第56回NHK障害福祉賞 佳作
〜第1部門〜
「ただ、普通にご飯が食べたくて」

著者 : 下田 朝陽(しもだ あさひ)  東京都

昔から、周りの目を必要以上に気にする子どもだった。公園では同年代の子どもの輪に入れず「全員の顔と名前を教えて」と親に泣きついた。幼稚園の通学バスには大泣きして乗り込んだ。習っていたサッカーではコーチに担がれてピッチに立った。スイミングスクールではトイレに隠れてプールサイドにすら行けず、1か月後に親にバレて退会させられた。

僕は集団が嫌いだった。周りの目が怖かった。しかし、周りの大人は親切心から、そんな僕を集団に、時に無理にでも適応させようとした。僕は目をつむり、自分を殺して周りに馴染めるよう頑張ってみると、従順で真面目な子供としての承認をもらうことができた。しっかり者が代名詞、誰からも嫌われず、周りに合わせるのが人一倍上手な学生時代を送っていた。

ご飯が食べられなくなった日

あれは忘れもしない、中学1年生の夏休み。所属していたサッカーチームの夏合宿には、2つの食事ルールがあった。『ご飯を3杯食べ終えるまでは食堂から帰れない』『完食できない人がいた場合は、連帯責任としてチーム全員で罰走する』。コーチの手元には、おかわりの回数を正の字で記すためのノートがある。「さぁ、たくさん食べろよー」と、30歳以上年上のコーチが発破をかけてくる。食堂には、これまでの会食時に感じたことのない緊張感が漂っていた。僕はすでに、この重圧に押しつぶされていた。

嫌な予感は的中。初日は僕を含めて3名が時間内に完食できず、翌日の練習で罰走が行われることに。真夏の炎天下、チームメイトが脱水症状によってバタバタと離脱していく。

「僕がご飯さえ食べていれば、みんなが苦しむ必要はないのに」

苦悶の表情で走る仲間を横目に、責任をとるように最後まで走りきった。

「いいか、食事も練習だからな。朝陽、◯◯、◯◯、お前らのせいでみんなが走らなくちゃいけないんだぞ」

罰走後の全体ミーティングで、コーチはそのように言い放った。僕の心は、この時点で限界だった。

それからは、食事の時間が近づくだけで極度の緊張と吐き気が止まらず、ご飯の匂いを嗅ぐだけでえずき、トイレへ駆け込むようになった。食堂に入っただけで嘔吐してしまったこともあった。いざ食事が始まると、喉にロックがかかったかのように息すら難しくなり、勇気を出して口の中に食べ物を入れようとすると、たちまち吐き気と明らかに異質な唾が込み上げてくる。せめて仲間に迷惑だけはかけまいと、苦肉の策でポケットに食べ物を隠し、食事中に込み上げてくる嘔吐物は必死で飲み込んだ。気分は最悪、それでも完食からはほど遠かった。どうしてご飯が食べられないの? 自分でもわけが分からなかった。

ある日、食堂には僕とコーチだけが残っていた。
「ご飯はもう食べなくていい。そこにあるおかずだけ食べろ」
皿には、食べかけのウインナー2分の1本だけが乗っていた。

怒鳴り声が飛ぶ。
「なんでそれだけが食えねえんだよ! こっちは早く部屋に帰りてえんだよ!」
すでに会食場面での緘黙症状が出ていた僕は何も反応できず、この期に及んでもただ吐き気を我慢することしかできなかった。

「メンタルが弱い」「食えないやつは試合で戦えない」。これが僕の評価。合宿での出来事が引き金となって、日常での会食時にも同様の症状が出るようになり、誰かが丹精込めて作った食事が『倒さなければいけない敵』に見えるようになった。以後、食事を楽しむ当たり前を10年近くにわたって失うことになった。

会食恐怖症という障害

僕は13歳の頃、サッカーチームでの完食指導をきっかけに、人前でご飯を食べることに怖さを感じ、それによって健全な社会生活が脅かされる『会食恐怖症』を発症した。社会不安障害の一つとも言われている。とあるアンケートによれば、会食恐怖症発症の原因として60%以上の方が『完食指導』を挙げている。特に学校給食やスポーツの現場での完食の強要によって発症するケースが多い。加えて僕は、食堂で実際に嘔吐してしまったことにより、「また吐いてしまったらどうしよう」の予期不安に支配される『嘔吐恐怖症』にも悩まされた。

