第56回NHK障害福祉賞 最優秀作品
〜第1部門より〜
「保育士の卵、ワケありにつき〜ちょっとそのカラ破ってみない?〜」

著者 : 竹内 智香 (たけうち ともか)  北海道

第1章 はじめまして、保育学生です

2週間にわたる保育実習も、もう終盤に差しかかっている。お昼寝前の2歳児たちを相手に、いよいよ「部分実習」本番だ。保育の一部分を実習生が担当し、手遊びなどを行うのが部分実習である。綿密に計画を練った上での一本勝負。緊張が走る。
「それじゃあ、お顔の体操をするよ! あがりめ、さがりめ、くるっとまわってニャンコのめっ!」
こどもたちの愛らしい笑い声が響く。やった! 出だし好調。張り詰めた緊張がホッと和らぐ。
私は、保育士を志す大学生。実習準備を頑張って、こどもたちが喜んでくれると本当に嬉しい。奇想天外な出来事に戸惑う場面も多いが、そこが保育の面白さ。根気強く試行錯誤を重ね、「最適解」を探す過程は、まさに宝探しだ。何より、こどもの育ちをそばで支えていく喜びは、言葉では言い尽くせないものがある。しかし、今日は午後から調子がおかしい。積み木の崩れる音が、こどもの泣き声が、雪崩のように私に襲いかかる。聴覚過敏だ。必死で保育に集中しようとするも、こどもの動線が見えない。いつも通りの集中ができない。
「すみません、少しお手洗いに……」
トイレに駆け込んだ瞬間、悔し涙が止まらなくなった。情けない! 失格だ。自分への怒りが頂点に達し、拳で頬を思い切り殴った。何度も何度も殴った。ジンジンと熱く、鈍い痛みが残る。頭の中は真っ白だ。
私がタダの保育学生ではないことに、お気づきの方もいるだろう。端的に言えば、私は発達障害者だ。精神科通院とヘルパー利用。社会に支えていただき、なんとか最低限の生活を維持している。先天的な脳機能障害により、幼少期から発達に偏りや遅れが生じ、生涯にわたり特性が持続するのが発達障害。私が困難を呈しているものは、主に3つである。
1つ目に、アスペルガー症候群(以下AS)。自閉スペクトラム症の一種で、社会性の障害やこだわり症状、感覚の異常などを特徴とする。診断が下った時、私はまだ4歳だった。2つ目に、注意欠如・多動症(以下ADHD)。不注意・多動性・衝動性が、年齢不相応に表れる障害だ。3つ目に、チック障害。自分の意図とは無関係に身体が動いたり、声が出たりしてしまう。
これらの特性に悩む私だが、「保育園で働きたい」という幼い頃からの夢を抱き、某私立大学の保育科に入学した。ハードルは高い。こどもに関わる仕事は、常に命の重さと隣り合わせだ。広い視野と予測力、臨機応変な対応が欠かせない。そして他の業種と等しく、共通の目標に向かって協力する姿勢が求められる。これらは全て、発達障害者が苦手とすることである。私も例に漏れず、場の空気や一般常識を読み取ることが難しい。この壁を越えるのに必要なのは、障害特性を乗りこなす技だ。
箱入り娘の一人っ子、手厚い療育を受け、世間知らずに生きてきた。なりは女子大生だが、心は幼い。今、初めて本気で自分と向き合っている一保育学生の、発達障害との闘いと共存の記録にお付き合い願いたい。

第2章 あの子、なんか変じゃない?

