NHK銀の雫文芸賞2010最優秀作品「花の独身」

著者 伊藤 幸子(いとう さちこ)

三年前のあの日も、四月にしてはずいぶん暖かい日だった。
散り残った桜の花びらがいつまでも舗装道路を汚し、落ちつきのない空気が立ち込めていた。有子は、紹介者以外誰も知らないカメラクラブへ入会するために、例会が開かれるという大阪市内の会場へ向かっていた。
時間ぎりぎりに会場へ着いた有子が見たものは、女性は数人しかいないで、年取った男性ばかりがうわっと集まって、それぞれが周りの仲間とにこやかに談笑している光景だった。有子はそれまで、年寄りの男性だけがこんなに集まったところを見たことがなかった。若い男性を期待していったわけではなかったが少したじろいだ。しかし先方の男性たちの方が、七十五歳の地味な服装をした有子を見て、こちら以上に落胆している様子だった。たぶん「女性の新入りが来る」ということで、幾らかの華やぎを期待していたのだろう。その男性年寄り集団の中に杉本由紀夫がいたのだが、しばらくの間は意識することなく日が過ぎた。
始まりは行きつけの歯医者で、待合室に飾ってある一枚の写真を褒めたことからだった。その写真がたまたま歯医者さんの自信作だったそうで、「いい目をしていますね。良かったらうちの写真クラブへ入りませんか」と彼からいきなり誘われたのだ。ずぶの素人を誘った歯医者も歯医者なら、写真のなんたるかも知らずに誘いに応じた有子も有子だった。毎月第一土曜日が撮影会で、第三土曜日にその写真を持ち寄っての勉強会があった。同じメンバーで月二回ずつ顔を合わせるうちに、有子も少しずつ仲間の名前や特徴を覚えていった。

その年の十一月に、撮影会で奈良の正暦寺へいった。朝方まで降っていた雨がやっと上がった肌寒い日だった。神戸や京都からくる人は、集合場所へ着くまでにかなり時間がかかる。それでも現地へ集合した仲間たちはみんな晴れやかな表情をしていた。五十代はごく僅かで、六十代、七十代が大半を占めている。心許ない歩き方をしながら、全員が大きなカメラや三脚を持った三十人近い集団は撮影会に出ると周囲の目を引いたが、集団の中へ入ってしまえば却って一人一人は目立ちにくく、単独で行動する時よりも自由に振る舞える。小高い山の上にあるお寺の周りは真っ赤に色づいた紅葉に覆われ、傾斜した土道は湿っていてよく滑った。昼食後の休憩時間に、杉本が派手に滑って足首を捻ったようだった。一緒にいた仲間にしばらく声をかけられていた。
有子は、それまで杉本と親しく話したことはなかったが、会員名簿を見て彼が自分の家の近くに住んでいることを知っていた。いつも撮影会が終わって現地解散になると、一人でさっさと帰途につく有子だったが、その日は杉本のことが気になってならなかった。自分も彼の帰る道順に合わせて一緒に帰ろうと考えた。四時前に寺の駐車場を出るバスは、紅葉狩りの観光客と、クラブ全員も乗り込んで満員だった。有子は杉本がどの駅で乗り換えるか様子を窺っていた。近鉄奈良駅で出口の方へ向かった彼の後を追って慌ててバスを降りた。「一緒に帰りませんか? 荷物を少し持ちます」と声をかけると、「ああ、足ですか? もう大丈夫ですよ。大したことはなかったです」といつもの笑顔で答えたが、左足を少し引きずっていた。
「三谷さんも坂東さんに誘われたらしいですね」。近鉄電車に乗り込むとすぐに、横に掛けた杉本が話し始めた。坂東デンタルクリニック、クラブ内では皆が坂東さんと呼んでいる。杉本の、坂東さんといった時のなにか意味ありげないい方に、「もしかしてお友達ですか」ときくと、いとこですよ。母親同士が姉妹、ああ向こうが姉さんで。小さい頃は家も近かったから、あっちゃん、あっちゃんて呼んで遊んでいました。だからこのクラブへ入ってから呼びにくくて困りました。彼はカメラ歴も長いし、クラブ運営にも熱心ですから、一人辞めるとすぐに一人探してくるんですよ」
杉本は、八十過ぎの人がクラブを辞めた直後に、伯母さんの法事の席で坂東に勧誘されたのだという。
「そういえばゆきちゃんも、学生の頃カメラやっていたなあって。ぼくは彼よりも彼の兄ちゃんと仲良しで、兄ちゃんとは家が離れてからもときどき連絡を取り合っていたんですが」
