「認知症とともに生きるまち大賞」を語り合う(後編)
~「認知症の人がいるから」できるまちづくり~
公開日:2026年7月8日

~前編から続く~
NHKとNHK厚生文化事業団では、第10回「認知症とともに生きるまち大賞」の募集をしています。
10回目を機に、「認知症とともに生きるまち大賞」の目指していることを再確認するため、選考委員の福祉ジャーナリスト・町永 俊雄さんと、今年から新たに選考委員となった新潟県の岩﨑 典子さんに対談していただきました。
≪前編はこちらからお読みください≫
岩﨑 「まちづくり」というと、なんとなくイメージが固まっている気がしませんか。
これは私自身の捉え方に過ぎないのですが、認知症の人の居場所だとか、認知症の人と一緒の活動とかの応募が目立つ気がしていて、それ自体は素晴らしいとは思うのですが、その取り組みから、関わる人たちの気づきというか、どんな変化が起きているのかというところまでを見せて欲しいんです。
こうした取り組みで、こうした成果が上がりました、だけだと、私からすれば予定通りうまくいったひとつの成功物語にとどまっていて、どこか物足りないんですよ。
町永 実はそのあたりが難しい。確かに福祉施設や専門職の方が「認知症」は身近な存在だから、当然そこからなんらかの取り組みを発想するのは自然で有効だと思う。ただそれが、前も言ったように「認知症の人のため」に何かをしよう、ではなくて、「認知症の人がいるから」こんな取り組みができる、と言う発想の転換があるのか、だな。
自分や地域が、そこから変わっていく。まちづくりは常に小さな「変化」を伴い続けるプロセスであって欲しいね。
この少子超高齢社会をはじめとして、国際情勢など、私たちの暮らしには大きな変化が押し寄せている。でもさ、そうした外から押し寄せる「変化」は脅威だけど、私たち自身の中から生み出す「変化」って、きっと「希望」につながる。まちづくりって希望づくりだ。キレイな言葉で、申し訳ないけど。
まちづくりには「おせっかい」が大事?
岩﨑 町永さんもたまにはいいこと、言うのね。
確かに暮らしの「変化」を見つめ直すと言うことは大切。そのことで思いついたのですが、まちづくりって新たな「変化」と言うのは納得なんですが、それだけじゃない気が、私はしている。むしろ、まちづくりって、これまで私たちが時代の中で振り捨てるようにしてきたかつての地域の中に大切なヒントがあるような気がするの。

町永 ほほう、なんです?
岩﨑 あの、かつての地域にはどこにでも「おせっかいオバチャン」て、いたじゃない? おせっかいなオジサンもいた。私、あの「おせっかいオバチャン」って、好きなんです。洗濯物の干し方に注文つけたかと思うと、せっせと小さな手助けやお世話をして回っている。必ずしもみんなに歓迎されたわけじゃないし、本人も「私、おせっかいかねえ」なんて一旦は反省したりするけど、すぐにまた「おせっかい」していたりして。
いつの間にか、そうした「おせっかい」な人がいなくなっている。それって「まち」がなくなったからなんじゃない? 「おせっかい」、確かに煙たがられたり、敬遠されたりもしたけど、そのことを含めて、全然あり、だと私は思うの。
町永 おお、なるほど。よくわかる。これは理屈ではなく感覚でストンと納得できますねえ。確かに、地域社会が「関係性」で成り立っていたことの証なんだな。「おせっかい」とは、濃厚な関係性が行き来していて、多少の煩わしさもまた暮らしの実感に溶け込ませて、「支え合い」と言う福祉力が充満していた時代だからこそ、「おせっかい」があり得たんだ。
確かに「おせっかいオバチャン」の復活、アリだな。おせっかいオバチャンのいないまちは、関係性が希薄であり、単独で同質の「個」が不安の中に投げ出され、さまよっている現代社会の風景かもしれない。
大人になって、ふと、ふるさとのまちを思い出す時、真っ先に目に浮かぶのがおせっかいオバチャンだったりする。「おせっかいオバチャンの、ともに生きるまちづくり」、いいかも。
さて、この対談もそろそろまとめなくっちゃ。
「認知症とともに生きるまち大賞」の意味合いとその背景の時代性まで話はあちこちに広がったのですが、最後に改めて岩﨑さん、みなさんへ、この「まち大賞」への応募を呼びかけてくれませんか。
応募することで見えてくることがある!
岩﨑 えー、何を言えばいいんだろう。
私も応募した経験者の立場からすれば、まずは応募すること、それに尽きます。
あまり受賞するかどうかに重きを置くより、応募することでまた見えてくることがあるんです。応募って、自分のやっていることの確認だったり、もう一度地域の見直しだったり、周りの人との話し合いになったりで、実はものすごく大きな力になるんです。応募がまず地域の変化への第一歩だと思うのね。あとはポジティブなだけでなく、失敗も織り込むようにして取り組みを語って欲しいなあ。
私も、応募して最初の年は、落とされたし(泣)。
町永 さすがに応募経験者の話は違う。落としたのは私だったのかなあ。
「認知症とともに生きるまち大賞」、それは一人ひとりが、時間差の未来の自分と対話し、そしてこれからの、まだ見ぬ命へ、この社会を豊かに成熟したまちとして受け渡すための未来を拓くこと、そんなふうにも考えられます。あなたの応募が、その未来への招待状だ。お待ちしてます!
岩﨑 お待ちしていまーす。あなたの周りのみんなに呼びかけて欲しいです。

