考えて工夫することで、仕事はとっても楽しくなります
「働いて社会の役に立ちたい。そして自立した生活を送りたい」。誰もが願うことではないでしょうか。そんな願いに応えるべく、いま、障害のある生徒が通う特別支援学校で、一般企業への就労を目的とした取り組みが始まっています。東京都足立区にある都立足立特別支援学校では、「食品製造」や「物流」の企業で働く人材を育てるビジネスコースを設けて、就労に向けた教育を展開しています。授業の様子をのぞいてみました。
会社で働くように緊張感を持って取り組む学習
記者が取材したのは、荷物の運搬や管理などを主な仕事とする「物流」を選択している2年生の班です。この日は、荷物運搬を習う作業学習と呼ばれる授業の日でした。教えるのは、松本 守弘主任教諭と岸田 大輔主任教諭です。ビジネスコースで物流の作業学習全般の授業を担っています。この作業学習は、ビジネスコースの2年生では、毎週火曜日と木曜日を丸1日使って行われています。
この日の内容は、廊下に積まれた段ボール箱を運び、パレットと呼ばれる輸送や物流現場で使われる台に移し替え、箱が積まれたパレットをハンドリフトと呼ばれる手動式の移動器具で動かすというもの。8人の男子生徒が取り組んでいました。
まず、生徒たちはダンボール箱を運ぶため台車に箱を載せ始めました。全員しゃがんで膝をついて箱を持ち上げています。
松本主任教諭が「腰を痛めないで荷物を持ち上げるための基本姿勢なんです。物流の仕事の基本ですから、生徒たちにはまず初めに覚えてもらうんです」と教えてくれました。
台車に積み終えると、生徒たちは小走りに台車を押して玄関まで移動していきます。廊下にいる人とすれ違うときには「通ります」と注意を促し、よけてくれると「ありがとうございました」と元気に伝えています。
段ボール箱を運び終えると、玄関にあるパレットに移し替えます。このときにも、しゃがんで丁寧に箱を移し替えています。その作業が終わると、箱が積まれているパレットをハンドリフトで移動させる練習が始まります。2人1組になり、生徒のAさんが声で誘導し、Bさんがパレットを操作します。「オーライ、オーライ」と、ちょっと自信なさげに誘導するAさん。その声にゆっくりとハンドリフトを操作するBさん。
その様子を見ていた岸田主任教諭から「もう少し大きい声でちゃんと誘導しないと、操作している人はわからないよ。操作している人は見えなくて怖いんだから。操作しているほうも、わからなければもっと聞かないと」、と厳しい声が飛びます。
注意されたAさんは「もっと前に来て大丈夫です。もう少し右です」と大きな声で自信を持って誘導していました。2人とも、とても意欲的に取り組んでいました。
Aさん(16)は「先生は厳しいときもあるけど、優しいです。注意してくれるのは自分が間違ったから。自分のために注意してくれるのはわかっています」と言います。自閉症のAさんは「働いて親孝行したい」とビジネスコースを選んだそうです。
Bさん(16)は「ハンドリフトをもっと勉強したいから、注意されても平気です」と言います。軽度の知的障害のあるBさんは、1年次に習うクッキー作りの授業で計量スプーンの違いを難しく感じ、物流の方が自分に向いていると考え、選んだそうです。
松本主任教諭は「授業だからと甘く見ず、実社会に出た時と同じ緊張感を持ってやっています。あいさつをすることも、厳しく指摘されることも、会社では普通のこと。生徒たちにはその厳しさを感じてもらいたいんです。それが自分たちの力になることを生徒たちは分かっているようです」と言います。
就職率100%を目指すビジネスコース
足立特別支援学校は、主に15歳から18歳までの知的障害のある生徒を対象にした高等部のみの特別支援学校です。全校生徒はおよそ230人。多くの生徒は普通科に在籍し、卒業後は一般企業や作業所などそれぞれの力に合った進路先に進みます。一方ビジネスコースは、1学年16人の定員を設け、一般企業への就職を目指して、よりきめ細かい指導をしています。そのため入学を希望する場合には学力や作業能力の検査、作文、面接などの入学相談を受けることになります。
