第57回NHK障害福祉賞 最優秀作品
〜第1部門より〜
「ようこそ! 私の世界へ」

著者 : 毛塚 光沙季 (けづか みさき)  栃木県

皆さん、こんにちは。私は通信制高校に通っている、音楽とかわいいものが大好きな高校三年生です。普段(ふだん)は学校のレポートに取り組みながら、趣味のLEGO(レゴブロック)や大好きなプリキュアを追っかけている私ですが、なんとJKという肩書に隠された本来の姿があるのです。それが、自閉スペクトラム症(以下、ASD)の当事者であることです。そんなASDであり、JKという今しかない特権を生かして「私が生きている世界をありのまま発信してみたい」という思いに駆られた私は、今回NHK障害福祉賞の存在を知って、応募してみることにしました。私はお喋(しゃべ)りも好きなのですが、自分の思いをうまく相手に伝えられないため、小さな頃から苦しい思いをしてきました。今は支援者の方と出会えたこともあり、スマホに文字を打ったり、紙に書いたりすることで自分の気持ちを整理するという方法を覚えました。この「書き出す」という私の一種のコミュニケーション方法で、今回は私の学校生活について紹介していこうと思います。週一回の登校日の様子について、私の様子を私なりに実況形式でまとめてみました。作文の常識を破壊するような文章になっているかと思いますが、どうか最後まで楽しみながら、こんな私の世界を覗(のぞ)いてみてくださると嬉(うれ)しいです。