昼休みのキャンパス。見知らぬ女の子たちが、こちらをチラチラ見ながら笑う。周りの反応を見る限り、私は存在自体が素っ頓狂であるようだ。それでも、基本はごく普通の女子大生。電車で大学に通い、講義を受け、帰りは時々タピオカを飲んだりもする。何がそんなに変なのか。自分では見当がつかない。
通学電車は、指定席車両のデッキが所定位置。ASのこだわり特性である。大学までの道は、急いでいなくても走る。走りたくなるのはADHDの本能のようなものだ。昔から、私の隣に友達はいない。初めは「天然ちゃん」と可愛がられても、無自覚に場の空気を壊し、次第に孤立してしまうのだ。思春期にはかなり悩んだが、今は割り切っている。一人で楽しむ術はいくらでもあるし、周囲に気兼ねなく本能のままに走り回れるのだから、存外悪くない。
大学に到着すると、刺激の嵐が待っている。悲しいことに、私は同年代の若者の騒ぎ声が苦手なのだ。それどころか講義中のヒソヒソ話にさえ、耳が異常に反応してしまう。無論、悪いのは彼らではなく、自分自身の聴覚過敏。これがなければ楽だろうにと、運命を恨まずにはいられない。そして、何を隠そう私は保育科の学生なのである。器楽演奏をしたり、鬼ごっこをしたりと、グループでの実技も多い。遊んでいるようで、これもれっきとした講義の一環。乳幼児期のこどもは、遊びを通じて成長していく。そこに欠かせないのが、保育者による環境構成と適切な指導だ。それを学ぶための実技なのだが、グループ分けの時点で私が余るのはおおよそ確定的である。
「智(とも)ちゃん、こっちおいで」
同級生は親切だ。優しさに甘え、仲間に入れていただく。こんなとき、申し訳なさが募る。幼い頃から周囲の足を引っ張り、それが原因でいじめに遭ってきた過去があるためだ。トラウマと決別できていないだけなのだが、やはり迷惑をかけて嫌われる自分が脳裏をよぎる。
そうかと思うと、私は妙な部分で積極的だ。できれば座学は最前列に座りたい。教科書だって読みたいし、意見や感想も発表したい。積極奇異とは言い得て妙、まさに私のことである。
「では、4歳児の特徴を発表してくれる人!」
待ってましたとばかりに手を挙げた。他に候補者は誰もいない。
「……あっ、また竹内さんね。悪いけど、さっきも発表してもらったから、機会均等にね。他に発表してくれる人!」
嘘だ、嘘だ、発表したかったのに。鼻の奥がツーンと痛くなる。20歳を過ぎた女が指を噛んで、喉までこみ上げてくる思いに蓋をする。今回だけではない。外部講師が来たときも、積極奇異は炸裂した。最後の質問コーナーで、私は真っ先に挙手した。
「個人的な疑問ですが、なぜ先生のネクタイはお花の模様なのですか?」
一瞬の静寂の後、教室中に笑いが巻き起こる。ああ、やらかしたんだ……。浮いてしまうのは百も承知なのに、沸き起こる衝動を抑えきれない。

第3章 発達障害を乗りこなせ!

こんな状態では、とても保育業務などできそうにない。夢を掲げて保育科に入学したものの、発達障害の影響が大きすぎる。諦めようか悩んでいたとき、元幼稚園教諭である先生が意外な言葉をくださった。
「保育補助を目指してみたら? あなたは読み聞かせも上手だし、こどもに寄り添う姿勢がある。あなただからできる保育を見つけてごらん」
先生の言葉はとても励みになった。挑戦してみよう。無理だと決めつけているのは自分自身だ。ならば、それを打ち破れるのも自分しかいない。とは言え、発達障害は見えない強敵である。いきなり現状打破しようにも、一筋縄ではいかない。そこで、まずは「徹底分析」から始めることにした。一口にASやADHDなどと言っても、特性は十人十色。教科書通りの理解に傾倒せず、自分だけの特性を徹底的に知る必要があるのだ。私は、日々の生活記録を始めた。失敗や困りごと、感覚面のつらさ。何が原因で困難が生じたのか、どうすれば楽になるのか。記録を続けるうちに、自分だけの特性が見えてきた。多動はかなり強い。天候や季節の変化にも敏感。疲れると不注意になる。主張する場面を間違えがち。他にもいろいろな弱点が、データとなって姿を表した。
こうなれば、次は実行に移す段階だ。感覚過敏には、イヤーマフやアイマスクの着用。服装や持ち物も、季節や天候に合わせて選ぶようにした。ちなみに私の住まいは寒冷地で、冬は氷点下の嵐が吹き荒ぶ。よく考えれば、今まではその中を手袋もせずに歩いていたのだ。癇癪を起こすのも当然だろう。天候に応じた服装が難しいのは、発達障害者にありがちなことだ。それを改善できたのは大きな収穫だった。
他にも作戦は用意してある。多動には、ぎゅっと握りしめられる小さなボール。不注意には、メモや予定表を活用した。思ったことをすぐ口走ってしまう癖には、言葉を発する代わりに自分の足をたたいた。マナーやコミュニケーションの本を読みあさり、問題点と向き合った。向き合う作業はときに苦しかった。自分の無神経さ、依頼心の強さ、根拠のないプライドの高さ……。振り返るたび、どれほど自己中心的で未熟だったかを思い知った。でも、目を反らさなかった。自分に責任を持ち、他人の時間や空間を尊重し、大人として、保育を学ぶ者として相応しい人間に変わりたい。主治医やカウンセラーの連携のもと、前向きに努力した。
対策に対策を重ね、治療も続け、特性はかなり改善された。ADHDによる、ドミノ倒しのようなミスの連発も止まった。ギャーっと喚いてしまう癇癪もめっきり減った。親戚に「いつまでも赤ちゃんだね」と言われた他力本願な私は、もうどこにもいない。生まれ変わったのだ。これで無敵のはずだった。