会食恐怖症の症状は、前述したような吐き気をはじめ、めまい、動悸、飲み込めなくなる嚥下障害など多岐にわたる。家族との会食すら困難になる方もいれば、親しい友人の前では問題なく食べられる方もおり、症状が出る場面や程度は人それぞれ。僕は1人分がハッキリしている食事で特に症状が出るタイプで、最もひどい時は家族を除く全員との会食が不可能になった。空腹具合は全く関係ない。食べたい意思とは裏腹に、会食場面になると身体が食べ物を一切受け付けなくなる。

より本質的な問題は、このような症状への恐怖から会食の場面を避けるようになり、普通に送れるはずの社会生活に大きな支障が出ることだ。社会生活と食事は密接に結びついている。『同じ釜の飯を食う』と言われるように、人々が親睦を深めていく過程で、食事の場面は避けて通れない。加えて「食べ残しをする男は弱々しい、モテない」ジェンダー規範はたしかに存在する。僕はこれを必要以上に強く内面化しており「飯も食えないなんてダサい」と思われることへの恐怖心から、一般的には躊躇なくできる人生の選択ほとんどに支障が出た。

高校ではサッカー部に合宿があることを知り、入部を諦めた。昼休みは会食の輪に入りにいけなかった。大学ではゼミにも入れず、昼食を個人でとれそうなサークルを選択した。バイトも夜勤や個人でできる仕事ばかりを選び、バイト仲間と会食したことは人生で一度もない。職場の同僚と食事をとる機会があること考えると、就職活動に動き出すことすらできなかった。『やりたいこと』は、会食機会が少なそうなものの中から選んできた。そして何より、会食への恐怖から、他人との仲を深める食事の機会を自ら逸し続けた。

一方の嘔吐恐怖症では、会食中に吐くことへの恐怖はもちろん、胃に食べ物が入った状態で閉所に閉じ込められる際にも不安感が強く出た。体育館での朝礼、昼食後の授業前、行き帰りの電車に乗る前には必ずトイレへ行き、喉の奥に指を突っ込んで食べ物を吐き出し、胃液しか出ないことを確認した。胃液であれば、吐いたとしても周囲にはバレないと考えたためだ。吐いたあとは胃がドクンドクン、キリキリと痛むが、嘔吐しても大丈夫な安心感を手にするためには必要な我慢だった。

勇気を出して友人に打ち明けたことはあるが、「頑張れ」とだけ返されたり、抗不安薬を飲んでいることを“クスリを過剰摂取するモノマネ”としてネタにされ、心の傷はかえって大きくなった。完食を強要する大人、本気で受け止めない同級生、何より“ご飯すら”食べられない自分、信じられる人は一人もいなかった。誰もが当たり前にできると疑わない『食事』に障害があることに大きな孤独を感じていた。

誰かと一緒にいる間、頭の中は「このあとご飯に行くことになったらどうしよう」でいっぱい。そしてありもしない架空の予定を作って逃げると、心が楽になり、一人で大盛りのご飯を食べることができた。1日に3回の食事は毎日あるため、僕は会食恐怖症を『今この瞬間を楽しむことが全くできない病』だと認識している。症状の強弱はあれど、結果的に会食恐怖・嘔吐恐怖に1日中支配される人生が10年近く続いた。

できないんじゃない、やらないだけ。

根底にあったのは、『当たり前』に適応できない自分が知られることへの恐怖心だった。冒頭で記したように、僕は周りから悪目立ちすることを極端に恐れる児童・生徒だったと認識している。実際、学校では優等生だった。勉強は中高ともに上位1割で、キャプテンや学級委員を務め、校則にも従順、先生から怒られた記憶はほぼない。しかし食事だけは適応できずに隠し続けた。結果、『何でもそれなりにできる人』という高い客観的評価と、『他人とご飯を食べられない人』という低い自己評価の狭間で孤独感にさいなまれた。

