第41回NHK障害福祉賞優秀作品
「キラキラ輝く宝物」〜第2部門〜

著者:隈部浩美 (くまべひろみ) 長崎県

『障害児の親もまんざらじゃない!!』— こう思えるようになるには、十二年という月日がかかり ました。一日一日をとにかく無我夢中で過ごしてきましたが、その中でも長女が生まれてから十六年 間書き続けている家族新聞がとても役に立ったと思います。新聞を書くことによって客観的に物事が 考えられ、どんなに落ち込んでも、その新聞を読むことで生きる勇気を与えてもらいました。今日は、 この家族新聞をめくりながら、我が家の十二年間を振り返ってみたいと思います。
平成五年十二月三十日、我が家に第三子、大樹が誕生。姉や兄にかわいがられて大きくなりました。 でも、生後三か月、五か月、七か月過ぎても全く首がすわりません。手足もダラリとしています。私 の頭の中に大きな不安がよぎりました。とうとう大きな病院で診てもらうことになりましたが、原因 は不明。この子におりた診断名は「精神運動発達遅滞」でした。大樹が九か月の時です。
「とにかく訓練してみましょう」
と始めた週二回の訓練…。首のすわっていないこの子にとって、うつぶせの訓練は地獄でした。首 が上がらないのです。顔をこすりつけながら泣きわめき、涙と鼻水でグチャグチャになるその姿を見 守るしかできない私の顔も涙でグチャグチャでした。どうして私にだけこんな子が生まれたんだろ う…。答がわかるはずもありません。
一歳の誕生日。ようやく首はすわりましたが寝返りもできず、一日中寝転がり天井を見つめる毎日 でした。この頃の私は、周りの子と比較していたんでしょうね。早く筋力がついて、早くお友だちの ように歩けるようになることが、一つの目標だったんです。そのために病院でも家でも訓練ばかり…。 この子はこれでいいのだろうか…。泣き顔に問いかける毎日でした。
でもある日、私はふと思ったんです。泣いても笑っても一日は一日。どうせ過ごすのなら笑顔で過 ごさせてやりたい。私もこの子と一緒に毎日を楽しんでみたい、と。「楽しく過ごす」ことを目標に おいてみると、肩の力が抜け、人生八十年なのだから、最初の四.五年ゆっくりさせてもいいよね、 という余裕が生まれました。その日から生活が一変したのです。
この子をおんぶして散歩するのが日課になりました。童謡、流行歌、自分で作った歌…いろんな歌 を口ずさみながら歩きました。この子は歌が好きで、キャッキャッと嬉しそうに声をあげ、手足をバ タバタさせながら喜んで聞いてくれました。そうしているうち、曲に合わせて手を叩くようになり、 所々一緒に歌を歌い出すようになったんです。そして私にもこの子にも笑顔が戻りました。
自分の心に余裕が出てくると、大樹と周りの子を比較しなくなったというか、気にならなくなった というか…本当に比較しなければいけないのは、その子自身の「昨日—今日—明日」の流れの中で の変化だと気づいたのです。その子の「昨日—今日—明日」の流れの中でのちょっとした変化、普 通なら見過ごしてしまうほどの小さな発見に気づき、感動できるようになりました。それからは、こ の子ができるようになるまでは焦らずにじっと見守ることだと思うようになったんです。
二歳になり、三歳になり、まだ歩けませんでしたが、それでも家族みんなが「いつかは歩ける!い つかは手をつないで散歩しよう!」を合言葉に見守り続けました。三歳六か月になった頃、ジャング ルジムに手をかけて立っていた大樹が、ふっと近くのボールを取ろうとして一、二歩交わしたのです。 「大樹が歩いた!!」
大樹が初めて自分の力で足を交わした瞬間、みんなから大きな拍手と歓声が鳴り響きました。みん な、この日が来るのをどれだけ待ちこがれていたでしょう。私は大樹の姿がとうとうぼやけて見えな くなってしまいました。普通ならば一年でできることを、この子は三倍以上の時間をかけて、ゆっく りゆっくり成長しているのです。このゆっくりな成長は、私たちに今まであたり前としか思わずに過 ごしていた、たくさんの大切なことを気づかせてくれました。一人で歩けた、一人で靴が履けた、一 人でごはんを食べた…そんなあたり前のことが、私たちには宝物のように思えます。

