第58回NHK障害福祉賞 優秀作品
~第2部門より~
「共生」

著者 : 金屋 友梨亜 (かなや ゆりあ)  神奈川県

私は中学3年生です。
家族が5人とペットが一匹いて、友達もそれなりにいます。毎日朝6時に起きて、朝ご飯を食べて身支度をして、学校に行きます。それから学校に着いたら朝の会をして、友達とワークの進度で競ったりしながら授業を受けて、部活に行きます。最終下校時刻になったら帰る身支度を済ませて、友達と帰り道を一緒に過ごします。友達と別れの挨拶をして家に帰りドアを開けると、声が張っていてとても大きな声と、空気が多く含まれているせいか家中どころか外にも響いている手拍子が耳に入ってきます。これは私の普通です。いつも玄関のドアを開けたら、大きな声と手拍子が聞こえてくることに疑問を抱いたことはないし、むしろ聞こえてこないと私の不安をあおります。きっと私の普通はみんなの普通ではないです。これが理解されると思っていないし、一般的に考えておかしいということはわかっています。ドアを開けたら大きな声と手拍子が聞こえてくる家庭を持っている人なんて、今まで聞いたことも会ったこともありません。だから少し怖いです。初めて入った環境下で家族構成の話を出されると怖気づいてしまいます。なぜなら私は、自閉症の弟がいるからです。

私はきょうだい児です。

弟が生まれたとき、素直に嬉しかったです。突然泣き始めるのが少し怖かったり、寝たときの顔が仏みたいでなんだか変な感じがしたけれど、「姉」という役職を与えられたのが嬉しくてたまりませんでした。今になって弟がいて大変と思うこともありますが、生まれてきてくれたことに感謝しかありません。当時は障害があるなんて考えもしませんでしたし、母も父もきっとそうだったと思います。私たちは「普通」に固執しすぎていたのかもしれません。三歳ごろになったら言葉を話し始めて、覚えた言葉で喧嘩をして、世間話をすると思っていました。そんなことが必ずできる訳ではないのに自然とできるだろうと思っていたのが怖かったです。「話ができるようになったら楽しいのだろうな」「どんな話をしようかな」と考えたりしていました。けれどそんな願いは叶いませんでした。弟が自閉症を持って生まれてきたことに不満はありません。ただ「すごく嬉しいか」と聞かれたらすぐにうなずくことはできないかもしれません。弟が関連したことで不快に思ったこともあったし、困ったこともたくさんあったからです。
小学生の頃、何人かの友達と話している時に家族の話題になりました。私はこの時、幼いながらにどう返すか返答に迷いました。
「友梨亜ちゃんは何人家族なの?」
「5人。お母さんとお父さんと弟と妹」
「何歳差?」
「弟は2歳差で、妹は4歳差」
「じゃあ弟くんはもう小学校にいるの? でも見たことないよ」
この何気ない一言が少しつらかった覚えがあります。一時期「友達から家族について聞かれたときの返答」というのは悩みにもなりました。弟は特別支援学校に通っていました。普通の兄弟は、同じ学校に通うという、みんなにとっての当たり前を突きつけられた気がして、自分だけは違うのだと悲しくなりました。誰にもわかってもらえないのかと辛くもなりました。家族みんなでスーパーに行った時も、弟がいつものように母音を並べて話し始めて男子高校生の集団に笑われました。「なにあいつ」と指をさされました。悲しかったです。辛かったです。世間に腹が立って仕方がありませんでした。一番悲しいのは弟のはずだけれど、なんだか自分まで馬鹿にされたみたいで泣きました。なぜ私まで馬鹿にされなければいけないのだろう。ただ一緒に生活しているだけなのに、なぜこんな辛い思いをしなければならないのだろうと被害者面をしてひどく落ち込みました。一番の被害者は弟なのに。「なぜ笑う必要があるのだろう」と疑問も抱きました。けれど私にとって、弟がぶつぶつと話し出すのは日常でしかなかったから、正解は到底わかるはずがありません。「おかしいのは私なのか」「私は普通の枠から外れているのだろうか」と考えると嫌でした。無意識のうちに「普通」から外れることに恐怖を覚えていました。みなさんも人と同じ意見だと安心することはありませんか? 私はきっと、周りに同じような人がいなかったから怖いと感じたのでしょう。自分だけ孤立するのが怖い。嫌われたくない。人間の本能だと思います。けれど、怖いと感じている原因を弟のせいにするのは、姉としてどうなのだろうかと思いました。「弟が」うるさいからできなかった。「弟が」邪魔してくるから頑張ることができなかった、と弟を言い訳にして気持ちを楽にすることもしばしばありました。でも弟がいても、たとえ何か弊害があろうとそれを乗り越えることができれば強い人間になれるのではないか。一生懸命に何かにぶつかったほうがかっこいいのではないか。これらの考えが私を支えてくれました。弟のせいにするのはもうやめようと思わせてくれたきっかけだったと思います。「弟がいたって私はなんでもできる」、頑張った結果を見せてこれが弟に伝わることはないと思うけれど、私が暗い顔をしているよりかは明るい顔をしている方が弟にとってはプラスになると思うので、何事もめげずに頑張って、お前の姉はこんなにも強くて明るい人間なのだぞと見せつけてやれるように頑張ろうと決心しました。
弟のような人はよく環境が大事だと感じます。大きな声を出すことに対して「やめて」と誰かが言うと弟はやめます。やめるけれど、ハッキリと顔が嫌だと訴えています。そのあと嫌だった気持ちをぶつけようとして、大きな声をわざと出したり誰かにあたります。腕を引っ搔いたり、つねったり、叩いたり。最近はよく引っ掻くので両親の腕には爪痕が残っていて少し痛々しいです。「誰かにこの行動を認めてもらいたい」「いいよと言ってもらいたい」という感情を抑えた結果がこれなのかもしれません。いずれにせよ何かに抗っているのは事実です。これらはいわゆる承認欲求です。「褒められたい」「認められたい」と思うことが表面的に出る人は少ないかもしれませんが、みんな心のどこかで承認欲求というものは存在するはずです。誰かに認められたいと思うのはきっと人間の本能だと思っています。だから弟のような人たちも、私たちと同じように承認欲求を満たしてあげることが大事だと思います。
「個性を認める」ということは簡単なようで案外難しいものです。けれど、認めてあげることができたとき、得られるものは多いと私は考えています。個性を生かすことができたとき、誰かに与える影響が何かしらあると思います。例えば、音楽。音楽が好きでその作った音楽が誰かに渡って、勇気を与えたりするなどよくあるのではないでしょうか。私も音楽に勇気を与えられるという経験はよくあります。だから、私は音楽が好きです。実は弟も音楽が好きです。ただ、少し違いがあります。それは好きの度合いです。
周りが見えなくなるほど好きなことはありますか? 周りが見えなくなるほど好きなことを持っているのはとても素敵なことだと思います。私はそのような趣味を持ち合わせていないので、持っている人は魅力的に感じます。それだけ没頭できるというのは少し羨ましいです。きっとのみこまれるぐらいに好きというのは、まっすぐな意思がないとできないです。「これが好き」と貫き続けることは意外と難しくて、いずれ飽きが訪れて終わってしまうことが多いのではないでしょうか。
先程話したように、弟は音楽が好きです。多分、周りが見えなくなるほどだと思います。音楽に合わせて踊ったり歌ったりすることが弟は大好きで、何も予定がない休日は家のどこにいても弟の歌とダンスをしている足の音が聞こえてきます。歌ったりダンスをしている最中に話しかけると、一気に不機嫌になるので自分の世界に入って没頭していたのだなとよく感じます。何があってもこれだけは好き、などの「絶対に自分の中で曲がらないもの」というものがあるのはすごく大切だと思います。だからその人の軸、つまりアイデンティティーを曲げることは許されないことです。絶対にやってはいけません。アイデンティティーはその人を作る一番大事なものです。「どんな人」と聞かれて一番はじめに出てくるものがその人のアイデンティティーだと思います。優しい人だったらその優しさが欠けたらもうその人ではなくなってしまう。弟の「音楽」だって欠けたら別人になってしまうと思います。音楽を楽しんでいない弟なんて想像がつきません。だから私は弟の好きをいつまでも肯定してあげようと思います。何を好きになろうが大丈夫です。性別だって関係ありません。ぬいぐるみ遊び、おままごと、髪の毛いじり。別に女の子らしくたって、それで幸せと感じられるならいいのではないでしょうか。どうかその人の好きを否定しないであげてください。それが本人たちにとってどれだけ辛いか私たちには計り知れません。私はそれぞれの個性が認められることを願っています。