誰と食事に行くか・何を食べるかの自由度が一気に増す大学生になると、他人とご飯に行かないことが人生における優先順位の1番目になった。少し仲良くなったとしても、食事ができない姿を見せたくない気持ちが勝り、自分から人間関係にストップをかけた。「先帰るね」「途中から合流するね」「ごめん用事が入って行けなくなった」が口癖になった。ご飯には誘われない関係性が僕の安全圏だった。特に異性相手にはそれが顕著で、とにかく女性と会うのが怖かった。そしてその状況を正当化するために、『他人とご飯を食べに行かないタイプ』のレッテルを自分自身に貼り付けるようになった。そうすれば、『できない』のではなく、『やりたくない』に変わり、完全な自分を維持できるからだ。1つでもできないことがあってはならない、バレたら嫌われてしまうと、不完全な自分を隠し続けた。

でも本当はみんなと笑ってご飯を食べたかった。大切な友人を大切にし続けたかった。しかし仲良くなったとしても『会食恐怖症』の5文字が常にゴール前で待っていた。そして100人いたら100人が、ゴール前で“食事すらできない”僕のことを嫌いになると思いこんでいた。食事なんて、できて当然だからだ。だから『他人とご飯を食べに行かないタイプ』の仮面を仕方なく、人前では本望かのように使用した。

できて当然なことができない、それを誰にも打ち明けられない孤独な日々。僕にとって会食恐怖症は、食事をはじめとするたくさんの当たり前を失う経験だった。もっと何も考えずに周りの人と関わりたかった。距離をとっているのは自分なのに、周りの人が自分から離れていく気がして、でもどうしようもなかった。1日10時間以上も家で一人サッカーを見る休日が心地よく、他方でここから抜け出せない自分にも気づいていた。

そうまでしてでも、不完全な自分を見せることができなかった。ネット上に解決策を求めても、当初は『会食恐怖症』の言葉にすらたどり着くことができなかった。代わりに表示されるのは『少食の男はモテない』『食べっぷりの良い人は好印象』の現実。気づいたときには、大学4年生の夏になっていた。

食べきれなくても。不完全でも。

転機は、意外なところから訪れる。

就職活動にすら踏み出せなかった僕が大学4年生の夏に出会ったのが、『ほぼ日刊イトイ新聞』が配信していたプロ野球・小谷野栄一選手の連載記事だった。

小谷野栄一選手はパニック障害に苦しみながら、プロ野球の一線で活躍してきた方だ。記事には、過去に打席で吐いた経験があること、今でも吐いてから打席に立っていること、不完全な部分があっても応援してくれる人がいること、そして障害を受容して「好きなことをやれるんだったら、これでも全然いいや」とさらけ出していることが書いてあった。

僕はこの連載に大きな衝撃を受け、同時に勇気づけられた。自分と似た境遇にありながら、不完全さをオープンにして前向きな人生を歩んでいる人がいることを知ったからだ。もしかすると、食べられなくたっていいのかもしれない、パニック障害の小谷野選手がここまで応援されるなら、会食恐怖症である自分を受け入れてくれる人がいるかもしれない、そう考えるようになった。不安に襲われた時は連載を読み返して心を鎮め、「今のままでもなんとかなる!」と自分に言い聞かせ続けた。やっとの思いで就職活動を始め、2か月後には昼食を別々にとることが多い職場からの内定をゲット。10年近く止まっていた時計の針が、ようやく動いた。

内定者研修2日目、先輩たちがお昼に中華料理屋へ連れて行ってくれることに。行きの道のり、僕は口を開けないほど強い緊張を感じていた。お店に入ってすぐ、お手洗いがレジの裏にあるのを確認。いつでも抜け出せるように端の席を確保。メニューは、決して食べたいわけではなかったが、麺を残してもスープの中に沈めればバレなさそうという理由でタンメンを選択した。

