういいかと。
こころの苦しみを感じているこどもたちを支援する立場にありご家族ともお話しさせていただくことが増えています。面談にオープンダイアローグを取り入れたいと思って参加させていただきます。
対話することで、安心が生まれ自身への信頼につながっていくと思っています。治癒力を高める方法の一つだと思うので心のケア、キュアの中核基盤になっていくと考えています。 オープンダイアローグを学びたいです。
当日お寄せいただいたメッセージ(669~900)
当日は、「日本のこころのケアがこうあってほしいといった願い」「フォーラムを見ながら感じたこと」などを自由にお寄せいただきました。トップに戻る
心のケアがある種の文化として様々なコミュティーにおいて根付く未来を描きたい。
分かって欲しいとは思わない。 共感なんてまやかしはいらない。 私がいること、あなたがいること、それだけを事実として、風に吹かれるような、雨粒を感じるような、そんなささやかなこととおんなじです。
オープンダイアローグが一日でも早く「あたりまえ」の世の中になってほしいです。
心身に障害がある方の生活訓練の支援員をしています。プログラムで自己肯定感のアップに、オープンダイアローグ的にコミュニケーションのワークが出来そう…と癌じますがいかがでしょうか。
50代妹は10代から精神疾患で入退院を繰り返すも6年前から本人がこれまでの強制入院を拒否しレスパイト入院もできず。2人暮らしの高齢の母に妄想と暴言を終日放ち、母は安寧に暮らせず、妹の終の棲家を探したい
対話というと対等な関係とイメージしますが、治療を受ける側、依頼した側と思うと対等な関係とは思えず、一歩引いて構えてしまう気がします。正常な人達と正常じゃない自分というか。対話って、なんだろうなぁ。。
立場ですが、全てに関わるので、その他にしました。 話しを聞いて、学びたいと思います。
オープンダイアローグをうけてから楽になりました
精神医療関係者にオープンダイアローグをひろめてください。
学校での取り組みをしているものです。不登校のお子さんに対する関わりをぜひ知りたいです。
声を聞き取る努力を日々重ねてます。そのためにも自身にも余白がないといけないと思ってます。みんなが余白を大事にできる社会になりますように。
日頃から関心の高い活動をされている方々をお集めくださって、ありがとうございます。楽しみに拝聴いたします。
よろしくお願いします。
すいめい先生、環先生 日々の診察ご苦労様です オーブンダイアローグの推奨ありがとうございます 私の病院でも取り入れることができるよう精進いたします
私は働いていても苦しい、休んでいても苦しい、1人でいても苦しい、みんなでいても苦しい、と感じながら生きている孤独な人です。将来に希望はなく、過去に後悔もない。 これからどうすればいいのか分かりません
ときどき自室で泣き叫ぶ娘に対してどう接していいのかわかりません。とにかく生きていてほしいです。
さまざまな立場にいる人や組織がその存在を認めてほしい、維持させていくことが大事だと思って、主張したりサービス展開していろことは多いかと思います。それが対立や格差助長に繋がらないよう考えて動いています。
どのような関係性の中にいるかで、支援者、家族、当事者どの立場になるかは常に変化すると感じています。いくつかの居場所に参加し、そう感じられました。
人の目が気になるって怖い。 良く思われないと自分には価値がない?
今オープンダイアローグやリフレクティングを学びはじめて、対話の大切さに気づきました。仕事だけでなく家族との対話も心がけいいふうに変わってきてると思います
コロナ以降他者との会話が少なくなり、また自分でも億劫になっているような気がします。 話す、聴くが気軽に出来ていた井戸端会議のようなつながりを取り戻すには、どんなことが大事になるのでしょうか?
医学教育の過程にオープンダイヤローグの手法が取り入れられたら、患者の人権が尊重されるきっかけのなると思います。
日本には自己責任と恥の感覚が強烈に染み付いていると思います。人との繋がりや当事者の回復においてこの感覚の緩和に難しさを感じています。
14才の時、幻聴幻覚が出て、少し高校に。空笑も出て自宅療養、18才で入院、病院のディ参加、コロナで月1度病院のみ。27才
どこへ相談しても、「誰も悪くない」「こころの成長を待つしかない」という言葉で終わってしまう。その事がさらにこころの苦しさにつながってきました。
どんなことでも声を聞かせてください
離婚調停中の元夫と対話が全く成り立たず、しかし続けてきた関係性。解消することになって、解放感です。 しかしどうやったら対話ができたのだろう?と今になっても失われた時間を考えて悲しい気持ちになります
就職活動のサポートは受けるのですが、 エントリーシートの提出の手前でとまってしまう どうすれば、一歩踏み出せるのか 螺旋階段をゆっくり登ってると、見守っているものの…つい葛藤が。
休学中の息子、幼少期には広汎性発達障害と診断され、高校時にうつ病になり、その後統合失調症と診断されました。 母の私が話題に乏しくうまく対話ができないのが悩みです。対話を続け息子を支えたいのですが…。
家族の介護をしています。 森川さんの講演を聴き、当事者(困っている人)を真ん中に置くことを大切にしたいと思います。
オープンダイアログに興味のある者です。 詳しく教えてくださいますと幸いです。
問題を抱える当事者と 支援者が対等な関係で対話をするには、なにが大切ですか。
オープンダイアログ特集、楽しみにしていました。
楽しみにしております。長崎の皿うどん
あさ@八王子です。私は不登校、精神病院、引きこもり生活を経て、今は70代ですが、人生で一番楽しい日々を送っています。今後は、キチガイだって人間だ!と世間にアピールして明るい精神障害者像を作りたいです。
今日の番組楽しみにしています!
私は中学校でスクールカウンセラー、高校でスクールソーシャルワーカーをしています。今日は楽しみにしています!どうぞよろしくお願いいたします。
向精神薬の副作用・離脱症状で多くのジストニア・ジスキネジアという病気になる方がいます。対話による精神科の問題を考えていくことをより学びたいです。
楽しみにしていました。どうぞよろしくお願いいたします。
オープン・ダイアローグのNHKフォーラムで開催いただくことに喜びと感謝を感じます。楽しみにしています。
安心安全で誰もがやさしい気持ちになれる対話の文化がひろがりますように!(当事者&支援者)
メール確認できず、再申し込みいたします。 お手配お願いいたします。
オープンダイアログ、楽しみにしていました。
支える側です。しかし、皆さんとの対話で私自身も支えられています。
オープンダイアローグについてに、こんなにたくさんの方が集まっていることが嬉しいですね。
日本の精神科医療に対話実践が定着していくためには、どんな取り組みが必要でしょうか?
支援者です。当事者やご家族の方が、人と人として話を聴いてもらって話をしてくれる、それだけで随分違うんだという言葉がありました。
これは従来の医療や支援とどんなに違うことだと説明できそうでしょうか?
こんにちは!!地球防衛隊の皆様!!反面教師メッセージユニット超ブルーダイヤモンズです!障がいあるなし、国籍、人種、髪の色、肌も色、みんな超えて、手を取り合いながら地球をハッピーにみんな主人公!!
14才の時、幻聴幻覚が出て、少し高校に。空笑も出て自宅療養、18才で入院、病院のディ参加、コロナで月1度病院のみ。27才
ソーシャルワーカーです。今日をとても楽しみにしていました。
「本人のいないところで本人の話をしない」ということには特に共感しています。
どこへ相談しても、「誰も悪くない」「こころの成長を待つしかない」という言葉で終わってしまう。その事が、さらにこころの苦しさにつながってきました。
もっぱらオンラインでの読書会を始めて、そろそろ5年くらいになります。この読書会が、オープンダイアローグに近づいてきているような気がしています。
今後も続けてまいります。
教育系の援助職から質問です。
先生・生徒・保護者の三者面談では、本人はまったく声を出してくれず、時間制約もあるので、保護者と先生の対話を聴いていてもらうことで始まりがちです。それでもよいのでしょうか?
こんにちは。大学で学生さんや教職員の方々のメンタルヘルスを中心にした支援の仕事をしております。若い学生さんに関わる立場として、こころのケアの未来について考えたいと思います。
音声と映像がずれているのですが、こちらの問題でしょうか。リロードしても直りません。
紹介
聞こえないですが…
立場:支える人支援する・されるの非対称は関係から、Shareするという水平な関係性は、それぞれの主体性・尊厳のために大切なことだと感じました。
お互いの経験をシェアする、とのことですが、医療者側が個人の経験を語るのには少し違和感があります。
どのように考えればいいでしょうか?
なぜ家族関係は他者との関係性よりこじれてしまいやすくなるのでしょう。
どうして家族でジャッジなしに対話するのは難しくなってしまうのでしょう。
本日開催のURLが届きません
声が聞こえないですが…宜しく
貴重な出会いに感謝!この地球に一緒に住んでいる貴重な時代に生きているすべての方と、ともに同じ時代に共に過ごし真心こめて生きられれることに感謝です。地球は宝石箱!宝物がぎゅぎゅぎゅーっと詰まっている。
西東京市で対話の場を始めて3年目になります。オープンダイアローグの講座がきっかけでした。
まだ全然よく分かっていなかったオープンダイアローグの理解が、今回の機会を得て少し進みそうで嬉しいです。
日本の精神科医療の多くは、問題行動(奇声を上げる、暴力が起こる。等)を取り上げているばかりで、本人の苦しさの奥深くをみることが無いのが残念です。
私は精神科医療ユーザーであり今もそうですが、治療を受けつつ8年ほど前にODにいきなり出会い、その後に支援職に就いたのですが、本人のいないところで情報交換という名目で守秘義務などない現状に驚きました。
矢原さんが考える「あたりまえの会話」
について、伺ってみたいです。
精神疾患と共病しながら、医療現場における対人援助職を目指して心理学生をしております。
患者本人の症状や問題を家族システム全体に起こっていると捉える家族療法と、理論的な考え方は近いのでしょうか?
