第42回NHK障害福祉賞優秀作品
「使い捨てオマル・奮闘記」〜第1部門〜

著者:印南 房吉 (いんなみ ふさきち) 神奈川県

早朝、ひょいと思い付いて段ボールで箱型のオマルを作ってみた。頭の中ではなかなかイイ格好だったが元来の不器用、やっているうちに段々大きく、いささかヒン曲がってしまった。結局縦横とも四十五センチの角型で……ホントは角々を優雅に丸くしたかったのだが……差し込み側の高さが四センチ、取っ手側が十センチ、底付きで上面がスッポリ空いて四周に四センチ幅の受け縁をグルリと廻したモノが出来た。箱の中底に防水紙で作った便袋を入れて置き、この中に大小の排泄物、拭き紙、洗浄水を纏めて受けて、事後引っ張り出してポイと捨てようというアイデアである。
まず自分で使ってみた……イイ……これはイケルゾ。これならネタキリさんには優しくて、出しやすくて、ヘルパーさんにも後始末が楽なニュー・オマルがまとまりそうである。
「使い捨てオマル」開発の第一歩である。

事故で左脚を膝下から失って五十年になる。最初の臥床一か月、次いで義足がうまく合わずに再手術・臥床一か月、この時困ったのがネタキリの排泄だった。とにかく、まず痛いし、出せないし、洗えない。一時間も二時間も臭い。これが毎日だった。松葉杖でトイレに行けるようになったらキレイに忘れてしまったが、後年福祉機器の開発を手掛け、日夜患者さんやヘルパーさんと接するようになり、改めてこの時の記憶が蘇って来た。私は二か月だったが五年、十年とネタキリになったら……それでも我慢するしかないなら……やりきれないなと思う。折しも敬愛する高橋先生が大腿骨を骨折したと聞き飛んで行った。先生は私の脚を再手術してくれた整形外科の医師でありスポーツ医学の大家でもあった。大学時代ボート部に所属していたとかで長身、たくましい手で何事もテキパキと片付けていた。私も一時海上生活を経験しており、更には当時大学ボートが訓練していた隅田川の近くで育っていた。そのせいもあってウマが合い、医師と患者の関係を超えて人生の師弟とも言える仲になっていた。その先生が院長をなさっていたY病院でナント二階から転落して骨折、そこに入院したという。早速駆け付けた。先生は私をみるなり「やあー! 君、痛いもんだねえ」「先生、痛いのは生きてる証拠ですよ」と、その昔、先生に言われた言葉をお返しした。「しょうがないな、ハッハッ」と一笑して「やっぱり君が言ってた通りだな、排泄よ、問題はな」ベッドの上で高々と脚を吊り上げられた格好のまま、細い目で笑った。かつて先生の手術を受けた後、ネタキリで何が困るっていったって排泄だと訴えたことがある。ま、ひと月の辛抱だからとそのまま済んでしまったが、先生も体感したのである。この時、頭の中にピカッとひらめいた。
「オマルは介護の原点だ!」……心に刻んだ。
義足をはいて半世紀、無論紆余曲折はあったが何とか人並みの日を送れて二人の子供達もそれぞれ独立した今、ソロソロだなと心には決めていた。三十年間の機械設計と十五年間の福祉機器開発で得た技術と障害者生活の経験を併せて活かせば多分…。「オレでなきゃ出来ない仕事に取り組んでみよう」ウヌボレか、せめてもの自尊心かも知れないがここでネタキリさん用の使い捨てオマル・手作りに挑戦した。時に七十五歳……まだ若い。

