第48回NHK障害福祉賞 優秀作品
「北海道一周自転車旅行 父と子の二四三三・八kmの軌跡」  〜第2部門〜

著者:佐藤 幸子  (さとう さちこ) 北海道

 次々とゴールしてくる自転車の中に、我が息子の姿はない。
 だんだんとゴールする自転車も少なくなり……。
 大丈夫かな……完走できるかな……完走してほしいな……させてやりたいな……。
 とうとう自転車の姿が見えなくなり……。
 待っていてもこない……。
 リタイアしたのか。
 この前のエイド(給水・給食所)で、時間制限ギリギリで、ほとんど休みなくスタートしたもんな。厳しいよな……。

〈自転車に乗れるようになって〉
 我が家の長男史也は、重度の知的しょうがいが伴う自閉症です。
 今年の春、高等養護学校(特別支援学校)を卒業し、現在札幌市内にある学びの作業所「チャレンジキャンパスさっぽろ」で、彼の夢だった大学生活を満喫する毎日です。

 彼が自閉症と診断されたのは二歳。幼児期は、こだわりとパニックに毎日振りまわされて、言葉でのコミュニケーションはオウム返し。途方に暮れる毎日でした。

 小学校は、地域の小学校の特殊学級(特別支援学級)へ。小学二年生で自転車が乗れるようになり、二、三年生は、ほぼ毎週末、自転車で豊平川の河川敷のサイクリングロードを、家族で走っていました。

 小学四年生の夏のある日。主人が、史也と二人で自転車旅行に行ってみたいと言いました。
「えっ⁉」、主人の言葉に本気なの? と思う私。
 大丈夫じゃないでしょ。だって、自転車に乗れるといっても、まだギアチェンジができないし、ブレーキだってちゃんと出来るか不安。急な坂道止まれるの? 上り坂はどうするの? ギアチェンジできないのに無理でしょ。それで行くって???

〈主人のこと〉
 主人は、五歳の時に父親を交通事故で亡くしていました。自分が父になり、息子とやりたいことがたくさんありました。史也が二歳で自閉症とわかったとき、やりたいことを諦めないといけない……とは、主人はならない人でした。
 
 主人は、アウトドアが大好きな人です。史也が二歳の時から、多動で慣れない場所へのパニックがひどかった史也を連れて、週末はキャンプへ出かけていました。
 こっちは、キャンプへ行っても、いつもと同じように史也を追いかけ、クタクタなんですが、主人は実に楽しそうで。そんな主人を恨めしく思うこともありましたが、この主人の前向きさに後々救われるとは、その頃は思ってもいませんでした。

 主人は、子供が好きでした。子供と遊ぶことが大好きで、とても楽しく子供と遊ぶ人でした。我が子が生まれたら、あれがしたい、これがしたい……たくさんしたいことがあったと思います。
 でも、史也は自閉症というしょうがいを持って生まれてきました。幼児期は、母の私しか寄せつけず、史也といろんなことを楽しみたいと思っていた主人には、さみしい思いをさせてきたと思います。

 そんな訳で、成長と共に父親ともコミュニケーションを取り始めた史也と何かをしたいと思っていた主人は、小学生になって自転車が乗れるようになり、どこまでも自転車で走りたがる史也を連れて、自転車で旅行をしたいと言い出しました。
 試しに札幌の隣町のキャンプ場まで一泊二日で、自転車にキャンプ道具を積んで旅行をしてみました。父と息子二人きりのキャンプは、とても楽しかったようで、史也はお父さんと自転車で出かけることを楽しみにするようになりました。

〈自転車旅行のはじまり〉
 小学四年生の夏休み、自転車旅行の当日の朝、ものすごく不安な私とは対照的に、主人と史也は楽しそうに自転車で自宅を出発していきました。私の実家のある苫小牧まで、一泊二日でゴールを目指しました。
 北海道の夏は、本州からみれば涼しいですが、それでも三十度近いなか、上り坂は自転車をおりて押してあがり、途中の休憩地点のコンビニで冷たいものをとりながら、二人は七三・三kmを二日間で走りぬきました。ゴールした時、史也は放心状態でした。
 この時、まさかこれをきっかけに北海道の海岸線を一周する自転車旅行へとなっていくとは、主人も私も考えていませんでした。