少年院のソーシャルワーカーです。
当事者の問題に焦点を当ててしまう状況での対話以前に、支援に関係する人たちの組織、機関の人たちが対話をしないといけないのではないかと感じています。勾配の呪縛が強固です。
また、患者本人や家族・支援者全員が参加するケア会議等にもオープンダイアローグを活用することは可能なのでしょうか?
NPO法人で市民後見人として活動しています。また、統合失調症の兄(一昨年死亡)と48年間対応に苦労してきました。対人関係の悩みはどこでも起きています。考え方と行動を見直すことで少しでも軽減したい。
音声が聞こえるのですがパソコンの音量MAXにしても聞こえない人がいます。音のバランス調整してもらえるとありがたいです。
元気がない時、そのままでいることを尊重されてほしいです。本人が傷つかない、コントロール
されない形で、自ら回復していくようなケア「オープンダイアローグ」に希望を感じます。
続き)そのうち、支援職は今はなき世話焼き「おばさん」としての機能も果たしているなど、否定はやめました。ただ、ODのような「人として」尊重しあって、色々な方と触れ合うことは、大切にしています。
スクールソーシャルワーカーです。スクールソーシャルワーカーとして、一人の市民、人として、私も対話の場所や時間をつくっていきたいと思っています。
クリックしても聞こえません
当事者です。親にどこまで求めていいのでしょうか。長い間、一見理想的な家庭のこどもを演じてきましたが、「声が聴かれなかった」と感じて50代のいま、生きにくい人生です。
当事者家族です。本人の状態を全て症状として見て、こうだから、という決めつけで話が進むことに怖さを感じます。本人、家族の思い、考えていることをもっと深く、色メガネを外して聞いてほしいです。
現在精神科訪問看護として支援する側として関わっています。その方に何かを与える、ではなく、相互作用を感じることが多々あります。そんな訪問看護という支援があることを知ってもらえたらなと感じています。
医療従事者です。このように当事者の方の率直な声を聞く機会があることがありがたいです。
民間企業の職場で対話に取組んでいる者です。モノローグ的な人が集まると対話に時間をとりづらくなってしまいます。矢原先生のおっしゃていた「呼吸のような会話」「構造をゆるめる方法」を知りたいと思いました。
約30年前に精神科の薬の急な減薬で首のジストニアになりました。周りの方のお陰で精神が安定しても精神科の診断名による烙印とジストニアによる症状のために生きること自体も困難です。薬より対話に希望を感じます
精神疾患と共病しながら心理学生をしています。オープンダイアローグと(特別な療法などは行わず、話を聴いてもらうタイプの)カウンセリングの利用の違いや、それぞれのメリットデメリットを教えてください。
支援学校中学生の母です。学校の先生とは対等に接したり話し合いたいですが、否定や自己防衛の攻撃をされがちです。また子供の気持ちを無視し自分達で決定したり子供を下に見たままなのは昔から変わらず悲しいです
学校にルールに沿えないとダメ出しを受ける。学校や大人の期待に応えられないと自信を無くす。そんな学校のシステムの中では子どもが安心して声を上げることができません。声を出すことをあきらめさせれます。
水平の対話に共感します
今はとても元気に仕事をして楽しく生きていますが、過去に精神医療で傷ついたトラウマは、70歳過ぎた今でも時に、息をするのも苦しい過去がよみがえります。ぜひ、人を傷つけることのない精神医療に変えていきたい。
少年院や少年鑑別所で勤務する法務教官という職業をしております。最近「矯正」という業界全体でオープンダイアローグの考え方を取り入れようとし始めたことがよいことだと思っています。広めていただいた方に感謝。
家族(母親)立場のものです。オープンダイアローグでは「お話」とか「言葉」と言わず、「声」という表現をされることが多いと感じています。その違いにも興味があります。何が違うんだろう・・
インクルージョンは個の尊重だと思いますいろいろな人が職場で働きやすいようお互い思いやりを持ちたいものです
《支える人》私は仕事上オープンダイアローグについてアンテナを張っていたこともあり、今回知る事ができてよかったのですが、まだ一般的にはあまり知られていないのに皆さんどうやってキャッチできたのでしょうか
私は3才で、三桁のお菓子の値段がわかっていました。その後もいい成績で、学級委員で、学年一位でした。それを妬んだ叔母の人格否定の言葉で症状が出ました。でも、もう治りました。
日々地域で訪問看護をしています。ダニエルさんのドキュメンタリーは不思議な感じで、3回目の視聴で少し理解できました。今年3回目のオープンダイアローグで対話の場が鮮明に動き出し私の中でピースがはまりました
精神疾患とは、ある意味では「関係性」が損なわれる「関係の病(やまい)」なのだなあと考えつきました。なので、本人を含めた関係の修復に、手が入るべきなのだろうなと思いました。
昨年、心が悲鳴をあげ身体症状に現れる経験をしました。渦中では自分の苦しい気持ちを話せる場はなく、親しい友人にも話すことはできませんでした。安心して対話できる場が身近にあれば救われたかも、と感じました。
双極症の当事者です。皆さんからの声を聴いて涙がこぼれました。皆さん、一人で頑張っているんです。誰かに自分の事を聴いてほしいんです。
支援者側からは「専門家」に任せておけと言う目線なのですね。なぜ当事者の様々な声よりも先生方の処方薬や5分弱の診察を優先する病院が多いのかわかった気がします。
対話は一対一では、誤解や心の読み違えなど様々な事が想定できます。しかしオープンダイヤローグは多数の方との対話なので、同じ感性で受け止めて貰える事も可能な様に思えます。要は寄り添う力で解決策が生まれる
福岡県の義務教育学校でスクールソーシャルワーカーをしています。対話を通してご本人んの理解を深めています。ただ、対話には時間が欠かせません。社会や学校が忙しすぎて余白がなくなっていることを実感します。
当事者(40代、東京都)です。うつ病になって一人暮らしができなくなり、実家で一年半療養するうちに少しずつ回復して数ヶ月前にようやくまた働けるようになりました。
学校の検診に精神疾患の検診を実施して欲しい。また、機能不全家族に対して地域の保健センターや公民館など身近な場所でオープンダイアローグを開催して欲しい。
実家は過疎地で通院先の選択肢がほとんどなく、しかも通院先が遠方で、高齢の両親に大きな負担をかけてしまいました。地方の精神医療が、当事者やその家族に、物理的にも心理的にももう少し“近い”存在になってほしいと強く願います。
一人一人がその人らしさや尊厳を大事にされて、それぞれのストーリーを聴いてもらえて、どんな状態になっても社会の多様な一員として受け入れられ、お互いの人生を優しく応援しあえるような未来になってほしいです。
斎藤環先生はクリニックではオープンダイアローグでの診察をされているとのことですが、診療報酬はきちんととれて採算が合っているのでしょうか?実施者の採算が合うシステムを国に作っていただきたいです。
患者を一人に決めない。今日は○○さんを中心に話してみよう、という流れはとてもいいと思います。
会話が苦手な人な方々は全体的にどれくらいおられるのか? また、その推移は増加傾向にあるのか?会話を上手く進める為の要領(テクニック)などあるのか 知りたいです
NHKのプロのアナウンサーによる進行に、とても安心感を覚えています。
本人の声を出してもらえる場作りが大事です。安心安全と感じてもらえること、そのための場作りと、支援者側の姿勢が大事ですね。「アセスメントしない提案しない」、合言葉のように訪問看護しています。
感謝!私はいろんな方々に感謝。この番組は本当に大切でも私はどんどん道切り開き中。古傷に縛られず振り返らずただ前を向いて意味なく時間を費やせない。過去の自分に卒業!ミッションのため邁進!優しさ有難う!!
今日のフォーラムを学校の先生に見ていただきたいです。子供と上下関係ができコントロールされることが多いです。子供を変えようとせず先生が変わり、フラットな信頼関係づくりが大切なことに気づいてほしいです。
どうして聞こえないのでしょうか
支える人:ご本人と関係者とでオープンダイアローグの形をとりたくても、そこに精神科医(医療専門職)に入ってもらうことは難しいと思っています。精神科医とは受診同行で話をする機会しかありません。
女性支援員です。高口さん、そうなんですよ。支援者でしかやらない支援会議。変わらないんです。そこがもどかしい!
オープンダイアローグは慢性期でも効果がありますか?ダメ元でやり始めてみましたが、その意味を本人に伝えることが難しく、本を読んでもらうと、当事者の話は混乱してしまい、どう伝えるか?課題です。
オープンダイアローグを単なるメソッド(方法論)とすると誤った方向へいってしまうかも?やはり支援者の人的能力に左右されるような気がする。それは傾聴力、共感力が何よりも大事じゃないか?