難波駅で一緒に地下鉄へ乗り換えた。土曜日の夕方とあってさすがに空席はなく、草臥れた年寄りが二人並んで吊革につかまった。坂東といとこ同士だときいても、きりっとして歳のわりには見掛けの良い坂東に比べると、杉本は大柄で、弛んだ顔をしている。近くから眺めても全く似たところがない。捻った足首が痛むのだろうが、いつもと変わらず嬉しそうな顔をしている。杉本は西田辺駅で降り、ひと駅乗って有子は長居駅で降りた。

半月後の勉強会の日から、会が終わるとどちらからともなく連れ立って帰るようになった。杉本は坂東と同い年で、有子より二歳年下の七十三歳だという。五年ほど前に妻と死別したそうだ。有子も夫の三回忌を済ませたところだから、子供たちにも周囲にも、全く気を遣う必要はない。
「このクラブで独居老人は何人いると思いますか」ときかれて、「年寄りが多いから十人近いんじゃないですか?」と答えると、
「それが、三谷さんと、ぼくと、坂東さんの三人だけなんですよ。勿論ご夫婦揃っている人が多いわけですが、奥さんがずっと入院していたり、子供さん夫婦と同居していたり、二所帯住宅を建てて却って窮屈な思いをしていたりして、どうやら花の独身はわれわれ三人だけのようです」
坂東の妻は、下の子供が社会人になるのを待って、子供を連れて出ていったのだという。
「歯医者の評判はなかなか良いようですが、さんざん奥さんを泣かせてきたらしいですから……。彼は子供の頃から成績はいいし、見掛けはいいし、人当たりもいいし、ぼくや兄ちゃんにとってはずっと眩しい存在でした。それが五十過ぎてから妻子に逃げられて。本当に分からないものです。誰か女の人を連れてくるだろうと思っていたのに、もう二十年近く独身で通しています」
月二回の帰り道デートは、ただ西田辺駅までの車中でするカメラの話や世間話で終わることが多かったが、ときどきは途中の喫茶店へ寄って、おしゃべりの続きをすることもあった。

一昨年の秋に、杉本が例会を無断欠席した。有子は坂東に、なにか聞いていないかと訊ねてみたが要領を得なかった。会員名簿の住所をたよりに、例会の帰り道に途中下車して杉本の家へ寄ってみることにした。急用ができて外出しているかもしれないが、もしかしたら倒れたまま家の中で動けなくなっているかもしれない。有子は自分が独り暮らしになってからそんな不安を感じたことがあるので、あまり良い方には考えられなかった。家は見当をつけていたのですぐに分かった。西田辺駅から十分足らずの住宅地の中にあって、ありふれた二階建て住宅だった。番地と表札を確かめてチャイムを押したが応答がない。それでもと思ってもう一度鳴らすと、中から小太りの中年女性が、濡れた手を拭きながら走り出てきた。有子は予想外の成り行きに驚いたが、出てきた女性もかなり驚いた様子で、何もいわずにこちらを見詰めた。「カメラのクラブで杉本さんにお世話になっている三谷です。今日は連絡なしに例会を休まれたので」というと、相手の表情が瞬時に緩んだ。
「杉本さんのところへ女の人が訪ねてくることはありませんから。そうですか、写真のお仲間で。とっさに名古屋に住んでいる娘さんかと思いましたが、娘さんにしては歳があわないし……。ああ、わたしヘルパーの脇田っていいます。杉本さんには三年くらい前からお世話になっています」。五十前後に見える脇田は、はっきりした声で淀みなく話し、有子の前にスリッパを揃えた。「どうぞどうぞ」と自分の家へ友達を招き入れるような馴れ馴れしさで上がるように誘った。初めての家なのに有子も脇田の勢いにつられて、「ではちょっと」と靴を脱いで、そのスリッパに片足を乗せた。そのあとで杉本の様子をまだなにも聞いていないことに気がついた。
「あの、杉本さん今日はどうされたんでしょうか?」。有子がいい終わらないうちに、「とにかくどうぞ」といいながら、有子を押すようにしてダイニングヘ連れていった。入ってすぐの椅子を手早く後ろへ引くと、自分はその向かい側の椅子を引いて腰を下ろした。
「いいえ、もう大丈夫だと思います。今二階で眠っていますから、もう少し眠らせておいた方がいいと思います。今日は朝九時から呼ばれましてね、一緒に病院へも行ってきました」
杉本には心臓に持病があって、調子が悪くなるとときどき呼び出されるのだという。
「何もない時は週に二回三時間ずつ来ています。買い物だったり、洗濯だったり、掃除だったり、用事はその都度いろいろですけれど」
