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NHK厚生文化事業団は、NHKの放送と一体となって、誰もが暮らしやすい社会をめざして活動する社会福祉法人です

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「手話で学べるろう学校を」
/NPOバイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター

“NPOバイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター(以下BBED)”は、耳が聞こえないろう児を対象にした、“日本手話”による教育に取り組んでいます。

2003年のNPO設立以来、手話の教室やろう児の家族の相談窓口を設けるなどの活動をしてきたBBEDは、2008年に「構造改革特別区域」の制度を利用して、東京都品川区に日本で初めての「手話で学ぶろう学校」、明晴学園を開校しました。
その活動の様子と、これまでの道のりについて取材しました。

「手話で学ぶ」ろう教育

写真事業統括ディレクター 玉田さとみさん BBEDの事業統括ディレクターの玉田さとみさんに話を伺いました。

「あまり知られていないと思いますが、現在全国にあるろう学校では、手話の授業は行われていません。日本のろう学校では、『手話を使うと日本語を覚えられなくなる』という理由から、なるべく手話を使わないようにする、というのが基本的な方針なんです。ほとんどのろう学校で導入されているのは“聴覚口話法”というもので、話す人の口の形を読み取ることで言葉を理解したり、耳が聞こえる子どもと同じように発音をさせるための訓練です」

写真玉田さんのお話では、ろう児が口話法の訓練をしても、口の動きから話の内容を正確に読み取ることはなかなか難しいのだそうです。このため人とお互いにコミュニケーションする能力を十分に身につけることができず、大人になってからも周囲との意思疎通がうまくいかずにトラブルになることが多いのだと言います。

「口の形の読み取り方や発音以前に、ろう児にはできるだけ他人と「会話」をする機会を与えて、コミュニケーションの力を伸ばすことが必要だと思います」

こういった理由から、BBEDでは『手話で学ぶ』ことが重要なろう教育の要素であると考えて、これまで様々な活動に取り組んできました。

なお手話には、手だけでなく眉やあごの動き、視線などを使って表現する“日本手話”と、日本語の語順に合わせて手話の単語を並べる“日本語対応手話”の2種類があります。現在、多く使われるのは“日本語対応手話”ですが、BBEDではろう児がよりコミュニケーションをしやすいようにと、昔からろう者の間で使われてきた“日本手話”を取り入れています。

耳が聞こえないことは不自由ではない

玉田さんの次男で、中学1年生の宙(ひろ)くんは生まれつき耳が聞こえません。このことがきっかけで玉田さんはろう教育に関心を持ちました。都内の団地の一室で行われていた、手話で教育をするフリースクール“龍の子学園”の活動に参加、2003年にはこの“龍の子学園”をBBEDとしてNPO化させる活動にも加わりました。

「最初は手話を学んで、息子とコミュニケーションが取れるようになりたいと思っていただけです。以前は、NPOなんてうさんくさいとさえ考えていました」と玉田さんは言います。

玉田さんは、宙くんの耳が聞こえないとわかったときには泣いたし、これからどうすればいいのだろうと悩んだと言います。しかしたくさんのろう者と接していく中で、聞こえないことを不自由と感じることは、“聞こえること”しか知らない玉田さん自身の価値観でしかないのだと気づいたそうです。

「以前、車に乗っていたときのできごとですが、息子に『トラックがうるさいから窓を閉めて』と手話で伝えました。そうすると『僕はうるさくないよ、聞こえないからね。うらやましい?』と息子が返してきたんですね。私も息子も“まったく耳が聞こえないことを不自由だとは思っていない”ということを多くの人に知ってもらいたいです。手話を使うことでお互いにコミュニケーションが十分取れていますし、手話をするときは必ずお互いの目を見るので、何かに気を取られて話を聞き流してしまうようなこともなく、きちんと息子と向き合えていると思います。このことをろう児の子育てに悩んでいる人たちに知ってほしいし、手話での子育ては楽しいと伝えたいです」

学校法人“明晴学園”開校までの道のり

写真「息子のために、耳が聞こえなくても不自由を感じない社会を作ってやりたいと思いました。そのために最初に取り組んだのが、ろう教育の見直しだったんです」と言う玉田さん。

1999年、玉田さんたちは、ろう学校で希望者に手話を教えるようにしてほしいと、教育委員会や文部科学省に訴えました。

「でも公立のろう学校ではいろいろな理由から、手話を教えることが難しいということがわかりました。だけど手話を使うことでスムーズにコミュニケーションが取れるんだから手話で勉強したほうがいいんじゃないか、と単純に思いました。それでたどり着いたのが“手話で教える学校”を自分たちで作るということだったんですね」と言う玉田さん。こうして玉田さんを中心に約40組の保護者たちが集まり、子どもたちに手話で学ばせるろう学校の設立を目指すことになりました。

2003年に玉田さんは、当時、政府が進めていた規制緩和の一環である政策、“構造改革特別区域”で、不登校などの“特別なニーズ”に対応した教育を行うNPOの学校設置が認められたことを知りました。「ろう児も“特別なニーズ”に当てはまるのではないか」と気づいた玉田さんは、ろう児のための新しい学校を設立することを考えました。様々な勉強会に参加しては保護者同士で集まって話し合い、何度も提案書を書きました。ろう児とその保護者100人以上が協力して、日本弁護士連合会(日弁連)へ6万人の署名を添えて救済申し立てを行い、日弁連は文部科学省へ意見書を提出しました。しかし5回提案しても承認は得られませんでした。

「それで第6次提案書の準備をしているときに、教育特区の数を増やしたいという理由から、文部科学省で提案の見直しがあったんです。そこで運よく私たちの提案が認められることになりました。もし見直しが行われていなければ、いまだに提案は通っていなかったかもしれません」と言う玉田さん。こうして2005年に「ろう児に対する手話と日本語の読み書きによる教育」が、承認されました。

