NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『チャレンジは果てしなく』

〜受賞のその後〜

柳岡 克子 やなおか よしこさん

1964年生まれ、講演講師、和歌山県在住
肢体不自由(四肢関節拘縮症)
34歳の時に第33回(1999年)優秀受賞

柳岡 克子さんのその後のあゆみ

『チャレンジは果てしなく』

テレビ出演を機に講演活動を開始

セミナー壇上にいる柳岡さんの写真

16年前、優秀賞をいただいた時は私は34歳で、障害者卓球でアメリカUSオープンの試合に行った後でした。生まれつき手足に障害を持ちながらも母の送り迎えで健常児と一緒に小中高校を卒業し、神戸学院大学の薬学部に進学し薬剤師になったことや、障害者卓球と出会い全国大会に出場した話を書きました。その後すぐにNHK教育テレビ「きらっといきる」の第15回にゲスト出演させてもらいました。
 その後テレビを見たという方から講演の依頼をたくさん受けるようになりました。そこで和歌山県人権啓発センターの登録講師となり、「車いすの元気配達人」として「生きている喜び」と題して、生い立ちを振り返りながら命の尊さを語る講演を全国でしています。ホームページを立ち上げたり、プロダクションにタレント登録しましたので、障害者や人権団体だけでなく全く知らないところからの依頼もあります。

子供たちにマジックハンドを見せながら講演する柳岡さん 男子生徒たちのテーブルで作業する様子を見守る柳岡さん

講演先の学校は、全校生徒が12人の小学校から中高一貫2000人の大規模校までいろいろです。感想文には「楽しくて笑いっぱなしでした」「今まで障害者の講演というと泣けてくる話だと思っていましたが全然違いました」「障害者はかわいそうだと思っていましたが、こんなにがんばっている人がいるのなら、僕は不自由な体ではないのでもっとがんばれると思いました」とありました。しかもしっかりした文章で私の一言一言を聞きもらすことなくぎっしり文字で埋められていて、最後に、実物よりかわいい私の似顔絵をカラフルに描いてくれていて「がんばってください」の言葉が添えられていてとてもうれしかったです。
 大人の集まりでは「毎日ごく当たり前のように思っていた事が実はとても幸せなことだと感じました」「生きるすばらしさを感じました」「自分に置き換えて考えさせられることばかりで聴かせていただいてよかったです」とのコメントをいただきました。「柳岡さんは障害を感じさせないパワーをもっていて元気をもらった」と言ってくれます。
 講演のなかでは、DVDを上映したり、車いす生活で必要なグッズを実際に手にとって見てもらっています。靴下をはいたりするのに使うマジックハンドを見せて「何か質問ありませんか?」と聞くと、大人の方は「それどこで買いましたか?」とか「それおいくらですか?」と聞かれます。でも子どもたちは「それを落としたらどうやって拾うのですか?」と聞いてきます。純粋な子どもの心に触れて大笑いとなります。また、2人組でワークショップをする体験を取り入れています。お互いに相手の良いところを見つけることを体験し、それを大切にして生活の中で実践してもらいます。皆に元気になってもらいたいと思いながら開くワークショップは、輝く瞳に見つめられ、とてもやりがいのある仕事で私の生きがいにもなっています。

難病となり、食べられる喜びに命の尊さを感じる

卓球をする柳岡さんの写真

私は卓球でパラリンピックをめざすという夢を持っていましたが、もう少しの時に、トイレで下血し意識不明で倒れました。たまたま昼間で家族がいたため発見が早く、命を取り止めることができました。潰瘍性大腸炎という難病でした。入院するたびに点滴生活になり、何も食べられなくなりました。半年に1回ぐらいの割合で下血し、出血多量で倒れます。つらい腸の検査も何度も受けなければいけません。安静と絶食が必要で、選手を引退しました。度重なる下血で入退院の繰り返しで、勤めていたドラッグストアを退職せざるを得ませんでした。
 そんな入院中も、明るく前向きな私は「せっかく与えられた時間だから」と病院のベッドで資格試験の勉強を始めました。10年ぐらいの入退院が続き、その間に介護支援専門員と福祉住環境コーディネーターと宅地建物取引主任者と行政書士とファイナンシャルプランナーと年金アドバイザーに合格しました。入院中は講演でいただいた感想文を読みながら、私の方が励まされていました。
 ある日、大きな節目を迎えました。出血がひどく輸血をしても追いつかないぐらいで、ドクターヘリで大きな病院へ運ばれました。そこで緊急手術が行われ、命を助けるために大腸を全部摘出することになったのです。人工肛門を取り付けることに慣れるまで時間がかかりました。ところが、大腸がなくなったことで食事制限がなくなりました。大好きだった天ぷらもトンカツも焼き肉も、食べられるようになったのです。生活は以前に増して良くなり、出血の心配もなくなりました。もう入院も大腸の検査も受けなくていいのです。今では大腸がんにならないと喜んでいます。