まず私の学校に行く準備は、週一回の登校日の二日前から始まります。なぜ二日前なのかというと、前日や当日に予想外のことが起きてしまうとパニックになってしまうので、それを防ぐためです。私自身、週一回の登校でも一日学校にいることはできません。なので時間割りを見て、出席が足りなさそうな科目や興味のある科目を選んで、一時間や二時間など自分のペースで登校するのが私のスタイルになっています。二日後に学校に行くため、私は大事な授業をピックアップしていきます。見続けても何も変わらない時間割りとにらめっこしていると、あっという間に時間感覚を失くしてしまいます。すると起きてしまうのがパニックというやつです。いつ学校に行くかという一つのことに悩み続け、時の流れについていけなくなった時、私の感情は暴徒化するでしょう。この危険性を回避するためにも、一つのことで悩み続ける時には、お菓子を食べながら少し気軽に考えることを私は私におすすめしたいと思います。
登校日の前日は、基本的に不安に駆られる一日を過ごすことになります。そのため、できる限り楽しいことをして不安を寄せ付けない努力をするのです。お菓子作りに熱中したり、終わらないレポートに猛進したり、とにかく予定を詰め込んで私は忙しいという意識改革をさせます。さて、そんなこんなで夜になりました。私は夜になるのがとても嫌です。それはなぜかというと、寝たら明日になるからです。とても単純な理由ですが、私はその理論が子供の頃から受け入れられず、本当に頭を悩ませてきました。いくら予定を詰め込む努力をしても、私の頭の大半は不安で覆われています。もう正直どうにもならないこともあるのです。そのときは最終手段である薬を服用します。明日になることに抵抗がある私ですが、学校に限らずどうにもならない時には薬を飲んで寝るという手段を取らざるを得ません。このように、私は不安に頭を半分食われながら学校に行く準備を済ませるのです。
学校へ行く当日。私は母の車で学校へと向かいます。車内では「お腹痛い」「気持ち悪い」とかいったことを母にぶつけながら、好きな音楽を流して気持ちを紛らわせています。通学路には一面田んぼが広がっているので、車内からはシラサギのお食事シーンを眺めることができます。個人的にはもう少し栄えている所を通りたいのですが、ここでも時間に追われているため、必然的に近道という名の田んぼ道を通ることになるのです。いよいよ学校が近づいてくると、車内の音楽は気分を高めるためのものに変わります。私の戦闘曲であるロックな雰囲気の曲を流しながら、テンションを上げていきます。もう気分はロックンローラー。メロイックサインを掲げたいほどです。ですが学校付近になると、ロックンローラーではいられないほど心と胃腸が騒がしくなっていきます。言葉を濁しましたが、いわゆる便意というやつです。そして母にぶつける体調不良の確認作業も最盛期を迎え、最終的には時間と諦めで学校に行く決意が生まれるのです。
学校へ着いた私は、急ぎ足で向かう場所があります。それはトイレです。用を足すのも理由の一つですが、私にとってトイレは憩いの場であり、避難場所でもあります。一人になれる空間だからでしょうか。息抜きをしたり、気合いを入れたり、時には籠ったり。私にとって大切な場所です。
さてそろそろ授業が始まるので、指定された教室に向かいます。教室に入ったら、まずすることは座る席を決めることです。私は後ろの席だと人数が多い授業の場合、圧迫感を感じてしまうため、できるだけ前方の席が好きです。そして出入り口が見える廊下側だとなお良いです。このように授業が始まる前から、安心して授業を受けるための席を確保するという、密かな戦いが既に始まっているのです。
扉が開いて、先生がやってきました。チャイムも鳴って授業という時間が始まると、私は体調との勝負が始まります。調子が良く、楽しんで授業を聞けるときもありますが、グロッキーで授業どころではなくなってしまう時もあります。私は授業を聞くこと自体は好きなのですが、やはり予想外の出来事に弱いです。体調だったり、コミュニケーションだったり。でもその場で助けを求めたり、声を上げたり、伝えることができないのでひたすら我慢、なんてこともあるのです。ただ、なんとここで朗報です。この不安で埋め尽くされている脳内を一時的に、ほんの一瞬だけ、止める方法があるんです。それは、話を聞いて驚くことです。しゃっくりを止めるようなやり方ですが、最近あった例でお話ししましょう。授業中、不安に駆られていた際に「ユダヤ教とキリスト教とイスラームの神様は同じ」という発言がありました。大変驚いた私は、不安に駆られていたことを一時的に忘れ、授業に熱中したのでした。しかし一時的なものなので、そこは考慮しなければなりませんが、私にとっては大発見となる出来事でした。このように授業を受けている時の私は、体調と授業が常にデッドヒート。熱戦を繰り広げて、そのままゴール。すなわち終わりのゴングを迎えるのです。
教室というリングを降りた私は、疲労と達成感で授業を終えます。ここまで読んでいただいた皆さんは、私が学校に膨大なエネルギーを使っていることを分かっていただけましたでしょうか。今まで戦いだとか、我慢だとか、グロッキーなんて言い方をしてきたので、楽しみはないのだろうかと心配になる声も聞こえてきました。実を言うと、楽しみがないわけではないのです。せっかくなので、私の密かな喜びをお教えしましょう。それは、先生方に声をかけてもらったり、少しでもお話ができたりすることです。私は何気ない一言でも傷ついてしまって、コミュニケーションを取るのが苦手です。それでもやはり声をかけてもらえることは嬉しいことです。小さな喜びだなと思っていましたが、小さいどころではないですね。私にとっては大きな喜びになっていることをここで伝えさせてください。
さて、学校を出て母の車に乗り込みます。達成感に包まれていますので、気分も少々上がっています。ですが、必ずしもウキウキな気分で帰れるとは限りません。泣きながら帰る日もあるということをお察し頂ければ幸いです。そして帰宅するまでの間、私は弾丸のように話し始めます。弾丸どころではないですね、もうマッハレベルです。受けた授業の内容を覚えている限り全て話すのです。学校で静かにしているその反動なのか、知らなかったことを知れた喜びなのか分かりませんが、とにかく話したい衝動に駆られるのです。冷静に考えてみると、家に着くまでほとんど喋り倒している私の話を、ずっと受け止めてくれる母もすごいですね。そんな母の包容力と気力に感謝して、次の章へ進んでいきたいと思います。