ビジネスコースではパンやクッキーなどの食品製造を学ぶ「フードサービス分野(以下、食品製造)」と、倉庫や店舗での商品管理や配送作業を学ぶ「店舗・商品管理分野(以下、物流)」のどちらかを専門的に学べるようにしています。週2日の作業学習の日に、1年次には両分野の基礎的なことや社会人として身につけておくべきビジネスマナーなどを学びます。2年次に食品製造か物流のどちらかを選択し、より実践的な技術や作業を学び、現場実習などを積み重ねていきます。そして3年間の学習を終えて、一般企業に就職していきます。
どちらの分野も知的障害のある人が比較的就労しやすい職業分野と考えられており、2007年から始められました。障害のある人の場合、特別支援学校を卒業すると地域にある作業所に通ったり、福祉施設に入所することが多いのですが、ビジネスコースの卒業生はこれまでにほぼ全員、物流や運送会社、ホテルやスーパーマーケットなどの一般企業で働いています。
東京都内には約60校の特別支援学校がありますが、足立特別支援学校のように職業に関する専門的な教育を受けられる職業学科やコースを設けている特別支援学校は4校ほど。2012年度の足立特別支援学校のビジネスコース希望者は定員の2倍あったそうです。年々希望する生徒が多くなっており、東京都では今後、増やしていくことが検討されています。
会社のムードメーカー
物流の作業学習では、荷物の運搬やハンドリフトの練習の他に、倉庫から店舗に配送する商品をまとめるピッキングの方法などを学び、技術力を鍛えていきます。実習生や卒業生を受け入れている企業からは「生徒さんたちは正確にやってくれる」と高い評価を受けています。
しかし、足立特別支援学校で重視しているのは技術力だけではありません。技術力以上に力を入れているのは、あいさつなど人との関係において基本的なことを身につけることでした。
松本主任教諭は以前、様々な企業の採用担当者に「採用するのなら、生徒たちにどんな力が必要ですか」と尋ねたことがあるそうです。するとほとんどの企業が、やる気があって、あいさつができて、わからないことをきちんと尋ねてくれる生徒を望んでいたそうです。
そのため、まず学校全体で意識したことは、元気良くあいさつをすることでした。生徒も教員も全員が「おはようございます」や「さようなら」といったあいさつをするように徹底したのです。
初めは恥ずかしそうにしている生徒や声が小さい生徒も、数週間後には大きな声で元気にあいさつするようになるそうです。
埼玉県にある衣料品メーカーの物流倉庫で働いているCさん(19)も、その一人です。
去年の3月に足立特別支援学校のビジネスコースを卒業しました。会社では実直な働きが認められています。「会社は楽しいし、社会の役に立てている気がする」というCさんの採用の決め手は、あいさつの声でした。面接に来て事務所の扉を開けた時に、大きな声で「おはようございます」とあいさつをしたそうです。事務所にいた人が全員振り返るほどだったそうです。
Cさんの上司は、「C君がいるおかげで、会社の雰囲気が和むんですよ。いつも大きな声で「おはようございます」とあいさつしてくれると、それにつられて自分たちも挨拶する。これまでは社員同士あいさつするときは、ぼそぼそっと小さな声だったり、おろそかにしてしまうこともあったんですけど」と教えてくれました。
様々な工夫で「働くこと」の意識づけを
ビジネスコースでは、仕事に対する意識を持ち続けてもらうことも大切にしています。それはあることがきっかけでした。ビジネスコースを立ち上げてから間もなく、松本主任教諭や生徒たちが企業の人に話を聞きに行ったときのことです。きちんと話を聞かなくてはと、全員姿勢を正して、“気を付け”の姿勢で話を聞いていたそうです。すると、企業の担当者から「社会人で“気を付け”の姿勢で話を聞くことはあまりないです。話を聞くときは手をお腹の下あたりに軽く組んで聞くものです」と教わります。 松本主任教諭はその時のことを振り返ります。「ショックでした。これまで学校で普通にしていることは、社会では普通ではないんだと」。 それから、企業の人から受けたアドバイスを取り入れながら、「学校の常識」にとらわれずに社会に出ること、働くということを意識づける工夫を始めたそうです。
