NHK銀の雫文芸賞2013最優秀作品「マー子さん」

著者  柳 霧津子(やなぎ むつこ)

「アラマア、ここで……、何しとん?」
知ってる顔に突然声を掛けられ、私はつかみ上げた大根を落としそうになった。同級生の佐藤大輔だった。
胸元に店名の入った、よれよれのデニムエプロンと、同素材の三角巾をしているのだから、訊かなくてもわかるだろうに……。
荒木麻亜子—だから学校の友達は私を「アラマア」と呼ぶ。クラスでも超お嬢様だと誉れ高い私が、夏休みの朝からスーパーで野菜を並べているのだから、事情を知られたら、ほんとの意味でも「あらまあ」だろうけど。
スーパー亀定は、店長のお父さん、亀田定吉さんの開いたお店だ。息子の代になってスーパーマーケット形式にしたそうだが、レジ二台の狭い店は、品揃えといい雰囲気といい、昔のまま「亀田定吉商店」といった方がぴったりくる。鮮魚や精肉などの専門職以外は一日三人、全部で五人のパート従業員がシフトを組んで働いている。私が見つけた「急募」の張り紙は、パートの一人が怪我をしたことによるものだった。
「初めまして、荒木麻亜子です」
アルバイト初日、店長の横で丁寧に頭を下げた途端、くすくす笑いが聞こえてきた。顔を上げると、前に並んだオバサン二人が面白そうに目配せし合っている。
「荒木さんは高校二年生。夏休み期間のアルバイトです。皆さん宜しく頼みます」
「はーい」
オバサンたちは、小学生みたいに幼稚に声を揃えた。見たところママと同じ四十代だけど、全然違う人種って感じがする。髪はパサパサなのに、ファンデーションの混ざった白い脂が、蟹穴のような鼻先からぷつぷつ湧いている。ほったらかしのすね毛は肌色のストッキングに抑えられて、糸ミミズみたいだ。
「富子さん、荒木さんに仕事内容を教えてあげてください。では皆さん、今日も一日、はりきって参りましょう」
店長の解散宣言でそれぞれの持ち場へ散る。私は富子さんと呼ばれた、一番古株らしき人の後ろに続いた。富子さんは白髪交じりの後れ毛を三角巾に押し込みながら、「名前、マーコさんやったよね、フフ。ややこしいからまあちゃんでええ?」と振り返った。
何がフフ? 大体、人の自己紹介に、あの失礼な態度は何?—疑問と不満が募るが、どうせひと月半ほどのお付き合いだ。私は高校生らしい、さわやかなスマイルを作った。
アルバイトは初めてだ。というか、十七歳でお金のために働くことになるとは、私自身、夢にも思っていなかった。
わざわざ、学校から離れた古びた商店街の、高校生なんか絶対に来ない、恐ろしくさえないこの店を選んだのに、勤務二日目にして同級生に会うとはなんたる不運。大輔とは一年生から同じクラスで、私が山の手育ちなのも知っている。相手が口を開く前に、私は予想できる質問で先制した。
「大輔、なんでここにおるん?」
「俺ん家この裏。佐藤クリニック」
ありふれた苗字で事前リサーチ不能。大輔の眼が好奇心色に光り出した時、店先がなにやら騒々しくなった。私は曖昧に笑って大輔から離れる。入り口付近で、ミノカサゴみたいなワンピースを着た細身の女性が声を荒らげていた。
「だから、どうしてこんなところに置くのかしら、って訊いてるの」
歳は七十前後だろうか。彫りの深い顔立ちで、アゴの線で切り揃えたグレイの髪が、融通のきかない文学少女のようだ。どうやら、パイナップルの上の段にあるバナナを取ろうとした時、七分丈の袖口が、パイナップルの棘にひっかかってほつれたらしい。もう一人のパートの正子さんが、弁償させて頂きますと、丸めた体操マットみたいな体を折った。
