NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『いま、ここから』

〜受賞のその後〜

西岡 奈緒子 にしおか なおこさん

1980年生まれ、会社員、神奈川県在住
筋ジストロフィー(肢帯型)
27歳の時に第43回(2008年)最優秀受賞

西岡 奈緒子さんのその後のあゆみ

『いま、ここから』

1. 障害福祉賞をきっかけにした出逢い

会社に入社してから12年が経ち、干支がひとまわりした。今は、家電のアフターサービスの部署で、コスト管理の業務を担当している。

病気が進行性のため、進行する度にできないことが増えていき、いつまで働けるかという不安とともに過ごしている。限界の壁を感じながら突破口がほしくて迷っていた時期に、テレビで「NHK障害福祉賞」の存在を知って、それまでの半生についてまとめてみた。できるだけ客観的に、仕事のことを中心に、作文を書いた。応募したのは2008年7月末のことだ。

プライベートではその年の10月に入籍した。ちょうどこの時期に、「NHK障害福祉賞の最優秀賞受賞」の連絡を受けた。授賞式の連絡をもらうと同時に、NHKの番組取材の可能性があるとの話をいただき、番組(ハートをつなごう)のディレクターと打ち合わせをした。取材が決定して、会社にもカメラが入って上司も出演した。社内での撮影のために総務の協力を得て、総務課長と話す機会があった。それまで知らなかった総務課長の一面を知り、距離が縮まった。番組では10年ぶりに母校を訪ね、恩師と中高時代を振り返った話をすることができた。放送は祝日だったこともあり、たくさんの人にみてもらえた。病気とともに生きる自分のことを知ってもらう、とてもよい機会だった。

野上さん(左)と西岡さん(右)の写真

番組を収録したスタジオで、野上 奈津さん(彼女も筋ジストロフィー患者である)と出逢った。女性の筋ジストロフィー患者と会って話をするのは初めてだった。連絡先の交換をしてメールでのお喋りを重ね、意気投合した私たちは、2009年に「com-pass 女性筋疾患患者の会」を立ち上げた。現在会員数は170人に及ぶ。日本各地の会員さんと会ったり、医師の協力を得て講演会・懇親会をしたりするなど、活動の輪が広がっている。障害福祉賞をきっかけに、私はたくさんの人とつながることができ、大きな力をもらっている。

2. 職場でのできごと

番組の放送後に総務から、会社内で車椅子ユーザーが生活しやすいようにするための提案がされた。駐車場から会社の入り口につながるスロープを緩やかにする工事や、食堂の使い勝手をよくする工事が行われた。「私のため」というよりも、「車椅子ユーザーが生活しやすいようにするため」ということで、幅広く検討されたことが嬉しかった。

2009年秋頃、私はオフィスの椅子から立ち上がるのが難しくなってきた。当時は車椅子から事務椅子に移って仕事をしていた。立ち上がるのを簡単にするための方法がないか検討した結果、自分で用意した電動昇降式(電動で高さが変わる)の椅子を会社で使うことにした。福祉用具の販売店にも協力してもらい、会社で電動昇降式の椅子が使えるようになった。立ち上がる時には高さを高くすることができるため、足への負担が少ない。また、立つ時には手にも力がかかっていたが、この負担も減らすことができた。

徐々に病気が進行し、トイレからの立ち上がりが大変になってきた時も、働き続けるのが無理かと思ったが、まずは相談してみることにした。どこまでサポートをしてもらってよいのかと迷いながら、電動昇降式の便座を取り付けることができないか、尋ねた。検討が重ねられ、工事が実現されることになった。環境が改善されて、不安がひとつ解消された。さらに身体の負担を減らすため、電動昇降式で、座面を傾けて座る時の負担を減らすこともできる電動車椅子を使い始めることにした。導入前には実際に職場で試すなど、多くの人の協力を得た。会社の設備を整備する際には、「独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構」の存在も心強かった。

職場では至るところで車椅子ユーザーへの配慮がされている。自動販売機は、上の方の飲み物を選択するボタンが車椅子ユーザーでも押しやすい高さについたものが配置されている。また、私が使うコピー機は車椅子に対応していて、座ったままでもコピーがしやすい。導入してくれた総務に感謝するとともに、車椅子ユーザーのために、こうした機器を開発している企業にも感謝したい。