保健所で精神保健に従事してい精神保健福祉士です。ケース会議を病院の主治医、ケースワーカーらと行う時、まず本人を呼ぶ前に、主治医から病状説明が関係者にあり、支援方針を共有。その後本人を招き、結果を伝える
八女市でスクールソーシャルワーカーをしています。当事者である子どもさんが入る会議を開いています。会議の資料、席順、会議の目標を当事者と私で打ち合わせます。参加する支援者の意識が大きく変わります。
オープンダイアローグをやってみたくても、どこでできるのかわかりません。
矢原さんの活動の特集を是非企画してください!素晴らしい活動をしていて、メッセージがあるのでもっと聞きたいし、触れたいです!
ゆっくりと声を聞ける社会が大事ですが、世間一般的には、まだまだ、精神疾患の事に対して誤解や偏見が多くて無理です。
矢原さんの深いメッセージをもっともっと聞きたいです。いろいろヒントがあります。
私で良ければ、どなたのお話も聞いてみたい気持ちがあります。ただ、個人では家庭や経済的にも無料で開催する事が難しく、どうすると気軽に立ち寄れる場を開けるのか考えています。
スクールカウンセラーをしています。保護者、先生、子どもを含めてみんなで対話する場を持ちたいと考えていますが、その場で注意すべき点はありますか?最初に、対話というものを説明すべきですか?
社会性を取り戻す治療ばかりが重視されていて、本人が持つ幻聴や妄想に対する治療が従来の薬物療法だけでは不十分なのだと感じます。今回のフォーラムの様に、先生方も対話を必要としているのですから。
日本は社会全体で子供の地位が低いと思います。子供の発言やつぶやき、言い訳などにたくさん訴えたいことや気づきがあるのに。。マイノリティも同じだと思います。
お疲れ様さまです
ありがとうございました!オープンダイアローグの形式でのシンポジウム、とても良い感じでじっくり聴いておりました。
くらです。今回のフォーラムの様に先生方も対話しての相互理解を深めることが大切なのです。治療を受ける当人ならなおのこと対話を求めています。もっとオープンダイアローグが普及してくれることを切に願います。
ゆらぎとエビデンスは相性が悪そうですね。ゆらぎの中にいられる場がほしいです。
家族にこれ以上家族の問題を負わせるのではなく、みんなで一緒に背負って生きれる社会になることを願っています。
また、本音で生きれる社会を願っています。
支援者です。対話の場を作るのは難しいと感じています。どの立場の人も無理がない対話の場をどうやったら作れるのか、具体的なお話が出てきたらよいなあと思っています。
精神科医や先生にも一市民となって、平場の関係を持って仕事に向き合って欲しい。
矯正関係者としての考えですが、その場に参加して良かったというエビデンスという発言があり、その前の遊びとの共通性からより明確になった気がしました。遊びで考えるとその場は楽しいが、それをさせて良いのかと。
高口さん、子どもと一緒に行う支援会議についてもう少し知りたいです。
児相が絡むケースでカンファレンスへの参加を求められます。本人家族の参加はなく、支援者だけのカンファレンスは情報共有と言いますが、支援者側の自己満足でしかなく、何一つ前に進むための役に立ちません。
当事者60代です。こころや精神の悩みは誰もいないところで一人の専門家にこそこそ聞いてもらうのに慣れてきましたが、これって変だなと思ってきました。オープンダイアローグ大事ですね。
お話をありがとうございます。対話がどのようにされるものなのかをすぐに理解するのは難しいと思います。4月に公開DVDや今日の内容を、NHKの全国放送で放映していただくことができたらと思います。
このフォーラムを開催するためにどれだけ多くの人が関わっているのだろうと感動してしまいました。
支援員です。私もオープンダイアローグで癒されたいと思ってしまいます。対話が足りてない職場だなあと感じてつらい時があります。
アドボケイト活動で児相や児童養護施設に子たちに、子どもの権利の説明をしても入っていかない。言葉を失っている子たちとはまず関係づくりだと思うが、行政は権利の説明をした件数に拘り矛盾を感じる。
対話を真ん中に置く社会の中で、専門家が専門領域の知識を深めていく意味はどこにあると考えますか?他の人のお話をお聞きするときに、専門知識をもっているこが邪魔になるようにも思えるのです。
オープンダイアローグの認知度がもっともっと上がってほしい。対話が大切にされる世界が実際にあって、それが私たちの生活の中にも持つことがもっと必要なのだと知ってほしい。学校や病院に求める声も必要だと思う。
こどもへの対応ばかりで息苦しさを感じます。こどもが支えられるだけで社会は変わるのでしょうか。家族すら持てず孤立して働くだけの人生を生きる方はたくさんいらっしゃいます。共生できる社会の実現はまだ遠い。
傷つきを抱えたままの大人によって子どもの声が消されてしまう事がしばしばあります。対話をすることにで環境の調整へとつながり、こころの傷つきが癒されてケアが循環していくような場を広げていきたいです。
児童相談所の職員です。親や子どもに参加してもらう会議を実践しています。でも支援者が親や子どもに説得する、結論を出すことも求められる会議になりがち。次も来たいと思えるような会議や支援をしたいです。
支援者の役割にいます。オープンダイアローグとは、と念頭においてゲストの皆さんのお話を伺うと、安心の場の創出ということの他に「対話とは?」という疑問がわきます。もう少し深堀りしてお聞きしたいです。
会話のつまりが、そのまま呼吸のつまりとして、自分自身や相手への負荷につながっていく矢原さんの話に、なるほどと思いました。消費社会とは別な遊びの空間を大人の世界にも取り戻せたら、苦しむ人が減るのでは。
熊本の少年院でSWをしています。矢原さんの会話と呼吸の話印象に残りました。ゆっくりとした会話を心がけ「遊び」「余白」ができ深い呼吸につなげ、丁寧に声を聴きたい。
オープンダイアローグの安全を担保するルールが言語化できたら、生成AIにルールを設定して発言者の1人すればニーズナブルになるかも。人件費は高い。
精神障害と共にある妹の感情のアップダウンにうまくつきあえません。どうしらよいかと思います。
約30年前,夫が双極性障害を発症。引きずるように受診させ、結果的に閉鎖病棟に入院となりました。「治そうとすることをやめたところから回復が始まる」…この言葉、もっと早く聞いていれば…と思います。
当事者です。矢原さんの仰った会話は呼吸と言うお言葉が胸に残りました。私は今は人と話す時苦手で、一番の理解者である夫と以外の人との会話は溺れてもがき苦しむようだと思います。呼吸が楽に出来るようになりたい
オープンダイアローグの対話のスキルは自他境界を踏み込まないスキル。難しいがルール化、言語化していきたい。
50代当事者です。自殺する子どもや大人も多い現代、自分は毎年ゲートキーパーの講演会を受講してきました。悩みを抱えた人に気づき、傾聴して専門家につなげる。専門家のする傾聴と対話の違いは?
当事者と家族の立場を経験しました。妹は精神科病院に入院し、本人が望まない薬物治療で病院で自死しました。
オープンダイアローグを広めるこのフォーラムのようなことを、全国でたくさん行ってほしいです。
「発達障害」と名前がつくことによって、福祉的なメリットや本人が心理的に楽になるメリットもある一方で、枠付されたことで権威の勾配ができ、本人もその枠に当てはめて心が窮屈になっています。水平方法はあるのか。
障害の相談支援員をしています。最近、本当に思う事は、医療現場だけでなく、福祉の場においても専門職、資格などの肩書が一番になり家族にも当事者にも威圧的になり同じ仲間の意見も聞き入れない専門職が多すぎます
最近よく自立について思うことですが、医療者(薬)や支援者のおかげで治りましたは嘘っぽい、不遜に思えるかもしれませんが、自分の力で乗り越えれたと思えることが真の自立ではないか?
主婦です。少年院と関わりたいと思いながら心理士の免許を持っていても何もできずにいます。全国の少年院の中で、どれくらいオープンダイアローグが取り入れられているのでしょうか。
家族、特に親の苦悩、罪悪感は半端でないと感じます。ご紹介頂いた声に胸が詰まりました。このような家族の声を聴ける場は少ないですね。
家族としては、社会との関わりを持ちながらだと当事者との会話も自然とヒエラルキー構造を持ってしまい、対話が非常に難しいと感じてしまいます。自分自身の意識を変えねばと感じてしまいぎこちなくなってしまいます。
まき@奈良 60代 母親立場。当事者である息子の苦悩と葛藤からの暴力に今一緒に命を終えられたら楽だろうなと何度思ってきたことでしょうか。そこから離れるにはオープンダイアローグしかないように思っています
制度を整える。教員や心理士などの専門職を教育する。そういった変革には時間がかかります。オープンダイアローグほどきっちりしていなくても、周りの人ととりあえずはじめてみませんか?