「弁償ってあなた、これ、舶来の一点ものなのよ。無理でしょ?……もういいわ!」
「申し訳ございませんでしたあ」
「語尾は伸ばさない!」
正子さんがペロリと舌を出す。
「舌は出さない!」
女性はピシャリと言い放ち、自分のショッピングカートを後ろ手に店を出て行った。
「マー子さん、今日は割合あっさりしとったやん」と、富子さんが正子さんに声をかけた。
「まあこさんって?」
私の質問に、富子さんは山芋を並べる手を止めて振り向いた。
「クレーマーのマー子さん。来店するたんび、なんやかやと文句つけていきはる。年寄りのひまつぶし、人に嫌味言うんだけが生きがいなんやろね。まあちゃんもマー子さんには気をつけたほうがええよ」
自己紹介でくすくす笑いされたワケがわかった。表に目をやると、マー子さんは軽く右足をひきずりながら、まっすぐ前を向いて遠ざかって行く。黒い布製のカートの隅で刺繍の赤いバラが揺れていた。静けさを取り戻した店内に、大輔の姿はなかった。
仕事を終え、割引になったお弁当を買って店を出る。アパートまでは自転車で約十五分。一応、母親と住んでいることになっているが今は一人暮らしだ。蒸しかえった部屋の窓を開け、お弁当を電子レンジにセットする。窓から見える景色は信じられないほど低い。
生まれ育った芦屋の家は、部屋からの夜景がきれいだった。六甲山の中腹から見下ろす街は宝石みたいにきらめいて、神戸港を行きかう船の汽笛が風にのって漂ってきた。
チン!と、レンジの安っぽい音がびっくりするほどの音量で響いて、私は現実に引き戻された。部屋は見回すほどもない、六畳と八畳の二間だけだ。
荒木家は代々病院を営み、母屋に併設する『荒木醫院』は歴代、女性が院長を務めた。元々女系の上、なぜか入り婿は早逝。あてにしていた我が母には病院を継ぐ意志も学力もなく、祖母は内科医だった父を婿に迎えた。しかしその父も私が三歳の時に病気で亡くなった。
—まあちゃんだけが頼りよ—祖母は一人孫の私に荒木醫院存続の夢を託した。
でも、その夢を見届けることはできなかった。祖母は、私が大阪の進学校に入学した春、突然他界したのだ。享年七十、脳溢血だった。
ママに自活力がないのはわかっていたけれど、土地、家屋、おばあちゃんの遺産……自分が医師として自立するまでは蓄えでなんとかなるだろう、私はそう高をくくっていた。
ところが高校二年の春、私はいきなり「家なき子」になった。
世間知らずのママが、地下水脈を掘り起こし、サハラ砂漠をバラ園にするというインチキビジネスに投資して、不動産を含む全財産を取られてしまったのだ。結局、自己破産を申請し、母子は芦屋の堅牢な家から大阪市内の安アパートに移り住んだ。他人の生活音が信じられないほどはっきりと聞こえる薄い壁。テープだろうか、隣のおじいさんの部屋からはいつも同じ、唸るような暗いデュエット曲が流れてくる。僅かな貯金と社会人経験ゼロのママ。やはり私が高校中退して働くしかないのかと沈む日々……。ところが一学期も終わりの頃、風向きは急に変わった。