 翌年小学五年の夏休み。
「昨年は苫小牧のじいちゃんばあちゃんちまで走ったから、今年は伊達ばあちゃんちまで走ってみる?」
 この一言で決定。

 初めての時同様に、何度も事前に車で下見をして、休憩地点を決めて写真を撮り、絵カードを作り、史也が見通しを持てるようにしました。この見通しを持た せてあげることで、疲れや暑さからくじけそうになる史也の気持ちを、「次のコンビニで休憩だ‼ アイスを買って食べよう‼」と勇気づけました。楽しみなこ とを作りながら七四・五km、一泊二日で無事に伊達の主人の実家にゴールしました。
「また出来ちゃったね。じゃあ、来年は函館? でも、峠があるしね。無理だね」

 小学六年の夏、三年目。伊達から函館、一八二km。伊達を出発してすぐの峠、そしてトンネル。両方とも初めての体験でした。案の定、上り坂で途中休憩。初 めてのトンネルは、聴覚が過敏な史也を心配しましたが、無事通過。キャンプ地の長万部まで、最後は足が痛くて泣きながらの走行。テントを設営する横で寝て しまった史也でした。そのくらい、暑さと上り坂で疲労困憊。過酷な一日目同様、二日目も、自転車をこいでもこいでも宿泊予定のキャンプ場になかなか着かな くて、気がつくと涙しながら自転車を押している史也。この姿に思わず主人ももらい泣きしそうに。史也を励まし頑張りました。
 この函館までの二泊三日の旅で、暑さに対する備えを学びました。

 三年目の函館ゴールで、周囲から「北海道一周したら?」との声が出始めました。
 私は主人がやりたいのならと、反対はしませんでした。
 気がついたら、この自転車旅行は我が家のイベントとなっていました。何か月も前から下調べをしてキャンプ地を決め、休憩地点ごとに距離を実測し、旅の行 程表を作り、地図に休憩地点の番号をふり、コピーをとり、史也と事前学習をして本番を迎える。これだけの準備をして臨む旅行ですから、ゴールした時の達成 感は、本当に大きなものでした。

〈北海道一周することを決めてから〉
 中学に入学してからは、年に二回、ゴールデンウィークと夏休みに走りました。
 成長とともに、史也の体格もよくなり、大人並みに。ペダルをこぐ力も父親をいつの間にか抜かしていました。ギアチェンジも、本番の旅行中に
「ふみ、上り坂、右手五、左手二‼」
 と後方から声をかけてやることで、ギアチェンジのタイミングを覚えていきました。そして、いつからか声をかけなくても、自分のタイミングでギアチェンジができるようになりました。

 アクシデントもたくさんありました。
 坂道の途中でギアチェンジをして、チェーンをはずしてしまい、直すのに時間がかかってしまったこと。
 台風のど真ん中を雨具装備で走ったこと。
 前に進めないほどの強風に、自転車を押して歩いたこと。
 強風に頭にきて、「風‼ いい加減にしろ‼」と史也が風に向かって怒鳴ったこと。
 強風にテントが飛ばされないかと眠れなかったこと。
 台風の大雨に浸水しないかと眠れなかったこと。
 狭いトンネルで心ないドライバーに突然クラクションを鳴らされ、焦ったこと。
 ものすごい反響音にもかかわらず、パニックを起こさなかったこと。
 ペダルをこげどもこげども目的地に着かず、思わず涙してしまったこと。
 
 うれしかったこともたくさんありました。
 小学生の時、走行中の車から「がんばれ‼」とたくさんの声援をもらえたこと。
 うに丼や甘海老丼など、その土地のおいしいものが食べられたこと。
 いろんなキャンプ場に泊まれたこと。
 いろんな温泉に入れたこと。
 このうれしいことを心の支えに、いつしか史也は頑張って走るようになっていました。
 ただ自転車に乗りたい‼ 自転車でいっぱい走りたい‼ という気持ちを満たしてあげることから始まった自転車旅行が、楽しみごとを作るようになり、ゴールの達成感を家族で感じられる、そんな旅へと変化していきました。

〈インターナショナルオホーツクサイクリング2010〉
 自転車旅行七年目の夏。
 この年は、この旅行中に知った『インターナショナルオホーツクサイクリング2010』への参加となりました。