脇田は民間のヘルパー派遣会社に所属していて、それぞれが何人かずつの登録者を受け持って、時間給で働いているのだとかいつまんで説明した。
「あの、三谷さん。本当に申し訳ないんですけど、わたし六時までなんですよ。もしお急ぎでなかったら、もう少しここに居てもらえませんか? いいえ、夕食の用意もお風呂の準備も終わっていますから、差し迫ってしなければならない用事はないんですけど。ただ眠っている間に黙って帰ってしまうのがちょっと心配で、かといって時間延長するほどのこともないと思うし、どうしようか迷っていたところなんです」
有子は自分より上背のある脇田に正面からいわれて、「はあ」と、ため息ともつぶやきともつかないような返事をした。
脇田にはどこか周りの人を巻き込んでしまうような勢いがあって、有子に迷う間を与えずに、傍にあるテレビの使い方を説明した。続いてテーブルの上にぱっと新聞を揃えると、葉っぱの絵がついたエプロンを外した。「時間延長するほどのことはないと思うんですよ」と繰り返して、「すみませんねえ。本当に助かりました」といいながら、ついでのように杉本の家の鍵を渡した。
脇田が元気よく出ていくと、家の中は急に静まり返った。改めて見回すと、家の中は結構きれいに片づけられていた。有子は大変なことになってしまったと思ったが、テーブルの上に今受け取った鍵を置いて、取り敢えず新聞を開いた。幾らもしないうちに二階からパジャマの上に丹前を羽織った杉本が降りてきた。思わず立ち上がった有子に、「三谷さん、えらい目に合いましたね」と笑いながら、さっきまで脇田が掛けていた椅子に腰かけた。
「脇田さんは元気な良く通る声をしていますから、だいたいのことは二階まで聞こえていました。それにしても三谷さんよく来てくれましたね。今日は朝出るところだったんで連絡しそびれちゃって。皆に心配かけて悪かったです」
「身体も大きいし、お元気そうなのに、持病があるなんて知りませんでした」
「ぼくは見かけ倒しで案外だめなんです。三谷さんがクラブヘ入ってきた時は、一目見て羨ましかったですよ。気持ちも身体もいかにも丈夫そうな人に見えましたから。ええ、脇田さんは働き者で、信用出来るいい人なんですけど、やっぱりそこは仕事ですからね。あまり無理なことは頼めません。独り暮らしもそろそろ心細くなってきました」
三谷さんもどうせ帰ったところで一人なんだから、脇田さんの作ってくれた晩ごはんを一緒に食べて行きませんかと誘われた。杉本は、ちょうど美味しい干物があるんですよと、冷蔵庫から鰈の一夜干しを二枚取り出してガスの火をつけた。あまりに手際が良いので、「病人にごはんを作らせては……」といいながらも有子は手を出せずにいた。
「いいえ、ぼくはお料理するのが大好きなんですよ。亡くなった家内はぼくが台所に立つのを嫌っていましたけど。そのくせ、妻も娘も外へいって食べるのがご馳走だと思っていたようで、毎日の料理にはあまり時間も気持ちも掛けませんでした」。杉本から亡くなった奥さんのことを聞くのは初めてだった。お鍋を温める間にテーブルの上を拭いて、手早く食器を並べた。いつも外で見ているおっとりした杉本からは想像できないほど、元気で楽しそうだった。
「杉本さん、公務員だったって聞いていたのに、食堂でもやっていた人みたい」
「本当は板前になりたかったんですがね。親にいい出せませんでした。父親が公務員で、ぼくは男の子でしかも一人っ子だったから、大学を出て、学校の先生か公務員になりなさいっていわれて。自分でも親がいうんだからそれが良いのかなあなんて思って。ぼやっと皆の後について進学して、ぼやっと皆の後について役所へ入って、ずうっと逆らわないだけの人生でした」
坂東のところは祖父も、父親も歯医者をしていて、坂東の兄も途中までは歯医者を継がなければと気にしていたらしいが、高校になると出来の良い弟にバトンタッチしたようで、自分はさっさと別の道へ進んでしまったのだという。
久しぶりに誰かと一緒に食べる晩ごはんは美味しかった。杉本の焼いた鰈の焼き具合もちょうど良く、脇田の作った給食風の筑前煮も、酢の物も、だし巻きも、味噌汁も、有子には特別のご馳走に思われた。