言うまでもなくオマルはシビン・オムツと共にベッドで寝たまま使える排泄器であり、昔から杖と共に普遍的な介護用具である。病気、骨折から手術予後そして高齢、障害者にとってたいへん便利な必需品である。これらに厄介になったことの無い人はそれだけ健康で幸せだったとも言えるだろう。
現状のオマルはほとんどが楕円形で幅三十センチ、長さ三十六センチ、尻下に差し込む側の高さが四センチ、取っ手の付いた手許側の高さが十センチほどで昔は薄いブリキ製、今はステンレスかプラスチック製で大小共に直接排泄物を受けている。大概の場合取り捨てやすいように新聞紙を広げて中に押し込んでおく。全体の形からオマルと呼ばれるのだと思うが実際に使ってみると結構問題が多い。経験者は皆さん頷くだろう。
第一にオマルの縁が患者さんの尻、腰に当たって痛いこと、ソフトなカバーを被せて少しは楽になったがやせた人には骨がゴツゴツぶつかるし、ましてじょく創のある人には大変な苦痛である。
第二に出にくい、出しにくいこと。慣れもあるだろうがその原因の一つは安定感に欠けることだと思う。両脚を広げ過ぎると外にこぼれそうだし、ツボめればますます出せない。もっと大きく脚を広げて両膝を立てれば楽に出せるはずだが、力めば力むほどグラグラして危うくなりそうである。
第三に厄介なのが洗浄、まず排泄後の局部を洗うこと、そしてオマル自体の洗浄である。これまたエライコッチャであらかじめ敷いておいた新聞紙もろとも引っ張り出してトイレに空けてから(最近の排水管が細いトイレには不可)ジャージャー水洗いする。率直に言って臭いし汚い。まして成人の排泄量は半端じゃない、施設等多人数の所では次から次へとそれこそ行列が出来る。
[介護とはオマルをジャブジャブ洗うこと]とは知り合いのヘルパーさんの川柳である。しかも困るのは洗ったオマルは乾くまで使えないこと、患者さんの中には少々恍惚気味に「オシッコ! ウンコ!」と繰り返す人もいて閉口する。さりとてオムツは恍惚を加速すると言う説もあり、何よりも皮膚がただれやすく無惨である。
タベタラ…ダス。人間は生きモノであり、生きるメカニズムは犬、猿、河馬と同じ。無論老若男女同一だから恥ずかしいからドーノ、臭いからコーノなんどはさておき、ベッド上での介護とは、いわば排泄介護が主体で、する方、される方から口を揃えて「何とか手早く、コザッパリ出来ないものか」と言われた。なるほどとは思うがサテどうやって解決するか。

私は義足装着後、運良く某機械メーカーに入社以来機械の設計を三十年ほどやって、色々な技術を積んで来た。その後一念発起独立して福祉機器の開発を続けている。決して自慢する訳ではなく開発の体験的知識を身に付けて来ている。ま、一種のノウハウであろう。
その一、この開発は必要か?
その二、誰にどんなメリットがあるのか?
その三、誰がいくらで買うのか?
を現場で確認することを出発点にする。これがあれば便利そうだ、儲かりそうだ、ハイテク・新素材の応用製品はモノの役に立たないことが多いのは散々の失敗で肝に銘じている。それでも失敗を恐れていたら、それこそ買わない宝クジは当たらないとガラクタの山を積んで来た。これは福祉の世界でもボランティアでも同じである。「開発は現場から」という鉄則と「売れないモノは役に立たない」の認識を余計持ち続けている。そうそうもう一つ、自分には金儲けの才がないことも分かっている。だから自分の行く道を文字通りの福祉に決めた。それは自分の身体に合った用具を作ることである。障害は千差万別、従って介護用品も多種多様。だから患者の障害と寸法に合わせて用具を作ればよい……どうすればいいのか……具体的方法の開発である。同時に大切なことは福祉の出発点は人間同士の思いやりであり、生きる痛さの共感である。ここが通常の儲けるための企業と根底から異なる点である。そう、もう一つ、使う人、使わせる人、作る人が力を合わせなければ使えるモノは出来ない。
現在、私は高橋先生も含めて何でもアケスケに話せるお三方と福祉用具開発のスクラムを組んでいる。一人は大井アキさん九十七歳、私の亡母の親友でシャキッとした明治の美人さんである。母の名がハルでアキさんとはお神酒徳利やなと二人で笑っていたのをかすかに憶えている。住んでいた浅草の花やしき近くで結構大きなおでん屋を切り盛りしていた女傑であった。母との交流の経緯はよく知らないが子供の頃、昼間連れられて行くと店の細長いカウンターの一番奥で卵にハンペン、ナマチクにツミレと大丼に盛ってくれた。うまかった。楽しみだった。十年ほど前にそのアキさんが居間で転倒し、大腿骨にひびが入って以来、寝たり起きたりと踏ん張って来たが、段々寝ている方が多くなった。無論、自宅介護で電動ギャッジベッドを自分で起こしては大型テレビでアラ探しが堪らない楽しみだそうで、特に若いリポーターのメチャクチャな日本語をノートに書いておき、いずれ本にしたらキット売れるはずだと頑張っている。
口は悪いがカラッっと明るく、一日おきに来るヘルパーさん達も一緒にワイワイガヤガヤやってくれるので私も自分の手掛けた福祉機器の試作品を持ち込んでモニターしてもらい、改造して販社に渡して商品化して来た。
《ベッドで食事・歯磨き台》もその一つだった。ベッドで一番の楽しみは無論タベルこと、タベルのはいいが食後直ぐの歯磨きが意外に厄介で、一々コップに水をもらっても吐き出せない。まして食事中に入れ歯の下に入り込んだ胡麻粒一つが跳び上がるほど痛いこと、直ぐ外してその場でタップリ洗いたいんだがのう……との、たっての要望で作ってみたものである。色々工夫して食事用の回転昇降台と歯磨き用の水タンクに排水受けをトレー上にまとめ、ついでに小さな鏡も付けてみた。口の中が見えたら便利かと考えたのである。アキさん大いに喜んで食事歯磨きをサッサと済ませ、いきなりお化粧を始めた。口紅をスイッと引いてアッと驚いた。何と十年は若返った。女は凄い。同時にベッドの上ではお化粧もリハビリになると判った。