まず取り入れたのが「作業着」の着用です。物流を選択した生徒たちは、作業学習の日は水色のワイシャツと薄茶色のチノパンの「作業着」で授業を受けるようにしました。教員も「作業着」を身につけます。教科学習のときには、生徒は制服を、教員はスーツにネクタイを着用して授業をするようにしました。会社を意識できるように、服装から意識付けを始めたそうです。
また、作業学習の日は、生徒たちは常に腰にバッグを身につけるようにもしました。バッグの中にはメモ帳とペンを必ず入れることになっていて、いつでもメモをとる習慣を身に付けるようにしました。教員たちは「教えてもらったことや習ったことを忘れないためにもメモをとりなさい。仕事をする上での大切な姿勢だから」と常に生徒たちに伝えているそうです。
考えることが、やりがいに
ビジネスコースの作業学習は、同じことを何度も繰り返し行うことがポイントだと松本主任教諭は言います。例えば、取材に訪れた日に行っていた荷物運搬の練習は、これまでに10回ほど行っていたそうです。繰り返し行う理由を、松本主任教諭は「技術的なことは何回もやって、頭でなく身体で覚えてもらうようにしているんです」と言います。 「それともうひとつ理由があって」と続けます。「生徒たちに繰り返し伝えているのは、『どうすればうまくやれるか、きちんとできるかを考えながらやりなさい』ということです。私たちが大事にしているのは、生徒たちに考える力をつけることなんです。生徒たちが希望している仕事は、同じようなことの繰り返しが多い職種。飽きてしまうことだってありえるんです。けれども、同じことの繰り返しの中でも、毎回自分で考えて工夫していくと、仕事が面白くなるんです。そのことに生徒たちが気付いてくれるんです」。
生徒たちに考える力を身につけてもらうために取り入れたのが、月単位でリーダーを決めることでした。会社にあるようなプロジェクトチームを想定したものです。教員がリーダーに指示を出し、リーダーが他の生徒に教員から受けた指示を伝えます。そして、リーダーを中心に全員で考えて作業を行います。
生徒たちが考えた成果を上げた例をご紹介します。
ある時、作業学習の一環として、物流を学ぶ生徒たちに校内の印刷室の清掃を任せたそうです。実は印刷室は、教員たちが整理整頓していたのですが、用紙や文具が散乱している状態だったそうです。
掃除の時間が終わり、教員たちが印刷室を確認して驚いたそうです。見違えるほどきれいに整理されていたのです。部屋の棚には「A3用紙はここです」「A4用紙はここです」といった張り紙、きちんと並べられた用紙の束。机の上には文房具がきれいにそろえて小箱に入れられ、「穴あけパンチはここに入れてください」と書かれた張り紙も貼られていたそうです。
以上の例は顕著なもので、生徒たちが考えた工夫は小さなものであることが多いそうです。中には非効率と思えるものもあるそうです。でも、生徒が何か工夫して動いたときには、教員たちは「いまのいいね」とほめるのだそうです。 松本主任教諭は「生徒たちには、障害のために出来ないことがあるのは確かです。けれども、自分で考えたことを評価されると、生徒たちはとってもうれしそうな顔をするんです。すると、さらに考えようとする。評価されることで考える力が身についていくんです。そのためにも、生徒たちがするどんなことも見逃さないように見守ることが、私たちの役目です」と力強く話されました。(高)
(2012年2月16日記)
東京都立足立特別支援学校のビジネスコースについて詳しくはホームページをご覧ください。