学校から帰ると、見覚えのある男性が部屋に居る。自己破産の手続きをしてくれた、芦屋の弁護士事務所の所長さんだった。こんな所、貴女には似合わないと口説かれ、ママはめでたく芦屋へ戻ることになった。お相手は私も一緒にと言ってくれたが、私は断った。ママはオロオロ泣き出したが、正直、ママと距離を置きたかった。若々しくて美人だけれど、自立心も生活力もない母親を私はどこか蔑んでいた。白衣の似合う凛々しい祖母が理想だった。私はここの方が高校に近い。毎日必ず連絡するからとママを宥め、一人暮らしを決めた。学費と生活費は弁護士さんが面倒みてくれることになった。私はせめてお小遣いくらい自分で稼ぎたいと思った。それがスーパー亀定で働きだした理由だ。
バイト三日目、座りの悪い卵パックを積んでいると、視界の端にバラの模様が入った。思わず握った容器がシャリシャリ音を立てる。
「商品はもっと丁寧に扱う!」
生徒指導の先生みたいな口調に反抗的気分になる。まったく、とマー子さんは聞こえるように呟いて私の横を通り過ぎた。やや距離が開くのを待って、その後ろ姿に舌を出しかけた時、おかっぱ頭がくるりと振り向いた。
「この音楽、どうにかならないのかしら。まるで居酒屋」
店内には懐メロみたいな曲が流れている。私は舌をかみそうになりながら、首をかしげた。マー子さんは、できの悪い学生を見る眼つきで溜め息をついた。その後も、床に落ちていたほうれん草の葉を踏んで靴裏が汚れた、とか、レジでの釣り銭の渡し方が雑だとか、従業員の化粧が下品だとか、まあ毎回毎回よくそんなに文句があると感心するほど、マー子さんのクレームは種類豊富だった。
マー子さんとの接触を極力避けながら、夏休みも三分の一を過ぎた朝のこと。入店挨拶に事務所を覗くと、店長が死んだ亀みたいにうなだれていた。気になりながら売り場へ出る。富子さんが悲壮な顔で寄ってきた。
「もうアカン。駅前に大型スーパーができるんやて。この秋にオープンらしい。こんなしょぼい店ひとたまりもないワ」
歯抜けになっていた商業施設を全面的に借り切って、全国展開の総合スーパーが入ることになったというのだ。品揃えも雰囲気も、亀定がたち打ちできる相手じゃない。
「若い人はどこでも勤められるやろうけど、五十路間近のオバンに今更転職はきついワ」 隣にやってきた正子さんも頷く。
—貧〜しさに負けたあ〜。イエ、世間に負けたあ—店内音楽に合わせ、二人が歌いだした。いつもアパートの隣から聞こえてくる曲だった。『昭和枯れすすき』っていうんよと、富子さんはあきらめたように笑った。
家の事情は面接の時に話した。バイト後、アパートに着いて鍵をかけたら、店長とママへ「帰宅完了メール」を送るのは店長が決めた約束だ。店長は父親みたいに「戸締り、火の用心、寝る前に歯磨き!」と返信してくる。富子さんにだけ、とこっそり伝えた身の上話は、翌日には他の三人のパートさんにしっかり伝わっていた。手芸が得意な知香さんは、夜ひとりじゃ淋しいでしょと、手製のチョッキを着せた一抱えもあるクマのぬいぐるみをくれた。料理自慢の由美さんは、自分の勤務日には私の分までお昼弁当を作ってきてくれる。格闘技好きの正子さんは、護身にもなるとプロレスの試合を見に誘ってくれた。そして富子さんは、夏バテ予防!と私のエプロンポケットに栄養ドリンクを差し込む。私は他人の中にあって、いつのまにか、大家族の一員のような居心地のよさを感じていた。
—亀定をつぶしたくない。
悶々とした気分でレジに立っていると、よっ、と大輔のカピバラみたいな顔が現れた。大輔は時々買い物に来ていたが、近所の噂で私の事情を知ったのか、ここで働いている理由を訊いてくることはなかった。
「あー、暑くて宿題する気にならへん。アラマア、情報のレポートもう書いたん? 俺、なーんもアイデア浮かんでけえへんねんけど」
—そうだ、それだ!