「一人で住んでいたら、こんなに少しずつ何種類も食べることはめったにないですから。本当に美味しかったです。今度はわたしのところへご飯を食べに来てください。手の込んだことは出来ませんけど」
「いや、脇田さんが作ってくれたのもなかなか美味しいですが、ぼくが作ったらもっと美味しいですよ。一度食べにきてください」
せめて洗い物だけはさせてくれと、有子は食事の後片付けをしてから杉本の家を出た。
そんなことがあった後、週に一回はどちらかの家で一緒に晩ごはんを食べるようになった。クラブの仲間に隠しておく必要もないが、わざわざ報告することもないだろうと、二人で知らん振りをして日が過ぎた。地下鉄で一駅といっても、杉本の家も、有子の住む古いマンションも二軒とも線路の東側にあるので、長居公園を南北に突っ切って歩けば、歩いてでも行ける距離である。

有子は一人になってから自分のこれからをいろいろ考えるようになった。その結果、夫の三回忌を済ませたら有料老人ホームヘ入っても良いと思い始めた。入居費用が新築マンションを買うよりも高い施設もあるが、中古住宅を売ればそれだけで入れる程度の施設もあるようで、分相応のところで終わることが出来ればそれで良いと考えた。しかし調べていくと不安材料も沢山あることが分かった。大きな買い物だから失敗は絶対に許されない。施設に入るなら倒れる前に入れ、と見聞きする度に、有子は一層落ち着かなくなる。
昨年の十二月初め、急に冷え込む日が続いた。水曜日の夕方に珍しく杉本から電話がかかってきた。なんとなく日曜日ごとに、どちらかの家で一緒に晩ごはんを食べるようになって一年になる。次の日の献立の相談などでその前日に電話をかけ合うことはあったが、間の日に電話がくることはほとんどなかった。
「寒いですね。あんまり風が強いんで、風の音を聞いていたら三谷さん今どうしているかなと思って」
何か様子がおかしいのでどうしたのかと訊くと、
「今日兄ちゃんが入院したそうです。急にどうこうということはないそうですから、ぼくは明日になってから行ってきます。でもこれが三回目の入院ですから、今度はたぶん家へ戻って来られないだろうって……」
一人っ子の杉本が実の兄のように慕っていた坂東の兄は、大阪市に隣接する市で鉄工所をやっている。今は娘婿が受け継いで続けているそうだが、自分で苦労して作ったその会社が気になって、毎日のように覗きに行っていたのだという。
「四つも上だから歳からいったら不思議はないんですけど、それまで本当に元気な人だったから、なんか今度はいよいよ自分の番が来たななんて……」
次の日にまた電話があり、ご馳走はないが今から晩ごはんを食べに来ませんかと誘われた。先週有子の家で食べたので今週は杉本の家の番で、日曜日と決めているわけではなかったから、簡単に承知した。
駅まで四、五分歩いて一駅乗るだけだから、近くのスーパーかコンビニヘでも出かける感覚で、有子は普段着の上に市場行きの半コートを着込んで外へ出た。電車が動いている時間は二分あるかないかだ。長居駅で地下へ入るまではちらほら灯りが点き始めた夕暮れの街だったのに、地下鉄を降りて地上へ出ると、駅周辺はもう照明が賑やかに輝いていて、すっかり夜の街に変わっていた。
チャイムを押すと、入り口に座っていたかと思うほど早く杉本が出てきた。その日の晩ごはんはいつもと違って二人とも口数の少ない沈んだものだった。食事中はどちらも兄ちゃんの話は控えていた。それでも湯豆腐の湯気で部屋も身体も暖まって箸を置いた。杉本は、有子がくる途中のケーキ屋で二個だけ買ってきた苺ケーキの小箱を覗いて、「紅茶の方がいいですね」といいながらケーキ皿やティーカップを出し始めた。有子は、使った食器を急いで流し台へ移してテーブルの上を片付けた。杉本は後ろを向いてレモンを切りながら、突然宣言するようにいった。
「三谷さん、一緒に住みませんか?」
有子は全く予期していなかった言葉で驚いたが、本当に一緒に住めるものなら、一緒に住んだ方が自分のためにも良いだろうと思った。
有子は向かい側に掛けた杉本をしっかり見ながら、
「いいですよ。一緒に住んだ方が、お互いに良いかもしれませんね」
「女の人の気特ちは分からないから、きっと断られるだろうと思っていました。この歳で同棲というのはおかしいけど、ルームメイトというのならどうですか? もちろん戸籍どうこうというのはなし。お金どうこうというのもなし。全てを半分ずつ負担する。そんなのはどうですか? 虫がいい話ですか?」
