NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『「はじめて」をありがとう』

〜受賞のその後〜

杉田 知代子 すぎた ちよこさん

1964年生まれ、会社員、静岡県在住
LD、脳性まひ
41歳の時に第40回(2005年)最優秀受賞

杉田 知代子さんのその後のあゆみ

『「はじめて」をありがとう』

たくさんの「はじめて」をくれた人との出会い

玉ねぎやトウモロコシを撮った写真 杉田さんが作った写真集「JOY」の表紙

頭がチーズの私に、車いすの私に、文句ひとつ言わず、雨の日も、風の日も、病院の検査の日も、救急車にも、大変な瞬間を、じっと横で過ごしてくれた人がいます。私のホームページの掲示板でパソコンを教えてくれたのがきっかけで出会いました。苦手な花火も、その人が隣にいると平気で、大晦日はカウントダウンに行きました。
 それからは、はじめての湖。はじめての飛行機。うかぶ雲。はじめての夜景。はじめての観覧車。はじめての水族館。ときどき、畑でとれたからと、いろんなものを持ってきてくれました。ぶどうも、いちじくも、とうもろこしも、うれしい気持ちを、カメラで写しました。重いカメラは右手の力がないので持てなくて、ふつうのデジカメです。はがきサイズが精一杯です。最初は遠くの景色だったのが、いっしょに食べる年越しそばや、いっしょに食べるホットドックにかわっても、写真は増えて行きました。
 写真展を開きました。展示のやり方がわからなかったので、「壁にはどうやって写真をかざりますか?」とか、「車いすなので、自分で荷物を運べません」とギャラリーの人にいうと、こちらでやりますよと、言ってくれました。数字を見ても長さがわからない頭なので、教えてもらった壁の長さをイメージするため、障子紙を買ってきて、家の中で広げたりしました。写真のレイアウトを画用紙に絵で書き、ギャラリーの人に伝えました。写真のサイズが小さくて困って、詩をくみあわせて、クリップでとめました。何度か写真展をやったあと、はがきサイズの本にもなりました。本屋さんで売らなかったのと、どこにも宣伝をしなかったので、家にもまだいっぱいあります。新しいカメラを買った時、写真集をつくれるクーポンがついていました。それなら、2冊目をつくろうと、詩と写真の本を作りました。ほしい人は誰でもインターネットで注文でき、印刷が始まります。便利になりました。

みんなができることをして暮らせる場所を作りたい

会社の仕事はだんだん変わり、英語はあまり使わなくなりました。体もつらくなってきたので、次の生活を考え始めました。車いすになりたての頃、車いす登山と施設見学の旅でフランスに行きました。そこで出会った、自分たちで稼いだお金でアパートで暮らしている障害者の姿が忘れられなく、できる人ができることをして暮らせる場所をつくりたいと思いました。
 教会の友達に言ったら「まず、事務所だよね」と言ったので、事務所って何かなと、一晩中検索して調べ、会社をつくる方法をみつけました。名前は「くつろぐ」。本に、最初にやることを書いておくのがいいとあったので、思いつく限りを書類に書きました。体が動かなくて助けがいる人と、体が元気でも一人暮らしは苦手な人が、いっしょに住めたらと思いました。別の部屋には、泊まるところがない人がゆっくり休めたらと思いました。名前は「くつろぐハウス」。ほかにも、「くつろぐカフェ」や、私のような頭のつくりの子どもたちの塾。カフェのお菓子もつくりたい人が焼き、手作りの小物をかざって、ほしい人は買えるようにすれば素敵だと思いました。通販用の「くつろぐカタログ」や、車いすの人もそのまま入れる土間もあったらいい。
 書類はととのって、イベントも企画して、写真集も売れました。このまま、こんな生活もいいなぁと心がゆれました。けれど、簡単に会社をやめられませんでした。幼稚園から目指した私の人生そのものだからです。体力がないので、片方しかできず、「くつろぐ」の活動はお休み中です。