私がなぜ通信制高校に進学することになったのか、少し昔の話をしようと思います。私は小学一年生の頃から学校がとてつもなく嫌で、一時は大泣きして引きずられながら通っていました。学校生活に慣れてきてからは、楽しく通えるようになったのですが、学年が上がるごとにいろいろと問題が生じてきます。私は給食が大の苦手で、強制完食という名の暴力と、給食のにおいや味、そして入学当初から始まった隠したい過去を抱えていました。今もなお、外食や食事の際には当時のトラウマが残っていて、心から食事を楽しむことができません。そして学年が上がるごとに人間関係でつまずいてしまうことも増えていきます。周りの子がちょっかいをかけてくることを苦に感じたり、何気ない一言でさえ心の傷になったりと、周りの子と何かが違うことに気付き始めた頃でした。小学生の頃の私は、自分の気持ちや心の思いを言葉にすることができず、抱えている不安を押しつぶしながら過ごしていました。気持ちを吐き出せないため、学校に行く前日の夜には必ずお風呂で大号泣したり、学校では腹痛や気持ちの悪さなど身体に出る不調が多くなっていきました。そのため保健室に行く回数は増え、身体の不調を訴えても理解してもらえないというようなこともありました。当時の私にとって学校から脱出できる場所は保健室しかなく、そこを通過しなければ家に帰れないというリアル脱出ゲームのような概念が生まれていました。自宅に戻り、病院に行ったら胃腸炎だと診断を受け、薬を飲んだり必要な時は治療をしたりというような辛(つら)い日常は今も記憶に残っています。そんな状況に耐えられなくなった頃、私には転機が訪れます。市のサポートセンターという施設を紹介され、そこでとある相談員の方と出会いました。初めてお会いした日、私はずっと心に刺さっていた釘が抜けるような感覚になったのです。今でもその感覚を鮮明に覚えているぐらい、衝撃が強い出来事でした。どこにも吐き出すことのできない気持ちを抱えた少女は、この時に初めて心を開ける大人に出会えたのです。
そして小学五年生の頃、私は学校に鍵をかけることを決意して、学校に行くことを止めることにしました。不登校になった当初、私の心と身体は限界を迎えていました。本格的に体調を崩し、毎日のように吐き気と腹痛に悩まされ、常にビニール袋を持っていないと安心することができませんでした。そしてこの当時、私は初めて死にたいと思うようになりました。鍵をかけていた学校が恐怖でしかなく、私にとっては悪魔でした。当時のドクターには、「とにかく楽しいことをして、不安を忘れる時間を作る」ということを教えてもらいました。それから私は自分の好きなことに没頭する日々が始まります。母から教えてもらってちぎり絵をやってみたり、ピアノを弾いたり、音楽を聴いたり、ドラマや映画を見たり、特にLEGOにハマった私は、一日中ブロックを漁(あさ)って遊んでいました。とにかく頭の中で自分の世界を創ることが大好きで、ドラマや映画に影響を受けて、頭の中でいろいろな想像を膨らませることにハマりました。この頃に出会った趣味は、今も変わらず大好きな宝物になっています。
そして中学校に上がる前、自分が自閉スペクトラム症であることを知りました。知ったというより、教えてもらったという方が正しいのかもしれません。事の成り行きで、何かを隠されていることに察しがついた私は、自分が持つなにかについて、教えて欲しいと頼みました。母には、本を見せてもらいながら自分の障害について話を聞きました。その本を見て、私が最初に思ったことは「これ、私じゃん」ということでした。発達障害を持つ子供たちがイラストで載っているような本だったので、自分と同じような子がいるということに驚きと、その子たちが苦手とするものに共感した記憶があります。ですが自分の障害を知っても、抱えている不安や苦しみが取れることはありませんでした。そんな悩みを抱えている時、私は病院で心理士の方と出会うことになります。カウンセリングを受けるようになり、不思議と私の心は変わっていったのです。一週間に一度、病院に行くという予定もでき、自分の気持ちを吐き出すという行為が少しずつできるようになっていきました。その心理士の方と出会って、私は今まで不安をぎゅっと圧縮させて、カバンの中に詰め込んでいたということを知りました。そしてそれが破けて漏れ出してしまったのだということも。私の心は容量がいっぱいで、すでにキャパオーバーだったのです。それに気づくことができた私は、過去苦しかったこと、そしてずっと隠し続けていた過去を吐き出すことができるようになったのです。このように私の中学校生活は、自分の心と向き合うような時間でした。とにかく楽しいことをして、不安を忘れる時間を作って、少しずつカバンに詰め込まれた荷物を下ろして整理して。それが不登校という期間に、私がしてきたことです。そして進路についての話題が他人事(ひとごと)ではなくなってきた頃、中学三年間全く勉強をしてこなかった私の中には、自分のペースで学んでみたいという気持ちが生まれていました。こうして、自分のペースで学べる高校を検討する中で、現在通っている通信制高校に進学することになったのです。