正子さんにレジを代わってもらい、私は店の裏へ大輔を引っ張った。
高校の授業には『情報』という科目がある。コンピューターなどで収集した情報を分析し、よりよいものを創造、外部へ発信することを学ぶ教科だ。今、これが役立ちそうな気がした。でもひとりではちょっと不安だった。
「大輔、〈地域スーパーの生き残り計画〉って『情報』の課題にぴったりやと思わへん?」
私は亀定再生にトライさせて欲しいと店長に申し出た。店長は眼を潤ませた。
早速大輔は自分のパソコンを店へ持ち込み、POSシステムのレジで集められたまま、ほったらかしの購買データを分析した。すると、新製品より定番商品の購入が圧倒的に多いことがわかった。「仕入れを検討し、売れ残りを減らすことでまず経費を節減!」とコンサルタント気取りの大輔に、店長は面目ないと頭を掻いた。無駄を省きながらお客さんを増やすにはどうしたらいいか……あれこれ考えて私たちが出した答えは、「宅配」だった。
〈電話一本でお宅へ伺い、直接、注文商品と配達日時を確認する〉
今やあたり前になっているネットスーパーとは真逆の、アナログ宅配だ。私は亀定で働いてみて、お客さんに高齢者が多く、携帯電話やインターネットなどと全く無縁の暮らしがあることを知った。足腰の弱い人や耳の遠い人も少なくない。それならこっちから出かけて行けばいい。でも、ひとりひとりに対応する分、従業員の仕事は確実に増える。却下されるかと心配したが、反対する人は誰もいなかった。皆で意見を出し合い、宅配の名称は「亀定御用聞きサービス」に決まった。
その晩私は、徹夜で宣伝チラシを作った。注文用紙は大輔が作成、定番商品名に丸印をつけるだけのシンプルなものだ。その他の希望商品を書き込む欄もある。チラシは、店内で手配りしたり、近隣にポスティングした。
サービス開始当日の朝、店長と私と大輔は電話の前に待機した。反応はあるだろうか。と、受付開始時刻の十時きっかりに電話が鳴った。勇んだ大輔が取る。
「はい、亀定御用聞きサービスです。—十一時ですね。はい、伺います」
大輔が受話器を置く。三人で思わずハイタッチする。私は利用者第一号のお客さんに御礼がいいたくて、自ら注文を取りに出かけた。
住所と名前を書いたメモを見ながら探すが不慣れな道で迷ってしまう。松本克子、松本克子……お客さんの名を呟きながら辺りを見回す。雲行きも怪しくなってきた。蒸し暑さと焦りで汗が滝のように背中をつたう。約束を五分程過ぎてようやく表札を見つけた。よくある苗字なので下の名前も確認する。扉横の郵便受けに、克子・順子・沙希と書いてあった。川の字に並ぶ女性名に懐かしさを憶えながら呼び鈴を押す。開きかけた扉に笑顔を整えた時、言葉が手裏剣みたいに飛んできた。
「遅い!」
「あ、マー子さん」
思わず大きな声が出てしまった。玄関にマー子さんが仁王立ちしている。私はしどろもどろに、
「道に迷ってしまって……」
「言い訳しない!」
気まずい空気のまま、玄関先で注文をとる。
「今日の夕方五時に持ってきてちょうだい」
マー子さんはそれだけ言うとバタンと扉を閉めた。さすがクレーマー。遅いって、たったの五分やん、と私は閉まった扉を睨みつけた。大粒の雨が落ちて来て不快指数が上がる。
小走りで店へ帰り、最初のお客がマー子さんだったことを話すと、いつも世話焼きのおばちゃんたちは皆、お届け役を嫌がった。
注文書を見ながら商品を集める。お米にお醤油、マヨネーズ。重い袋と気持ちを抱えて、今度は時間きっかりに訪ねた。マー子さんは、品物を確認してご苦労さまと代金を手渡し、
「あなた今朝、私の顔みて、マー子さんって言ったわよね? あれ、どういう意味かしら」
やっぱり聞かれてたか……。咄嗟の言い訳も思いつかない。私は怒鳴られるのを覚悟で、上目遣いにあだ名の由来を話した。縮こまる私にマー子さんはフン、と鼻を鳴らし、無言で奥へ引っ込んだ。これで亀定へも来なくなるだろうと私は半ばホッとして店へ戻った。ところが予測に反し、マー子さんは次の日も宅配の電話をしてきた。勝手に「マー子さん担当」にされた私は、暗い顔で再び呼び鈴を押す。が、ドアの開く気配がない。やけ気味に「亀定御用聞きサービスでーす」と呼びかける。裏へ廻って、とマー子さんの声がした。
