私には十八歳の姉がいます。私は十三歳で、中学二年生です。姉は、生まれつき知的障がいがあります。言葉を話すことができず、人の気持ちを読み取ることも苦手です。自分でトイレに行くこともできないので、いつもおむつで過ごしています。私には小さいころの記憶があまりありません。写真を見ると、姉と一緒に笑っている場面もあるのに、「その時何を考えていたのか」「どんな気持ちだったのか」が思い出せません。姉が話さないことについても、それを「どうしてだろう?」と考える前に、いつの間にか「私のお姉ちゃんは喋らない」ということが当たり前になっていました。もしかしたら、私は小さいころから、いろいろなことを無意識に我慢して、心の中にしまってきたのかもしれません。だから記憶がはっきりしないのかなと思うことがあります。
姉は、ずっと支援学校に通っていました。小学校も、中学校も、そして高校も同じ学校です。私は違って、小学校は地元の公立小学校に行って、中学からは受験をして、私立の学校に通っています。学校では、誰にも姉のことを詳しく話したことはありません。聞かれたら、「いるよ」とは言いますが、「どんなお姉ちゃんなの?」と聞かれると、いつも困ってしまい、うまく答えられません。「変な子だって思われたらどうしよう」「気を遣われるのが嫌だ」、そんなふうに思って、心の中にしまい込んできました。
姉には、てんかんの持病もあります。発作を起こしたのは、これまでに何度かだけで、もう家族は対処の仕方を分かっているので、救急車を呼ぶことはありませんでした。それでも、やっぱり姉が発作を起こすと、家の中がざわついて、空気がピリッと張り詰めます。私も「何かしなきゃ」と思うのですが、体が動かず結局何もできないままに終わるのです。そんなふうに、姉には日常の中で手がかかることが多く、自然と、家族みんなの意識が姉に向くようになっていきました。私は、姉の着替えを手伝ったり、食べるのを見張っていたり、面倒をみることが当たり前になっていきました。いつの間にか、私のことは「ちゃんとしてるから大丈夫」と思われている気がして、親もあまりかまってくれなくなりました。家族の中で、私の存在はどんどん薄くなっていくように感じて、「私は何のために生きているんだろう」と、ふと考えることが増えていきました。
姉と出かける時、私は時々周りの視線が怖くなります。姉は急に立ち止まったり、見ず知らずの人のものを触ってしまったりします。その度に、周りの人たちはじっとこっちを見てきます。「なんだろう」「変な子がいる」と言っているように思えて、私は睨んでしまいます。子供に、「あの人、なんでああなの?」と指をさされたこともあります。その子のお母さんが、「見ちゃだめよ!」と小さい声で言った時、私の心にグサッと何かが刺さるような気がしました。「お姉ちゃんって、見ちゃいけない存在なの?」と、悔しさと悲しさでいっぱいになりました。正直に言えば、「お姉ちゃんなんかいなければよかった」と思ったこともあります。面倒をみることもなくなるし、お姉ちゃんばっかりの生活から抜け出せると思ったからです。どうして、私ばかり我慢しないといけないんだろう。どうして、お姉ちゃんは普通じゃないんだろう。そんな気持ちが、何度も私の中に出てきてました。だけど、そんなふうに思ってしまった後は、いつも心の中でこう言い聞かせていました。「お姉ちゃんがいなかったら、私も生まれていなかったかもしれない」「お姉ちゃんと一緒に生きていたから、今の私がいるんだ」。
それでも、つらいときはやっぱりあります。そういう気持ちを、誰かに話したいという気持ちもあります。だけど、口にしようとすると、涙が出てきて、言葉になりません。どうせ言っても、分かってくれないかもしれない。そんなふうに思って、ずっと一人で抱えてきました。
友達が話している時、「~障害じゃん」と誰かが笑いながら言っていることがあります。私は笑えません。「障害はそんな軽いものじゃないのに」と思っているからです。でも、その場の空気を壊したくなくてつい一緒に笑ってしまいます。あとで自分を責めて、家で一人で泣いてしまうこともあります。「私なんで笑ったんだろう」って。家族で障害のことが話題に出ると、涙が止まらなくなることもあります。理由は自分でも分かりません。でも多分、普段我慢しているいろんな気持ちが、そこで一気に込み上げてくるのだと思います。
私は、お姉ちゃんと一緒にいることで、他の人とは違う経験をたくさんしてきました。きっと、これからも姉のことで悩んだり、迷ったり、泣いたりすると思います。でも、それと同じくらい、姉からもらうあたたかさや、笑顔や、気づきもあるんだと思います。以前の私は、姉と自分を比べて、「なんでお姉ちゃんばっかり」と思うこともありました。でも今は、少しだけ気づけるようになってきました。姉は姉なりに毎日頑張っていること、そして、私も私なりにできることがあるということ。姉がいてくれるからこそ、私は“誰かの痛みに気づける人”でいたいと思えるようになった気がします。
友達に姉のことを話すのは、まだ少し勇気がいります。でも、いつか話せる日が来るかもしれない。そんなとき、「こんなふうに思ってきたんだ」と自分の気持ちをちゃんと伝えられたらいいなと思います。きっとそれは、姉のことを守ることにも、自分自身を大事にすることにもつながっていく気がするからです。“障がい”は、目に見えるものだけじゃなく、心の中にもたくさんあります。姉と過ごしてきたことで、私はそのことにも少しずつ気づけるようになりました。完璧じゃなくていい。分からないままでもいい。でも、知ろうとする気持ち、寄り添おうとする気持ちを、これからも大切にしていきたいです。
これから先も、姉と私の関係はずっと続いていきます。大変なこともあるし、逃げたくなることもあるかもしれません。でも私は、姉の妹として生まれたことに、意味があるような気がしています。そして、少しずつでもいいから、姉のそばで、姉と一緒に「生きていく」ということを、自分なりの形で大切にしていきたいと思っています。
受賞のことば
このたびは素晴らしい賞を頂き、誠にありがとうございます。私は、この応募をきっかけに、初めて障害のある姉について書き、自分の中だけにしまっていた葛藤と向き合いました。言葉にすることで、これまで気づけなかった自分の思いを知ることができたように感じます。今回の経験を機に、これからは自分に正直に、嘘をつかずに生きていきたいと思います。
選評
一般的に、障害のある兄弟姉妹がいるいわゆる「きょうだい児」は、多くの気遣いや葛藤を抱えながら成長すると言われています。時にはきれいごとだけでは済まないこともあるでしょう。本作品は、十代の諫山さんの複雑な心の内や変化がありのままに綴られており、その内容もさることながら、表現力にも圧倒され、心を揺さぶられました。これからも、唯一無二の「姉妹」としてお姉さんとの大切な時間を過ごしていただければと思います。(加藤 宏昭)
以上