そんな大樹も「就学」という壁にぶつかりました。この子の就学にあたっては本当に悩みました。 地域の中で育てたい!みんなの力を借りて伸ばしてやりたい!何よりこの子の笑顔を大事にしたい! と。けれども、私のささやかな希望を打ち砕いたのは、就学時健診の時、当時の校長先生から言われ た言葉でした。私と大樹の二人だけが教育長の部屋に呼ばれ、待っていたのは、
「こういうお子さんは、うちでは受け入れられません」
という、冷たい校長先生の言葉でした。この言葉はとてもショックでした。どうして初めからこれ もできない、あれもできないとできないことばかり言われるのかな、どうして現時点でのこの子だけ を見て言うのかな、どうして生まれてから今までのこの子のゆっくりな成長を知ろうとしないのかな、 どうして現代社会において、みんな同じようにスタートして同じようにゴールしなくてはいけないの かな…私の中にたくさんの疑問が生まれました。障害があると必ず「自立」ということを言われます。 実際、大樹の就学時も、
「何より早く自立させることが大事なんだ。自分の力で何でもやれるように、そのために養護学校 で特別な教育を受けるのが、この子のためですよ」
と言われました。障害者にとって自立って何でしょうか?自分のことを自分でできるようになるこ とが本当に大事なんでしょうか?私は誰の手も借りず、自分一人の力で何でもできるようになること が自立だとは思いません。障害者が他の人との関係をできるだけ排除して、自分の力だけでやってい こうとすればするほど、それは自立ではなく、むしろ地域の中で孤立してしまうのではないかなと思 うんです。自分でできることを増やすのはもちろん大事なんだけれども、それよりも、
「ぼくはこれができないんです。だから、ここを手伝って下さい」
という他者とのコミュニケーションをうまく持てることの方が大事なんじゃないかな。サポートし てくれる人を募り、自分ではできないことを他者の力を借りて暮らしていく。いろんな人がどんどん 出入りすることで人間関係が増え、そうやって周りの人を巻き込みながらできない部分を手助けして もらいながら、社会生活を送れるのだとしたら、そっちの方がずっと楽しい気がするし、暮らしも個 人の能力も豊かになっていくのではないでしょうか。それこそが地域の中での自立だと思うし、健常 者と障害者が共に生きていくこと—「共生」ということではないかなと思ったりもします。せっかく この町で生まれ、この町で育ったのだから、ここでじっくり根を張って育ててやりたい!というのが 私たち家族の願いでした。その後、たくさんの方々の励ましと応援に支えられて地域の学校に特殊学 級が実現したのです。
「なかよし学級」—これが大樹の通う小学校での特殊学級の呼び名です。先生一人に生徒一人。ゆっ くりゆっくり大樹のペースで進んでいます。一年生当初は、外での体育の後、外靴から上履きに履き かえるのに十分、体操服から洋服に着替えるのに丸々四十五分かかっていました。こんな時間の余裕 も「なかよし」だからできることなんですよね。このゆっくりな時間の中で、一つ一つ「生きる力」 を身につけてきたように思います。国語や算数などは、なかよし学級でこの子のペースに合ったレベ ルでゆっくりと先生から教えてもらい、交流学級では朝の会、体育、音楽、総合、給食を一緒にさせ てもらいました。お友だちの中で刺激を受けながら学ぶこと、先生と一対一で確実に力をつけていく こと、この両面での成長が私は一年一年、楽しみで仕方ありません。休み時間になると「なかよし」 の教室はいろんな学年のお友だちで大賑わいです。そうやって少しずつ少しずつ、みんなの心の中に 「大樹くんって、こんな子」という理解が深まってきたように思います。
「大樹くんの笑顔を見るのが好きだから」
と毎日なかよしさんに遊びに来てくれる子、雑巾がうまく絞れず、服をビチョビチョにした大樹の ことを、
「いたずらしたんじゃないとよ。一生懸命掃除した証拠だから、おばちゃん怒らんでね」
と私に教えてくれた子、
「今日は用事があるから、大樹くんと一緒に帰ってあげれない」
と、わざわざ私に伝えてくれる子…。みんなの理解と協力があれば、障害を持っていたっていろん な形で参加することができるんですね。本当に有難いなぁと思います。
地域の学校ではこんなにもみんなの理解が得られるのに、いざ一歩外へ出てみると厳しい現実が待っ ていました。とても普通の子のように勉強したり、運動したりできない大樹です。知らない人が見た らやっぱり「ちょっとヘンな子」なのでしょう。こんなことがありました。週一回通っているスイミ ング。その帰りのバスでのひとコマなのですが、違う小学校の子たちが、こっちを見てはコソコソ話。 ちらっと見ながら「障害児」「うん、障害児」と言い合っていました。そしてちらっと見ながらまた コソコソ話。話すたびにアハハと笑っているのです。こんな光景に慣れていないわけではありません。 まだこの子が歩けなかった頃、公園でもスーパーでも『?』というみんなの何ともいえない表情、無 言の視線に押しつぶされそうになったことも何回もあります。でも、このバスの中でのことは久々の ショックですっかり落ち込んでしまいました。そんな私の気持ちを知ってか知らずかバスを降りる頃 になって、大樹は自分をバカにしていた男の子たちに向かって、