さぁ、いよいよ高校生になりました。普段の様子は前章でご紹介しましたが、入学当初は見るもの全てが初めてで、戸惑うことばかりの日常がスタートしたのでした。授業というものに五年ほどブランクがあった私は、久しぶりの授業に胸が高鳴る気持ちと、緊張と不安を抱えていました。少しだけ、私が久しぶりの授業を体験して驚いたことについてお話しさせてください。まず初めて数学の授業に出た際、黒板にはルートという記号が書かれていました。中学校時代、勉強というものをしてこなかった私は、そこで初めてルートの書き方を覚えるような状態でした。それからというもの、中学校で習うとされるものが授業にもレポートにも当たり前のように出てくるという状態に耐えきれず、私は一年目で挫折したのでした。再チャレンジを果たした二年目で、私は積極的に授業に出席するようになりました。すると不思議なことに、一次という数式や決まりを知らない中で、二次がつくものを解くことができるようになるという非常にカオスな展開を迎えます。このような驚きに満ち溢(あふ)れるような展開がバンバンと私のもとに押し寄せるようになったのです。例をもう一つ挙げましょう。それはコミュニケーションが苦手な私が、コミュニケーション重視の英語の授業に出るというものでした。それはそれは刺激的なひと時で、ひたすら耐え抜くという必殺技さえ効能が無いという場面に遭遇したのでした。そしてずっと心配していた勉強についてもお話ししましょう。通信制高校は、毎週のように数通のレポート提出が必要なため、毎日少しずつでも学習を進めていかなくてはなりません。今まで勉強をしてこなかった私は、まず毎日学習する時間を作ることから始まりました。最初は勉強の止め時が分からず、一つの教科をひたすらやり続け、疲労困憊してやる気を失くすというシステムを繰り返していました。私は好きなことに熱中してしまうと中々(なかなか)やめられない性(さが)なのですが、どうやらそれは勉強にも発揮されるらしいのです。まぁそれはいいとして、毎年のように勉強方法を模索して、今は事前にカレンダーで予定を立てたり、タイマーを使ったりと、自分のペースで学習する方法を見つけつつあります。そして締め切り日までにポストに投函するという目標のもと、日々レポートに取り組んでいるのです。
高校生活を過ごしている中で、私には新たなハードルがやってきました。それは人間関係という高い高い壁でした。せっかく人付き合いのチャンスが訪れても、それが苦しみとなってしまうのです。友達と遊びに行ったり、食事をしたりすることが、とてつもないエネルギーを使うのです。お誘いを受けても、快く受け取ることができずに先の見えない恐怖となってしまうという自分自身の状態にひたすら自己嫌悪に陥っていました。同年代の子と比べてしまい、なぜ自分にはできないのだろうかという思いで何度も何度も胸が張り裂けそうな思いになりました。心の奥深くには「本音」と呼ばれるようなものがあるはずなのに、それを直視することができないような毎日を過ごしていたのです。ずっと自分を責めるような日常を送っていた私ですが、それは私のせいではなく、私の障害がさせているものなんだということを母や主治医の方から聞いて、胸にある詰まりが少しずつ動くような感覚になり、それから自分を責めることを止めるようになりました。そんな時、私はユーチューブで活動している大学生の動画に出会いました。その方々は、自分の悩みや辛いところをありのままに表現していて、そして何よりも悩みに対してのとらえ方がすごくポジティブなところに、私はとても大きな勇気をもらいました。この方々に出会ってから、私は自分らしく生きている人たちに憧れを抱くようになります。そしてずっと直視することができなかった心の声にも耳を傾けられるようになり、それは「私も自分らしく生きていきたい」というものでした。人間関係で頭を抱えていた中で、私は自己理解の大切さに気が付きました。倫理の教科書にも、「自己理解とは非常にむずかしい課題である。しかし、自己理解が深まると、他者に対する理解や共感も深まり、他者との折りあいをつけるのに役立つ」という記載がありました。まさか、学校の教科書に人生のヒントとなるようなものが載っているとは思いもしませんでした。それからというもの、あれほど学校を嫌っていた私が、倫理という新たな学問に目覚めだしたという話は言うまでもないでしょう。こうして自分の心の声に気付いた私は、自分の世界を発信することで、自己理解を深めることができたらいいなと思うようになり、ここまで私の世界を私なりの言葉で表現してきたつもりです。