きょうだい児に生まれてよかったと思います。みんなと違う体験ができて、言い方が悪いかもしれませんがお得だと感じてきました。好きなものに一筋。その姿はたまに勇気や安心感をくれます。私もまっすぐに続けてきた書道があります。けれどふと不安になるんです。続けていいのか。続けるだけの価値があるのかと意味もなく悩んでしまいます。そんな時に、好きなものに一生懸命な弟を見ると、悩んでいた自分がバカバカしく思えます。好きなものは好きでいいじゃないかと肯定してもらえた気がして安心します。両親に叱られているとき遠くからけらけらと笑ってきたり、よく叩かれたりしますが、なんだかんだで助けられていることばかりです。
よく母から学校での弟の話を聞きますが、いろいろな人と交流していろいろな人から好かれているらしいです。そんな弟の姉で誇らしいと感じます。両親は弟が自閉症だと知ったとき、どう思ったかはわかりません。ただの臆測にすぎませんが、辛かったと思います。受け止めきれなくて泣いた夜もあったのではないでしょうか。本当に強い両親です。ここまでよく私たち兄弟を育ててきてくれたと思います。いつも朗らかで強い母。理性的で母とは正反対みたいな父。何かにまっすぐ取り組むことのできる弟。誰よりも家族のために泣ける妹。 家族は私の誇りです。

受賞のことば

私がこの文を書いていた当初は、弟が自分のことでたくさん悩み、荒れていた時期でした。正直そんな弟に嫌悪感を抱かざるを得ませんでしたが、弟に対して嫌悪感を抱いたままならば、この文を書く気にならなかったと思います。私が今このような賞をいただくことができているのは、きっと周りの人が作り上げてくれた「書こう」と思わせてくれる環境が大きいです。この度は素晴らしい賞をいただき、本当にありがとうございました。

選 評

実は、私も障害のある弟と育ちました。「家に帰りドアを開けると」や「自分まで馬鹿にされたみたい」、「悩んでいた自分がバカバカしく」など、そうそう!、なるほど……!と共感と気付きの連続でした。一生懸命にぶつかり、本当の強さや明るさとは何かを考え体現してきた、かっこいい文章を書ける感性を、書道、すべてのことにまっすぐに発揮してもらえれば、きっと最強! です。(※最強の部分は好きな言葉を入れてくださいね)(藤木 和子)

以上