案の定箸は進まなかったが、そこで目を疑うような出来事が起こった。

「じゃあ、そろそろ帰るよ〜」
そう言った先輩のお皿に目をやると、なんと半分以上もご飯が残っている。そして“完食していない先輩”はこのように続けた。

「下田くんも、食べられるところまで食べたら帰ろうか!」

この瞬間、首から喉に長年すみ着いていた重圧が緩み、スッと楽になった感覚を覚えている。合宿で浴びた「全部食べるまで帰るな」とは正反対の言葉。僕の脳内を100%占めていた問題は、他の誰かにとっては問題にすら感じないのかもしれない。「どうせ嫌われる」どころか、気にもならないのかもしれない。必死に隠していた弱さは、サッカーチームでは弱さとみなされたかもしれないけど、今この場所では弱さになり得ないのかもしれない。たった一瞬の出来事が、立ち直るきっかけになった。やっと、やっと、世の中に否定されない場所があると気づいた。

もちろん、一気に回復したわけではない。入社研修の昼食でも、いつも通り吐き気が襲ってきた。しかし小谷野選手の記事や、研修での出来事を通じて、僕はこの頃から周囲の人を信じてみようと思えるようになっていた。「こんなには食えないかもなぁ」「量多くない?」と、吐き気を我慢しながら食べ残す伏線を張り、不完全な部分を開示してみた。すると共感してくれる人や僕の分まで食べてくれる人がいた。たとえ残しても、責めたり茶化したりする人は一人もいなかった。何より2回目以降も、何事もなかったかのように会食に誘ってくれることが本当に嬉しく、大きな安心感に繋がった。

「食べきれなくても、嫌われないんだ」
認知が変わったことで、孤独な戦いが終結に向かっていくのを感じていた。

弱さを公表しても、好きだと言ってくれる人がいた。

社会人1年目の冬、僕は会食恐怖症の経験者であることをSNS上で公表した。すると顔も名前も知らない人から「助けてほしい」とDMが飛んできたり、SNSで繋がっていた方が会食恐怖症を発症していたり、ネット上には会食恐怖症当事者からのSOSが際限なく投稿されている現実を知った。

回復途上ながらに、会食恐怖症の経験者としてなにかできないかと思うようになり、約1年後の2021年1月から会食恐怖症の経験者が集まり、当事者向けのイベントなどを企画するコミュニティ『Sinka』に0(ゼロ)期メンバーとして参加。発症から10年、はじめて当事者の方と繋がりを持つに至った。2021年4月には、摂食障害の経験者で、第53回NHK障害福祉賞で優秀賞を受賞した竹口和香さんのトークイベントにゲストとしてお声がけいただいた。ここで僕は、きっかけとなった夏合宿のこと、怖くて誰ともご飯に行けなかったこと、不完全な自分を許せなかったこと。10年間、会食恐怖症の裏に秘めていたものを包み隠さず全て開示した。

強くない自分をさらけ出すことには不安しかなかった。できていることが常に自分の価値であり、できないことはできるようになるまで頑張らなくてはいけない。できない自分は愛されない。そう思い続けて会食恐怖症と戦ってきたからだ。

しかしSinkaやトークイベントへの参加、それに伴うさまざまな出会いを通じて、不完全さの開示は必ずしもマイナス評価とイコールではないことを知った。会食恐怖症であることを明かしても、完璧主義に囚われていた自分を明かしても、誰にも素を出せなかったことを明かしても、墓場まで持っていこうと思っていたことを言っても、「好き」「素敵」と言ってくれる人がいた。これには本当に驚いた。中には僕の自己開示に対して、「実は私も……」と自己開示で返してくれる人もいた。

世間で当たり前とされていることが、自分の当たり前と一致しないとき、人は孤独を感じる。しかしそれは、理解を示してくれる人がいないこととイコールではない。僕は会食恐怖症の経験を通じて、食べきれないことに叱責する人や完食の風潮に直面した一方、そんな不完全な自分を理解してくれ、受け入れてくれる人が確かにいることを知った。そして世の中に対するイメージが少しずつ変容していき、今は不完全な部分を含めて、随分と自分を愛せるようになった。

社会が生み出す障害として。

会食恐怖症の当事者は、一見普通に生活しているように見える。実際、働きながら克服プログラムに取り組んでいる方も多いと聞いた。しかし会食恐怖症に対しては「何にでも障害名をつければいいわけではない」「この程度なら誰にでもある」といった意見が散見され、日常生活で困難さを想像されることはほとんどないが、一見問題なく生活できているように見えることこそ、会食恐怖症の本当の困難さなのである。食べることに障害があるとは誰も気づかず、「付き合いが悪い人」「少食で弱々しい人」へとすり替えられてしまい、本人は孤独を極める悪循環に陥っていく。

