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この人に聞きたい

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早瀬 昇(はやせ のぼる)さん

社会福祉法人大阪ボランティア協会 理事/事務局長

大阪府生まれ。55歳。大学在学中に「大阪交通遺児を励ます会」の活動に参加したことをきっかけにボランティア活動を始めました。1991年に社会福祉法人大阪ボランティア協会の事務局長に就任。阪神・淡路大震災の時には、全国の市民活動団体や経団連1%クラブ、企業など22団体と連携し、「阪神・淡路大震災 被災地の人々を応援する市民の会」を結成。延べ2万人余りのボランティア活動をコーディネートしました。阪神・淡路大震災で、早瀬さんのボランティアがどう変わったのか聞きました。


Q早瀬さんは大学時代からボランティア活動をされているそうですが、どんなきっかけがあったのですか?

Aボランティア歴36年。人生の3分の2ですよ。(笑)
きっかけは「ゆっくり大阪の街を歩いてみませんか」という面白そうなイベントがあったんです。1973年5月3日の深夜0時に中之島公園に集合して、大阪の街を歩いて大阪城公園で解散というね。それに応募したんですが、説明会に行ってはじめて、それが「交通遺児を励ます会」の運動だとわかったんです。車の普及にともなって交通事故の死者数が増えたので、車社会を見直そうという運動だったんですね。

しかも説明会に行ったら2人しかいない。そうするとスタッフと同じようになるわけです。僕は、当日の連絡係になった。すると「NHKですけど、今日の参加者は何人ですか」とか「朝日新聞ですけど、今、先頭はどこにいますか」とか電話がかかってくるんですよ。大学1年生がマスコミから取材を受けるわけ。これはおもろい、と思ったのが間違いのもとですね。その後1年間は、交通遺児家庭の子どもを集めたイベントやキャンプをしたり。大学は工学部で忙しかったので、付き合い程度にやっていました。

ボランティア活動って、あんまり構えて活動する必要はないんですよ。フットワークなんです。腰の軽さが世界を開くんです。

2年目になったときに、交通遺児を励ます会のリーダーが「やめる」っていいだしたんです。残ったのは3人だから、僕らもやめようかと思ったんだけど、僕らがやめたら、このグループつぶれるよね。交通遺児の人たちどうするんだろう、と責任を感じたんですよ。ボランティアって、いつでもどこでもだれでも気軽に楽しくできるんだけど、どこかで責任を感じるときがあるんです。責任を感じだすとね、一つ階段を上がるんですよ。

結局、僕が会の代表になりました。大学2年生で名刺を持って、交通遺児家庭の実態調査なんかをしていきました。交通遺児家庭ってほとんどが母子家庭なんです。母子家庭の生活を保障するための制度を要求するわけですよ。ここで僕は意気に感じた。

“社会の仕組みを変えていく仕事がしたい”。23歳の時に「大阪交通遺児を励ます会」が所属している、大阪ボランティア協会に就職したんです。月給8万円でしたけどね(笑)

Q大阪ボランティア協会では、どんなお仕事があるのですか。

A主には“ボランティアコーディネーション”です。ボランティアをしてほしい人とボランティアをしたい人をつなぐ仕事です。ボランティアの依頼がなかったら、ボランティアの仕事を作ることもします。“プログラム開発”といって、コーディネーションのとても大事な仕事の一つです。サポートを受ける側、ボランティアする側の満足をつくる、それが僕らの仕事なんです。そのためには“ボランティアの自発性を高めるよう働きかける”“依頼者一人一人の暮らしに視点を合わせる”ということが原則になります。

1995年1月21日(土)活動開始
午後1時30分:グループに分かれ避難所まわり
この日参加したボランティアに対する受け入れシステムはまったく整備されておらず、とにかくノートに名前と連絡先を記入してもらう方法だけで受け付けた。スタッフは、受け付けたボランティアを順次グループに分け、活動について簡単なオリエンテーションをした上で、協会のボランティアリーダーとともに事務所周辺の避難所まわりから活動に入った。

1月22日(日)「引率方式」の破綻
午前8時:参加者は一気に280名。受け付けはパニック
ボランティア希望者は増えると予測はしていたものの雨天でもあり、出足は遅いのではないかと予想していた。
ところが朝8時には列が延び始める。はやるボランティアに「私どもも一睡もしていません。準備を進めていますから、ちょっと待ってください」とスタッフ。
これだけ大量のボランティアに対して、前日のように、その場で編成したグループにリーダースタッフを付けることは人数的に不可能だった。朝9時の最初の受付時間でリーダースタッフが出払ってしまったのだ。それに初日の約5倍のボランティが駆けつけたことで、受付は大混乱となり、事務所は一瞬にしてパニックに陥った。