風です、福祉の支援者です。ご本人やご家族のメッセージに心が苦しくなります。普通に生きるためにお金がかかる、障壁がある社会の仕組みがオープンダイアローグで変わればいいなと思います。
先生やお医者さん、支援の立場になる人たちの学びのカリキュラムの中に組み入れられていく必要があると私も思いました。幼児教育の段階から人の中に意識が育つと色々なことが変わってくるように思います。
しかし親が子どもに対する罪悪感を子どもの前で口にできるでしょうか。子どもは益々苦しくなってしまわないで
しょうか。子どもを益々苦しめることになるのではと、親は躊躇しないでしょうか。
オープンダイアローグは、多くの人が実践できるようになれば、どれほど良いだろうと思う一方で、実際に行うことの難しさも強く感じました。実践には、どのような人や資質が求められるのでしょうか。
入院してすぐに家族の接し方について病院からお話や、簡単な冊子でもいいので考えたり気づいたりするきっかけが欲しかったと思います。
家族が受診に付き添うと必要ないとか過保護だとか周囲に思われている感じがしています。
皆さんの場の柔らか~いゆったりとした感じ、これがまさにオープンダイアローグだと感じています。少し焦る自分もいますが、まさに自分が、社会が日々答えを求めるために急ぎすぎている現実だと思います。
家族も当事者ですよね。たとえばがん患者の家族も家族だというスタンスに変わったように家族も患者としてください
当事者です。私の母は統合失調症を発症したけれど30年間未治療のまま放っておかれ、私はその母から虐待を受けて育ちました。私が大人になってから医療に繋げることができ、今は安定していて、仲良くしています。
子どもが精神医療につながることが必要なのではないかと家族が感じている時、先ずは家族だけで精神科に相談に行けたらいいのですが、子どもを連れてこれないと診療できないと親だけの相談を拒まれることがあります。
福祉の支援員です。本日のフォーラムのように、多くのご本人やご家族の声が広く届く場があればいいなと思いました。自分が生きている社会でともに生きる一人一人に思い馳せる機会を大切に思います。
家族の方のお話を伺うことも多くあります。感じる事は、家族の思いの強さです。その思いを受ける本人はしんどいだろうなぁと思います。そんな場合、本人だけでの診察や面談はありだと思います。
以前拝読した森川先生の著書に対話で治るわけではない”と綴られていたのですが、オープンダイアローグを行うことで問題や悩みの明確化と共有ができ、それを改善するため見通しを立てられるということでしょうか?
先生方が家族の気持ちに心を痛めて下さった事に心が救われた思いです。家族の治療は今のままで良いのか。変えるべきなのか。どのように変えていけるのか。辛い本人も含めて対話を始めたいと思いました。
自閉スペクトラムの傾向の児童をもつ家族です。小学生、中学生でもオープンダイアローグを体験できる場がたくさん増えるとよいと思いました。
医療も支援も拒否してしまった当事者である息子が再燃した際、家族四人で話をし続けました。私は「私は」という言葉で母親から下りました。五時間話し続けて皆疲労困憊で眠ることに到達しました
精神疾患を持つ家族当事者であると同時に職業として支援者でもあります。支援者だから知っていたことが当事者の親であることとに役に立ったり、当事者として体験したから気づくことができる支援の在り方があります。
支援者主体=社会的価値観の再生産ということでしょうね。転換というか、変異が必要なのでしょうね。あらゆる抑圧の根源の洗い出し、棚卸しが必要なのでしょうかね。
双極症の当事者です。「他者性」というのは大切だと感じています。私は「この症状の時の行動は正しい?」のかを双極症の勉強をしている友人に訪ねて意見を聴いています。
心理職として国や文化、年齢、障害等の壁を越えて多様な相談者に対応してきました。その中でよくあったのは「親(家族)が自分の話を聞いてくれない」という声でした。家族や地域の対話文化の醸成が必要に思います。
言いたいことの言語化が難しい人もいるのかなと思います。他の手法、例えば絵で表現する、その場で工作する、遊んでいる様子、などで読み取り、感じ、リフレクティングも言語化以外で行うのもあるでしょうか。
対話をする時に気をつけた方がいいことはありますか
聞ける様な関係性って難しいと思うのです。今までの地域のおばちゃんは、本人の声を無視した、聞かない関係性が強いからです。
支える立場です。こどもから大人になる時に、私たちは何を捨ててしまっているのだろう、今考えています。捨ててしまったものを忘れてしまうから、こども達から教わるしかないのだろうか?
発達障害の子供を育てています。親の会で、実践を始めてみました。実施後の声を聴きながら、ブラッシュアップしていけたらと思います。
経験のないものを選ぶのは非常に難しいので、子供と大人の選択は条件が違うなと思いました。経験ない中で選ばされ自己責任論に責められるのは奇妙だし、一度決めても変更するというのも子供には大事、失敗する権利。
人間のコミュニティを家族単位で囲まないで欲しい。友達やパートナーやいろいろな繋がりに価値を置く社会になって欲しい。日本の家族は責任を負われ過ぎです。
娘が小学5年生の頃、宿題の量が多く泣きだしたことがあり、親として担任の先生へ宿題の量を減らしてほしいとノートに書かせていただいて減らして貰いました。声をあげて良かったことを思い出しました。
スクールソーシャルワーカーの現場では、問題解決という言葉がよく聞かれ、支援者だけでカンファレンスを行うことばかりです。オープンダイアローグや対話を取り入れたいと思いますが、ひとりでは実践が難しく残念。
いつでも行ける対話的なフリースペースがあると良いなあと思います。一人暮らしですが、自分の地域にはそういう場所がなくてひたすら孤独なので。
当事者であり親の立場でもあります。宿題について、昔から「どうしてあるのだろう」と疑問に思っていました。宿題は子どもにとっても親にとっても隙間を奪うもの、遊び・余白を阻害するものなのではないでしょうか。
性暴力被害者支援の電話相談を行っています。「あなたは悪くない」という言葉には、「支援者こそが正しい」という優位性が含まれているし、本人の怒りはトラウマの症状とされがちであることにモヤモヤする日々です。
小澤さんが仰る通りだと思います。家族が全て背負って、子供のケアをして、すべての負担が家族に来ている社会に
なっていると思います。オープンダイローグがもっと広まればいいと思います。
八女市でスクールソーシャルワーカーをしています。月に1回学校で45分間ただただ子どもさんのお話を伺い、遊ぶ活動をしています。そこに来る子どもさんを師匠と呼んでいます。子どもさんの変化がすごいです。
草の根でオープンダイアローグの場を開いていますが、心細さも感じています。ケアをケアする機能としての精神科やネットワークの必要性を感じます。
将来医療現場で対人援助職として働きたいのですが、その際にオープンダイアローグを実践する上で習得した方がよい資格や研修などがあれば教えてください。
パワーのある人が安心して話してもいいと手を差し伸べても一方的で、お互いの声を最後まで聞く事の難しさを感じます。知識や用語よりも体験や感じられた事をただ聞くただ話すの文化が広がるといいなと願っています。
学校、役所、家族、職場、近隣いろいろなところで対話が増えるように義務教育に入れて欲しいです。
障害福祉の相談支援専門員です。障がいのある人と一緒に生活する人から、下手に声をかけて失敗したりトラブルになったりしたらと思うと、付き合いづらいと言われます。普通でいいんですよと伝えますが、いい伝え方は
異動で子どもに関わる部署になったとき、学校現場から親を責める言葉が多くありました。私自身も責められているようで学校に失望しました。なので子どもに楽しければいけばいいよと話しています。
家族や当事者は、オープンダイアローグは、医療者が提供するものだと思っています。ですから、草の根で活動していても、問い合わせ来ないですね。どこまでもいい医者が必要と感じているみたいです。
オープンダイアローグを行う場合、当事者のその時の病状(緊急性)とか、家族の協力体制などを考えた場合、いつでもどこでも行えば有効か。。その辺りのことについて具体的にご意見を伺えたらと思います。 (医療)
齊藤さんがおっしゃるように、オープンダイアローグによってこのように回復します。と言えるように経験を積んでいくことが必要だと思います。訪問看護の現場で頑張って、実践を積み重ねていきます!
家族が子供の声を聞き切るむずかさを感じます。オープンダイアログの有効性は理解できますが、家族ではむずかしく雑談すら続きません。
スクールソーシャルワーカーをしています。学校で当事者のお母さんと女子会をしています。
おいしいお茶とともにお母さんが話したい話を聞いています。お母さんなんですが、一人の女性として見ています。
すごく共感しながら聞いています。一方で言葉にするということ自体も言能力が前提であり、また自分の言葉の責任を感じて苦しさがある(できれば関わりたくないとも思う)のですが、どのように向き合われていますか?
相談員をしています。行政の枠組みの中の現場でも話を聴くと言うのは、やはり理解されにくい、会話が大切だと言う事が現場の人に(職員)対しても理解されにくい現実とぶつかりながら燃え尽き感があります。
家族は関係性が固まってしまっていて、昔からの価値感が暗黙の了解であり、問題がある時、建設的な対話ができにくいと思います。
兄が統合失調症で48年間悩みました。兄弟姉妹は親とは違った悩みがあります。各地に兄弟姉妹の会があり参加しています。同じ悩みを話し合えます。兄は一昨年なくなりましたが、同じ立場の人を支援したい。
ただ、それだけでいろんなことが解決しています。
第2部は実践されている先生方の具体的な話が出てきて非常にためになります。オープンダイアローグを体験できない状況の方に参考になったと思います。
当事者不在でも、家族のみであっても、ケアが受けられる環境が当たり前になってほしいです。家族に余裕が出来ることによる当事者の余裕も出来そうな気がします
問題に焦点化しない・・・目からうろこです!