もうお一人は堀切ヤエさん。高橋先生の右腕だった看護師さんで私とも断足臥床以来の交流がある。厳しいが優しく別名・如来様。今は堂々たる看護師長さんで、看護から介護までほとんどの免状をお持ちで日夜の多忙を楽々とこなしている。堀切さんには医療現場の視点から問題を指摘してもらって来た。私が独立して直ぐの新製品《ベッドでシャワー機》のモニターが最初だった。これはネタキリさんをベッドの上で手軽に全身シャワーする装置で、内心画期的な発明と自負していた一品である。最大の特長は温水シャワーをしながら先端のソフトブラシでゴシゴシ洗って、同時に汚水を全量真空吸引出来る機能である。浴槽不要、患者さんを移動せず、二十リットル四十度のお湯で全身洗えるし、慣れれば患者さんが自分で手軽に扱える等々メリット充分、特に在宅の老老介護に最適のはずだった。が、ちょっと待てよ、長いこと商品化即金儲けの社会にいて盲目になっているかも知れないと気付き、本当に役に立つかどうか堀切さんの所に持ち込んだのである。
堀切さんは自分で色々な患者さんを洗ってみて暫くしてから「これねえ、これはこれで立派な機械だと思いますよ。でもねえ、ちょっと引っ掛かるのよ。貴方、看護という字、知ってるでしょ。手と目で患者さんを護るのよねえ」と静かに教えてくれた。ハッと気付いた。患者さんの肌を長柄ブラシでゴシゴシするのは広い背中や腹はまだしも、隅々にしっかり手が届くという訳にはいかない。またブラシを軟らかくしてもそれ以上に肌が傷つきやすい患者さんもいるし、じょく創もある。どうも我々機械屋の能率第一主義が通用しない人間学があるんだ。更に患者さんからは真空で血を吸い取られるような気がする。音が凄くて皮が剥がれそうだとの不安も訴えられた。ごもっともである。
後日、ブラシの代わりに真空手袋を考案して一応解決出来たが、モノ創りにはいい勉強になった。特に人間の身体を洗う時の水温、水圧、水量が把握出来たので次のモノ創りが容易になった。開発はデータと独創力の積である。この《ベッドで食事・歯磨き台》と《ベッドでシャワー機》は一度販社が商品化したが期待したほどは売れなかった。高額なこと、販路が定かでないことなど売れない原因は様々に考えられるが、ま、いつかは世に流れることもあるだろうと気楽に構えている。
《ベッド排泄機》への要望集めに現場を廻った。第一に堀切さんの意見は明確だった。「臭い、汚いは自然現象で当り前のことだから気にしなさんな、それより何とかしたいのは排泄後の後始末よ」と強く言われた。赤ちゃんのお尻は市販の尻拭きティッシュで済むが、成人のそれは微温湯でタップリ洗ってスッキリ拭けるのが最高、技術的には《ベッドでシャワー機》で解決出来そうである。一方、アキさんは
「オマルの縁が当たって痛いのよねえ、これ是非何とかしてよ」
「そうそうもう一つ、自分で全部したいのよ、出来るわねえ」
周囲のヘルパーさんからは
「紙オムツも外したらクルクル丸めてポイッ……お湯で洗ってキレイキレイ、拭いたらこれも丸めてポイッ……てな具合に行かないかしらねえ」
「そうそう、それでオマルのジャブジャブ洗いが無くなれば言うことなしよ」
高橋先生はやっぱりお医者さんらしく
「洗うんなら滅菌も考えてよ」と言った。
それぞれ貴重な意見であり、同時に難しい要望でもあり、やり甲斐のある仕事だという事も実感した。
やるべき目標が決まればアイデアが湧き、頭の中で渦を巻き始める……で……冒頭の手作りボール紙製大型オマルになったのである。角型でお尻の受け面が大きく安定し、ポッカリ開いた角穴に使い捨て便袋を着脱自在にセットしておく。この便袋がアイデアのポイントで、ここに大小排泄物、紙オムツ、局部の洗浄水から拭き紙まで全部受けてまとめて引っ張り出してポイと捨てればオワリ。取り扱い簡単で目標のほとんどをクリア出来る。オマル自体は汚れないから洗わずに繰り返し使用出来る、他人が使ったものはイヤという方には自分専用のオマルを作っておけばよい。無論格別に肥った方、痩せた方、じょく創の出来た方も同じである。ボール紙だから訳はない。穴の寸法さえ合わせておけば便袋は共通して使える。何回もテストしている内に便袋はスーパーのレジ袋を重ねて使えばよいことが判った。何しろ当面は無料で済む。更にヘルパーさん達の意見で便袋の中に新聞紙を細かく千切って入れて置くと便を良く吸うし、はねないしまとめやすいということも知った。なるほどである。局部洗浄器には市販のトラベル用を使った。ちょっと手間を掛けて三十度ぐらいのぬるま湯を入れるとサッパリする。これが何と紙オムツの人に大好評だった。何でもやって見るモンである。消臭・滅菌はその検査方法まで含めて私には未知の世界なので、後日ユックリ取り組むことにしてアキさん、堀切さんの所に持ち込んで改めてモニターしてもらった。
「これ、いい、痛くない、安定している」
「じょく創が当たる所は切ればいい」
「何とか自分一人でも出来そうよ」
「洗うって気持ちがいいわねえ」
「オマル洗いが無くなって、最高よ」
その他色々褒められた。器用な人にキチンとたくさん作ってもらった。アキさんのお孫さんが色々な小花模様の紙で包んでくれた。これがオマル? というほど綺麗な小箱になった。これこそ文字通り優しい福祉である。
高橋先生にも持ち込んだ。
「うん、こりゃ、あって当り前のオマルだな。いいぞ、よくやったな」そしてさらに一言、「自力排便は自立の第一歩、このオマルはベッドでリハビリの出発点だ」激賞してくれた。嬉しかった。もっとも、ついでにと滅菌資料をドッサリ積まれた。完成はまだまだである。

