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活動リポート

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2011年4月24日

認知症フォーラム「あきらめない」を津市で開催しました

NHK厚生文化事業団では、「NHK認知症キャンペーン」の一環として、2007年から東京、大阪、神戸、名古屋など全国各地で認知症フォーラムを開催してきました。
昨年度までで、延べ2万8000人にのぼる方にご来場頂きました。
5年目の2011年度も全国各地で開催します。その第一弾として、4月24日、津市の三重県文化会館で認知症フォーラム「あきらめない」を開催しました。

三重県文化会館で認知症フォーラム「あきらめない--最新医療と社会の支え--」

写真:ホール外観。こいのぼりが青空を泳いでいる

当日はすがすがしい快晴のお天気となり、こいのぼりが天高く舞う会場に、549人の方が来場されました。
第一部では認知症の基本的な知識や医療の最新情報を、第二部では看護や介護の現場から、三重県内の地域ぐるみの取り組みを映像で事例紹介をしながら、発表しました。
パネリストは、認知症専門医の冨本 秀和さんに加え、熊野市で“ケアハウスたんぽぽ”を経営されているケアマネジャーの中村 辰子さん、そして認知症家族の会の三重県支部代表の泉 美幸さんが出演しました。
司会は福祉ネットワークなどでおなじみの町永 俊雄NHKアナウンサーが務めました。出演者のプロフィールはこちらをご覧ください。

写真:町永氏 写真:ホール内遠景

午後1時30分開始 第一部「認知症と最新医療情報」

写真:三重大学冨本氏

冨本さんは、三重大学神経内科の教授として勤務、認知症の臨床と研究に長年取り組まれ、三重県内の認知症ネットワークの構築にも貢献されています。
まず最初に「認知症になってもあきらめることはありません。治療方法はずいぶんと進歩し、対応可能な病気となったからです」と指摘し、普通の物忘れと認知症の物忘れとの違いについて説明しました。「認知症の場合は、体験したことそのものを忘れてしまいます。例えば、夕飯で何を食べたのかを忘れることは、普通の物忘れです。でも、『夕飯を食べたこと自体を忘れる』、これは認知症の可能性があります」

さらに、「このような認知症が疑われる人の変化を、家族や身近な人がメモしておき、医師に伝えることが大切です。ご本人の普段の様子を把握することが、正確な診断とその後の治療法に役立つからです」と、アドバイスしました。
認知症の進行とともに起きてくる“周辺症状”(不安、徘徊、妄想、興奮など)BPSDについては、「原因の究明により、症状を軽減、除去できることが分かってきました。最近では、医療の現場でも積極的に対応すべきものと捉えられています」。また、認知症の進行を遅らせる方法の一つとして、音楽療法にも触れ、「ご本人の歌う速度に合わせて、『夕焼け小焼け』など、なじみのある唱歌を歌うと、脳が活発化することが医学的に確認できています」

薬については、「アルツハイマー病の進行を遅らせるドネペジル塩酸塩が、良く知られています。さらに最近では、漢方薬の『抑肝散(ヨクカンサン)』が、周辺症状(興奮しやすい、怒りっぽい、いらいら、眠れないなど)を穏やかにする効果があることが分かってきました。その医学的根拠も明らかにされています。副作用も少なく、認知症の初期段階に服用することで、特に効果が得られます」と、説明しました。

写真:ステージにパネリストと司会者3人が並ぶ 写真:パワーポイントで表示

午後3時開始 第二部「認知症ケアと地域のネットワーク」

写真:中村さん

「センター方式」の取り組み:中村さん

中村 辰子さんは、三重県熊野市で、NPO法人“ケアハウスたんぽぽ”を運営しています。
「本人が望む生活の実現」を目指し、食事や入浴など日常生活ができるように、地域の認知症の人のケアにあたっています。

中村さんは、介護施設のスタッフが、認知症の人の抱える不安を和らげるために取り組んだ事例を紹介しました。
「訪問介護を利用している認知症の女性の方で、独り住まいですが、気力がなくなって今後の生活に強い不安を感じていました。このような場合、認知症のご本人は、自分の思いをなかなか表現できません。そこで私たちは、ご本人の思いを汲み取り、その思いをかなえる支援をする必要があると考えました」