「問題の話をしなくていい」目からウロコです
不登校児の親です。学校の先生、SSWさんとオープンダイアローグをしたいです。本を読んだり、WSに参加したりして学んでますが、学校は解決しようとされがちで難しさを感じています。アドバイスほしいです。
オープンダイアローグで楽しいおしゃべりを日々するってとても素敵だなと思います!ケアする親としてそんな場が身近にあれば救われる親もたくさんいると思います。会話するだけで孤独じゃないんだと感じます。
「問題を話し続ける必要はない」という言葉に目から鱗が落ちました。人間は困りごとだけの存在ではないですよね。
親はちゃんと子供を育てようとして、息苦しいくらいのコントロールを家庭の中で行っている。親にそれほど責任を貸せないで欲しい。
私ももう少し先生と話しをしたいと思っていました。私自身も介護士をしています。
人間関係は家族だけでないのに、日本では家族、家族しかないようだ。北欧に住んでいた時、友人達で高齢の友をケアして、友達の子供のケアをしたり関係が多様でみんなで大変なことを担え合えた。
母親、父親などの役割=立場を抜きにして本人として…ということがオープンダイアローグの良さだと思いますが、NHKのアンケートやこのメッセージの案内には「立場を明記するような誘導」がありますね。
教員をとにかく改革してほしいです。いま、教員がメンタルになる理由の一つに、教員の世界自体が、弱者は努力不足という風潮があったからではないかと思います。弱さを知った教員こそが現場に戻ってほしい。
矢原さんにどうやって刑務所の中でオープンダイアローグを導入できたのか伺ってみたいです
統合失調症の母は父が病院に連れて行かず、大人になった私が医療に繋げるまでの30年間放置されてしまったけど、家族が機能しない家庭でも、社会が気が付いてくれる仕組みがあったら違っていたことに気付かされた。
どんなことでも声を聞かせてください
元うつ病当事者です。悪夢が酷くて自分の状態が心配になったときに、返事に悩む医師の姿を見てとても心が軽くなったことがあります。一緒に悩んでくれる人が居る、それだけでもいいと知ってほしいです。
聴かれていないことは相手にすぐに見透かされてしまいます。自分の価値観・固定観念、社会的規範、道徳を棚に上げ、純粋な関心をもって聴くことは本当に難しい。自由な場を意識するほど不自由になる感じがします。
認知症の方にもオープンダイアローグは有効なのではと思っています。しかし認知症であることを否定していたり認めていない場合や、耳が遠くて本人が対話に参加しづらい場合のこの2点。何か良い方法などありますか?
富山で支援者のための「大衆食堂」を始めました。国重浩一さんの「大衆食堂」的な対話の場面、色んなメニュー、創作料理、色んな材料があって支援者が繋がり合える場であるダイアローグを目指したいと思います。
先生方の言葉が身に染みています。訪問看護ステーションで看護師をしており、複数訪問の意味や、目に見えるケアだけでなく対話を重ねる意味も感じることができました。職場で共有したいです。
当日お寄せいただいたメッセージ(901~1095)
当日は、「日本のこころのケアがこうあってほしいといった願い」「フォーラムを見ながら感じたこと」などを自由にお寄せいただきました。トップに戻る
児童養護施設で働いている者です。途中から「家族」を「施設職員」に置き換えてお話を聴いていました。「支援者」として何かしなくては、と余裕なく走り回っている私自身をどうしたら開いていけるのか、と思いました。
離婚調停中の元夫と対話が全く成り立たず、しかし続けてきた関係性。解消することになって、解放感です。 しかしどうやったら対話ができたのだろう?と今になっても失われた時間を考えて悲しい気持ちになります
他者の言葉を聞いて、応答しようとする時それが本当に自分の素直な言葉なのか、はたまた相手に迎合するような言葉を選ぼうとしているのではないか、分からなくなる時があります。先生たちはどうされていますか?
心理士として多様なクライアントさんに関わりながらどうしたら対話の文化をその地域で築いていけるだろうと考えています。相手を尊重する文化であり、言葉が苦手な人は言葉以外の他のツールで表現できる文化です。
オープンダイアローグを実践出来るか それに近い取り組みをしてる病院や機関の全国のリストの作成や公表は不可能なのでしょうかみんなが渇望している情報だと思います。どうかよろしくお願いいたします
支える者です。ただ話を聴いて欲しい、受け止めて欲しいだけなのかもしれないのに、訪問の制約の中で、何とかしてあげなければ、結論を出さねばと焦っていて、わたしも苦しい時間になっていたことに気付きました。
「問題を中心にしない対話」という声にハッとしました。夫は自分の気持ちを口にしにくいASDです。わたしは長い間違和感を感じていました。もっと楽しい話をしよう。特性や特徴があっても、対話は出感じました感じ
※音声画面にノイズがあるようです
すいません、音がパチパチするのはこちらだけでしょうか?
今日の素晴らしい機会をありがとうございます。いろいろな声が聴けたことが何よりです。国会、医師会、厚生労働省の会議の場でも、今日のようなイベントを行って欲しい。
オープンダイアローグを行う場合、当事者の現病状(緊急性)や家族の協力性など、いつどこででも行われば良いということではないと思います。どういう環境下で行われば良いかご意見をお願いします。(医療従事者)
支援臭を出すと避けられたり逃げていく方が多いかもしれません。どういうアプローチがいいのか悩みます。
支援員さんが上から目線でものを言い息子が、暴れて警察呼んで、近所に白い目で見られた事が有りました。本人の苦しさに向かいあって欲しい。
支援者です。今日、オープンダイアログの話を聞いて、水平性の支援の重要性と難しさを感じました。
多職種同士の信頼関係も大事なのかと思いました。
わたし(SSW)も学校では先生方と、また関係機関の支援者や地域の方であったりと対話が普通に開かれたらという思いで闘っています。ともにがんばりましょう!
当事者と家族を経験して、対話が続くこと自体が素晴らしいことであることに家族を亡くす前に気づきたかったです。
自然に家族が話してくれることを待っていましたが、「聞くことを始めてみる」ことをしたら良かった。
地域で10年以上精神科医療に携わるものです。例え医療従事者であってもその前に、私たちは目の前にいるその方と同じ人間であり、様々な考え感情があるということを忘れてはならないと思います。
引きこもり歴10年の子どもの母親です。「対話の目的は対話を続けること」日々の生活の中に少し落とし込んで子どもと何気ないおしゃべりをしています。いろんな変化がありました。
家族です 牡牛座生まれの人参嫌い メッセージを読んでる時のバックにながれている音楽がしんどいです 止めてもらう事は難しいですか?
資本主義の競争やお金や物質的の有る無しに存在意義を感じる社会。一方で横並び、繋がり合い、支え合い、助け合いの場を求める人は増え続けていくと思います。子供家庭庁は地域の中にそういう場所作りを。
オープンダイアローグに期待する事は大きいのですが現在の投薬治療をかなり強く否定されている方が多い印象を持ちました。現在の投薬治療のメリット、デメリットをお伺いしたいです。
就職活動のサポートは受けるのですが、 エントリーシートの提出の手前でとまってしまう どうすれば、一歩踏み出せるのか 螺旋階段をゆっくり登ってると、見守っているものの…つい葛藤が。
くらです。身体拘束っていったい誰のためにおこなわれるものなのでしょう?少なくとも拘束される本人は絶対に望んではいません。本人が望まない治療を行った上での事故の責任は本人にあるとされます。おかしいです。
「子供はなぜ宿題をやらなければいけないのか?」隣で聞いていた中学生の子が「これはどういう意味?やらなくてよいと聞こえたのだけど」と質問され、答えに詰まってしまったので「なぜそう思ったの?」と聞いてみます。
なんか実際はオープンダイアローグ的な対話で良いはずなのに、懲らしめ・閉じ込めの制度が現実的だという残留思念が残っている、今の日本はそういう状況にあるような感じがしました。
刑務所に入る人は、自己否定感が強いから、その人が分かって欲しいこと聞いてあげたら心が落ち着いて生きていけると思います。
本能→考え→決心→行動→犯罪→刑務所→再犯→…反省では変わらないから。刑務所内でオープンダイアローグを。
〇〇が抱える問題という「問題」という用語に抵抗を感じます。問題(problem)=ネガティブな印象を持つからです。これに代わる良い表現はありますでしょうか。
その変化とは、避けていた父親に自分から挨拶をするようになった、自室で筋トレをして背中が逆三角形になった等々です。夫は働いてないから何も変わってないとネガティブです。オープンダイアローグを知ってほしい。
対話を通して相手の声を精一杯聞きたい。と同時に、その苦しい気持ちを受けて自分も苦しい事がある。話半分で聞くのは勇気をもって声を出した人に申し訳ない。生き物の自然な事として、一緒に揺らげる人でいたい。
みんみん50代愛知県です。自分の精神の気持ちが落ち着き学ぶようになりました。主治医に「先生我が国の精神科医療どう思いますか?」と聞くと先生「日本は世界一よ貴方もその担い手かも」私が生意気だからかな?