『震災ボランティア』「阪神・淡路大震災 被災地の人々を応援する市民の会」全記録より抜粋

Q阪神・淡路大震災のときには、延べ2万人以上のボランティアが駆けつけたそうですが、『震災ボランティア』の記録から、当時のコーディネートの大変さが伺えますね。

A正直言うと、阪神・淡路大震災の直後は、僕らコーディネーションの仕事をするとはあまり思っていなかったんです。イメージがなかったんです。避難所の手伝いか何かをするのかと思っていた。コーディネーションをするんだ、ということに気づくまでに1日くらいかかりました。だって普段はまったくペースもゆっくりだし、事務所にわざわざ来るボランティア志願者は年に300人くらいですよ。阪神・淡路大震災の時には、4か月間に延べ2万1000人来たんですよ。

最初のうち、僕らボランティアの受付をしたんです。あっという間にパンクしますよ。災害時のボランティア登録って最悪なんですよね。ボランティアが指示待ちになるんですよ。あるいはお膳立てを期待させる。これはあかんわ、ということになって「いつでも来たい時に来てください」というシステムに変えたわけです。

災害時に大事なのは、二次災害を防ぐことなんですよ。だからボランティアをしている方が、今どこに行っているかを完全に把握しないといけない。どうするか。ボランティアを付箋に見立てるという方法を思いついたんです。

まずは、依頼されたボランティア活動のメニューシートを10個くらい事務所の壁に貼っておきます。事務所の前からずっと駅まで並んでいるボランティアに、20人ずつ入ってもらって「こんな活動があるんですけど、自分で選んでください」といって、自分の名前を書いた付箋を貼ってもらいます。定員が10人の活動に、付箋が10枚貼られたらOK。「この活動を選んだ人、前の道路に出てください」といって、道路で活動の説明をして、そこで即席のボランティアグループができるわけです。

最初は、ボランティアに「したい活動」を選んでもらえてなかったんです。“ボランティアの自発性を引き出す”という原則は、通常のボランティアコーディネーションとまったく同じなんだ、ということが初めてわかりました。

Q阪神・淡路大震災をきっかけに、ボランティアに対しての考え方に変化はありましたか?

A確信を持ったことはありました。ボランティアというのは、使命感持って始めるとか、自分のしたいことを我慢してする、というイメージがあるじゃないですか。阪神・淡路大震災のとき、事務所に来た人たちの様子を見て思ったのは、彼らは我慢できなくて来たんですよ。ほっとかれへんから。

“ボランティア”という言葉は、英語の“ボルケーノ(火山)”が語源なんじゃないかと僕は思っているんです。ボルケーノもボランティアも、ぼわーって火山のように湧きあがってくる、ほっとかれへん、と思って人が動く。やりたくてしかたがないから始めるのがボランティアなんだ、ということを震災の場面で思いましたね。

それまでは、ボランティアを集めようといろいろやりました。ボランティアのイメージを変えるために一生懸命だったんです。ボランティアはがんばる人が疲れる。だから「真面目悪魔を追い払おう」とか言って「ボランティア悪魔払い講座」をしたり。「ボランティアはアガペではなくてエロスだ」、神の愛じゃなくて自分の好きな事をしているんだからエロスなんだ、とかね。

でも、なんぼいうても、人けえへん。それが震災の時は受話器を置いたとたん、電話が鳴るんだから。まさか自分の事務所にボランティア活動したい人が列をなす日が来るとは思いもしなかったですよ。やっぱり人っていうのはそういうものなんです。そういうエネルギーを信用することが大事だということが、今は、確信を持って言えますね。

Qこれからは、どんなことに取り組んでいこうと思っていますか。

A現役のサラリーマンに、ボランティアを広めることです。企業人はボランティア活動への参加プログラムが最も開拓されていない人たちだと思うんですよね。サラリーマンが動けば、すごく面白い社会が作れると思うんです。

ボランティア活動で、自分たちが社会を変えられる、よりよい社会の主体になれるんだ、という実感を持つことが大事なんですよ。お手伝いじゃない。自分の問題にすることです。どこから入ってもいいんです。どの活動をするのが一番いいかなんて、あんまり悩まんでええんです。おもしろなかったらやめたらええねんから。たまたま出会った活動がおもしろかったら、どんどん世界が広がりますよ(笑)

取材 大和田恭子



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