NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『認知行動療法との出会い』

〜受賞のその後〜

木村 健太郎 きむら けんたろうさん

1976年生まれ、会社員、神奈川県在住
うつ病・睡眠障害
36歳の時に第47回(2012年)佳作受賞

木村 健太郎さんのその後のあゆみ

『認知行動療法との出会い』

【はじめに】

私がNHK障害福祉賞に入選したのは2012年のことだった。応募のきっかけはそれまでの自分の歩んだ道を形にしよう、と思ったことである。それから環境は大きく変わった。そして私自身も大きく変わりつつある。NHK障害福祉賞50周年にあたり、その後の歩みをここに書き加えたいと思う。

【突然の出演依頼】

入選して暫くしたころ、私の勤める会社にNHK厚生文化事業団から連絡が入ってきた。内容は「うつ病の教材用DVD作成にあたり、出演者を探している」というものであった。

ディレクターの方と上司と打ち合わせをしたところ、私が出演者として適任ではないか、とのことになり、戸惑いつつも出演をOKした。後で知ったことだが、当時のNHK厚生文化事業団でディレクターをしていた方の目に、私の応募作品が目に留まったらしい。
その頃はまさか後の自分に大きな変化をもたらすことになるとは思いもしなかった。

さて、撮影が始まった。内容は私に関するありとあらゆることである。発病前後からうつと向きあえなかった日々、再発に至るきっかけから退職、そこからの再復帰、再就職。私が語るだけでなく、両親や妻、友人にもインタビューがあり、正直なところプレッシャーにもなった。

「果たして私がこのような教材に出演しても良いのか…」

しかし、その時のディレクターの方はこう言って下さった。

「そのままでいいです。そのままでないと伝わるものも伝わりませんから」

これで私は楽になり、意識してカメラに向かっていた自分から自然体になれたと思う。

そして撮影も終盤に差し掛かったころ、ディレクターの方から提案があった。

「木村さん、認知行動療法を受けてみませんか?」

【認知行動療法との出会い】

認知行動療法という言葉を初めて聞いたわけではなかった。私の勤める会社(特例子会社)では、親会社でメンタル不調から休職した社員を相手に復職を支援するリワークプログラムを行っており、すでに認知行動療法を取り入れていたからだ。しかし私自身は認知行動療法に納得しきれていないところがあった。というのも、私は当時のリワークプログラムではスタッフとしての参加経験しかなく、自分を題材として認知行動療法を行ったことがなかったからだ。そのため、頭では分かっているが腑に落ちていないところがあった。

ディレクターの方が言うには、面接をして下さる先生は日本における認知行動療法の第一人者であるという。渡りに船とばかりに、面接をして下さることをこちらからお願いした。

2013年が明けてすぐ、その面接は行われた。何でもいいから、悩みがあれば言ってください、とその先生は優しく口を開いた。

当時私はうつ病の当事者として、時々ではあるが人前で体験談を語ることがあった。その時にどうしても緊張してしまう。話し出せば何とか最後までたどり着くことができるのだが、待ち時間がいけない。人の目が気になり、緊張が高まる。すると「首の置き所」がわからなくなってしまうのだ。結果として首ががくがくと震え、緊張してしまったことに対して失敗した、という思いしか残らなくなっていた。

認知行動療法の先生と面接する木村さんの写真

そのことを語る私に先生は優しく問う。

「具体的にどのような状況だったのですか?」
 「その時考えることはどういうことですか?」
 「何かご自身で工夫はされていなかったのですか?」

先生はただ、根気強く、私に尋ねるだけだ。そして私はそれに答えていく。すると、驚いたことに、ではどうすれば良いのか、という長年の私の問いに対して、私自身がその答えとなるヒントを語っていたのだ。これには衝撃を受けた。今までの自分自身の考え方、物の見方が少し偏っていただけだったのだ。そしてそのために、ただそこにある緊張に、自分で膨らませてしまった緊張を上乗せしていただけだったのだ。はっ、と思うことがあった。

人前で話す内容については特に自信がなかったわけではない。毎回緊張するため、準備は怠りなくやってきた。問題はその状況に置かれた時の自分の思考パターンにあったのだと。つまりその思考パターンから脱しない限り、いくら準備を万端にしようと緊張イコール失敗という負のスパイラルから逃れることはできないのだと。