「わあ、きれい」
色とりどりのバラに思わず顔がほころんだ。マー子さんはツバの広い麦わら帽をかぶって剪定をしている最中だった。
「バラがお好きなんですね」
見事にバラしか咲いていない庭だった。
「わたしのトレードマークだから」
初めて見る穏やかな表情だった。そういえば、マー子さんのショッピングカートにもバラ模様がついていたっけ。何気なく室内を見ると棚の上に写真立てがあった。昔のファッションモデルみたいな写真に目が留まる。
「あれ、もしかしたら松本様ですか?」
「……いいわよ、マー子さんで」
私はぴくりと肩をすくめた。
「ミナミの百貨店で働いていた頃の写真。わたし、そこの初代デパガだったの」
手に取ってみせてくれた写真は、デパートガール時代の制服姿で、ウエストとヒップラインを強調した洋服が、ややふっくらした若いマー子さんによく似合っていた。バラはその店のシンボルフラワーだった。
東京育ちのマー子さんが、この百貨店に憧れて就職したのは二十二歳の時だったそうだ。
「とにかくお客様第一の教育が徹底した職場だった。婦人服、外商、靴、宝飾、食品……五十五で辞めるまでに殆どの売り場を担当したわ」
帽子を脱いだマー子さんは懐かしそうに、指先でピンクのバラをなでた。パイナップルの棘で服にかぎ裂きを作った陳列方法、床に落ちたままの野菜くず、レジでの対応、約束の時刻に遅れたこと……デパート勤め三十年以上のマー子さんには、スーパー亀定のすべてがはがゆかったのだろう。そう気づいた途端、私の口から言葉が飛び出した。
「マー子さん、亀定のアドバイザーになってくれませんか」
きょとん顔のマー子さんに、私は宅配サービスを始めたいきさつを話した。
「売上では大手に勝てるわけない。でも、亀定がなくなったら困るっていうお店になれば、生き残れるんじゃないかって……」
マー子さんは瞬きで同意を示してくれた。
「それには、宅配サービスだけじゃ弱いと思うんです。でもこれ以上どうしたらいいか私にはわからない。だから、お願いします!」
マー子さんは何やら考えを巡らした後、目尻に優しい皺を寄せ、ゆっくりと肯いた。
「ありがとうございます。でも、あのう……多分、報酬は無理かも……」
「お金を頂いたら、クレーマーの口が鈍るわ」
パチンと一輪、ピンクのバラを切り取って、私の胸ポケットに挿してくれた。
「改めまして、私、荒木麻亜子と申します」
「あら、それじゃダブルマー子になるわね。ややこしいから、まあちゃんでいい?」

早速翌日から『亀定アドバイザー』の名札をつけたマー子さんの店内チェックが始まった。BGM、掃除、商品のディスプレイ、おばちゃんたちの身だしなみ……マー子さんのちょっとしたアドバイスで鄙びた亀定がなんだかアカ抜けてきた。マー子さんの登場に初めはおののいていたみんなが、だんだんとマー子さんを頼りにするようになった。何事もお客様目線で、というマー子さんの教えで、それぞれがお店作りを考えだした。値札の字を大きくし、商品棚に天眼鏡を吊るすことを思いついたのは由美さんだ。パッケージの小さな字もよく見えると、中高年の客に喜ばれた。特におばあちゃんたちのマイカーであるショッピングカートが、買物中に邪魔になっているのに気付いたのは知香さん。店長は入口横にカートを置くスペースを設けた。御用聞きサービスの利用者も、口コミで確実に増え、亀定再生計画は順調に進んだ。

お盆も過ぎた夕方だった。宅配を終えて店へ戻る途中、私は児童公園のベンチにマー子さんの横顔を見つけた。ピンク色の夕焼けにくるまるように、誰も乗っていないブランコをじっと見つめている。駆け寄った私に振り向いた瞳が、濡れて光っていた。
「どうしたの、具合でも悪いの?」
マー子さんは首を横に振った。
「沙希……孫娘がね、このブランコ、大好きだったの……」
そういえば、郵便受けに三人の女性名が並んでいたが、これまで家族の姿を見かけたことはなかった。