「また来週、会えるといいね。バイバイ!」
さらりと言ってのけたのです。そして私に、
「ママ.、今日はとっても楽しかったね。また行こうね」
と。私の気持ちをすっぽり包んでくれたこの言葉は、大きな大きな風船になって無限の空へ飛び 立っていきました。
「そうだ!この子はこの子!これでいいんだ」。この事件をきっかけに、また一つ強くなった私が います。
今、学校教育ではボランティアや福祉の勉強を重視してはいますが、頭だけの理解と心からの理解 とでは、かなり差があるようです。障害のある人には優しくしましょうと教えられるけれど、そう思 うこと自体、障害者よりも健常者の方が上に立っていますよね。そうではなくて、世の中にはいろん な人がいるね、どうしたらみんなが仲良く助け合って生活することができるんだろう—このことに 気づかせてあげることが本当の意味の福祉の勉強なのではないでしょうか。だから、まさに今、大樹 の交流学級のお友だちは毎日の生活の中で、車いすやアイマスクを体験するよりも、もっと大切なこ とを学んでいるはずだと私は思っています。
ただ、ここで一つ難しい問題があります。学年が上がってくるとともに周りのお友だちと大樹との 成長の開きが大きくなっていくということです。勉強面、運動面はもちろん、精神面もそうですね。 どんどん差が出てきます。お友だちと同じようには到底できません。それでも、心や身体の成長、大 きな変化がみんなに出てくる中で、学校ではお友だちといろんな行事を一緒にしなければいけないの です。運動会、修学旅行、鍛錬遠足など、これらの行事計画を前にして、さて、この子はどんな参加 の仕方をさせたらいいのかな、この子が無理にならないように、周りの子が負担にならないようにす るにはどうしたらいいのかなと考えます。担任の先生と話し合います。ここは頑張らせよう、でもこ こは無理せずこんな形でさせようなどといろいろ検討してみます。みんなと全く同じにはできないけ れども、大樹なりの頑張り方があって、大樹なりの参加方法があります。山登りでいえば、どこから 登ったって、途中どの道を通ったっていいわけで、同じ頂上に辿り着ければいいのですから、大樹の 各行事への参加も、その方法をちょっと変えてやるだけで、「みんなとやった」という達成感を味わ うことができます。「僕はみんなの中の一人なんだ」という思いが次の行事へ向けてのパワーにもな るし、ひと回りもふた回りも大きく成長させてくれる原動力となるんです。
こんなふうに、周りの人たちに温かく支えてもらいながら、ぼちぼち歩いてきた大樹と私の小学校 生活。自宅からは国道や踏み切りがあり、まだまだ一人で帰るのは危ないので、毎日私が途中まで迎 えに行くようにしています。今日は学校でどんなことをしたのかな?給食はちゃんと食べたかな?昼 休みは何をして遊んだのかな?大樹との待ち合わせ場所でいろんなことを思い巡らせ、ワクワクしな がら待つのが私の日課です。私の姿を見つけたとたん、顔がパァッと明るくなって飛び跳ねながら向 かってくる大樹!
「ただいまぁ〜!今日も楽しかったぁ〜!!」。全身で気持ちを伝えてくれます。今日一日、学校で あったことを話しながら二人で歩く帰り道。私たち二人を風が優しく撫でていきます。とても穏やか な時間が流れ、周りの木々も自然とダンスしだすのです。
「ママ〜、木が手を振りよる〜!」
大樹に言わせると、風が吹いて木の葉が揺れると、木が手を振っているらしいのです。
「木さぁ〜ん、またね〜!バイバーイ!!」
私も大樹も木に大きく手を振りながら、さよならの挨拶をします。こうやってたくさんの木に見送 られて歩く帰り道。この子ってかわいい!と思う瞬間。毎日こんな瞬間が見られる私は幸せです。
さて先日、様々な手当や手帳を申請するため、医師の診断を受けると「IQ37 」という結果が出ま した。普通の人からすると「大変、かわいそう」と思われるでしょうが、この『IQ37 の世界』って 実はとっても素敵で優しくて、あったかい世界なんです。
検査の中で「お父さんは男です。お母さんは?」というのがありました。正しい答からすると、男 に対して「お母さんは女です」となるはずなのですが、この子の答は違いました。こう聞かれてすぐ 答えた言葉は『お母さんは大好きです』でした。私は、お母さんは女だという見かけではなく、お母 さんの本質そのものを大きな声で「大好き」と言ってくれた大樹がとても愛おしくなり、嬉しくて嬉 しくて胸がいっぱいになりました。こんな気持ちにさせてくれるこの子は、私たち家族の宝物です。 上辺だけでなく、本当に大切なものは何なのかをいつも教えてくれるからです。例えば、学校での算 数の授業のひとコマ。