ひとつひとつの問題に対して、たくさんの支援を得ながら私は仕事を続けてきた。

3. 誰かの役に立てれば・・・

障害福祉賞の作文を応募したころは、自分と同じように進行性の病気で働いている人を知らなかった。しかし、障害福祉賞がきっかけで立ち上がった「com-pass 女性筋疾患患者の会」を通じて、たくさんの同士に出逢うことができた。

会には様々な年代、立場の人がいるが、「孤独だったけれど仲間に出逢えてよかった」、「会を立ち上げてくれて、ありがとう」、「com-passの存在が心強い」といった声を受け取り、私自身が力をもらっている。私が感じていた孤独・不安・ロールモデルがいないことでの葛藤は、仲間の存在を通じて少しずつやわらいでいる。他の誰かにとっても、「com-pass 女性筋疾患患者の会」の存在が役に立っているのであれば嬉しい。

com-pass 女性筋疾患患者の会ホームページの画像

「com-pass 女性筋疾患患者の会」では、情報交換を行い、お互いに相談することで困難なことに立ち向かう力を得ている。会を通じて私は相談を受ける機会が増え、専門的な相談の技術や知識を学びたいと考えるようになった。そこで、2012年から通信制の大学にて、社会福祉の勉強を始めた。働きながら学生として学ぶには時間の制約もあったが、素晴らしい恩師や学友に出逢うことができ、学びの日々は楽しく充実していた。2015年3月には大学を卒業するとともに、社会福祉士の資格取得に至った。学んだことを会の活動や仕事、これからの人生に活かしていきたいと考えている。

福祉というと障害や高齢など、特殊な立場の人を思い浮かべがちだ。しかし広い意味で福祉とは、「社会の全ての人が幸福で安定した生活を営むこと」であると学んだ。社会の至るところで、福祉の実現ができるように実践されていくように、私も自分にできることをしたい。

4. 未来への期待

受賞から7年の間に、様々な変化があった。入社した頃お世話になった上司は、定年を迎えた。リーマンショックや東日本大震災など、心中穏やかでないできごとが続き、残念ながら職場を去る人たちを見送ることもあった。でも、会社という枠を越えてつながっている人たちも多く、一期一会を大切にしたいという気持ちが日々増していくのを感じる。

私が書いた障害福祉賞の作文には、「何のために生きているのか」という疑問が幾度も登場する。最近は、生きているだけで、その人それぞれの価値があるのではないかと考えている。無理して答えを見つけなくてもよいのではないか、とも。

野上さんと私という、たった二人の出逢いが、「com-pass 女性筋疾患患者の会」という広がりを見せたように、人と関わることで、新しいきっかけを生み出すことができるのだと思う。ひとつひとつの出逢いを大切にしたい。これから何が起こるか楽しみだ。

西岡さんとリハビリに使っているロボットスーツの写真
西岡さんがリハビリに使っているロボットスーツ

ここ数年の間には、ロボット技術が急速に発展している。リハビリテーションにも、ロボット機器が使われ始めている。ロボット技術を活用した医療機器やiPS細胞による治療など、今後の医療の進展にも期待したい。

時には先が見えず、凹むこともある。「がんばりすぎて伸びきってしまうよりも、次に飛躍する時に備えて、じっと耐える時も必要」と、教えてくれた人がいた。大変なこともあるけれど、それもまた自分のこれからの活動の源になると信じることにしよう。

未来に向けて、いま、ここから、私ができることを実践していきたい。

福祉賞50年委員からのメッセージ

西岡さんは、私と同じ筋ジストロフィーで何度か交流させてもらっている。今回、後日談を読ませていただいて、「継続は力だ」ということを改めて感じた。周りの理解や得て、環境を変えていくことは、同じ職場で働き続け我慢強くコミュニケーションをとり続けることによりできることを示している。最優秀賞をとられて注目されることにより、自分だけではなく社会性のある活動に目覚めていったのではないか。まだまだ今後の活躍が注目されます。

貝谷 嘉洋(NPO法人日本バリアフリー協会代表理事)

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