あの日もこんな夕暮れだった……不思議顔の私に、マー子さんは遠い目で話しだした。
「私ね、今でいうシングルマザー、未婚のまま娘の順子を産んだの。父親がいないことで苛められたり卑屈になったりしないよう、殊更厳しく育てた。物心ついてからの順子は口答えばかり、毎日が母娘げんかだった。そして大学を出て就職がきまると、一方的に自立宣言して家を出ていってしまった。音信不通のまま、再び顔を見せたのは六年後、何の因果か娘もシングルマザーになっていて……」
体調を崩した順子さんはある朝突然、三歳の沙希ちゃんを連れて戻ってきたそうだ。女三人の暮らしが始まって二年目の冬、「ママの還暦祝いと、親不孝のお詫び」順子さんはそう言って、東北の温泉旅行に誘ったという。
「娘の運転するレンタカーで一路北へ。見知らぬ町が石楠花色に染まっている夕暮れだった。流れる景色を楽しみながら、私と沙希は後部座席で尻取り遊び……ブランコ、こぶた、タヌキ、きりん。あ、おばあちゃん『ん』がついた、おばあちゃんの負け—沙希のはしゃぐ声を最後に私の記憶は、とんだ」
マー子さんは苦しそうに小さく息を吐いた。
「目が醒めると病院だった。ベッドの横に警官がいて、飲酒運転の車が突っ込み、私たちの車が高速道路の壁に激突したことを知らされたの。私は右足を骨折していた」
マー子さんは右膝をさすりながらぽつんとつぶやいた。
—そして、私だけが、生き残った……。
「えっ」
「娘は三十一、孫はまだ五歳……私が代わってやりたかった。それが叶わないなら二人と一緒に旅立ちたかった」
私はたまらず声を上げて泣いた。驚いたマー子さんがあわててハンカチを取り出す。
「ごめんごめん、まあちゃんをこんなに泣かせちゃって。夕焼けのブランコを見てたら、孫の姿がよみがえってきて」
すっかり色あせた夕焼けに、マー子さんが溶けていなくなりそうで心細くなる。
「あれから十二年も経つのに、天気のぐずつく日は古傷が疼くの……。だからね、亀定御用聞きサービスができてどんなに有り難いか。その上、まあちゃんは、私の居場所までみつけてくれた」
「私が、見つけた?」
しゃくりあげる私に頷きながら、マー子さんはポケットから、『亀定アドバイザー』の名札を取り出した。
「自分の居場所は、欲しければ、自ら探して見つけるものだと思ってたの。でも、この歳でやっとわかった。『居場所』は誰かのお陰でみつかるもの……ジグソーパズルみたいだなって。ひとつひとつのピースに決められた場所があるけれど、ピース自体は動けない。誰かが、そこを見つけてはめ込んでくれる」
ジグソーパズルのワン・ピース?
—亀定のみんなの顔が浮かんできた。
そうだ。私も、見つけてもらったんだ。元気になれる、私だけの居場所。
「あの事故以来、私は、死んでないから生きてるだけの毎日だった。でも自分の居場所ができたら、生きる欲が出てきた。人間ってほんとに勝手ね」と、マー子さんは明るい瞳で私の顔を覗きこんだ。
「まあちゃん、ありがとう」
マー子さんの「ありがとう」が、心にドンと来た。さっきとは味の違う涙が噴き出す。人から言われた「ありがとう」がこんなに嬉しかったのは生まれて初めてだった。
「今度は私からのお願い……あなたを本当の孫だと思っていいかしら?」
私は脳味噌の位置が変わるくらいブンブン頷いた。孫の沙希ちゃんは生きていれば、私と同い年だ。
「じゃ、おばあちゃんって呼んだ方がいい?」
冗談めかして訊く私に、マー子さんで結構よと、人差し指で私のおでこを軽く突いた。

翌朝、店内チェックを終えたマー子さんが私のいるレジへ寄ってきて小声で訊く。
「ねえ、まあちゃん、あのお客様、きのうも一昨日も卵買っていかれたわよね」
よくみかけるおじいさんが卵のパックを袋詰めしているところだった。そうだっけ、と私がそっけなく答えると、横のレジにいた富子さんがひそひそ言った。
「もしそうなら変やわ。高田のおじいちゃん独り暮らしで、娘さん夫婦は確か東京のはず」
「まさか……」と三人は顔を見合わせた。