—〔問題〕三匹のリスと二台の自転車、三匹のリスと二個のドーナツ。それぞれを線で結びましょう。— 人と争ったり、人をけなしたりするのが一番嫌いな大樹は、算数で一対一対応を勉強する時も一匹多 いリスの分までちゃんと線を結んでやるんだそうです。気持ちの優しい大樹は、自転車が足りなけれ ば交代で乗ればいい!ドーナツが足りなければ半分こしてやればいい!と思うのでしょう。私はこん な『IQ37 の世界』が大好きです。そして、大樹との何気ない会話の中でその世界に浸れるのが、こ の上ない楽しみでもあります。いつまでも三歳児のピュアな心を持っているので、その言葉には物事 に対する素直な心が溢れています。見るもの、聞くもの、感じるもの全てのものをいつも体全部で受 けとめているからこそ、私たちが大樹の言葉にふれる時、素敵だなぁと思うのでしょうね。
たくさんの楽しかった思い出とともに、この春、大樹は小学校を卒業しました。卒業式でみんなと 同じように歌を歌い、お別れの言葉を発表し、卒業証書をいただきました。わが布津小の六年生は大 樹を入れて全部で三十二人!一年生の時から六年間、大樹にかかわってきてくれたお友だちです。大 樹ができる所はじっと見守り、できない所はさりげなく手を貸してくれる、そんな仲間たちでした。 私は今まで一度もお友だちから「運動会で大樹くんのせいで負けた」とか「大樹くんのせいでリコー ダーの音が合わんやった」とか…不満を言われたことがありません。みんなが大樹の障害を“障害” と意識するのではなく「大樹くんってこんな子」というように、これがこの子の個性として、あたり 前のことのように自然な形で受け入れてくれていたことに感謝です。だから大樹は、みんなの中の一 人として自分らしく輝いていられたんだと思います。こうして、みんなに支えられ、見守られて、小 学校生活を無事に終わることができました。
さぁ、これからまた中学校での三年間が始まります。この仲間と一緒にあと三年間学ばせたい、そ して成人式でこの仲間と一緒に一枚の写真におさめてやりたい、いつまでもみんなの中に「大樹くんっ て、いつもニコニコしてて面白い子がおったよね」って思い出してもらいたいとの願いから、また地 域の中学校に特殊学級を作ってもらいました。またこの三年間でぼちぼち伸びてくれればいいかなと いうぐらいの尺度でこちらも構えています。「三歩進んで二歩さがる」という歌がありますが、大樹 に関していえば「三歩進んで三歩さがる。どうかしたら四歩さがる」こともしばしばです。昨日でき たことが今日はできないこともよくあることです。一度できたからといって全部理解できているわけ じゃないんですよね。できたことを何度も何度も繰り返し繰り返しながらやっと身についていくんで しょう。「三歩進んで三歩さがる」—結局は0なんだけれど、でも、三歩進んで見た違う景色を経験 したってことは、ただの0じゃありません。それは、全くその場を動かなければ知らないで終わる世 界です。少しでも違う世界を覗けたことは、大樹にとって新たなチャンス!!そこからまた新しい未来 へつながっていく可能性が広がると思うようになりました。
障害を持つわが子と歩んでいると、確かに大変なことも多いし、落ち込むことも多いです。でもそ の分、ちょっとしたことが喜びとなるんです。普通なら、つい見過ごしてしまうかもしれない些細な 発見に気づき、大喜びできる自分を嬉しく感じるし、逆にちょっとした周りの反応やちょっとしたこ とでガクーンとしょげてしまったりと、感情の起伏が激しくなります。でも、この感情の幅が広けれ ば広いほど「私の人生って面白い!!」って思えます。障害児の親もまんざらじゃないです。大樹が生 まれてから十二年間、いろんなことがあり決していいことばかりではなかったけど、それでもやっぱ り何もない平坦な道のりよりずっといい!!これからもたくさんの人との出会いを通して、私自身たく さんのことを吸収して、大きく曲がりくねった道ですけど、楽しんで進んでいきたいと思います。 この頃、以前考えていた大きな問題の答が少しわかってきたような気がします。—どうして私にだ けこんな子が生まれたんだろう—私たち夫婦は、神様から「私のかわりにこの子を育ててごらん」と 授けていただいたような気がしてなりません。だから、神様からお預かりしたこの子の人生が楽しく キラキラ輝いていられるように、そしてまた、この子が天に召された時に神様に向かって、
「僕の人生、楽しかったよ」
と大きな声で報告ができるように、大切に育てていかなければなと思っています。