私のもうひとつの仕事 「はじめて」を続けていくこと

仕事場では、建物が変わりました。「頭がチーズだったから」の番組(2005年放送「福祉ネットワーク」)でテレビカメラが写した風景は、なくなってしまいました。新しい建物はコンクリートに白い壁で蛍光灯がいっぱい。蛍光灯が苦手な私は、倒れるようになりました。仕事はあるので、光をさえぎる方法をと、オフィス用品のカタログを見ても、数字からその大きさを想像できないので、よくわかりませんでした。私は思い切って「段ボールで囲ってください」と言いました。試しにと、机をすっぽり、囲ってくれました。屋根もつきました。窓も作ってくれたのですが、そこからの光がまぶしくて、いやだと言ったら、閉じてくれました。「こんなに暗くて大丈夫かい?」と、いじめているみたいじゃないか?と心配されながらも、すっかり落ち着いて仕事ができるようになりました。会社始まって以来のことで、えらい人も見に来たようでした。段ボールハウスは、だんだん改良されて、屋根に風通しの切り込みもできました。カッターで切るので、無料です。こうして「はじめて」を続けていくことが、私に与えられた、もうひとつの仕事だと思うようになりました。ますます、もう一度フランスに行って、障害のある人たちに直接話を聞いてみたいと思いました。
 そして、一年ぐらい前に、通信教育のフランス語講座の先生を紹介してもらいました。プリントをやったら返送します。日本語はなかなか入らないチーズ頭ですが、英語は一度で入ります。フランス語もすぐに頭に入りました。でも、日本語に訳すとなると、できません。しかたないので、「日本語がわかりませんでした」と連絡帳に書いて出しました。すると、「もしや、あの、杉田さんですか?」と添削の先生から返ってきました。「頭がチーズだったから」の放送を見ていてくださったのです。それからは、和訳のかわりに、英語でもフランス語でもいいことにしてくれました。フランス語と英語のまざった私のプリントを、丁寧に添削してくださいます。
 段ボールハウスの中で、仕事に集中できるようになると元気になり、仕事の量は増えていきました。でも、ふつうの人のように長く生きないかもしれないので、動けなくなった時の準備をしたいと思いました。ところが、福祉サービスのなかでは働くことが目標となっているので、私のような相談は簡単にはいきませんでした。働き続けるために助けてほしいのですが、「働いていてお金もあるのに、何が困っているのですか?」と見学に行った施設で聞かれ、相談する施設も夕方で終わってしまいます。相談に行く時間がつくれませんでした。2年がかりで、福祉サービス利用のための時間を会社で認めてもらいました。

筆で書かれた2016年年賀状の写真

今は、仕事に行きながら、週に1回、送迎のバスで機能訓練施設に通っています。機能訓練施設に通うのは、送迎バスに乗ることさえ楽しいです。ふつうのバスは「本当に乗るの?」と運転手さんに言われたり、運転手さんがバスからやっと降りてきたのにリフトが壊れていたりしていて、勇気と元気がないと乗れないからです。施設では、体を動かして汗をかいたり、凧をあげたり、墨で絵をかいたり、はじめてがいっぱいです。

夢はひろがる

ニューヨークで展示された作品

たくさんの場所に連れて行ってくれた人とは、お互い生活が変わり、あんまり会えなくなりました。短いメールで気持ちが通じ合うと、いろんなことを思い出します。ふたりで富士山に行った時は芝桜が満開でした。その満開の芝桜と、思い出の場所の写真を組み合わせ、「大丈夫、君は素敵!」と英語で入れた作品をコンクールに出したら、ニューヨークのギャラリーに飾ってもらえました。うれしかったです。
 ここで作文を終わろうとしている時、教会で、「もしも宝くじが当たったら、お弁当屋さんを開き、雑貨もおいて売りたい」と、調理師免許を取った友達が言いました。夢は広がっていきます。「そのとなりに、くつろぐハウスを作るよ!」と私は言いました。宝くじが当たらなくても、なんだかできそうです。いっしょに語る夢はかなうからです!

福祉賞50年委員からのメッセージ

杉田さんの最優秀作品は衝撃的でした。まずタイトル=「頭がチーズだったから」。
そして抜群の表現力。「ぜひ映像でも作品の背景にある杉田さんの日常を見てみたい」。何人もの選考委員が言っていたことを思い出します。
それから10年。いろいろな体験をされたんですね。英語をいかしての仕事。仕事場での工夫。海外含めた旅や「起業」の模索。写真展や出版。よい人たちと出会い、「ひろがる夢」に乾杯!

薗部 英夫(全国障害者問題研究会事務局長)

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