文部科学省から特区提案が認められたことは大きな前進でしたが、特別区域となってくれる自治体を探すという新たな壁がありました。そのとき、玉田さんは知り合いから東京都知事との交流会があることを聞き、出席して直接都知事にろう教育の現状や自治体との交渉が難航していることを訴えました。これがきっかけで都の担当者がフリースクールを見学に来るなどの動きが起きて、東京都が内閣府に申請を行い2007年に「手話と日本語の読み書きによる教育特区」が認定されました。

写真学校の設立が実現するまでには膨大な手続きが必要でした。3年先までの財務計画書は外資系企業の財務担当だった知り合いに作成を手伝ってもらい、教育課程の作成は東京都教育委員会が協力、校舎は品川区が廃校になった小学校を貸してくれることになりました。

最後の壁となったのは、学校法人の申請に4500万円がかかるということでした。玉田さんのお話では、

「仲間の親子みんなで2000件の家にチラシをポスティングしたり、手書きで寄付のお願いの手紙を4000通以上出したりしました。企業にも100社近く電話をして、そのうち30社を訪問して直接依頼をしました。街頭募金もしましたし、ウェブやブログもフル活用しました。とにかくみんなでありとあらゆる手段で協力のお願いをしました」ということです。そして、次第に玉田さんたちの活動に賛同し、協力してくれる企業や助成金を出してくれる団体が現れてくれました。

「最初はどうやって学校を作るのか、全くわかりませんでした。でも気づいたら、自分たちの周りにいろんな応援団ができていたんです」と言う玉田さん。

こうして2008年4月に明晴学園の幼稚部と小学部が開校、「子どもを手話で学ばせたい」というろう児の保護者たちの9年間の思いが実現しました。集まった寄付の総額は1億1000万円にも上り、2010年には中等部も開設することができました。

「結局一番多かったのは、家族にろう者がいるわけでもなく、ろう教育のこともまったく知らない普通の方々からの寄付でした。『子どもを手話で学ばせたい』という願いだけで私たちは活動してきたのですが、その熱意と行動に多くの人が共感してくれたのだと思っています。いろんなタイミングがうまく合って“夢の学校”を作ることができましたが、もう一度同じことをやれと言われてもできないと思います」と玉田さんは言います。

現在、明晴学園では幼稚部から中等部まで45人の生徒が学び、0歳児から3歳までを対象とした乳児クラスも設けられています。

校長先生は元テレビマン

写真校長 斉藤道雄さん校長の斉藤道雄さんは、TBSの報道記者・プロデューサーとして、手話やろう者についての多くのニュースレポートやドキュメンタリー番組に関わってきました。
「龍の子学園」として活動していた頃からBBEDを取材していて、玉田さんを励まし、学校設立を応援してきたそうです。

2007年にTBSを退職、BBEDからの要望を受けて明晴学園の校長に就任しました。

——授業をする先生たちはろう者の方なのですか?

「23人の教員のうち、13人がろう者です。その中には元々BBEDのフリースクールのスタッフで、その後勉強して教員免許を取得したという人もいます。教える者がろうであるということは、ろう児とコミュニケーションを取るうえで一つの大きな力にもなりますね」

——全ての科目を手話で教えているのですか?

「そうです。普通の学校と同じように時間割りがあって、それぞれの科目の授業を行っています。なぜ手話で授業をするかというと、例えば算数の授業で聴覚口話法や日本語の文章で子どもたちに質問をした場合、その質問の意味を理解するまでに時間がかかってしまうからです。そうするとなかなか本題の算数の授業に進めず、こどもたちの勉強がどんどん遅れてしまいます。ですから手話での授業が有効なんです」

写真「もちろん手話による教育をするだけではなく、耳の聞こえない子にとっては生活していく中で日本語の読み書きは大事です」と言う斉藤先生。明晴学園では、手話と日本語の読み書きを両立させることで、ろうの子どもたちが社会とつながり、コミュニケーションができる機会を増やし、子どもたちが社会で自立できる人間として成長していけると考えているのだそうです。

現在明晴学園には高校がありません。
今後の課題として、これから中学を卒業する生徒にどういった進路の選択肢があるかを保護者たちと話し合い、子どもたちのサポート体制を考えていくことが必要だと斉藤先生はおっしゃっていました。

これからの展望

“手話で教える学校”を作るという目標を達成した玉田さん。現在BBEDでは、“手話筆談さんせい会員”という賛助会員を募っています。これは「ろう者を受け入れて日本手話や筆談への理解を進めよう」というもので、BBEDではこれから10年間で12万人の会員を集めることを目標にしています。

「耳が聞こえない子は、およそ1000人にひとり生まれてきます。だから1000人にひとりが、ろう者を応援してくれる社会にできないかと思っているんです」と言う玉田さん。

今後のBBEDの活動では、NPOとしてろう者を取り巻くさまざまな環境の整備に取り組んでいきたいと考えているそうです。 写真「学校法人にできなくてNPOにできることが、実はたくさんあることに気づいたんです。NPOなら目先の問題解決だけではなく、もっと世の中の様々な面を変えるような活動をしていけると思います。私たちの夢は、社会に出たろう者が一般の企業で普通に仕事ができ、普通に生きていけるようになっていくことです。こういったことは、企業の努力だけで実現するということは非常に難しいと思います。だから私たちNPOが取り組んでいくべきだと考えています」

ろう児を持つ母親の「子どものために」という強い思いがたくさんの人々とつながって、“手話で教える学校を作る”という長年の夢を実現させました。あきらめなければ夢はかなう、ということを教えてくれた玉田さんでした。

2011年11月2日掲載  取材:眞鍋


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