現場リポート

音楽の力ができること...

バイオリンを中心とした音楽教育を行っている山口音楽教育センター。障害のある子どもを積極的に受け入れています。「障害の有無にかかわらず、音楽の力で人を感動させることができる」 そんな思いから始まったレッスンの現場を取材しました。

写真:S君のレッスンのようす。上手に弾けるかな?

東京・代々木の閑静な住宅街の一角に、バイオリンの音色が響く教室があります。山口音楽教育センターは、昭和28年設立の歴史ある音楽教室。多くの子どもたちに、音楽を通じた人間教育を行っています。
この教室の特徴は、知的障害や発達障害のある子どもを積極的に受け入れていること。現在通っている子どもの3割近くは、知的な遅れを伴う障害があるそうです。取材にうかがった日は、障害の程度や年齢、バイオリンのキャリアの異なる3人の生徒のレッスンの様子を拝見することができました。

「もういっかいやります!」 --小学一年生・S君--

最初に元気よく飛び込んできたのは小学一年生のS君。バイオリンを始めて一年半、自閉症があります。

       写真:S君のレッスン。左右に先生がサポート 

左手で弦を押さえ、右手で弓を操作するバイオリン。レッスンでは左右それぞれの手に先生がつき、細かな動きを教えていきます。ややぎこちないながらも少しずつ曲の形になってきているS君の演奏。ところが納得がいかなかったのか、S君は途中で手を止め「ぜんぜんだめだ。もういっかいやります」と、最初から弾き始めました。

 
   写真:細かな指の動きを練習するS君

今度は最後まで曲を演奏しきったS君。レッスンが終わると、ホッとした様子で座りこんでしまいました。だいぶ緊張していたようです。 S君が自分の意思で演奏しなおしたことは今までなかったそうで、先生もお母さんも驚いていました。S君がバイオリンの練習を通じて、精神的にも成長していることが伝わってきました。


 

時には厳しく -- 高校生・Hさん--

S君の次にやってきたのは高校生のHさん。中度の知的な遅れを伴う自閉症があります。演奏歴は10年。この日はコブクロの『さくら』という曲を練習していました。

写真:楽譜に向き合うHさん
写真:真剣な表情のHさん Hさんのレベルでは介添えは必要ありません。レッスンの内容もかなり高度です。
「右手と左手がズレてるよ!」
「ハイ!」
「強く弾きすぎ!」
「ハイ!」
厳しい指示が飛びますが、しっかり演奏を修正していくHさん。その表情は真剣そのものです。


一緒に来ていたお母さんに、Hさんがバイオリンを習い始めたきっかけについてお聞きしました。

「この子は言葉が出るのが遅くて、話すより歌うほうが先でした。2歳のころ、『きらきらぼし』のメロディーを口ずさんでいたのを見て、音楽が向いているんじゃないかと思ったんです」

お母さんの見込みどおり、音感がよく上達は速かったHさん。ところが人前で演奏できるまでには時間がかかったそうです。

写真:練習を終えて笑顔のHさん

「演奏会では、スポットライトや会場のざわめきで興奮して、ステージの上でクルクル回ったり、足を踏み鳴らしたりしていました。でも大勢で合奏したり、他の子の演奏を聴く経験を何度もしていくうち、人前できちんとおじぎをして弾けるようになりました。演奏会だけでなく、学校でもきちんと挨拶ができるようなったんですよ」

レッスンが終わって汗をぬぐうHさん。さわやかな笑顔が印象的でした。

バイオリン歴20年 --32歳・Iさん

続いてレッスンを受けたのは、中度の知的障害と自閉症がある32歳のIさん。小学生のころから習い始め、演奏歴は20年になるベテランです。演奏しているのはバッハのバイオリン・コンチェルト。

写真:ベテランIさんの練習風景

Iさんは普段、地域の福祉作業所で本のカバーかけや封筒の封入作業を行っています。 「作業所では他の人より手先が器用で、集中力があると言われます。長年バイオリンをやってきたおかげかしら」と、Iさんのお母さん。

Iさんは子どものころ、音楽にはそれほど興味を示さなかったといいます。バイオリンを始めたことで音楽に興味を持ち、カラオケボックスで歌を歌ったりすることもあるそうです。 「20年続けているけれど、やめると言ったことは一度もないんです。私も、なんとか支えてやりたいと思っています」というお話でした。

演奏に涙した自閉症の子

山口音楽教育センターが障害のある子を受け入れ始めたきっかけは、創設者でバイオリン奏者の山口 元男さん(2001年他界)が、32年前に経験した出来事にありました。
「夫が病院によばれて、障害のある子どもたちの前でバイオリンを弾いたんです。そうしたら、曲を聴いていた子が涙を流し始めたんですよ。自閉症の子で、周囲の音にほとんど反応したことがなかったのに」
現在レッスンでピアノ伴奏を担当している妻の貞好さんが、そんなエピソードを話してくださいました。
「音楽が好きで、興味があれば、障害の有無にかかわらず、どんな子でも気持ちが伝えられる。 楽器を弾けるようになれば、人を感動させることができる」。そう感じた山口さんは、自身の教室に障害のある子を受け入れ始めたのです。
その思いは山口さん亡き後も引き継がれ、今は娘の松原 元子さんと、息子の山口 元久さんが中心となって、レッスンを行なっています。

バイオリンは自分で音を作る楽器

レッスンが一段落したところで、松原 元子さんにお話をうかがいました。

「バイオリンは難しいと思っている方が多いですが、実は始めやすい楽器なんです」と松原さん。手軽に持ち運べる上、子どもの身体の大きさに合ったサイズが揃っており、敷居は決して高くないそうです。

写真:いろいろな大きさのバイオリン

「ただし、バイオリンはピアノのように『ここを押せばこの音が出る』という仕組みにはなっていません。目印になる鍵盤もありませんから、弾きながら音の感覚を作っていくんです。目で音符を見て、頭で音階を理解し、左手で弦を押さえ、右手で弓を操作する。こうした複雑な作業を全部一人でこなします。その経験が、子どものセルフコントロール力をつけることにつながっていきます」。

音楽の力で

教室では、レッスンだけなく、発表する機会を設けることも大切にしています。

「2ヶ月に1回、発表会を開いています。そこで演奏をして大勢の人から拍手を受けたり花束をもらったりすることが、演奏した本人にとって大きな自信になります。その姿が保護者の方にとっても大きな励みになるんですよ」。

山口音楽教育センターは障害のある子どもたちを受け入れていますが、症状の改善や治療を目指しているわけではありません。教室で教えられているのはあくまでも「音楽」。その音楽の力が、子どもの持つ能力を掘り起こし、また本人をサポートする周りの人たちの励みになっていることが伝わってきました。(松)

(2009年6月3日 記)

山口音楽教育センター
子どもたちの個性や能力に合わせて指導プログラムを作り、バイオリン、ビオラ、ピアノ、フルートの音楽教育を行っています。詳細は、ホームページをご覧ください。

写真:演奏会でみんなで合奏