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この人に聞きたい

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黒田 裕子(くろだ ゆうこ)さん

NPO法人阪神高齢者・障害者支援ネットワーク 理事長

阪神・淡路大震災当日から、宝塚市立病院の副総師長として、宝塚市立総合体育館の救護センターで被災者の看護にあたりました。1か月後、地域の医療機関が復旧し救護センターは閉鎖しましたが、「今しかできないことをしたい」と退職して、神戸市長田区でボランティア活動を始めました。1995年6月には1060世帯1800人が住む神戸市西区の第七仮設住宅に拠点を移し、阪神高齢者・障害者支援ネットワークとして活動を始めました。現在は、神戸市営地下鉄・伊川谷駅にある「伊川谷工房・あじさいの家」を中心に、高齢者、障害のある人、幼児、母親などへ幅広い支援を行っています。阪神大震災から始まった黒田さんのボランティアについて聞きました。


Q神戸市営地下鉄・伊川谷駅の改札を出てすぐのところに、現在、活動の拠点にされている「伊川谷工房・あじさいの家」があります。ここではどんなことをしているのですか。

A一つは「デイサービス」です。「生きがい対応型デイサービス」という神戸市の委託事業で、介護保険の対象にはならないけれど支援の必要な高齢者が対象です。手芸や書道など趣味の活動を楽しんだり、昼食とおやつを召し上がっていただいています。

もう一つは「つどいの場」。これは、私たちが独自に行っている事業で、コーヒーや紅茶をゆっくり飲みながら、おしゃべりを楽しむ喫茶コーナーです。

それ以外に、仕事を失った人たちに仕事を提供する「しごと場」、介護、医療など生活全般についての相談を受ける「相談の場」があります。

ここは駅の下で、皆さんが雨に濡れないで来られるでしょ。だから障害のある方や子ども連れのお母さんなど、いろんな方が利用されています。三宮や灘など遠くの方からもお見えになっています。

ここでお知り合いになった人たちが、電話をかけあったり、ご自宅へ訪問しあったり、困った時には助け合ったりして、ここをきっかけに支えあいの仕組みができています。一人でも多くの方が閉じこもりや寝たきりにならないように、またうつ病にならないように、皆さんの集まる「場」を提供しています。

Q働いているのはどんな方ですか。

A常時10人前後のスタッフがいます。小学校の先生や保育士をされていた方、お花の先生など、皆さんボランティアです。およそ全国から4000人がボランティアとして登録されています。

私たちは、ボランティアであっても、理念と責任を持って活動をしています。ボランティアは自己満足でしたり相手のところに土足で入るようなことをしてはいけません。その人が本当に望むことをきちんとやる。こうしたことを守りながら、一人の人間として相手と向き合うことをいつも心がけています。

例えば、96歳の認知症のおばあさんがいらっしゃると、スタッフの一人が、その方をどこに座らせたらよいか、両隣りや前にだれを座らせるか、おばあさんの認知症が少しでも改善できる仕組みをいろいろと考えます。それを元に、またスタッフ全員でディスカッションし次につなげます。

ここに来られない人たちは、ご自宅へ訪問して、健康状態を見ながら、こちらへ出て来るようにお誘いしたり。障害のある方に対しては、公的な支援を受けられるよう手続きをして、外出ができるように支援しています。

自立と共生ということを原点におきながら、その人が今を豊かに過ごすことができるよう、最後までその人らしく生きることができるように見守っていく。それがこの15年間、私たちがやってきたことです。

Q黒田さんは、阪神大震災から1カ月後に宝塚市立病院の副総師長を辞め、ボランティア活動を始められましたが、どのような思いだったのですか。

A地震の後、孤独死が増えていきました。地震で命が助かったのに、なぜ次から次へと亡くなっていくのか。何かもっと自分にできることがあるのではないか、と思いました。「孤独の生を守っていかなければいけない」という強い思いがありました。

Qその後、1060所帯1800人が住む第7仮設住宅で支援活動を展開されました。一人の人に向き合うときの姿勢は、どのような体験が原点となっているのですか。

A看護師のときは、220人のスタッフがいましたが、病院の小さい枠組みの中での活動でしかありませんでした。第7仮設住宅には、多様なニーズを持つ人がいました。今まで向き合ったことのない人たちと、日々かかわる中で、私の人間としての成長がそこにありましたね。

例えば、仮設住宅には、震災によって仕事を失い離婚した人。仕事をしていた時にも、アルコールとのお付き合いがあったけれど、仕事を失って何もすることがなくなり、更にアルコールを飲み続けるようになった人。こうしたアルコール依存症の人が増えました。

依存症が進んで中には包丁を振りまわす方もいました。初めは怖かったですよ。できるだけ近寄らないようにしていたのですが、でも怖いなんて言っていられません。周りの高齢者を守っていかなければなりませんし、アルコール依存症の人が、殺人を犯してもいけませんから。