“ケアハウスたんぽぽ”では、ご本人の行動や言葉をつぶさに観察して、24時間記録する『センター方式』というケアマネジメントに取り組みました。その結果、ご近所との人間関係が希薄であり、周囲から疎外されていると感じているのではないか、という仮説を立てました。スタッフの方たちは、この仮説をもとにどういう支援が必要なのかを考えたそうです。
「ヘルパーがご本人と一緒に昔の写真などを見ながら、過去の思い出に寄り添う時間を作ったり、ご近所の方に頼んで気軽に声をかけてもらうなど、気兼ねのない関わりを増やすようにしました。また、デイサービスにも誘って、他のお年寄りたちと楽しい時間を共有できるようにしました。すると、ご本人にいきいきとした表情がよみがえり、自信に満ちた笑顔も増えてきました」

自身の介護体験談を発表:泉さん

写真:泉さん

泉 美幸さんは、14年間にわたり母親を介護し、8年前に看取りました。当時は、認知症について正確な情報が乏しかったうえに、周囲の人々の理解や協力が得られませんでした。 こうした辛い経験から、泉さんは現在「家族会」の三重県支部代表として、家族の介護の負担を少しでも軽減できるよう相談活動にあたっています。

「なぜ、認知症の人の家族は周囲から孤立しがちなのか」---泉さんは、自身の体験をもとに、介護する家族が陥りやすい状況について説明しました。
泉さんの場合、尊敬していた母だからこそ、認知症による異常な言動や行動を受け入れることができず、母親を許せない気持ちになって厳しく接してしまった。一方、その自責の念に苛まれ、追い詰められた気持ちになった。だが、こうした辛い思いを誰にも打ち明けることができずに、孤立感に苦しんだということです。
なかでも、「家族にとって弄便(ろうべん)、異食はいちばん耐えがたい行動で、とても冷静な対応ができなかった」と振り返り、「とにかく家族だけで抱え込まず、独りで頑張りすぎないことが重要です」とアドバイスしました。
さらに、「介護には、辛いことがどうしてもあります。そんな時には、医療、介護施設、家族会などにどんどん相談してほしい」と、来場者一人一人に呼びかけるように、訴えました。参加者のなかには、泉さんが明かした苦労話に共感して、涙ぐむ人も少なくありませんでした。


94%の方にご満足いただけました

数年後には、65歳以上の10人に1人が認知症になる可能性があるとの予測も出されています。超高齢社会が進むにつれて、認知症は誰にも起こりうる病気との認識も広まってきています。

今回のフォーラムは、「認知症になっても誰もが安心して暮らせる地域」を作っていくにはどうしたら良いかをメインテーマに、専門家による情報、アドバイス、介護の具体例、地域支援の実践例などを分かりやすく伝えようというものでした。会場の皆さんは、事前に配られたレジュメに書き込みをするなどして、熱心に聞き入っていました。 当日のアンケートでは、94%の方々が「今回のフォーラムに満足した」と回答。「たいへん勉強になり、いい機会を得て感謝しています」「明日からまた、介護を頑張ろうと思いました」などの感想が、数多く寄せられています。


主催

NHK津放送局、NHK厚生文化事業団、読売新聞社

後援

厚生労働省、公益社団法人 認知症の人と家族の会

協賛

株式会社ツムラ


出演者プロフィール

冨本 秀和 (三重大学大学院神経病態内科学(神経内科)・認知症医療学)

1956年生まれ。京都大学医学部卒業。同大学神経内科にて研修後、1987年から1990年に米国メイヨークリニック神経内科に研究員として留学。1988年京都大学医学部博士取得。主な研究テーマは「血管性認知症の診断と治療」。2008年より現職。三重県内の認知症ネットワークの構築、認知症の音楽療法、新規診断技術の開発に取り組んでいる。

中村 辰子 (NPO法人 たんぽぽ代表)

山口県生まれ。1972年より三重県熊野市在住。有床診療所で准看護師として勤務後、グループホーム管理者を経て、2002年NPO法人たんぽぽを開設。現在は、居宅介護支援、訪問介護、通所介護、小規模有料老人ホームを運営している。事業所全体で、『本人が望む生活の実現』に向けた取り組みを実践している。認定ケアマネジャー、認知症ケア専門士、認知症ケア地域推進委員。

泉 美幸 (公益社団法人 認知症の人と家族の会 三重県支部世話人代表)

58歳で若年認知症(アルツハイマー病)になった実母を約14年間介護し、今から8年前に看取る。1996年から「呆け老人をかかえる家族の会」(現、認知症の人と家族の会)三重県支部準備会の立ち上げに携わり、2002年に三重県支部を設立。現職となる。「ぼけても安心して暮らせる三重県の町づくり」を目指し、自らの介護経験を通じ、認知症の本人や介護家族への支援と、認知症理解の啓発に取り組んでいる。本人と介護する家族へのおもいが大切と考えている。

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