第4章 厳しい現実

さて、保育士資格を習得するため、必須なのが保育実習である。私も大袈裟ではなく、実習に魂を込めていた。発達障害への対策は、実習のためと言っても過言ではない。
実習初日は、1歳児クラスに配属された。赤ちゃんを泣かせないよう、体を縮めてそっと保育室に入る。
「こんにちは……」
「あい、どーじょ!」
一人の赤ちゃんが積み木を差し出してくる。お礼を言って受け取ると、周りの子も次々と「どーじょ! どーじょ!」の大合唱だ。赤ちゃんはとても愛くるしい。つぶらな瞳、小さな鼻、ふわふわの頬。短い手足が繰り出すおぼつかない仕草。こんなに可愛い子たちの元で貴重な学びができる幸せを噛みしめる。
「あなたは特性があるから、疲れたら休むのよ」
保育士の先生も優しい。有難い限りである。
だが、自分を甘やかすつもりはない。命を守る仕事、生半可な気持ちでは務まらない。健常者と同じになるまで、徹底的に自分を追い込むのだ。決死の覚悟で実習に臨んだものの、思った以上に私は弱い。中盤になると疲れが生じ、不注意や感覚過敏が露呈した。それでも「迷惑はかけられない」と頑張り続けた結果、遂に感情失禁を起こしてしまった。当然、こどもの前でそれを爆発させるわけにはいかない。その場では笑顔を作り、慌ててトイレに駆け込んだ。悔しかった。何も変わっていないじゃないか! 泣きながら自分の顔を殴りまくった。
なんとか気持ちを落ち着け、保育室に戻ると、こどもたちはお昼寝に入っていた。起きている子を優しくさすり、その子が安心して眠れるポイントを探す。清掃作業もさせていただく。環境こそが保育の礎。丁寧に汚れを拭き取りながら、こどもの姿を想像する。保育に向かう私の手は優しい。つい先程まで、自分自身に強烈な鉄拳制裁を下していた手だ。別に殴らなくても良いだろう。毎回そう思うのだが、感情表現の仕方が分からない。正直、自分の気持ちすら分からない。気づいたときには限界で、自らを痛めつけてしまうのだ。心底情けない限りである。

第5章 何よりも大切なこと

セルフ鉄拳制裁に打ちのめされつつも、保育実習は無事に完了した。4年生に進級し、講義もほぼ皆無である。だが、最後に大きな課題が残っている。幼稚園教育実習だ。
今回こそ、感情失禁は免れたい。周囲の人に相談すると、「一定の生活リズムを作ること」を提案された。早速、起床・就寝・食事の時間を定め、それに沿った生活を始めた。すると、以前よりも体力や気力が安定してきた。ついでに言うと代謝も良くなった。実習準備も順調に進んでいった。そして、幼稚園実習初日の朝が来た。
開始早々、私は衝撃を受けた。クラスの先生が、とても楽しそうなのだ。お片付けをする場面、静かに並ぶ場面。メリハリをつけながらも、遊び心を欠かさない。「こどもは遊びの中で育っていきます。こどもたちの主体性を伸ばすには、保育する側の遊び心が大切ですよ」と、先生は笑顔で話してくださった。
ハッとした。一番大切なことが、私には見えていなかったのだ。
「発達障害はダメなこと。だから人一倍努力して、特性を抑えなければいけない」
そんな強迫観念に捕われ、保育を楽しむ気持ちを失っていた。パニックになり顔を殴ってしまう理由も分かった。特性を否定し、自分を過度に追い込むことを、努力と履き違えていたのだ。振り返ってみると、たくさんの人が私を応援してくれている。大学の先生や同級生は、パニックを起こして廊下に飛び出した私を迎えに来てくれた。実習先の先生は、「苦手でも挑戦してごらん」と背中を押してくれた。主治医やヘルパーの方々、そして家族にも支えられている。数々の思いやりに助けられ、ここまで来ることができたのだ。それなのに、私は自分の欠点を攻撃するばかりで、周囲の優しさに気づけなかった。
変わりたければ、楽しく前向きにチャレンジしていけば良いのだ。未熟だからこそ、こどもたちと一緒に成長できる。自分を責めていた気持ちが、少しずつ和らいでいった。