あれもこれも書いていたら字数制限というタイムリミットが近づいてきてしまいました。ここまで読んでくださったそこの貴方様、本当にありがとうございました。過去を振り返りながら書き進めていたら、本当にいろいろな方々と出会ってきたんだなということを骨の髄まで実感しました。この作文がどれだけの人に届くのか分かりませんが、あるいは届かないかもしれませんが、今まで出会えた方々に心から感謝の気持ちを伝えたいです。そしてこの作文を読んでくださった方の中に、こんな私の世界に興味を持ってくださる方がいたのならば、それはとても嬉しいことです。私は、今まで自閉スペクトラム症と思春期という薬品は、何かと相性が悪いと思っていました。この薬品に何らかの要因が加わると、よく爆発するからです。ですが今回、二つの薬品がうまく混ざり合い、良い化学反応が起きたのではないかと実感しています。こういう小さな変化を感じていくことが、自己理解ということなのでしょうか。誰も答えてくれない今は、そういうことにしておきましょう。この先も、私の中から自閉スペクトラム症という障害が消えることはありません。今までもこれからもこの特性に悩まされることは尽きないのだろうと思います。ですがその度に悩み、今しかないこの時を、自分のペースで楽しみながら歩んでいきたいと思います。

受賞のことば

こんなに素晴らしい賞に選んで頂き、とても嬉しいです! ありがとうございます!! 最優秀賞というものが初めての経験なので、正直不安と緊張が度を超えております。ですが選考して頂いたということは、私の世界に興味を持ってくださった方がいらっしゃったということになるのでしょうか。だとするならば本当に嬉しい限りです。いつも私のことを支えてくださる方々への感謝の気持ちを忘れずに、これからも色々なことに挑戦していきたいと思います!

選評

発達障害という言葉はかなり広く知られるようになりましたが、その障害をかかえる子どもや若者が、どのような日々を過ごしているのか、どのように辛く大変な思いをしているのか、その現実はほとんど理解されていないと言えるでしょう。自閉スペクトラム症の毛塚さんは、小学生になってから高校生の現在までの少女期・青春期の内面の現実を、あたかも実況中継のような率直さで実にリアルに書いてくれました。ずきりと感じさせられる独特のキーワード的表現の数々は、核心に触れるものですね。十七歳にして、よくぞ書かれましたね。心理士との出会い以降、しだいに「胸にある詰まりが少しずつ動くような感覚」になり、自分を責めずに、「自己理解」を大切にして、「自分らしく生きていきたい」という「心の声」に耳を傾けられるようになったという。「今しかないこの時を、自分のペースで楽しみながら歩んでいきたい」の言葉、陰ながら応援していきます。(柳田 邦男)

以上