支援者です。いわゆる問題とされる症状がある方ほど、支援者からの言葉に傷つけられていると思います。相談したらいいことがないという信念が強くなっていきます。まずは、傷つけない聞き手が必要だと思います。
からだの声もありますよね…。
中高年ひきこもりの相談員です。制度の狭間にいる方が多いと感じています。孤立して困っている人に誰が繋がり対話を続けていけるか?オープンダイアローグが社会に浸透していけば孤立は減るのではないかと思いました
オープンダイアローグのエッセンスを少しずつ学ぶ者です。今日のような機会に触れていくことが大切に感じています。場の体感がないと、ともすると「オープンダイアローグ」自体が権威として機能してしまいそう。
市役所でこころの健康相談員をしています。サポートに関わる方も、自分の声や気持ち、考えを受け取ってもらえたという、心がじわ~となるような対話の心地良さを体験することがケアの一歩になるのではと思います。
児童相談所の職員です。自身の人間としての声よりも仕事に付随する役割に応じた言葉が求められる。しかし、それによって給料を貰っている。何者でもない自分として関わる機会があれば良いなと思います。
向精神薬で一生治らないジストニアになりました。もうジストニア歴20年でこれから死ぬまでずっとです。本当にタイパ・コスパが悪いですね。
斎藤環さん、ありがとうございました!
地域で暮らせるくらいに病状が回復されているのに、困窮経験がトラウマで入院している方もいらっしゃる。地域だと精神障害を隠さないと生活出来ない偏見があるから助けを求められないのかも
支援者側のコスパと社会全体のコスパは分けるべきです。単純に言えば、専門家2人を1時間拘束するのであれば、その対価は支払われるべきで、患者側が高い(コスパが悪い)という言葉を発している点にも注目したい。
家族は基本だと思うと同時に、家族がいない、何らしかの事情で家族と関わることに危険がある人にも、地域、医療、
学校どこかしら家族のように一緒に考えて聴いたり話したりできる、家族のような空間は必要だと感じました。
始めて聴く言葉で、勉強になりました。ありがとう
子どもの施設で長く仕事してました。いまだにルールや規則により子どもを縛り、違反すると児相に一時保護。衣食、遊び、学びなど幼児期から子どもが声を出せるような取り組み、視点を支援者が持てるには?
看護師として主に救急医療、精神医療分野で後に保護観察官、現在は児童福祉司として働いています。私は、公務員として、職権を扱う強制力を持つ立場として、民間の方々と役割分担しながら、業務にあたっています。
この場は、お医者さんが3人いて、大学の先生がいて、スクールソーシャルワーカーさんがいるけれど、1番近くにいる看護師さんや学校の先生がいないのは、なぜでしょう?ここに、すでに声に権威勾配があるのかしら?
オープンダイアローグのネットワークが当事者、家族、支援者の垣根を越えて社会的ネットワークとして、それぞれの方の主体性を支える「セイフティネット」のようにあればいいなと思いました。
オープンダイアローグ、対話の大切さがもっと多くの方々に知ってもらいたいです。NHKさんお力添えよろしくお願い致します。第二弾もぜひお願いいたします。勉強したいです。
森川さん、経験のシェアになっていますね!これがオープンダイアローグなのかなと思いました。
想いを文章として言葉にするのは考えたりまとめたりする時間があるのでできるのですが、リアルタイムの会話でキャッチボールするのが苦手です。その場の流れで即座に想いを声にするためのポイントはありますか?
支える人がオープンダイアローグで自分の心配を出せるのなら、支えられる側もオープンダイアローグを提案できるのではないか。専門家じゃないとできないという制約を自ら作っているところもあるのではないか。
スクールカウンセラーをしています。問題行動とされる生徒は生徒指導の先生からの指導という形での関わりが主になっていますが、学校現場にオープンダイアローグをどのように取り入れられるかヒントをいたたいです。
私の「支えてくれている人」は友人です。(両親、きょうだいは他界、又は疎遠になっております。)専門職ではないですが、病気を勉強してくれている友人の声、行動は他者性があるからです。
休学中の息子、幼少期には広汎性発達障害と診断され、高校時にうつ病になり、その後統合失調症と診断されました。
母の私が話題に乏しくうまく対話ができないのが悩みです。対話を続け息子を支えたいのですが…。
ネガティブケイパビリティモヤモヤの中で生きる。世の中急ぎ過ぎてる…
精神科クリニックで働いている者です。自分も含めて、言語化できない「声」を聴いて、聴いてもらうことで、こころに余白が生まれるという考えが素敵だと感じました。
スタジオと各参加者の場所、こうして離れていても、メッセージでの対話や、それを聴きながら個人の中での対話って進むものですね。
くらです対話とは相手との創造行為であり決して当事者一人では出来ませんそういう中で精神科医をはじめとする支援者に望むことは。一度壊れてしまった自分自身と言う個人を創造していく為の支えや足掛かりを望みます
矯正領域で働いています。とても励まされる気持ちです。斎藤環さんが、オープンダイアローグについて欲望形成支援と話されていて、意思決定支援との違いが印象的でした。
リフレクションの時に、正しいことを言わないといけないと思ってしまう傾向があります。対話とは、今この習慣に感じていることを置いていく場であって、気持ちが変わっても良いと感じて気が楽になりました。
皆さんの対話を聞けてとても良かったです。声を置くという在り方でいると穏やかに話が聞ける可能性を感じています。対話の場、やれる場面を見つけて実践していきたいです。こうした企画をありがとうございました。
経験者の皆様にも、タイムリーにどんどん変化されていく、動いていく、これがダイアローグなのですね~。
「言葉」よりも「声」を身体の一部として、全身で身をここにおく、ということ、Viewである、ということがとても心に沁みました。対話は経験のシェア=水平線ということがすごくイメージ出来ました。
今回、先生方のお話を聞いて、オープンダイアローグはただの会話の場ではなく、今ここ”を大切にするマインドフルな対話の場や空間なんだなと感じました
テレビ(オンラインフォーラム)という場でも、オープンダイアローグの体験を感じることができるものだなあという不思議な感じがしています。今日の体験も大切にしたいと思います。皆さまありがとうございました。
くらです。今回の皆さんの対話がこの日本でのオープンダイアローグを形作っていくためのダイアローグなのだと拝聴しました。これからもこのフォーラムが終わった後も皆さんでダイアローグを続けて行って欲しいです。
正に、今日のこの皆様のやり取り、心が動いていく…ダイアローグそのものなのですね?
まき奈良60代。今日のような場を企画してくださったNHK厚生文化事業団の方と登壇者の皆さんに感謝です。本人家族支援者さまざまな立場が集まってこそ、対話が開かれるのだなと感じました。
養護教諭として働いていたことがあります。おとなもこどもものびのびとしている学級は、自然とオープンダイアローグのエッセンスが入っていたんだなと感じました。
必要としてくださる時に声をキャッチしていけるように、斎藤先生からいただいた「マイルドなおせっかい」を心に置いていかしていきたいと思います。ご助言ありがとうございます。
言葉と声の違いは大事に感じました。声というと声に気持ちが乗っているのかなと思いました。
訪問看護をしています。解決を焦る家族に長期的に見ていきましょうと言いながら、家族や本人さんと対話を試みています。自分も肩の力を抜きながら、見ている世界を感じ取って、応答していきたいと思いました。
医療に先駆けて、刑務所で対話実践が始まったのは、どうして?その波及は?
統合失調症の息子がいます。苦しい措置入院を経験、幻覚幻聴は服薬のお陰でやわらいできましたが最近は「何もやる気が起きない何をしても楽しくないイライラする」と言います。どう対話していけばいいか知りたいです
矯正領域で働いています。誰かの話を聞く、そのために自分の話をきいてもらう必要があるという、矢原さんの話が印象的でした。職員が受刑者や少年の話を聞けるように、まずは職員の話をしっかり聞きたいと思います。
オープンダイアローグを受けたいけれど、受ける場所がないのが現実です。受けられるまでは、病気の事を勉強してくれている友人に声をかけたいと思っています。友人、声を聴いてくれていつもありがとう!!