かつて鳥取県で特養ホームを運営している篠原理事長さんに「日本の福祉はどこかに面倒見てやるという意識がある。欧米では協力するのが当然という常識が福祉である。これは幼少の頃からの体験に原因があると思う」と意見を聞かされた事がある。それで篠原さんはホームの広場と隣の小学校の校庭を直通して登下校時自由に出入り出来るようにしたら、直ぐ顔なじみになって声を掛け合っていると笑って言った。彼のかねがねの信条は「直ぐ出来ることは直ぐやる」……これはいい……以来私にもやれることがないかなと頭の隅に引っ掛けておいた。
「そうだ、この《使い捨てオマル》を小学生に作ってもらって特養ホームに配ったら……自分の家でジイちゃん・バアちゃんに使ってもらったら」……と思い付いた、これこそ手作り福祉、思いやり福祉の実践になるのではないか。
今、知り合いの皆さんから
「リュウマチで指が動かない、自力で食事が出来る回転昇降トレーを手作り出来ないか」
「ベッドで足腰背中を自分でマッサージしたいんだけど」
「温泉について入れる杖……ドウかしら」
「散歩の時、立ったまんまで犬の糞を拾って袋に入れたいんだがなあ」
等々いろいろな話が来ている。これらを工夫して作ってみて、その作り方・使い方のマニュアルを図面とともに一冊にまとめて全国の小中学校に配布したら障害高齢者が助かるし、子供達も福祉を身体で理解してくれるだろう。
それこそ[小さな福祉]だが、やり甲斐のある仕事だなと楽しみにしている。

印南 房吉プロフィール

昭和四年生まれ 機械設計・自営 神奈川県横浜市在住

受賞のことば

夢を果たす
朝、起き抜けに義足をはく。スッと入ってシッカリ立てた日は爽快であり、何か良いことの予感がする。と、本賞の一報、嬉しさが背中を走った。これで長年の夢に一歩近づけた。
様々な人との出逢いで障害は抱くもの、負うもの、共に生きるものと実感し合ってきた。ならば少しでも軽く楽にと自分で作れる介護用具を工夫してきた。いつかまとめてマニュアル化し要所に配布したい。この夢は楽しい。

選評(松原 亘子)

定年後の人生をどう充実したものにできるかと悩む人が多い中、「七十五歳はまだ若い」という印南さんのチャレンジ精神は何をおいても素晴らしいと思います。長年の機械設計と福祉機器開発の経験と技術を見事に再開花させたアイデアと旺盛な探究心、高齢者、障害者への優しい目線、そして若々しいお仲間の協力をいきいきと表現された作品は、作者が障害のある方ということを忘れさせ、読む者を元気づけ、またほのぼのとした気持ちにさせてくれます。
「立ったまま犬の糞を袋に入れられる道具」「温泉について入れる杖」の出来上がりを私も心待ちにしています。

以上