そして先生自身の体験も語ってもらった。

「同じ状況は私もよく体験しますが緊張はしますよ」

なるほど、この緊張は私だけのものではなかったのだ。同じ状況下にあっては少なからず誰しもが緊張するものなのだ、という事実が分かってきた。しかし私の場合、過去の経験から緊張した時に失敗してしまったというトラウマがあり、それにとらわれすぎてしまっていたのだ。今後も緊張したからといってそれが失敗につながるとは限らない。このことに気付けたことはとても大きなことだった。

緊張は緊張。首の震えはそこからくるただの身体的反応だ。身体的反応は考え方次第で軽減できるのではないか、そう感じた。そしてこのことは後に実際に役立つことになる。

【フォーラムへの出演】

そしてDVDは完成した。それを見ることは自分では気恥ずかしいものではあったが、同じうつ病で苦しむ方のために参考になるならば、それは嬉しいことだ。実際に何名かの知り合いが見てくれたが、概ね反応は良かった。

そしてその後、うつ病をテーマとしたフォーラムを開催したいという知らせが入ってきた。出演して欲しいという。この時も私は悩んだ。

私という人間はうつ病を持つ人々の中のたった一人でしかない。そんな一人の体験談がフォーラムという場で受け入れてもらえるものだろうか ──── しかしこの時は自分の考え方のクセがわかってきていたため、長く悩むことはなかった。

フォーラム風景

誰しもが唯一無二の人間であり、私には私の人生がある。そしてそれは誰とも同じとは言えない。しかし、私の経験に共感してくれる人はいるはずだ。病気や疾患という言葉を使うとどうしても一括りにされてしまいかねない。だが、その疾患の中にいても症状や苦しみは人それぞれだ。だからこそ私の話から新しい発見をしてくれる人もいるかも知れない。そう考えたらすっと気が楽になった。

そして迎えたフォーラム。数百人というお客さんが入った中、緊張を上手く逃がそうと臨んだ。しかしなかなかうまくはいかない。それもそのはずで、それまで30年以上にわたる人生で形成された自分の考え方のクセがそう簡単に修正できるわけはない。しかしこの時、私には心強い支えとなる人々がいた。司会を務めるキャスターの方、認知行動療法の面接を行ってくれた先生、また、DVDで紹介されていた病院でリワークを担当されている精神保健福祉士の方。一方的に話すのではなく、彼らと会話のキャッチボールを交わしながらフォーラムは進んでいく。気がついたら、緊張は消え、首の震えもなくなり、自分の体験を話すことに喜びを見出しさえいる自分がいた。

【終わりに】

今まで人前で話すことをずっと苦痛に感じていた。しかし数十分の認知行動療法の面接を受けたことで、全く違う感情を抱けるようになった。私は認知行動療法によって、このことを、身を持って感じることができた。

  講師として登壇している木村さんの写真

人はひとりでは思い悩むことがある。私の具合が悪くなりそうになるのは、たいてい自分の殻に籠って考え方が負のスパイラルに陥るときだ。それを防ぐために、1人で物事を抱え込まずに人と話すように努めている。人と話し、気持ちを通じ合わせることで悩みを解消できることがある。

私は現在も自分が職業訓練をした企業で講師として働いている。私と同じ障害をもつ受講生には、意識的に声をかけたり話を聞いたりするようにしている。互いのコミュニケーションスキルを高めあい、一緒に成長しあえればと思っている。

福祉賞50年委員からのメッセージ

2012年受賞の「気付きと学び」には、絶望の淵から這い上がり、心の平穏を取り戻して自立するまでのいきさつが綴られていました。同じ苦しみの途上にいる人に、職業訓練としてパソコンスキルを教える仕事をされていますが、実は、コミニュケーションスキルの向上が、生きていく上では、さらに重要だと気づいて指導に取り入れておられます。新たに試した「認知行動療法」では、「うつだから人前で緊張する」と言う弱点を克服したそうですが、人前で緊張することはうつの人のみならず、誰も同じ。ぜひ私も受けてみたい。ここでも「コミュニケーション」が解決のヒントになっています。

鈴木 ひとみ(ユニバーサルデザイン啓発講師)

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