高田さんのかかりつけ医が佐藤クリニックだったので、すぐに大輔のお父さんから家族へ連絡をとってもらった。後日娘さんが菓子折りを持って亀定を訪れた。知らせを受けてあわてて実家へ戻ると、卵だけじゃなく、同じ商品がいくつも棚に詰まっていたという。検査の結果、軽い認知症が疑われた。一人で大丈夫だと言う父親の言葉を鵜呑みにせず、今後は家族みんなで見守っていくことにしたという嬉しい報告だった。
このことは、富子さんのお喋りによって、ツイッターにもひけをとらない速さで近所に伝わった。亀定アドバイザー・マー子さんの名前はちょっと有名になった。さらにもうひとつ、亀定が話題を集める出来事があった。
宅配に回っていた正子さんが空き巣を捕まえたのだ。被害にあったお宅は亀定のお得意さんで、正子さんは、その日が老人会の旅行で留守だと聞いていたのだ。翌日の新聞に、現場に居合わせた人が携帯電話で撮った写真が載った。針金みたいな犯人の男が、体格のいい正子さんの下敷きになっていた。
これがきっかけで地元放送局も取材に来た。「あの町この街、優しい目」という番組で、認知症予防に一役買ったマー子さんの目配りや、高齢者が利用しやすい店内の工夫、そして犯罪予防につながった宅配サービスが紹介された。「御用聞きサービス」生みの親として私と大輔もインタビューを受けた。亀定は「頼りになる」と評判の地域一番店になった。
アルバイト最後の日がやってきた。
定刻の十時を過ぎてもマー子さんが現れない。不思議に思って電話してもコール音が続くだけ。家へ行ってみるが留守のようだった。急用でもできたのかと立ち去ろうとした時、かすかな呻き声がした。鍵は閉まっている。扉に耳を押しつける。
「マー子さん、マー子さん、どうしたの!」

脳梗塞だった。

二学期が始まった。テレビ放映で私と大輔は学校でもちょっとした有名人になり、『情報』のレポートも満点をもらった。同時に私が芦屋のお嬢様でなくなったこともバレたがそんなことはもうどうでもよかった。荒木醫院復興を目指して前進あるのみだ。
だから、バラの咲く庭を眺めながらの勉強はすごくはかどる。
マー子さんは一週間の入院で自宅へ戻って来た。幸い後遺症はなかったが、今後の生活に不安を感じたようで、「孫が面倒みるのは当然のことよねえ」と、祖母風を吹かし、私はマー子さんの家で、一緒に暮らすことになった。私の居場所がまたひとつ増えた。ママも弁護士の彼を連れて時々遊びに来る。クリスマスに結婚式をあげる予定だ。おばあちゃんが生きている時、医者以外の男性との付き合いも結婚も禁じられていたママ。ママも自分らしく生きられる居場所をみつけたんだな。
人生が何なのか私にはまだわからないけれど、それは一枚の大きなジグソーパズルかもしれない。お互いの居場所を、見つけたり見つけてもらったりしながら、線だけの台紙が徐々に埋まっていく。パチン、と小気味いい音で最後のピースがはめ込まれたら全員集合。いろんな縁で、人と人とがぎっしりがっちり寄り合って自分だけの絵柄が完成する。
それにしても、大輔は私のことが好きなんだろうか。女所帯にしょっちゅうやって来る。(お世辞にもイケメンじゃないけど、癒し系のカピバラ顔は患者さんに慕われそう。次男坊だから、クリニックはお兄さんが継ぐだろうし……でも、荒木家に婿入りしたら、大輔クン、早死にするかもしれへんな、ふふふ)
「アラマア、何ニヤニヤしとん?気味悪っ」
マンガから急に目を上げた大輔と目があって、私はあたふたと参考書をめくる。
軒先の火箸風鈴が虹の渡るような音色を響かせた。風に乗って、玄関の方からマー子さんの大きな声が聞こえてきた。庭から廻って、大輔とこっそりのぞく。
「またやられてる」
私たちは笑いをこらえて顔を見合わせる。
四人の女性名が並ぶ郵便受けの前で、若い男性が直立不動になっていた。
「端がほら、折れ曲がっているじゃない。あなたの入れ方が悪いのよ!郵便は、紙じゃなくて送り主の心を届けるものでしょ、わかってるの?」と、マー子さんが腰に手をあて、配達員をこっぴどく叱っている。

〈了〉