隈部浩美プロフィール

昭和三十八年生まれ 主婦 長崎県南島原市在住

受賞のことば(隈部浩美)

今まで無我夢中でやってきた自分の子育てを認めてもらえたような、大きなごほうび をもらった気分です。我が家には三人の子どもがいますが、その中の一人にたまたま障 害があったというだけで、それが特別なものとはとらえていません。我が子に精一杯目 をかけ、手をかけ、声をかけ…その子育てに違いはないのです。ありふれた日常にこそ、 大切な宝物がたくさん転がっているんだということ!それに気づけたことに感謝です。

選評(柳田 邦男)

子どもは勉強をしていっぱい知識を身につけて、大人になっていくのだけれど、うっ かりすると、知識の量と反比例して大切な感性を失ってしまう。大人になるとは、みず みずしい感性を失うことなのかと思ったりする。
大樹君が医師の診断で、「お父さんは男です。お母さんは?」と質問されると、「お母 さんは大好きです」と答えたという。知識が優位の子なら「お母さんは女です」と答え るだろうが、大樹君は概念でなく自分にとって大切なお母さんの本質を答えたのだ。そ んな大樹君のすばらしい感性を、しっかりと受けとめてこのレポートの文章にまとめ、 「『IQ37 の世界』って実はとっても素敵で優しくて、あったかい」と言い切るお母さん の感性もまたすばらしいと思いました。

以上