「いいえ。それなら出来るんじゃないですか? ここまできて面倒を起こすようなことはしたくないし、お互いに一人でなんとかやって行くつもりだったのだから、出来るだけ他人の迷惑にはなりたくないし、でも、一人きりではすごく不安で心細いし……」
有子がつぶやく顔を杉本は黙って見ていた。
「杉本さんが七十六歳でわたしが七十八歳、二人とも今日明日に倒れてもおかしくない歳ですものね。そうですよね。二人いれば、二人同時に倒れることはまずないでしょうから」
「そうなんですよ。お互いにもう相方の介護をやってきていますから、世話する方の大変さはよく知っています。それに当時より歳も取っているから、一緒に住みましょうといっても介護は出来ないと思います。しかし一緒にいれば、倒れるまでの見張り番くらいは出来ます。救急車を呼んでくれる人が傍にいてくれたら、それだけで安心して暮らせるような気がして」
有子は、自分にいい聞かすように話す杉本の言葉を肯きながら聞いていた。
「うちの娘は名古屋にいるし、三谷さんだって息子さんは遠くにいるそうだし、お嫁さんは向こうのお母さんの世話をしているそうじゃないですか」
「ええ。下の娘の方はわりあい近くに住んでいるのに、離婚したから生活に追われていて、親の世話どころじゃないですよ。わたしも自分の始末は自分でつけなくちゃいけない身です。何といっても夫婦は先に逝った者が勝ちです。残された方はよっぽど良い想いをしないことには、計算が合いません」
食後のティータイムで、一緒に住もうという話が決まってしまった。原則として一週間ずつどちらかの家に滞在して、その期間の生活費はその家側で持つ。それぞれ一部屋を明け渡して、専用の個室として自由に使ってもらう。周囲の人たちに隠すことはないがいいふらすこともないから、気付かれるまで子供たちにも黙っていよう。どちらも近所の人たちに聞かれたら、面倒だから親戚の人だと答えることにしよう。話はばたばたと決まった。家具の移動は二人でぼつぼつやったら良いだろうということになった。
「この部屋でどうですか? もちろん仏壇は外へ出しますけど」とダイニングの、廊下を挟んだ向かい側の部屋を開けて見せた。部屋はほぼ空っぽの状態になっていたが、襖が開かれた瞬間に、有子は奥さんが生前使っていた部屋だろうと思った。六畳間の和室で、部屋の隅に仏壇がぽつんと置かれていた。確かに女が使うのには台所も、風呂場も、洗濯機も、トイレも、玄関も近くて便利な位置にある。でも構わない。奥さんの名前も顔も知らないのだし、自分が追い出したわけではない。
そうと決まれば気の変わらないうちにやってしまおうということになった。次の土曜日に、早速二人で落ち合って買い物に出た。相手の家に作る自分の部屋を調えるくらいなら、古い物を持ち寄れば間に合いそうなのだが、再出発の気持ちを込めて、出来るだけ新調しようということになったのだ。
杉本は整理だんすと、パソコンデスクと、小型テレビを買った。有子は、パソコン台を兼ねた小さなテーブルと、テレビ台を兼ねたローボードと、二帖用のホットカーペットを買った。部屋に吊るカーテンは、同じものをそれぞれの部屋の窓の大きさに合わせて注文した。
杉本も、デジタルカメラの方が手軽だからといって、以前に使っていたカメラは仕舞ったままにしている。有子の方はデジタルしか知らない。今の二人にとって必需品となっているプリンターは、パソコンと違って持ち運びが出来ない。A4サイズまでは有子のところでも焼いて、それ以上の大きさは有子のプリンターでは焼けないので、杉本の家まで散歩がてら焼きに行こうということになった。在職中も役所の写真クラブに入っていたという杉本と、カメラを始めたばかりの有子とでは、持っている道具の種類も程度も全く違う。
その日は家具屋へいったり、電気屋へいったり、まるで結婚準備の買い物に歩く若いカップルのような、浮き立った気分が続いていた。店員とやり取りしている時、売り場の中を回っている時、二人で顔を見合わせては何回も笑った。有子の亡くなった夫はめったに笑わない人だったから、こんな経験はなかった。有子は、杉本のこの笑顔に惹かれたのだろうと改めて思った。