でも「やめなさい」と言ったってやめないですよね。そこで、この人にとってアルコールをたくさん飲んで、包丁を振りまわし、暴言をはくことには、どんな意味があるんだろうって考えるようになりました。とにかくその人との距離をあけない。アルコールを飲んでいない時にしっかりと向き合う。そうすると相手もちゃんと話を聞いてくれました。「せっかく震災で助かったいのちなんだから。生きた者同士、一緒に仮設のまちをつくっていこうよ」って向き合っていきました。

Q病院に勤めていた時と仮設住宅では、相手との関わり方は、どう違ったのですか。

A病院の中でも、私は“病気”ではなくて、病気を持っている“人”を見てきました。「患者の暮らしを見なさい」と看護師によく言っていました。でも真の暮らしを見ていたかというと、やっぱり部分的にしか見ていなかったと思います。

仮設住宅では、朝はご飯に塩、昼はしょうゆ、夜はおみそを食べていた65歳の男性がいました。顔や足がはれてきます。その方と向き合った時、今までだったら「栄養とってください」とか、「そんなもの食べていたら病気が治りませんよ」と言っていた自分がいたんです。でも、医療の問題は福祉の問題です。一人の人として見ていかなければ良くなりません。この人にもう少しお金が入れば、顔や足がはれたりするのを改善できるんじゃないか。じゃあ誰とどのようにタイアップするか、この人を傷つけないように、暮らしを支えていくための福祉はどうするのか、ということを考えるようになりました。

Q具体的には、どのようなことをしていったのですか。

A仮設の中は、仕事を失った人が多かったので、アルコール依存症の人にも、そうでない人にも内職をもってきました。また、ビラ配りとか封筒のあて名書きといった仕事をもらってきました。寝巻を着がえて顔を洗って、自分の家から一歩出て、集会所に通う人たちが増えてきました。そうすることで、生活を整える事もできました。またコミュニティーが結集して、いい関係が生まれてきました。

働く事のできない人には、生活保護の担当の人に「この人の医療の部分だけでもいいから見てください」とお願いしました。たくさんの人のネットワークを作って、網からこぼれないようにしていきました。

Q仮設住宅を改造して、支援の必要な人たちが過ごす「グループハウス」も作ったそうですね。

「グループハウス」を作った理由は、高齢者虐待があったからです。
第7仮設住宅は、60歳以上が全体の9割。65歳以上の一人暮らしの人が450人。高齢者率は実に47.4%です。環境の変化によるストレスで、最初は3人だった認知症の方が10倍になりました。

認知症で自分の排泄物を畳や壁に塗ったりするおばあさんがいました。仕事を辞めた息子さんと暮らしていました。おばあさんの身体に青あざを発見し、息子さんと離さなければいけない、と思いました。

仮設住宅の一部を任せてもらえるよう行政に頼みました。そして1棟8所帯の仮設住宅を改造し、中央にデイルーム、共同の浴場、戸別のトイレと厨房を設置しました。そこで虐待を受けたおばあさんや、アルコール依存症の方、自立生活が困難な方が生活を共にできる「グループハウス」を作りました。

認知症の人と距離をあけることによって、家族も癒されますよね。いなくてさびしいと思うようになったときに、また一緒に暮らすことで、家族の対応が全くちがってきますからね。

認知症のおばあさんも、いろんな人と会話をすることで良くなっていきました。紙オムツが外れて、自分でトイレにも行けるようになりました。虐待もなくなって、息子さんと一緒に復興住宅へ移っていかれました。

Qこの15年間のボランティア活動は、黒田さんにとってどんな意味があるとお考えですか。

A一人一人と向き合い、一つ一つ問題を解決してきたことが、自分自身の成長につながったと思います。この15年間にたくさんのものを頂きました。今も、スタッフや住民の方からいっぱい愛を頂いています。毎日活動していくためのエネルギーをもらっています。それは大きな大きな財産ですよね。私にとって、それが生きる力になっています。とにかくボランティアで死ねたら本望、と思って活動を続けています。

Q黒田さんの夢を教えてください。

A私は、「看取りの家」と「コンビニ福祉」を作ることが夢なんです。

「看取りの家」は、患者さんたちが、最後に「良い人生だった」と思って死と向き合うことのできる環境づくりです。コミュニティーの中のホスピスを作りたいと思っています。

「コンビニ福祉」というのは、そこに行けば誰かがいて、情報があって、お茶が飲めて、顔を見ながらお話ができてほっとする、心が豊かになるような場が、コンビニのように、身近なところに点々とある状況を言います。そういうたまり場ができれば、認知症の人も少なくなっていくし、いつまでも健康で元気でいられますよね。1日1回でも地域の人と会話ができる環境が、元気になるきっかけではないかと考えています。そういう場をもっと増やしていきたいと思っています。

取材 大和田恭子



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