 この頃になると、自転車旅行のノウハウを教えてくれる知り合いもでき、オホーツクサイクリングへの挑戦も可能ではないかと考え、史也が高等養護学校に入 学したこの年にチャレンジすることになりました。旅の行程からもちょうど夏とぶつかりました。雄武町から斜里町まで二一二kmを一泊二日で走行。この距離を 一泊二日で走行する経験は、それまでの旅行ではなく、初体験の距離。北海道を半周した二人は、自信がありました。今の史也なら出来る。走れる。完走でき る。
 でも、そう簡単にはゴールさせてもらえない旅となりました。
 
 オホーツクサイクリング第一日目。雄武町スタート。約八五〇名の参加者が列をなして、走っている姿は、心躍るものがありました。史也も笑顔でスタート。
 しかし、スタートしてまもなく大雨に。雨具を着ての走行。車でも前が見えないほどの滝のような雨の中を自転車で走る。前を走る自転車から遅れをとり、後 続からも次々と抜かされ、どんどん後方へ。自転車もロードバイクではなく、二人はマウンテンバイク。史也はいつも通りのペースで走っているのですが、周り のペースが早すぎてついていけない。それでも、遅れないようにと一生懸命にペダルをこいでいた史也。次第に膝が痛くなりだして……。
 途中の休憩地点で心配する私に、主人は
「大丈夫だ!」
 と厳しい口調で、休憩もそこそこにスタートしていきました。小学四年生からの自転車旅行の経験から、史也の力を一番信じていたのは、主人でした。しかし史也は
「膝が痛いです」
 と痛みを口にするように。最初は、甘えだとそのまま走行。次第に走るスピードが落ち、気がついたら参加者の最後尾に。
 ここですぐリタイアとは、主人の頭にはなかったようで、
「大丈夫だ! お前なら走れる! 頑張るんだ、史也‼」
 と、大声を張り上げて史也の後ろから叱咤激励しながらの走行。完走させてやりたいと、誰よりもこの大会への思いが強かった主人。気がつくと、後ろには大会関係者の自転車とリタイア者収容のバスとパトカーが。
「次の休憩地点まで、バスに乗ってみませんか?」
 という大会関係者の声に、主人もここまでだとリタイアを決意しました。
 休憩地点のコムケ湖キャンプ場でバスを待っていると、元気なく二人がバスから降りてきました。昼食用のお弁当をもらって食べていると、
「史也は○ですか? ×ですか?」
 と私に聞いてきました。ゴールできず、リタイアしてしまった自分はダメかと聞いてきたのです。
「ふみ、大丈夫。ふみは○だよ。今日はここまでだったけど、明日、もう一度斜里まで頑張ってみようか。痛い膝に薬を塗って、今日はご飯をたくさん食べて、 早く寝よう。もう一度走ってみよう、明日。前の人についていけばいいんだよ。今まで史也はゴールしたでしょ。明日も自転車で斜里まで行ってゴールしよ う‼」
「………はい………」

 そうは言ったものの、内心、二日目も難しいと考えていました。でも、ここで諦めさせたくはなかったのです。最後まで諦めずにトライさせてやりたかったのです。もし、リタイアしても、そこまで頑張ることが出来たらいいと……。
 一日目の宿泊地、常呂町では、気持ちを切り替えて楽しく過ごした二人。大会参加者以外は宿泊ができないので、私は次男と先に網走入りしました。

 二日目、常呂町をスタート。網走での休憩地点で史也の姿を見つけた時は、涙が出ました。
 この日は、前日とはうってかわって、晴天。暑さとの戦いとなりました。
 主人は
「今日の史也、昨日より全然いいよ! すごい頑張っているよ! いけるよ!」
 と声が弾んでいます。水分をまめにとりながらの走行。
 しかし、次第に集団から遅れ、それでもどうにか制限時間内に休憩地に到着。この浜小清水の道の駅が最後の休憩で、あとはゴールの斜里町を目指すだけ。暑 さと疲労で、休憩地点では放心状態の史也。集団からかなりの遅れをとっていたので、早めにスタートをしました。史也は、味覚過敏もあるため、飲み物も決 まったものしか飲みません。水筒に満タン入れて、これが最後の給水。