医療の業界ですら会食恐怖症の認知度は低い。加えて周囲から『気の持ちよう』と押し付けられやすいことも影響し、今日も一人で抱え込んでいる人がたくさんいる。この状況では、友人へのカミングアウトもハードルが高い。だからこそ、社会が生み出す障害として発信し、まずは認知を広げていく必要性を強く感じている。本エッセイが認知拡大の助けとなり、完食指導や日常生活における『食の当たり前』の押し付けを減らすことに微力ながら貢献できれば幸いである。

僕は2020年の夏に転職し、現在は障害福祉サービスである就労移行支援事業に支援員として従事している。就労移行支援事業とは、一般企業への就職を目指す障害のある方を対象に、就職に必要な知識やスキル向上のためのサポートを行う施設と定義づけられている。身体障害、発達障害、精神障害と、さまざまな生きづらさを抱えた方を支援する立場として、「だれもが自分の幸せを公平に追求できるインクルーシブな社会」の実現を掲げて日々利用者さまと関わっている。

世の中には、見た目からは分からない困難さをもち、自分の幸せを追求することに障害を感じている人がたくさんいる。会食恐怖症もそのうちの一つだ。障害は、たしかに『社会』の中から生まれるし、会食恐怖症を生み出すのも、ご飯を残すのは悪だと信じて疑わない『社会』の責任が大きいだろう。多数派=正としたシステムが日本にはたくさんあり、少数派は決して悪ではないのに自己責任を押し付けられ、排除されることが多い。しかし本人に罪がある生きづらさなど、本当に存在するのだろうか。

生きづらさの再生産を防ぎ、また当人を解放していくために、社会の変革はたしかに必要だ。一方で僕が回復する過程では、周りにいる『個人』の支えが本当に大きかったと感じている。だからこの先の人生では、仕事や発信活動を通じて『社会』にアプローチをしつつ、自分自身は日々かかわっていく人たちの生きづらさを少しでも和らげられる『個人』であり続けたいと思う。

合宿から12年。今の僕は、なんの障害もなく会食ができる。笑ってご飯を食べることも、好きなメニューを頼むことも、美味しい! と思えることも、好きな人と何も気にせず会えることも、やりたいことに挑戦できることも。

会食恐怖症の間は毎日が不安でいっぱいだった。でも今は周りの人たちに支えられて、何気ない日常に幸せを感じることができる。悩みを自分一人で抱え込んで生きるのは本当にしんどい。つらいときはつらいと言えて、助けがほしいときはSOSを出せる、そんな世の中であってほしい。

  今の自分が、どん底にいた当時の自分に何か手助けできるならば、きっとこのように投げかけるだろう。
「ご飯が食べられなくたって、不完全な部分があったって、あなたを愛してくれる人は必ずいるよ」

受賞のことば

このような賞を頂戴し大変嬉しく思います。執筆にあたり、私の経験が障害に該当するのか非常に悩みました。また心と向き合い、開示することに想像以上の不安感が伴いました。そんな中で書き切ることができたのは、周囲で支えてくれる方々の存在があってこそです。この場を借りて感謝を伝えたいです。会食恐怖症は見えづらい障害です。でも、どうにもならない気持ちを前に苦しんでいる人は確かにいます。本エッセイが少しでもお役に立てれば幸いです。

選評

まだよく知られていない「会食恐怖症」。私自身もその名称から誤解していましたが、この文章を読んで、考えを改めました。完食できない人がいるとチーム全体で罰を受けるという指導。自分を責め、逃げ道を見つけられずに追い詰められる様子がいたたまれませんでした。多様性を認めることと真逆のことが行われている現実に驚かされます。人によって作り出された障害ですが、逆にSNSで情報を得る、仲間を作るという、これも人によって改善がもたらされています。この障害を重くするのも軽くするのも人との関わりが大きいです。人知れず苦しんでいる人や指導者に、この文章を読んで欲しいものです。(鈴木 ひとみ)

以上