第6章 社会人として、保育者として

「ともかせんせい、ワンちゃん、かいて!」
「ぼくもかいて! おさんぽさせるの!」
こどもたちが画用紙を握りしめ、目を輝かせて私の周りに集まってくる。
「よーし、じゃあ一緒に作ろっか! 椅子も持っておいで。どんなワンちゃんがいい?」
こどもの言葉に耳を傾けながら、画用紙にペンを走らせる。未熟な私にも特技があるとすれば、見た物の形状を大まかに記憶し、ペン一本で描き上げられることだ。得意のイラストを生かし、教材作りにも励んでいる。毎度の実習最終日には、園児全員の愛らしい姿を描いて、先生方に贈っている。特性を生かして喜んでもらえると、少し自信がつく。
また、自分自身の特性と向き合ってきた経験は、こどもたちへの援助にも生きている。発達障害者の支援として挙げられる、視覚支援や見通し支援、秩序を保った環境構成。これらは障害児・健常児の区別なく、全てのこどもに伝わりやすい方法だ。こどもには一人ひとりの発達があり、それぞれ援助が必要である。「この子は何を必要としているのかな」と思いを馳せるとき、今までの知識と経験がアイデアに繋がっている。 発達障害は脳の特性であり、治ることはない。保育現場に立つ限りは、常にその特性と向き合い、支障が出ないよう対策を重ねなければならない。できることにも限りがあるため、雇用形態にも工夫が必要だ。それだけ保育は難しく、責任の重い仕事である。
それでも、応援してくださる温かい環境がある。コロナ禍の今は控えているが、保育園でのアルバイトにも取り組んでいる。周囲の理解あってのことだ。感謝を忘れてはいけない。
そして、発達障害は上手く生かせば良き相棒である。記憶力と論理的思考力は、ASの特性。発想力と行動力は、ADHDの特性と言える。周囲に助けていただく場面も多いが、良さを伸ばせば恩返しができる。自分を責める必要も、他力本願になる理由もない。自分の足で確実に立ち、感謝を行動で示していく姿勢が肝心なのだ。
以前の私は幼く自分本位であった。どこか悲劇のヒロインを気取り、理解や配慮ばかりを渇望していた。だが、今は違うと胸を張って言える。痛みを知っているからこそ、「理解や配慮を示す側」になりたいと思えるようになったからだ。助け合いに、障害者・健常者の垣根は存在しない。自分の問題に向き合い、適応していく力。相手を尊重し、優しく手を差し伸べる力。発達障害そのものは治らなくても、今の私には確実にこれらの力が育ちつつある。「大人になったね」と親戚や周囲の人に言われるたび、自分をちょっとだけ誇りに思う。なにせ甘えん坊の箱入り娘だった私が、初めて自分と向き合い、闘い、そのカラを破ることができたのだから。
来年、私は保育士資格・幼稚園教諭免許を取得し、晴れて社会人となる。保育現場に立つ者として本当のスタートだ。今後も自分の特性と丁寧に向き合い続け、こどもに寄り添った援助のできる良き保育者を目指していきたい。

受賞のことば

沢山の素晴らしい作品が集う中、最優秀賞に選んでいただき大変驚いております。人一倍未熟者の私がこうして認めていただけたのは、周りの温かい援助あってのことです。大学・実習先の先生方、そして関わったこどもたちに心から感謝を伝えたいです。保育を学ぶまで、発達障害はただの足枷でした。いじめや二次障害にも悩みました。でも今は、発達障害で良かったと思えます。こどもたちに負けない元気で、今後もがんばります!!

選評

障害を背負う若い人たちが自らの苦難を乗り越えて生きる道をつかんでいく人生を率直に語る投稿が多い新しい潮流の中で、21歳の竹内さんの手記が最優秀賞に選ばれたことは、多くの若い障害者に勇気を与えることでしょう。発達障害をもちつつも保育士を目指す竹内さんは、失敗すると自分を過度に追いこむことを努力だと思い違いをしていたところから、自分の「特性」と向き合い、子どもの遊び心に合わせて楽しく保育士の仕事にチャレンジしていくように心を切りかえたことに、感動しました。自分の心をしっかり見つめる姿勢がすばらしいです。(柳田 邦男)

以上