 大丈夫か……。

「ラストだよ、ふみ‼ 次はゴールだよ‼ ラスト、頑張れ‼」
 
 三歳になり、この年の春に幼稚園に入園したばかりの次男の孝史朗と、声を張り上げて応援し見送りました。

 先にゴールの会場へ車でむかうと、すでに会場にはゴールした大会参加者たちがたくさんいました。
「ゼッケン番号○○○○番、ゴーーーール‼」
 と叫ぶアナウンスの声。
 会場は人であふれていました。次々とゴールしてくる参加者たち。

 史也は、まだしばらくかかりそうだな……。

 周囲の笑顔とは対照的に、私は心配で心配で、どうにかゴールできますようにと祈るような気持ちで待っていました。

 次々とゴールしてきていた参加者達も次第にまばらになり、沿道の人々の姿もまばらになり、アナウンスの声も聞こえなくなり、BGMだけが鳴り響く。
 しばらくして、やっと人影が……。最後らしき参加者がゴールし、大きな拍手がわきました。

 あぁ……やっぱりダメだったか……。バスに乗ってしまったかな。
「お疲れ様でした」という声に、もうゴールする者はいないんだなと思いました。

 ゴールさせてやりたかったなと思うと、その場から簡単に離れることが出来ず、しばらくそのままゴール地点にいて、ゴールの先を見つめていました。
 どのくらい時間がたったのかは覚えていませんが、ふっと気がつくと、大会関係者がまだゴールにいました。沿道の人も少なくはなったけど、まだ旗を持って立っていました。
もしかして……まだ、誰か来るのかな。

「今、最後のゴールの参加者が見えました‼」とアナウンスの声が。

 史也でありますように。バスに乗っていませんように。祈るような思いで見つめる先に、必死で自転車をこぐ史也の姿が……。

 ゴールしてきた史也は号泣していました。
 後ろを走る主人も号泣していました。
 しんどい気持ちとやっとゴール出来た安堵感。沿道のたくさんの声援に、ただただ涙が流れます。
「沿道の町の人たちの声援が嬉しくて……。泣けて泣けて……。今までの自転車旅行のことを思い出して泣けて泣けて……。俺も歳だな」

〈親の思いと最終ゴール〉
 この時の感動は、いまも心の中に強く残っています。今でも思い出すと涙が出てきます。この感動は、我が家の宝となりました。
 この大会に参加したことは、我が家にとって良い経験となりました。
 また、史也の姿を改めて見つめ直す良い機会となりました。
 史也の力を過信していたこと。それが彼への過度のプレッシャーとなっていたこと。
 自閉症というハンディゆえの困難さ。状況理解を常に瞬時に求められることへの精神的プレッシャー。
 そして、精神的な甘え。
 これらは、史也が今日まで成長してきたからこそ見えてきた課題でした。
 この課題をどう解決していくか。
 これからの史也の人生で、何度も訪れるであろう大きな壁に、立ち止まり続けることはせず、どう解決していくか。困難に立ち向かう勇気と自信をつけさせてやりたいと強く感じたこの大会でした。
 どうしてみんなについていけないんだろう。
 頑張って走らないと、○にならない。
 ×じゃだめなんだよね。

 プレッシャーに押しつぶされ、折れてしまった心を、もう一度復活させて頑張りぬいた史也。
 この時流したたくさんの涙を、ずっと覚えていてほしい。

 そして、二〇一二年の夏。小学四年生から始まった父と息子の自転車旅行が、最終ゴールを迎えました。総走行距離二四三三・八km。九年かけて最終ゴール地点の札幌ドームへ。

 この九年間、いろんなことがありました。私は、赤ちゃんの泣き声にパニックをおこしていた史也の姿をみて、赤ちゃんは無理だと諦めました。でも、史也の 成長と共に、私は弟か妹が欲しいと思えるようになり、三年間不妊治療に通いました。治療の成果がなく、諦めたところに孝史朗を授かりました。
 孝史朗を主人の自転車の後ろに乗せて走ったこともあります。小さな孝史朗を気にしながら、兄の眼で孝史朗をあやす史也の姿は、この自転車旅行でもたびたび見られました。
 五歳の時、兄のしょうがいを知り、なんか悲しいといって私の胸にすがりついて泣いた孝史朗も今は小学一年生。兄と同じ小学校に通い始めました。