チャレンジは果てしなく

退院後もいろいろな資格にチャレンジしました。キャリアアドバイザー(CDA)の通学コースを受講するために5時の始発で車いすで大阪まで通い、キャリアカウンセラーになりました。薬剤師としてはスポーツファーマシストの資格を取り、卓球種目のドーピング防止の講師をしています。
 講演活動をしているうちに地域で御坊市身体障害者福祉協会の役員に任命され、その後会長を10年間務めさせていただきました。そこで障害者の避難訓練や、NHKで放送されていた番組「きらっといきる」に出演されていた牧口一二さんやジェフ・バーグランドさんを講師に講演会を企画しました。また、障害があっても外国に行けるという私の優秀賞の作品が県の担当者の眼にとまり、和歌山県の海外派遣事業「女性のつばさ」の一員に選ばれ、カナダやフロリダにも行きました。そして、御坊市の女性リーダーとして男女共同参画推進グループ「ウイズ・ア・スマイル」の会長を11年務め、男の介護教室や男の料理教室、女性の目線で考える避難訓練などを実施しました。また、私ももらったことのある和歌山県スポーツ賞の選考委員や、御坊市の社会福祉協議会の理事、和歌山県身体障害者連盟の評議員をしたり、社会福祉法人太陽福祉会の第三者委員や評議員もしています。
 和歌山県身体障害者更生相談員もしていましたが、福祉制度について深く勉強したことがなく、基礎から福祉のことをしっかり勉強したいと思いました。そこで専門学校で社会福祉士科の通信クラスに入学し、2年間にわたり10日間のスクーリングにも出席しました。福祉系の大学を卒業しているわけではないので実務経験がなく、近くの特別養護老人ホームで実習させてもらい、専門学校を修了し、社会福祉士の国家試験に合格しました。
 障害福祉賞の優秀賞の作品にも書いた、アメリカでの卓球の試合の事を知事の前で発表したことで、和歌山県がグロ—バルな人材を育成したいという趣旨で募集する「わかやま塾」の1期生になりました。昨年、この修了生たちで勉強と交流を目的とした「わかやま塾ネクスト」を立ち上げて世話役をしています。また御坊商工会議所青年部にも入り、B級グルメとして「花まる焼き」の開発にも関わりました。
 私は、以前ドラッグストアに勤めていた頃、夜は学習塾を経営していました。非行や不登校の生徒も受け入れ、「相手の立場に立って考えられる大人になるように」をモットーに30年間続けてきました。今は講演活動が忙しいですが、今でも教え子たちが、結婚したり、子どもが生まれた時に挨拶に来てくれます。

柳岡さんのイメージキャラクター「よしこちゃん」のイラスト
イメージキャラクター「よしこちゃん」

今は、社会福祉士とキャリアカウンセラーとして理科教諭の免許を活かしながら、和歌山県にある通信制の慶風高校の非常勤講師をしています。子どもの頃からの教師という夢がやっと実りました。私と同じように身体に障害がある生徒や引きこもりの生徒に、「こんな身体でもがんばればできる」と私の体験を伝えて勇気づけています。塾での経験が活かせるだけでなく、就職のためのアドバイスや薬の相談など、今まで私が経験してきたすべてのノウハウを活かせるステージが天から与えられたと感じています。生徒からは「先生は身体が不自由なのにどうしてそんなに明るいのか?」と聞かれます。「泣いても解決しないから楽しく生きなきゃ損よ。みんな生まれたからには神様から与えられた役目があるから、社会のために活躍できるように頑張りましょう」と笑って答えています。私のような障害を持つ女性でも活躍できる社会が多くの方々の希望になるのであれば、これからも頑張りたいと思います。

福祉賞50年委員からのメッセージ

柳岡さんのエネルギーの源はなんだろう。34歳での優秀受賞は「生きている喜び パラリンピックをめざして」。当時の選考委員の故江草安彦さんは「明るい性格、前向きな姿勢によって乗り越えられた様子は、人々に勇気を与える」と評されていた。しかし、卓球でのパラリンピックの夢は、もう少しというときに難病を発症。10年ほどの入退院のなかでもさまざまな資格試験にチャレンジし合格する。退院後も障害者団体の役員はじめ猛烈な日々。
いま念願の通信制高校の教師をされている。「泣いても解決しないから楽しく生きなきゃ損よ」。すごい先生の生き方を学べる生徒たちはしあわせです。

薗部 英夫(全国障害者問題研究会事務局長)

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