「老人ホームヘ入る時のことを考えて、小さめの物を選んだ方がいいですよ」
と注意すると、
「真面目な顔をしてそこまで言わないでください。せっかく幸せな気分に浸っている時に」。杉本はまっすぐ前を向いたまま小声で返した。
兄ちゃんの病院へは、ほとんど毎日のように杉本が通っている。話が出来ることはめったになく、薬でとろとろと眠っているような姿を椅子にかけてしばらく眺めていて、付き添っている娘か娘婿に一言挨拶して帰ってくるのだという。入院して一か月になるが、少しずつ悪くなっているらしい。杉本は兄ちゃんの死に逆らうように有子との同居を急いでいる。有子も独り暮らしになってから、日本中が賑わう年末年始を一人きりで過ごすのがとても辛くなった。もうすぐその年末がやってくる。決まったのならすぐからでも構わないと思った。
買った家具が届くという月曜日に、有子は杉本の家へ出掛けて行って二人で部屋づくりをした。六畳一間とはいえ、力の衰えた年寄り二人だけの作業には時間が掛かった。杉本の買った品物は、来週初めに有子のマンションヘ配達してもらうことになっている。
寝具は来客用のものを使うことになった。孫たちは成人してしまい、遠方に住む友人たちは年取って出歩かなくなり、どちらの家へもほとんど泊まり客が来なくなったからだ。来客用寝具は、新品同様のままで長年保管されている。
「娘も、家内が死んでからはめったに来なくなりました。来たところでたいがい日帰りです。名古屋は近いから、夜になってからでも帰れますしね。もし泊まっていくっていい出したら近くのホテルヘ泊まらせますよ。三谷さんもそうしなさい」。珍しく命令口調で言い切った。

昨年のクリスマスは有子のマンションで過ごした。安心できる人が一緒にいてくれるだけで気持ちが安らいだ。大晦日の朝食を済ますとすぐに、杉本の家ヘ一緒に移動して、注文してあったおせち料理を受け取った。三年振りに買った華やかなおせち料理を見ると、もう一度世間の仲間入りが出来たような気分になった。テーブルの上へ並べて二人で、「いいもんですねえ」「やっぱりお正月はおせちですよ」とはしゃぎながらしばらく眺めた。クリスマスのケーキも、正月のおせちも、一人でいた時は買わなかった。
三箇日が過ぎるのを待っていたように、兄ちゃんの命が尽きた。杉本は片道一時間かけて毎日病院へ通っていた。四日の早朝坂東から電話があって、「さっき息を引き取ったそうだ。ぼくも今から仕度して出るけど」とのことで、杉本は、電話の音で目を覚ました有子に、「どうせ通夜が済むまで向こうにいるから急いで行くことはない。ちょっと早いけど朝ごはん食べようか?」といつもと同じようにパジャマの上に丹前を羽織ると、朝食の仕度を始めた。
その日夜になって帰ってくると、式服を着替えて洗面所へ行き、さすがに疲れた顔をしてテーブルについた。
「三谷さん。ぼくが動けなくなったら、ぼくのカメラとプリンターをもらってください。物のやり取りはしないっていう約束でしたけど、カメラをやらない人にとったらこんなものごみと同じですから……。考えたらほかに、ぼくが三谷さんに残せるものがないんですよ」
「きゅうに深刻な話になって。なにか遺産でももらって来たんですか?」
「ええ。昨日見舞いにいって帰ろうとした時に、兄ちゃん明日またくるわって声を掛けたら、何かいいたそうな素振りをしたから顔を近くに持っていったの。そうしたら息だけみたいな声で、確かに『ゆきお、あつしをたのむ』ってそういったんです。あれが兄ちゃんの最後の言葉だったようです」。いつも笑っている杉本の顔が、涙ぐんでいた。
「ぼくたちは倒れるまでの約来でしょ。最後の言葉を残して行くことも、最後の言葉を残してもらうことも出来ないわけです。だからせめて何かをって」
「でも、わたしは杉本さんにもらってもらうものなんて、何にも持っていませんよ」
「そういわれればそうでしょうね。たとえ大金をもらったところで、我々にはもう使う時間も、体力もありませんしね。それなら、ちょうどいいじゃないですか。三谷さんが後に残ってくれれば……」。やっと杉本から、ほっとするようないつもの笑顔が出た。

同居して無事に三か月が過ぎた。
今年の桜は、二人で吉野まで行って、人混みに紛れて思い切り撮った。