 史也が二歳で自閉症と診断された時には、この先この子をどう育てていったらいいのかわからず、失意と絶望の日々を過ごしていました。あの時があったから、史也が頑張って達成出来たことは、涙を流して喜んだものです。
 辛い現実に打ちひしがれたこともありました。
 心ない言葉に傷ついたこともありました。
 でも、そんな現実や言葉には絶対に負けないという強い思いがありました。
 史也は、決してまわりから同情される存在ではない。史也は史也なんだから。しょうがいがあることは、不便ではあるけど、決して不幸なことではない。史也は史也らしく生きていって欲しい。
 ただこの思いのみで、今日まで突っ走ってきたように感じています。

 今年の春、彼は高等養護学校を卒業し、彼の夢だった大学生活を満喫しています。
 中学生の時に、彼は、大学生になれますかと私に聞いてきました。その当時、史也が入れるような大学はなかったので、無理かなと答えてあげることしかできませんでした。
 でも、心のどこかでそんな場所があればなと思っていました。
 高等養護二年生の時、札幌市に学びの作業所ができたと知り、行かせてやりたいと強く思いました。そして、三年生の時の現場実習をその作業所でさせてもらい、内定をもらった時は、自分の合格発表の時よりもうれしかったです。

 諦めずにいれば叶うことがある。スタートすれば、必ずゴール出来る。

 自転車旅行で何度もくじけそうになった史也。その心を立て直し、頑張らせてきた主人には、男親としての決断力と実行力を感じずにはいられませんでした。
 知床峠を走行した高二の夏、峠は濃い霧に包まれ、観光バスや乗用車はハザードをつけて徐行運転をしていました。どう考えても自転車での走行は無理と、峠 の頂上にいて待っていた私は、峠を斜里側に向かって下り、途中で休憩していた二人を見つけて、霧で無理だから今日はやめようと話しました。
 主人は大丈夫だと言って、絶対に譲りませんでした。
 じゃあ、六時までに頂上に着かなかったら、迎えに行くからねと言い、孝史朗と二人で頂上にのぼり、車を止めて、再び待つことにしました。さっきまであれ ほど青空だったのに……。あっという間に濃い霧に頂上も包まれていました。携帯電話もつながりません。時計とにらめっこをしながら待っていました。
 ふっと気がつくと、頂上に二人がいるじゃないですか。
 霧があまりにも濃くて、近くに来ないと見えないほどだったのです。その状況で、約束の時間を余裕で峠をのぼってきた二人。
 この時、私は真似できないと心底思いました。

〈出会いに感謝〉
 これまで私たち家族は、史也を通じてたくさんの人々に出会ってきました。人との出会いによって、私たち家族は支えられてきました。この出会いがなければ、今の自分たちはいないと思っています。
 人は人によって癒され、人は人の中で成長していく。

 自閉症の史也は、母親の私しか受け入れられない子でした。その関係も本当にか細くて、片方が強く引っ張ったら、すぐに切れてしまうような、そんな何とも頼りない関係からスタートしたように思います。たくさんの関係者から学び支えられ、今日の私達夫婦と史也がいます。

 これからも私達は、彼のよき理解者でありたいと思っています。
 一番の応援者でありたいと思っています。
 おもてだって応援されることを彼はもう恥ずかしがり、嫌がります。
 なので、そっと静かに心に思いを秘めて、これからも彼を応援し続けます。

佐藤 幸子 プロフィール

昭和四十二年生まれ 無職 北海道札幌市在住

受賞の言葉

九年かけて北海道一周をした自転車旅行のことを、いつか何らかの形で書こうと思っていました。この旅行は、私達家族の歴史の一部です。三人家族でスタートし、四人家族になり、息子たちの成長と共に、私達夫婦も親として成長していきました。
今回このような賞を頂き、この九年かけて走った自転車旅行に、更に素晴らしい思い出が出来ました。本当にありがとうございました。この手記をたくさんの方に読んでいただけること、大変ありがたく思っています。

選評(安齋 尚志)

お 父さんの積極的な姿勢に感動しました。父との関わりが薄かった自閉症の息子と自転車旅行に行きたいという親心、共感します。一緒に目標をクリアする濃密な 時間が持てたことが分かります。感心したのは、目標を小分けし写真や絵カードで具体的な見通しを立てて旅行に臨んだことです。息子さんの状態をよく理解し た上での準備が成功をもたらしたのでしょう。困難に立ち向かう子どもを見守り励ます夫婦のご様子が目に浮かびます。