本人の声、家族の声、支える人の声、どれもが自分の声でもあり、まわりにいる人の声でもあり、とても胸に響いて切なくなりました。
すいめいさんの「意思決定は未来のことだから、予言者の仕事」にフッと笑いながらも、結論や方向性を決定しないと進まない仕事も多くあります。しかし、そのプロセスが大事になると強く感じさせていただきました。
精神科クリニックで働いています。オープンダイアローグの仕組みがないからできないではなく、まずは身近な人との
対話から「声」を聴き、聴いてもらう経験を積み重ねていくことから始まっていくのですね。
今日、画面を通して、場を共有できたことがありがたいです。オンラインでも効果があると感じたので、そうすると、高額なお金もかからず、たくさんの人、たくさんの場所が、対話の場として生まれそうだなと思いました
看護基礎教育に関わっています。今の看護教育自体が問題解決思考であり、正解を求められる、それが現実ですが、その中でもあきらめず、学生や職員同士、対話をこころがけたいです。ありがとうございました。
くらです。今回、専門家である先生方も探りながらのオープンダイアローグなのですから短い診察時間の中での聞き分けの良い患者であることに終始してしまわないために我々はどうしたらいいのか?考えさせられました
老子で「大道廃れて仁義あり」というが、飲み会、祭り、地域のつながりなど、他人の言葉を聞く場が失われ、仕事に関係ないことを聞けばセクハラ・パワハラと言われる世の中だからこそ、対話が求められていると感じた
安心できる雰囲気だからこその対話の応答。見ているこ私も体験したことを思い出し、気持ちが動き、そして希望を感じる瞬間がありました。ありがとうございました。
私自身そうですが、当事者であり、家族でもあり、支援者だという方も多いのではと思いました。個別相談だけじゃなく、体験をシェアできる場が増えて欲しいと思いました。無いので自分で作る人も増えています。
「支える・支えられる」から「経験のシェア」へという転換が心に残りました。その為には「安心して、ジャッジされることがなく、自身の経験をシェアできる」文化や環境を育んでいかないと!と思います。
精神保健福祉士です。誰かの話を聴けるように、自分の話も聴いてもらって自分の中に余白を作って、何かを手放す。同感です。でも、支援する現場では難しいなと思ってしまいます。
有難うございました。家族でリスニングワーク(聴いてもらう経験)を行うためにはどうしたらよいかと思いました。
目先の問題解決をすることが役割・仕事だと刷り込まれているなと痛感しました。成果とか貢献とかって、偉い人への目線ではなく、いまここの、プロセスの中でのことですよね。
1対1ではなく、1対2からでもオープンダイアローグ的な対話はできる。三人寄れば文殊の知恵の意味もここに重ねたいと思った。
との声も大変な状況の中でそれでも変わりたい、変われる場がほしいという気持ちを持ち続けているように思いました。小さな思いが重なって大きな波になれるよう自分もその一滴でありたいです。
対話を始めるために、私から対話の場所を作ってみたい。役割を下ろして話を聞いてもらう場を作って、まず体感してもらうことが、更に多くの対話の場を作る近道な気がしています。ありがとうございました。
ありがとうございました。当事者の声家族の声支援者の声この3つの声が温度差なく水平に伝えあえるようになると良いですねそのためにはなにからはじめるか…考えてみます
自分の声を聞いてもらえると、人の声も聞こうかなと思える。たしかにそうだなと思いました。メッセージの中にあった、「他害や他責傾向のある方」は、十分に声を聞かれてこなかったのかもしれないなと思いました。
職場で上司やスタッフが水平な立場で話すことに難しさを感じていたので、今日のお話を参考にできることをやってみようと思いました。問題に焦点化せず、結論を出さず小さくても対話を重ねていきたいと思います。
最初は、参加している自分の体も身構えて硬かったように思いますが、寄せられたメッセージの言葉の奥に書かれた方の存在を感じ、受け取って対話される先生方の姿に心温まり、今リラックスしている自分がいます。
「対話」という言葉を見聞きする頻度に対し、対話の場面を実際に見る経験がなかったのだと思いました。次の方がお話されるまでの微妙な間、話を終える時の声を薄めていくよう言葉選び。勉強させていただきました。
今日はありがとうございます。本日は16時から視聴させていただいてます。先程ご質問した者ですが、「対話を続ける」ことが私には難しく、統合失調症の息子を対話で支えたいのですがうまくできないことが悩みです
皆さんが座っている椅子は、幾つかある中から、座り心地が良いものを選ばれたのでしょうか。そういう始まり方も大切ですね。
本当に大事なお話ばかりで素晴らしい時間でした!私は当事者家族である支援者で長年発達性トラウマや社会の偏見により大変でしたが、ODに出会いかなり生きやすくなりました。もっともっと社会に広めたいです。
精神保健福祉士受験の通教受講中です。オープンダイアローグは教科書に半頁ほど解説されています。が、もっとページを割いてくれてもいいと思いました。スクーリングの際に質問してみようかなと思います。
司会進行の方や出演された方々のゆっくりしたペースと静穏なお声が画面を通してでも感じられて、深い呼吸が出来ました。ゆとりの時間をどうもありがとうございました。
会場の雰囲気がゆったりしていてとても心が和みました。皆さんの声を聴かせていただき、私の心が軽くなりました。ありがとうございました。
熊本で少年院で働くソーシャルワーカーです。今日参加してよかったです。これからも少年の「声」を聴き体感し
私もその声に影響受けるのがイメージ出来ました。優しい世の中になる一つのピースになりたい。
会話に参加しない権利 沈黙の権利 すごく胸に響きました。支援する、されるの関係じゃない 力が抜けてほっとします。言葉は言霊 一度出したら無かったことにはできない。沈黙の権利があればきっと大丈夫。
矢原先生が仰った「専門家がいなくても、まずは新たな声を対話内に入れる事から」の声が沁みました。固まった権威勾配をまず揺らす事から。ハラスメント対策でも同様だと痛感しました。ありがとうございます。
日々、「多文化共生×心理職」をキーワードに多様な人の人生を応援する心理士になれたらと奔走しています。水平な関係、横並びの応援者として、経験のシェアをしていけたらと思いました。ありがとうございました!
介護のためにオープンダイアローグの学びから離れていましたが、やっぱり自分に必要だなと実感しました。「人のこころは揺らぎながら変化していく」沢山の大切な声に感謝。
紹介されたそれぞれの立場の方の声を聞いたり、先生がたの経験や思いを聞くことができ感謝しています。子どもも大人も心身ともに安全な場で、その時その時の自分を受け入れてもらえることの大切さを痛感します。
不登校の中学生の母です。今日参加できて、学校や地域の中での対話の場の重要性を改めて感じました。皆さま、経験のシェアをしていただいてありがとうございました。自分にできることをこれからも考えていきたいです
SCをしています。本日参加させていただきオープンダイアローグについて、わたしたち支援者を含めて先生方など多くの人が学ぶ機会を作っていけたら少しずつ生きやすい社会になっていくのではないかと感じました。
行政機関での支援職です。支援職の声が聞かれる場があることがより良い支援につながるのではないかと改めて強く感じました。しかし、多くの行政機関の支援職の声が聞かれる場が仕組みとして作れれていません。
視聴者が1500人もいながらどうやって視聴者とゲストでダイアログを展開するのだろうかと思いましたが、皆様の「声(View)」を基にゲストが対話を重ねて「経験の場」が作り上げられて感動しました(りた)。
不登校の子の親を経験し、これからは支援の立場で何かできることはないかと思っています。「オープンダイアローグ」…恥ずかしながら、初めて聞いた言葉でした。対話について、さらに勉強してみたいと思います。
対話って言葉だけじゃなくて、にっこり笑顔を交わしたり、つらいよね
支援する側です。当事者の声を聴くことの大切さを実感しつつ、日々限られた時間中で結果を求められる現実にも疲弊しそうでした。でもまさにその構造が問題だと気づけました。声を聴くことを続けていきたいです。
私も支援する側、される側という役割意識というものに、生きづらさを感じていました。そうした立場を越えて、コントロールを手放し、経験をシェアできる場が広がっていくことを願い、私も創造していきたいです。
できるだけ意思決定をしないように対話を続けるという言葉にすごく驚きました。ご本人の意思決定を尊重できる関わりや支援を行っていたので、改めて対話の可能性を考えさせられる機会になりました。
斉藤先生のお話から、医療や福祉の仕事に就くまでに、治療に家族が関わることや対話の大切さを学ぶということが必須ではないのか、それを大切にする人としない人との差が大きいのは何故だろうと思いました。
ひとつの考えに囚われることなく、いろいろな視点から考えれば良いんだと気づかされました
あたたかい時間を過ごす事ができました反芻したい言葉に溢れていてぜひアーカイブを残して下さればと切に願います 長時間に渡りありがとうございました
家族の会話対話の難しさについて。大事なことは話さないおしゃべりを大事にする。そうすることで、大事なことの問題が小さくなっていくこともあるのだという。大変面白い,位置付けの説明だなと思った。具体例が欲し
まさに視聴者がコメントして、皆さんが話し合っているのを見るオープンダイアローグだなと思いました。こうした放送をNHKさんにもしていっていただけると良いなと思いました。
訪問看護師三人で集まって、見てます!身体の中にこころがあり、生まれでてくる声、それは優しい声だけでない、叫び、怒り、悲しみ、身体にしみ込んだ感情が声として「あいだ」に表れ出てくるときを大切にします!
森川さんの喉の調子が悪いときに義兄が診察を受けました。つらそうな森川さんをかばうように良く話し、診察室を出た後も穏やかな表情でとても良い一日でした。他者を思う気持ちがそうさせたと思っています。
今日のお話を聴いていて「支える支えられる」ということが、日々の中で相互に起こっているのだと感じました。自分がどちらかということではなく「経験のシェアへ」という言葉がストンと心に落ちました。
参考になりましたありがとうございました
「きききること」「言いきること」は、自分で心掛けていきたいです。相手に話をきききるには、自分の話をきききってもらった経験・自分がはなしをいいきった経験があると、体感覚として実感できそうです。
本日は貴重なお声をありがとうございました。やはり私は、「当事者」「支援者」という言葉が嫌いです。それは、自分自身が当事者でもあり、支援者(を目指している)からだと思います。一人の「人」でありたい。
息子や家族とうまく話せないことがあります。「さん」付けでお互いを読んでみることで何か変わるならやってみたいと思います。
自分を支援者というのも違うような気がする・・と違和感を持ちつつ寄り添った経験がありますが、経験をシェアしあう関係ということに希望を感じました。古い価値観や枠組みを変えていけるといいですね!
オープンダイアローグは雑談が推奨されますが、問題を軽くする効果があるのですね!問題の焦点化や意思決定等の結果を焦らず、プロセスを生きるということ・・・理解が深まりました。ありがとうございました。
当事者家族、支える人でもあります。斎藤環さんが言われていた「草の根的にやっていくことも大事だ」という言葉や、皆さんのやわらかいシェアの様子に、マイルドなおせっかいをどんどんやりたいと思います。感謝です
登壇者のみなさんが、言葉をその辺に「置いておく」とおっしゃるのがとても印象に残りました。え?置きっぱなの?と少し不安に感じつつ、同時に何かが始まりそうなワクワク感も感じてしまう初めての体験でした。
子どもの不登校、自殺、虐待件数増加、これは子どもの問題でなく大人、若者の現実でもあります。オープンダイアローグは自分事として自分を語り開くことから始まると思いました。
自分が辛い状況にあるとき、先生たちにこんなにやさしい雰囲気で話を聞いてもらえたら、号泣するなと思いながら拝見しました。子どもの不登校、回復していくプロセスで、家族の対話はできていたと再確認できました。
神奈川県 あおいそら 当事者家族です。先生方の優しい口調の対話をお聞きしていて、このような医療者、支援者の中でオープンダイアログに参加できたら我が家の当事者のこころも解放されるのではないかと思いました
支援者です。対立の激しい出来事があり、その方との対話を諦めた時期がありました。でも安心して話せる方との対話を行う中で、私が癒され、対立していた相手に対する思いが変化したことを思い出しました。
制度的に利用しやすくなれば、小さな声も届きやすくなりますね。参加して、先生方の声から、安心に繋がりました。その声をまた繋げていけたら、良いものだから、広がるように感じました。ありがとうございました。
私は経験専門家として対話実践をしています。私には立場も経験もないので、自分に人を支えることが出来るなんて思うのがおこがましいと思っています。ただただその人の声を聴く、シェアしてもらう姿勢を大切にしたい
本日はありがとうございました。参加して良かったです。あっという間でした。それは「対話の場」を実践して下さっている中に自分も居る、そんな実感が得られていたからだと思います。「今ここ」の大切さに感謝です。
オープンダイアローグの映画製作中と伺いました。森川先生も出演されるとのことで、大変楽しみにしております。
オープンダイアログの果たす役割は、ぴあ≒当事者意識と同じだと思う。
孫が学校に行けないことから始まって、関係が混乱してしまって緊張感が充満している複数家族の中に、どうしたら、声を聴き合う場を作り出せるのでしょうか?高齢祖母の私に何ができるのでしょうか。
今日ここにでた声が、参加できんかった人に伝わる手段があったらいいなと思った。
ピアサポーターです。私もすぐ解決しなきゃの癖があります。猛省
これは本当に専門家がすべきことなのだろうか。他の様々なこと同様に、家族や地域の役割が外部化されて、専門家がせざるを得なくなってしまっただけなのではないか。
スクールソーシャルワーカーです。オープンダイアローグの実践を考えています。本人がいるところで、フラットな関係性で、変わっても変わらなくてもお互いに影響し合う空間を、一緒に経験していきたいと思います。
実際のやり取りをみてみたっかたです 漠然としてダイアログの中身がわからなかったです
精神科慢性療養病棟の看護師長をしています。今日のフォーラムでの皆さんの声を体全体で受け止めて、大きく心で深呼吸できました。疲れていましたのでエネルギーチャージ出来ました。ありがとうございました。
教材ビデオをお借りして拝見しました。今日の、番組としては長い時間の飾らな語らいの中に身を置き、初めてオープンダイアローグを今の生活に即生かせると確信しました。あなたの声を「聴かせて」。
家族の者です。対話の重要性を確認しました。 また時々このような企画を続けて欲しいです。励まされます。
当事者(本人、家族、支援者)の声を聞いて、ゲストの皆さんが対話をする姿が、まさにリフレクティングを拝聴している想いがしました。オープンダイアローグがもっと日常の中にありますように。
適応障害のある夫がいます。15年ずっと彼に無理をさせないように、「がんばれ」と言わないように気を使って支えてきたつもりです。私は福祉の仕事をしています。業務が難しくスピードが求められる部署になりました
オープンダイアローグとはそれぞれの経験のシェアが織りなすレゾナンス(波紋)のように感じました。
子供の障害のため社会では白い目で見られる時がありますが先生方が一人一人を大切に尊重して下さるお言葉に親子で堂々と生きてていいんだと思いました。ジャッジを入れず子供の言葉を受け止めプロセスを大事にします
双極症の娘を8年間支える母親です。今回のオープンダイアローグで、問題に焦点をあてない、大事な話はしない、意思決定はしない。大事なことは、今生きていること。本当に目から鱗でした。感謝いたします。
今度は私が適応障害(疑い)になり、退職しました。夫に話をすると解決に進む方向の話ばかりになります。私はただ聞いて共感してほしいのに。寄り添って一緒に困ってくれるような考えてくれるような存在がほしいです
統合失調症から双極性障害と診断されたものの家族です。こんな風にケアして頂けたら、どれだけ違う過程になっていただろうか?無念さと同時に希望も湧く。日本の文化に親和性あるアプローチでは?ご尽力に感謝です。
おやつの時間、いいですね。散歩の時間とか電車の時間とか。
そこに存在し生きてていいんだと思える時間となるように、支援者の自分自身の声も大切にしていきたいと思いました。
聴ききるということが、慣れない、したくない親御さんに、オープンダイアローグの良さを説明するにはどうしたらよいかと思っています
発達障害の当事者です。以前は家族で会話がうまくできませんでした。親と病院へ行ったり薬を使うことによって考える余裕が生まれ、その結果毎日親と一緒にゴミの分別をするのが対話になています。
会社を定年退職して3年目です。職場にパソコンが入ってきて、会社で口を開いて話すことがほとんどなくなりました。茶のみ話をする時間などなかなかなくなりました。用件のみパソコンに打ち込む感じになりました。
職場で同僚達と日々の出来事、感じていること等を話す時間があり、オープンダイアローグだったと思いました。傍に上司が座るようになり安心して話すことが出来ず、その時間がなくなると仕事がしんどくなってます。
どうして声が出せないのか考えさせられます
スクールカウンセラーをしています。子どもたちと対話の場を開かれている高口さんのお話をお聴きし、インスパイアされました。子どものうちから対話を続けられたら、きっと平和な世界になるかなと希望を持ちました。
なるほどです!家庭では対話とかしこまらなくても一緒に子供と遊んだりお菓子を食べたり星を眺めてもいいのかな。。今日はとても安心できた一日になりました。ありがとうございました!
先生がたの話を聞いて、人は本当に対話をするために生まれてくるのだなあとしみじみ思いました。Born to dialogue! 言葉を使わない場面も含めてただの人として対話をしていきたいです。
こころが暖まる時間でした。周りの方達と、家族とたくさん対話したくなりました。ありがとうございます。
皆さんが声を置く時にふと挟まれる言葉がとても素敵で心に残りました。差し込んだその一言で、空気がやわらかくなる。対話の力を静かに感じています。
国の機関として構造的にできることはあるのでしょうか
不登校の親子の伴走をする活動をしています。支援を求めれる方への関わりにに困っており、オープンダイアログの関わりを学びたいと思っていました。今日は自分を振り返るいい機会でした。実践者になりたいです。
またこのような催しを定期的に開催してください。ありがとうございます。学ぶもの多いけれど、対話は呼吸ですね。
ゲストの皆様、スタッフの皆様、豊かな時間をありがとうございまいした!良き時間でした。
どうもありがとうございました!!
おつかれさまでした!皆さまどうぞご自愛くださいね。
ありがとうございました。とても素敵な時間でした・・・
仕事は支援者、ですが当事者性があります。だからこそフラットになれるかとも思います。後見人もしています。後見人の立場では、
ありがとうございました!
ありがとうございました!
ありがとうございます
良かったです♪ありがとうございました~
支援者です。npoでファミリーカウンセラーをしており最後の森川様の「赤ちゃんのころから対話は始まっている。不快なことがあり全身で表現する。養育者が不快を満たす。」まさにメンタライゼーション理論です
とっても素敵な、心癒される時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました!
大変良かった。またいつかオープンダイアローグについてで行ってほしい。
オープンダイアローグ、大変良い時間を有難うございました。今後ともご活躍を祈念します。
寄せられた声の中で、「他罰的 他責的な人への対応は」というのがありましたが、出演者の皆さんの応答を聞きたかったです。
匿名、全コメントに回答!凄い講座でした。ありがとうございます。
それぞれの立場のお声も聞けて、とても勉強になりました。私がお手伝いしている家族会でもぜひ参考にしていきたいと思います!そして、勉強会に参加しないのも権利と伺ってそうなんだと納得しました。ありがとうござ
ひきこもりの娘をもつ父です。今回フォーラムに参加させていただいて話を聞いているうちに泣いている自分がいました。対話したくても顔も見れない関係です、どうしたら良いでしょう。
地域でほそぼそと女性の対話の会を開いています。先生方の優しい声に癒され、経験にもとづくバランスのよい考えにたくさんの気づきを得ることができました。ありがとうございました。
4時間はキツかった。まとめた上での先生方の答えだと、なんだか一般論になりがち。質問内容を絞った上で先生方の意見をきいた方が先生方も答えやすいのでは?時々難しく感じたので、わかり易く簡潔に答えてほしい
統合失調症当事者です。孤独です。オープンダイアローグ受けたいけど、料金が高くてなかなか受けられません。専門の方から手軽に受けられると良いなと思います。
家族の介護をしています。 森川さんの講演を聴き、当事者(困っている人)を真ん中に置くことを大切にしたいと思います。
以上、フォーラムにお寄せいただいた1095件のメッセージをご紹介しました。メッセージをお寄せいただいた方、お読みいただいた方、ありがとうございました。
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